Cenerentola (
Castello Della Namimori ginnnasio )


 大きく息を吐いてディーノはノートパソコンから視線を上げる。途端に現実が声高に主張を始めた。規則正しい機械音だとか、消毒液のにおいだとか、青ざめた顔で眠っている古い友人だとか。我ながら頼りない集中力はそろそろ白旗を振りだしたようだ。
「ボス、少し休んだらどうだ」
「ああ……あんがとな」
 絶妙のタイミングで部下が缶コーヒーを投げてきた。素直に礼をいい口に含む。故国の都市の名を冠した、エスプレッソであると果敢にも言い張っているそれは、正直にいえばあまりおいしくない。ファミリーの多くがニコチンと併用してカフェインの中毒者であるので、休憩時間のコーヒーぐらいは質の高いものを提供したいところだ。だが廃病院を買い取って、なんとか居場所を確保しただけの今の状態では、その程度の福利厚生もままならない。
 朽ち果てる寸前だった、肝試しにもってこいな風情のこの病院を、何とか仕事のできる状態にした。いや、しようとしているというべきか。仕事は山積みで、使える人員はそう多くはない。必要な部屋だけ、なんとか掃除して設備も整えた。
 そんなわけでボスであるはずところのディーノは、知己が生死を彷徨っている病室に見舞いという名目で居座っている。書類の束を抱えて。パソコンを接続できる部屋は、今現在そう多くはないのだ。
「根を詰めすぎだ、ボス。ちっと寝たらどうだ」
「ん?……ああ、まだ大丈夫だ。おまえこそ寝ろよ」
 自分が寝てないというならば、この部下も同様にそうなのだ。全く不甲斐ないこと極まりない。
 馬鹿だ、というならば確かにそうだ。やりたいことをやればいいんだよとあの子どもならばいうだろう。王様の口調で。それで委員会というよりは小マフィアのような団体を回しているのだからたいしたものだ。ディーノには正直とても無理だ。先のことを考える。先のことの先のことのさらに先のことを考える。予定を組むといえば響きはいいが、ただ単にそうでなければ怖くてとてもやっていられない。それで、本当に今やりたいことなどはなおざりだ。
「……ボス」
「んー?」
「本当は、見に行きたかったんじゃねぇのか?」
 必要かどうかという問いならいくらでも笑って答えられた。彼は強い。鍛えたディーノが一番知っている。あんな図体だけの小物など眼中にもないことだろう。だが本音を尋ねられたらどうしようもなかった。見に行きたい? いや、そうじゃない。代わりに戦いたかった。こんな馬鹿らしい揉めごとに何も知らない守護者たちを巻き込みたくなかった。
「ごめんな……迷惑かけて」
「何いってんだボス。いまさらだぜ」
 全くだ。つい笑わされて、だが気分は沈みこんだままだった。弟弟子に肩入れして、同盟ファミリーの後継問題に介入した。敵対候補者の人となりは知っている。放っておけばボンゴレという大ファミリーだけでなく、キャバッローネにも火の粉が飛ぶだろう。こちらに選択肢はなく、だが共倒れになるつもりもないからこうして寝る間も惜しんで地固めに動いているわけだ。その癖、古い友人一人、見捨てることもできずにディーノは手を伸ばした。甘い、まさにその通り。彼の薄情な上司ならそう笑ったろう。腹の中に蛇を自ら招き入れるようなものだ。いや鮫か。
「う"お"……ぉ」
「スクアーロ!! 気がついたのか!」
 鮫の腹の中に招待され損ねた男の、血の気を失った唇が音を紡いだ。繰り返されるその名に眉を顰める。その昔クラスメイトだった彼は、とんでもなく暴力的で気侭で、だが馬鹿みたいに健気に一途に強さを求めてた。例えどんな剣士だって、彼のように全てを捨てて、真摯に自分を磨くことは出来ないだろう。あの男はおまえにそんな風に、まるで縋るみたいに名を呼ばれる価値などありはしない。いってやりたくて、だが口にはしなかった。自分だって部下には過度な信頼を与えられている身の上だ。全く下につく者の心情は、こちらからすれば物好きだといってやりたいほどで、窺える気すらしない。
「ボス! すぐにドクターを呼んでくる。それまで頼むな」
「おう。スクアーロ。しっかりしろ」
 我がファミリー中物好きの第一位が、慌てて部屋を出て行った。簡単な手当てなら彼でも充分できるが、この男の怪我はそんなレベルの話ではない。よくもまあ生きていると、そこから讃えてやりたいような話だ。
「う"……跳ね馬、か?」
「ああ、そうだ。記憶は大丈夫か? おまえは」
「負けた」
「…………ああ、そうだな」
「オレを……どうするつもりだぁ」
 人質にもなりはしないのだと、いわない程度の優しさは発揮してもいいはずだ。つまりはこの男、たいした役にはたたないのだ。
「取り敢えず寝てろ。あとで話を聞くことになると思うが」
「おまえらに……話すことなんてねぇぞぉ……」
「知ってる」
 駄々っ子の対応は馴れたものだ。いわれずとも期待していない。乱れた布団を直してやってディーノは立ち上がった。部下が戻るまで席を外した方がいいだろう。どう見ても切迫した状況ではなさそうだし、自分がいたら躰が休まらない。
「……行かせろ」
「あ?」
「行かせろ……並中だ……オレは」
「……」
「見届けなきゃ……ならねぇ」
「おまえ、自分の置かれてる状況わかってんのか? 死ぬぞ?」
「刀傷以外じゃオレは死なねぇ……跳ね馬」
「……」
「頼む」
 相手は頭を下げるよりも、刀を振り下ろした方が早いっていう男だ。少なからずディーノは動揺した。こんな風に自分も欲求を露にできたらどんなにか楽だろうか。
行きたい。自分だって行きたかった。どうしようもないほど。まるで舞踏会に憧れている女の子みたいに必死に。思いついてディーノは苦笑した。そんなかわいらしい話ではないのだ。だがあの子どもは、誰よりも美しく舞うだろう。何度も武器を交えたディーノは知っている。ほんの一瞬、だがその名にふさわしく、まるで靴に羽根がはえたように彼は飛ぶのだ。
「お困りのようですね」
ふいに鈴のような声がして、咄嗟に武器に手を伸ばす。怪我人を抱えている以上、こちらの不利は明らかだ。
「………って、リボーンじゃねぇか」
緊張して視線を向ければ、そこにいたのは旧知の家庭教師だった。
「チャッキーかと思った……ぞお………」
青ざめた顔で呟く友人は冗談をいっているつもりもないのだろう。大きく息を吐いている。あんな映画より余程恐ろしい状況にあるとは考えないらしい。無知によるものかもしれない。怖れ、それとも現実に関してだろうか。またあの子どもを思いだす。負けない、と繰り返すあの子ども。これはもう、癖とか条件反射の類だろうか。
「失礼な魚類だな………。お前のところにも似たようなのがいるだろうが」
「あれはそんなかわいらしい代物じゃねぇぞお………」
まったく無知というものは。だが家庭教師はまがまがしいばかりにかわいらしく微笑んで、どうやら称賛の言葉と受け取ったらしい。
「当然だぞ。今の俺は聖なる魔法使いだからな」
「「………そうなのか」」
この生ける理不尽のやたらバラエティに富んだコスプレには、今更何を驚くものでもないが、それにしたって今回の格好は予想外だった。KKKにでも扮して敵に殴りこみにでも行くつもりかと思った。なんかそんな感じの、恐ろしげな格好だ。
「かわいい弟子の願いを叶えに来たんだぞ。ディーノ、お城の舞踏会に行きたいんだろう?」
「………」
 あれか。この男は読心術でも身に着けているのか。いやまさかそんな赤ん坊に銃を持たせるみたいな、ああそれは今更だ。
「う"お"ぉい……意味がわからねぇぞお……」
「このへなちょこは王子様に会いたくて仕方ないんだぞ」
「なっ!」
「あ"っ!! あいつはそんなご大層なタマじゃねぇぞっ……う"ぉ"……」
 こちらが反論する前に、大声を上げてそのまま咳き込みだした男の背中を、ディーノはなんとか起こしてやる。放っておいたら息でも止めそうだ。
「てかいや……うん……多分おまえが考えてる奴のことじゃねぇよ?」
「な、何の話だぁ、俺は何も」
「お姫様の間違いだったか? へなちょこ。ヒバリのそばにいてやりたくて仕方ねぇんだろうが」
「…………ああ、そうだ。いいだろ別に」
 これがジャポーネでいうところの、人のふり見て云々という奴だろうか。ディーノはすっかり開き直った。いい年してメディアに通ってるガキみたいな恥ずかしい態度をとっている場合ではない。
「中学生にあわせて、ガキみたいな恥ずかしい恋愛してるらしいじゃねぇか。キスもまだなんだろ?」
 だからこいつはいつの間に読心術を。てかこの見た目でなんでいうことがセクハラ親父なのだろうか。対応したことが少なくない部下たちの年齢を感じさせる言動を思い返して、ディーノは遠い目をした。
「ほっとけよ」
「……ごいつの、報われない恋愛なんぞ、興味はねぇぞぉ……」
 息も絶え絶えでいう台詞ではない。報われないとは何だ。報われないとは。
「正直になりなさい。跳ね馬ディーノ。並盛城に行きたいのでしょう?」
 きゅるん、と大きな目を瞬かせて魔法使いは微笑んだ。つまり、反論は認めないというジェスチャーだ。理解できる自分が嫌になる。
「ああ、行きてぇよ。だがな、リボーン」
「……魔法使い」
「……魔法使い、はご存知でしょうが」
「おお」
「仕事もある。とんでもなくな。それにこの鮫も」
「オレも行くぞぉ!」
「だ、そうだ。目を離すわけにはいかねぇ」
「いいから黙ってろ。………この魔法の杖の一振りであなたの願いを叶えてあげましょう」
「あー………サンキュ?」
定位置で構えていたカメレオンが、よくわからない呪文にあわせて姿を変える。すでに魔法みたいだなあこれ、というか。
「どう見ても杖じゃなくて銃じゃねぇかあ!!」
対応を諦めたディーノに代わって、几帳面な友人が突っ込みをいれた。まったくこの男は、不用意に険を振り回したりせず、山猿の王子様になぞ心酔していなければ、結構まっとうで真面目な人柄なのだ。
「うるせえぞ。………びびで、ばびで、ぶうっ!」
 ぐいん。
「がっっっっ!!」
「びびで!」
 ういん、ぎいいいいいがちゃん。
「う"お"お"っ! ぐあ!」
「ばびで!」
 がご、ういんういん、ぐいん。
「がぁ"あ"あ"!!」
「お、おいリボーン……」
「ぶうっっ!」
 いかにも赤ん坊らしい響きの呪文にあわせて銃弾が打ち出されるたびに、軽く背面を持ち上げるくらいの操作しか出来ないと思っていた病院ベッドが、物々しい音をたてて変形していく。さすがジャポーネ。ガンダムを生んだ国だ。
 本体は三段階に折れ曲がる。壁面部は縦方向に伸びたあと、きゅいんきゅいんいいながらハンドルの姿に変わった。手術室からここまで旧友を運んできた病院ベッドにつきものの小さなタイヤは、がっちょんがっちょん軋みながら途方もなく巨大化して見せた。ああつまりこれは。
「みろ、かぼちゃの馬車だ」
「どこがだ!」
「車椅子だ。感謝しろ、ディーノ。これで並中まで運べるぞ」
「…………………う"、ぅ"ぉ"ぉ……」
「だ、大丈夫かスクアーロ!!」
 パイロットはしかし、先ほどまで明らかに死にかけていた男である。どう考えなくとも絶対安静だ。
「そういう問題かよ! こいつを殺す気か!」
「………大丈夫だろ。ほらこの重厚なつくり。パイプ部分は強度と軽量性を鑑みてステンレス、タイヤはなるべく車体が揺れねぇといーな、という願いをこめてスタッドレスだぞ」
「うん、わあ、すげえなー」
「流すな。しかも今なら麻酔のたっぷり混入した点滴つき。これなら多少無茶して運んでも」
「……大丈夫じゃ、ねぇぞお……」
 ボルサリーノに角を隠した鬼が盛大に舌打ちをする。そちらのご機嫌についても非常に気になるものの、ディーノとしたら弱音を吐く友人、という目の前にある事実がまず受け入れられない。なんだこれ。本気で死ぬのだろうか。死んでも弱音なぞ吐かない男だとばかり。
「なあ……やっぱ無茶だろ」
「そうでもねぇぞ? これだけ動かして死んでねぇ」
「いや……おまえ」
「素直になれよ、ディーノ。ヒバリのそばにいてやりたいんだろう?」
「………うん」
「何をおいても並中に行きたい。そうじゃねぇか?」
「そうだ。……でも、でもリボーン。オレは」
「でも、じゃねぇよ。そんなへなちょこをいっていいガキじゃおまえはもうねぇんだぞ」
「……リボーン」
「何がおまえにとって大事かくらい、わかってるはずだ」
 いっている内容よりも、その優しげな声音に驚いた。諭すよりも脅す方向の教育論を貫いていた家庭教師だ。
「おまえが、キャバッローネだ」
「……」
「何度もいわせるな。次はねぇ」
「……そうだな」
 家庭教師がいう。部下たちがいう。それでもわからなかった言葉が、やっと腑に落ちた。あのどこまでも自由な子どもに会わなければ、けして理解できなかったであろう言葉だ。
「まああれだ。この鮫は丈夫だからな」
「……確かにそうかもしれねーが」
「そうそう死にはしねぇ、だろたぶん」
「……う"ぉ"ぉい」
「そりゃそう思うけど。並中の駐車場砂利敷きなんだぜ? 校庭に車乗りつけたら恭弥が怒るし……こいつの体にも障るだろ。なんか別の行き方を」
 秩序様にバリアフリーの重要性でも講義してやるべきかもしれない。靴のまま応接室に入っただけで怒るなんて、どうにも対応がよろしくない。
「なあディーノ、友達思いなのは結構だがな。……そこまでしてやる義理があるか?」
「……オレは別にそういう……義理とかを考えて動いてるわけじゃねぇよ。」
「……跳ね馬ぁ"」
「こいつはヴァリアーなんだぞ。敵だろうが」
「わかってるよ。今ここで殺す理由もねぇっていってんだ、オレは」
「ガキのころから剣を振り回していたような奴だぞ。ろくでもねぇ」
「あそこじゃ誰だってろくでもなかっただろ。こいつが強かっただけだ」
 まったく我ながら甘い。驚きに目を見開いている友人が視界に入り、ディーノは苦笑する。だが敵対しているだとか、それとも利害関係をめぐって戦うことは出来ても、この男の人となりを理由に危害を与えることはできそうにもなかった。マフィアの自分はどうしたって同じ穴の狢だ。学生時代は、弱かった自分は虐げられたりもしたが、あんな学校でのことだ。今更何を恨みに思うでも。
「カルツォーネ買って来い、っていわれたこともあったよな」
「……………………え?」
「カルツォーネ買って来い、だ。忘れたのか?」
「う"、う"ぉ"おい! あ"、あ"れは、こいつがマフィアのボスで金持ってるから頼んだだけで、その、悪気はねぇぞお!」
「……………………カルツォーネ買って来い、か。ああ、そんなこともあったな」
「は、跳ね馬?」
 性急なノックの音がする。予想通り医師を引き連れて戻ってきた部下たちを、ディーノは笑顔で迎えた。全く、自分はなんて下らないことで悩んでいたことか。
「ご足労有難うございます、先生。ですが彼はもう大丈夫です。意識もしっかりしていて話も出来る。申し訳ないがこちらも時間がない。お引取り願えますか」
「それはそれは。だが万全を期する為には診断をしないわけにも」
「御厚意には頭が下がる思いです。勿論いくら御礼をしても足りるものではないでしょうが」
 既に金で雇ってる医者だが、そうはいってもあれだけの怪我人だ。多少は良心が痛むのだろう。さらに上積みするように合図を送ると、部下の一人が意図を汲んで別室に誘導していった。
「ロマーリオ。すぐ車を玄関口に回してくれ。並中に向かう」
「オーケーボス」
「後ろに車椅子が積めて、一番小回りが利く奴。他に二人、警備でついて来い」
「ああ……ってボス。こいつも連れてくのか?」
「そうだ。文句はきかねぇ」
「イエス、ボス」
 一つ頷くと、部下は駐車場に向かって走り去っていった。ディーノは、友人が生還した今、多分きっともう必要ないであろうコードをぶちぶちと引き抜いていく。もしかしたら、医師に確認を取ったほうがいいのかもしれないが、一分一秒でも惜しい。きっと大丈夫だろう、そういうことにした。焦りはあったがひどく晴れ晴れとした、清々しい気分だった。
 振り向くとコードから自由になった友人は硬直して、青ざめた顔をしていた。まったく、自慢の弟子の晴れの舞台である日に、何と無粋な対応だろうか。
「スクアーロ」
「……う"、お"お"」
「あの頃うちのファミリーは壊滅状態で金なんて全くなくてファミリーの給料だって事欠く有様でだけどリボーンがマフィアのボスなんて見栄張るのが仕事だ金ないとこなんて見せんなっていうしだからおまえ殴り返したら昼飯代程度でもケチってるってことになっちまうからオレは朝夜抜いておまえに飯奢ってたけど…………」
「……」
「ちっとも怒ってないからな」
 安心させるために言い聞かせてやったのに、車椅子で病院の階段を駆け下りた時も(ちなみにもとが廃病院なので未だにエレベーターが修理されていない)フェラーリを飛ばしている間も、白目をむいて口を聞かなかった。全く無愛想な男である。











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