降誕節ともなれば、この世界は隣人に対する愛と寛容で満ち溢れる。
 などといいだしたのはどこのどいつだろう。まあ、いまどきそんなことを信じているのは聖職者かそれとも年端の行かない子供くらいのものだ。いや彼らですら、そうそう夢見ていられるほど甘い世の中ではないのかもしれない。「一切の希望を捨てよ」と銘された門を見るまでもない。その門を否応なしに潜った者にとってだけではなく、この世は地獄に似ている。
 実際十二月は、掏りやかっぱらいの繁忙期だ。寒さを凌ぐだけでもやたら金がかかる時期、各々仕事に励んでいる。そして、もう少しはまともな職種につける恵まれた連中にとってもまた一様に忙しい時期だ。パーティの準備、家や庭の飾りつけ、クリスマスカードも送らなくてはならないし、そして勿論、プレゼントの買い物がある。やることはいくらでもあって、とんでもなく込み合った商店街では誰もが殺気立っている。流石にこの時期は、いくら顧客だからといって店に人払いを頼むのは心苦しく、またスケジュール的に閉店後の時間を狙うことも難しかった。青筋立てて緊張している部下を引き連れて、数日前込み合ったデパートを訪れたオレは群衆って奴の残虐さを目の当たりにした気がした。本来のオレは人と人との係わり合いを心から尊ぶ者だが、今回ばかりは遠い国で孤高を貫く少年に心から共感した、といえばオレの驚きも御理解していただけるだろうか。
「ミサに出席していただけないとは残念です。ドン・キャバッローネ」
「ええ、私もあなたのお話を聞けないことが残念でなりません。さぞかしこの土地の者も楽しみにしているのでしょうね」
 柔和な顔をした司祭が頷いた。先程オレはシマにある教会に年末恒例の献金をして告解まで済ませてきたばかりだ。教会の入り口で部下が車を回してくるのを待っているのだが、ご覧の通りわかりやすくどこも込み合っていて、とんでもなく時間がかかっている。人の良い司祭との会話は正直退屈で、オレはほとんどに反射的に相槌を打っていた。
 告解といっても形ばかりのものだ。他に漏らさないのが前提といえど、気軽に話せるような悪行などマフィアにとって悪行ではない。残念なことにどうしても作り話や瑣末な事例を挙げることになって、さぞや司祭にはこすからい小悪党だと認識されているに違いない。
 まああちらとしても、真実を話していないことなど百も承知かも知れない。こちらの職種など全くご存知で、そうでなくとも罪悪感の出所などセックスとセックスとセックスしかない青臭い子どもですらなかなか正直には自分の罪を告白できないものだ。流石にオレはもういい年で、それを上回る罪などいくらでも犯してはいるはずなのだが、いつの間にやら一周して我が乏しい罪悪感はすっかり幼い恋人に向けられている。
 多分こんな態度でも文句はないのだろう。なんといってもお得意様だ。この教会を建立したのも曾々々祖父だかそのまた祖父だったかで、つまるところはキャバッローネのボスである。信仰深いファミリー、という矛盾しているんだかいないんだかわからないがそう数は少なくない方々の多くは、敷地内に教会を構えて常時司祭を置くという手を取っている。なんだかんだで世間の風当たりは厳しいし、毎週決まった日時に信徒たちに囲まれ目を閉じて頭を垂れる……なんて自殺行為もいいところだ。昨今のヒットマンは国際色豊かで、当たり前だがキリスト教徒とは限らない。
 だがうちは教会など置いていないし、そんなわけで子どもの頃ならともかく今では、ナターレだとかイースターだとかそんな時でもなければ教会に顔を出してはいない。それだって結局は、シマの人間に対するデモンストレーションに過ぎないわけだ。しかし、昔諳んじていた聖句は片端から忘れても、神はいないと思うかと問われればオレは頷き得ない。世界は悪意で満ちていて、愛と寛容で溢れる日など一年に一日たりともない。だがだからといって神はいないという結論に飛びつけるほど単純にもなれなかった。
 セリーヌ曰く、「神はいま、修理を受けているところだ」。未だに直っていないというのなら、さぞや滅茶苦茶に破壊されあそばされているのだろう。ひょっとしたら変えの部品がないのかもしれない。ニーチェのように死んだとはいわない不遇の戦犯作家の心情は知らないが、オレもまたこんな世の中でもせめて神あれと願っている。
 オレがいままで殺した、傷つけた人間は悪人もいれば善人もまた。だがその区別なく死の直前多くが神の名を呼んだ。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。その子すら疑った状況で、あんなにも真摯に、健気にも。もし死後の世界があるとして、オレの行き着く先は地獄だろう。今更赦されたいとは思わない。神曲に描かれたとおりの世界なら、第五の園か第七の園か。第二かもしれない、最近は色欲の罪に問われても仕方のない状況だ。だがそれでもいい。神を信じるはずもないあの子がただそれだけの罪で地獄に行くのなら、そこもまた天国だ。だが信心深いこの教会の信徒たちには、出来ることなら部下の何人かにも、そしてあんなふうに必死に名を呼んだオレが殺した奴らにも。神が現れますように。
「お仕事ですか」
 は、と思考が中断される。振り向くと司祭が微笑んでいて、多分意識が飛んでたのはばればれだったろう。
「クリスマスもお仕事ですか? 大変ですね」
「あー、……ええまあ。日本に行くんですよ」
 仕事ではない、とはいえなかった。クリスマスは家族で過ごすイタリアでも、パーティを開こうとなさる空気の読めないファミリーはいくつかあって出席するのも仕事のうちといえなくもないのだが、大して付き合いのない格下のファミリーなのをいいことに部下に頼んでしまった。ただ酒をのめるからと嫌がっている風でもなかったが、あそこのボスはかなりのウワバミだ。悪いことをしたなあと思う。
「そうですか、日本ではクリスマスも仕事でしょうね。仏教のほうが盛んなんでしょう?」
「まあそうですね。サンタは根付いてるみたいですけど」
「なるほど。ああ、あそこにもいますね」
 みると教会前の広場の向こう、商店の店先でクリスマスの飾りや小さなおもちゃが売られているらしい。その脇に、大きなサンタの人形があった。
「ぶら下がっている子どもがいる……ふふ、日本でもあんなふうに?」
「ええ、お祭りみたいになってるんですよ」
「イエス様は子ども好きな方ですから。プレゼントをもらって子どもたちが喜んで、それを見て周囲の大人が喜ぶ。そのことをお喜びだと思いますよ」
「……」
「ドン・キャバッローネ。あなたは毎年沢山の寄付金とそして子どもたちにお菓子やプレゼントを用意してくださる。配る時においでいただけたことはありませんが、毎年みんなとても喜んでいます。その喜びがあなたの元にも訪れることを祈っています」
「ありがとうございます。……オレ、すみませ」
「大丈夫ですよ。私に話せなくとも、神はご存知です」
 柔らかい笑みに頭を下げる。風の寒さに身震いをして、教会のドアを開け司祭を中にいざなった。
「もうすぐ車も来るでしょうから。寒いですし中にはいっててください」
「でも」
「向こうの店でプレゼントでも見ています。何か売っているみたいだから」
「そうですか。それはいい。良いクリスマスを、ドン・キャバッローネ」
「良いクリスマスを!」






 単純にもどこか温かい気分で、オレは商店街の店先をのぞいた。車の通りが見える位置から離れるわけにはいかないので、そう動かずにラックに並べられた商品をなんとなく眺めた。物欲の薄い子どもに、それでもいくつかプレゼントは用意した。喜んでくれたなら、と思う。喜んでくれたならどんなにか嬉しいだろう。
 ラックに並んでいたのはほとんどがツリーのオーナメントだった。ああこれではプレゼントにはならないじゃないか。愉快な気分で木彫りの天使の人形を手に取る。時勢柄か人形すらステレオタイプの碧眼金髪ではなくバリエーションがある。黒髪のものを手に取ると、粗雑に描きこまれた単純な顔のくせ、目つきが悪くてどこか似ている気がした。ちんまりとした鼻をつついてやる。神に栄光地に平和。彼が望むならこの地を治めるものとして、それを祈るのも吝かではない。
「日本も寒いだろうな……風邪ひいてねぇか?……う、さみ」
 人ごみなのにずいぶんと冷え、オレはコートの襟を立てる。こっちがひいてどうする。歩道には先週の根雪がまだ残っていて、予報ではクリスマス前にもう一度降るはずだ。日本も寒いだろうが少なくとも雪は降っていない。彼がいったのだ。並盛では年が明ける前に雪が降ることはまずないと。
「だーからって無茶して薄着してんじゃねーぞ、きょ」
「ボス?」
「な、ななんだ?!」
「危ねーから移動するなよ。いくらシマの中とはいえ。探しちまっただろーが。なんだ? また荷物増やす気か?」
「別にちょっと見てただけだぜ、ほら」
 ちょっと罪悪感を感じるほど乱雑に人形を脇に置いて適当なオーナメントを手にとって見せた。子どもの頃から傍にいる部下には、ずいぶん恥ずかしいところを見られているが、これはない。流石にない。人形に話しかけるファミリーのボスなんてありえないだろう。
「またプレゼントか? あんたの荷物はほとんど航空便で送っちまったし、スーツケースに空きはないんだろ?」
 どうやら見られてなかったらしい。なんだかんだで楽しげに部下もラックの中を覗き込む。
「これはプレゼントじゃねぇよ。オーナメントだろ」
「どこに飾るんだ」
「ホテルの……部屋とか?」
「それをか?」
「……」
 指摘されて改めて慌てて引っつかんだそれをみる。うーん、まあ、そうか。
「そもそも恭弥はあんないい伝え知らんだろう」
「あー、まあそうか。でもあいつ、最近イタリアの風習とか話とか素直に聞いてんだよな」
「ほう」
「ボンゴレの守護者をやる自覚が出てきたんだろうな。オレの苦労も報われるってもんだぜ」
「……それはどうか知らんが」
 ロマーリオは納得して無いようで首を振っている。だが、郷に入れば郷に従え、並盛では僕のいうことを聞きなよなどと無茶をおっしゃっていた秩序様が、イタリアの食い物だとか行事だとか毎日なにしてるかなんて話を結構興味深げに聞いているのだ。これを自覚が出てきたといわないでなんといおう。
「で? 買うのか」
「う……どうするかな」
 確かに素直に聞いてはいるのだが、説明して、了解いただいて、どうこうするより、さっさと手を出してしまったほうが正直早いというか。我ながらロマンチックさの欠片も無い思考に溜め息をつく。だが日本に到着するのはイブの夕方。五時を過ぎればもう真っ暗なこの時期、いくら雲雀恭弥といえど学校で長く待たせるのはこちらがいやだ。チェックインは部下に任せてこっちは中学に直行する予定で……いまここでこれを五つか六つ買って飾り付けを部下に頼むというのは、なんていうか、下手にキスシーンを見られるよりも確実に恥ずかしい。
「なあボス」
「ん?」
 考え込んでいると、いつ見ても冷静な我が部下が、小さくうつむいた。
「今回日本に行くのは、あんたと、オレと、あと三人だ」
「そうだな、仕事じゃねぇしいつもよりかだいぶ少なくしたなー」
「恭弥はチェックインするわけじゃねぇ。いや、したからって変わるわけじゃねぇが、とにかくそうだ」
「うん?」
「この面子で客室係にヤドリギを飾ってるところなんぞ見られるわけにはいかねえ」
「……オレが悪かった」
 素直に謝ると、ほっとしたように肩から力を抜いた。ホテル側と対応するのは大体部下だから、そりゃ嫌だろう。無駄に心配させてしまった。
「恭弥へのプレゼントは用意してあるんだしな。きっと喜んでくれるぜ、ボス」
「そうだな、お前らの分もちゃんとあるからな。楽しみにしてろよ」
「お、そうか?」
「わりいな、オレにつき合わせちまって」
「まあ、オレはなあ。クリスマスって柄でもないしな。あんたが楽しきゃそれでいいよ」
「……あんがとな」
 でもオレもお前らが楽しいと楽しい。いうとロマーリオはてれたように笑った。ああ結構幸せって奴は簡単になれるものらしい。広場の脇に止めた車に向かって歩き出すと、少し遅れて、あわてたように部下がついてくる。もうすぐクリスマス。オレは幸せになるために日本に行く。







                                                 next





inserted by FC2 system