耳朶を咬まれ思わず震えた躰を、耳元で笑われた。

「わりー。怒ったか」

 当然振りほどこうとした腕はすぐに捉えられ、そのまま戯言を囁かれる。

さすがイタリア人というべきか、ディーノは運命などという言葉を容易く口にする。応接室でおまえに会った時これが運命だと思ったんだ、とそれはもう大仰に、ことあるごとに。今も、適当な賛辞をとりまぜてあやすように唱えられる。常ならば、特に嫌というわけではないので聞き流すようにしている。だが今は状況が違う。腹がたたない筈はないのに力が抜ける。

「僕は、ぐちゃぐちゃに、まんべんなく、咬み殺してやりたいと、思った、よ」

悔し紛れにいいかえして、だが自分でもわかる。これじゃ効果がない。思ったとおりディーノは笑って、熱烈だなーなんていっている。

大体同じ感情を返さない人間相手に、よくもここまで能天気に、非科学的なせりふを吐けるものだ。お国柄というものなのかもしれないと雲雀は思う。カソリックが大半だと聞いているし、実際黒服の部下たちが慣れた手つきで十字をきっているのを(主に彼らのボスが自らフェンスに突っ込んだり、階段を転げ落ちたのを知った時などに)何度か見かけたこともある。ディーノに聞けば、運命論と宗教は別だと懇々と説明してくれたかもしれないが、雲雀にとってはつまるところ同じことだ。自分以外の何かに縋るなんて、できることではない。

とはいえ、雲雀には誰かと常識を共有したいという感情がないから、風紀を乱さない限り宗教の類にも寛容だ。理解は出来ないが好きにすれば良いと、思っている。年末年始と、宗教施設からかなりの額が風紀に入ってくるから、群れていても見逃している。それに何かに手を伸ばす気持ちは、全くわからないというわけではないのだ。特に、マフィアだという自称家庭教師に、易々と組み敷かれている今となれば。

「いってーって」

とりあえず手近な金髪に手を伸ばすと、大げさに顔をしかめられたが、そのまま柔らかな感触を楽しんでいると、いつの間にやら楽しそうな顔をしている。

「どうした。少しは素直になったか? いいたいことがあるんじゃねぇ?」

「ならないよ」

出来る限りきつく睨みつけたつもりだが、かわいい、とお褒めの言葉を賜った。さっきまでちくちくと、嫌ったらしく攻めたてていたくせに、ちょっとでもこちらが不満を露にすれば機嫌をとりにくる駄目な大人は、もう気が済んだのか濡れた唇で胸の突起を啄ばんでいる。飽きるほど浴びせられた言葉で、こんな風に心が跳ねるなんて、いった方も予想していなかったに違いない。目を閉じて、溜まった熱とともに何とかやり過ごそうとする。大丈夫だ、まだ。

「かわいい」

「あ?」

「かわいい、よ。ディーノ?」

何とか笑顔を作ろうとする。もう一度髪を引っ張ると、漸く頭を上げた人の目は欲に濡れて、雲雀よりよほど余裕のない顔をしていた。勝てるかもしれない、と思った。

 

 

 

群れ群れした音で目が覚めた。目覚めは最悪だ。

昨日は金曜、放課後突然現れた金髪の誘拐魔に攫われてやって、いつものホテルの部屋に向かった。眠りに落ちた頃には空はもう白み始めていて、そしてたぶん今はもう昼を回っている。眠りが足りないわけではないが、とりあえずだるい。

体力だけは有り余っている人は、雲雀が寝ている間に別室で仕事を進めることが多かった。体を繋げた相手が、目が覚めても横にいることに単純な喜びを感じないでもなかったが、騒がしい音は癇に障った。

「おはよう、恭弥。起きあがれるか?」

元凶は屈託のない様子で、ワイドショー番組をみている。試すことすらしたくないとは打ち明けがたくて、寝転んだまま画面を見やった。躰だけでなく頭も鈍くなっているようだ。フルスクリーンに映るスタジオは、必要以上に人が溢れて見える。

「面白いわけ、これ?」

いくら日本贔屓といえど、日本の芸能界にまで興味があるとは思えなかった。雲雀も人のことはいえないが、今映っている人間のほとんどは名前も知らないのではないだろうか。映画のDVDをホテルで二人して観たことは何度かあるが、テレビをみたことはなかった。いつも忙しなくしている人のことだ。短い滞在の間、雲雀もいないときにそんな時間を割いているとはとても思えない。

「うーん、なんていうの、興味深い?」

女優とアイドルに同時期に手を出した俳優の吊るし上げにどんな興味が、と言い返そうとしたところで他のコーナーが始まった。星座占いのランキングだそうだ。ディーノは何やら頷きながら聞いていて、どうにも嫌な予感がする。

「まさか……こんなものまで信じてるわけじゃないよね?」

「いや、結構面白いんだぜ。あ、恭弥は何座?」

オレは水瓶、と聞かずとも自己申告してくるが、そもそも雲雀にはその意味がわからない。占いという単語と番組の調子から、くだらないと判断しただけだ。星座と自分とどんな関係があるというのだろうか、と寝起きのぼんやりした頭でしばらく考える。うん、わからない。

「知らないよ」

空き時間には本を読んでいることが多く、物知らずだとは思わないが、なにぶん興味がある事柄にはのめりこむ性質で、知識にかなりの偏りがあることは自分でも自覚している。仕事柄か、他国の文化やら経済をはじめ何にでも詳しいこの男に、いまさら見栄を張るつもりもなかった。だがテレビで、ごく当然のように取り上げられていたのには少し動揺したのかもしれない。目が泳いだ。

いつの間にかコーナーが終わって、天気予報に画面が変わっていた。ディーノは布団を頭からかぶって、雲雀を抱きしめる。今日はいちんち、外出ないから見なくても良いな。躰が動かないのをわかっているのか、そういって体重がかからないように寄り添うので、つい素直に頷いた。

「大体恭弥は占いとかジンクスとか迷信だって馬鹿にするけどな、マフィア然り、軍人然り、警察然り、危険な職種についてるやつほど迷信深かったりするもんなんだぜ。前に観た映画でもあったろ。恋人の髪を懐に忍ばした空軍パイロットが」

「中盤で死んだ」

うんまーそーなんだけどな、と暗い声で答えながら左手は脇をくすぐってくるから、信用ならない。躾の悪い手に咬みついてやる。

大体あの映画には、軍人が星座占いに興じるシーンはなかった。「ラッキカラーはカーキ。迷彩柄で敵の目を惑わすことが出来るかも!」とか、と、さっき見たテレビの甲高い声を思い出してちょっと笑った。視線を上げると、自分が笑わせたと思っているのか、得意そうな顔をしている。隙間から、掛け布団の中に入って来る僅かな光でも十分にわかった。両手でくすぐりかえしてやると、ひ、と息を吸うように笑って身を捩る。図体のでかい男が、かわいいと思えなくもないから不思議だ。

「ツナだって、持ってるっていってただろ、お守り」

「だから何」

「何ってお前のボスだろーが。話聞いただろ?」

確かに聞いた。ずいぶん前、ディーノも一緒の時だった。いつもは青い顔をしてぶるぶる震えているのに、真っ赤になって支離滅裂なことを力説していた。なんでもとんでもなく有難い、徳のある人からもらったお守りで、今まで死線を掻い潜ってきたのはこれのおかげだとかなんとか。たぶん要約するとそんな感じだ。おかしくなったようだし頭を殴るか咬み殺してやろうと、トンファーを構えたところでディーノに力ずくで止められた。それからはお互いの得物を夢中で交わして、気づけば陽は暮れ、民家の壁は倒壊し、件の草食動物はそこにはいなかった。雲雀にも今更そのことで咬み殺してやるつもりはない。御利益があるといってもいいのかもしれない。

「まー、当たるも八卦当たらぬも八卦ってやつなんだけど、さ」

「うん」

両手をつかまれ、咬まれるのかと思えば人差し指を吸われた。

「敵の行動規範になるようなことは知っておいて損はねえしな」

「うん」

片手を引けば、もう一方の腕の内側に痕をつけられる。

「うんうんて、ちゃんと聞いてんのかー? 恭弥。だから知ってても損はないぞ、と。誕生日さえわかれば調べられるんだがな。あ、もしかして、相性が悪いの怖いのか?」

そんなわけはない。くすぐったいのを我慢するので精一杯なだけだ。躰を捻って、手を逃れる。

「あなたじゃあるまいし。五月いつ……か……」

しまった。迂闊な失敗に気が遠くなる。目をやれば、ディーノも何やら固まっている。と、牡牛座か、イメージじゃねーよなー、頑固ではあるけどさー、と埒もないことを呟きだした。

「……ねえ、ディーノ?」

ぶつっ。

誤魔化す方法も思いつかないまま、声をかけたのと同時に、テレビの画像が切り替わる。画面を見たわけではないが、音でわかる。群れの浮かれた笑声から、時代劇らしい切りあいの音に変わる。

何とか身を起こすと、ディーノはもうベッドから降りて、テレビに向かって歩いていた。

途中で足を止めると振り向いて、ボノがさー、などといいだす。

「ボノがさ、時間の表示消したりとかのデータ修正はやってくれたんだけどさ。天気予報も時刻について触れるだろ、焦ったぜ」

雲雀も焦って枕の下を探る。大丈夫だ、あれはちゃんとある。

「恭弥、知らねえか? 占いの番組って朝にやるんだぜ」

とはいえ、とても動けそうにない。

「おまえなかなか起きないし、何度も見たから覚えちまった。牡牛座はラッキーデーだ。今日。」

この馬鹿、どうしてくれようか。

「でも、五月五日はもっと、ラッキーな一日にしてやるな」

ディーノは、壁面ラックに置かれているプレーヤーから、DVDのソフトを取り出した。

雲雀はトンファーを投げた。勿論力は入らないが、相手はへなちょこだ、十分だ。だが生意気にもディーノは、ソフトで身を守ろうと構えた。ばりん、と大きな音を立てて真っ二つに割れたそれは、右手の親指に傷を作った。






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