寝返りを打って目を開けると、目の前にやたら標高の高い鼻があった。さすが外国産の鼻である。つらつらとそんなことを考える。視線が稜線を辿って、また同じルートで帰路についた。この一週間かそこら、目覚めてから頭がまともに働きだすまでの僅かとはとてもいえない時間、いつもこんなことをしている。だから、もし紙とペンを与えられればいつでも、そらで完璧に彼の横顔のシルエットを描き写すことが出来るだろうと雲雀は思う。美術は特に得意ではないけれど、これだけ見ているのだ。腹立たしいほど優美で無駄のないライン。
「ん……きょや……」
 今朝だけで既に往復五回、そのアペニン山脈を縦走された男が、ぎゅむぎゅむと情熱的に縋りついてきた。全く鬱陶しいこの上ない。だがこうなるとわかって、了承したのは自分だ。正直、父子が川の字で寝るなんて、よくある都市伝説か何かの類だとばかり思っていたのだ。だがイタリアに、いやその前に宿泊した南の島のホテルに着くなり、この睡眠形態を強要された。
 本当にこんなことが普通なのだろうか? だが、雲雀とてわかっている。群れ切ったやくざ者の集団である彼の部下たちは咬み殺してやりたいことこの上ないが、いかにも気の置けない様子で、それに皆この男を慕っている。多分子どもの頃からディーノの周りはこんな感じで、面倒見のいい大人や、温かい家庭なんてものが当たり前にあったのだろう。家族がどう振舞うものか、彼は知っている。両手に有り余るほど、愛情を受けてきた人だ。そしてだからこそ、こんな気違い沙汰なボランティアを自分から提案してきたのだろう。
 確かに、認めがたいことだが共寝をすると非常に良く眠れる。しかし目覚めると途端に居心地が悪い。修行だとかいって日本の地方のホテルを渡り歩いていた頃から、わかっていたことだった。軽く四畳半分はありそうな馬鹿でかいベッドだろうと関係ない。寝ぼけた男はまるで雲雀が抱き枕か何かのようにしがみついてくる。寝相が悪い上、寝汚い男なのだ。部屋の中は空調が効いているが、それでも今は夏である。そこのところをこの男の寝惚けた頭はどうやら理解していないらしい。
「ね。起きなよ」
 肩を揺らす。自分の父親である男のだ。そう考えるだけでなんとも面映い気分になる。大体七歳しか年齢差のない外国籍の馬を、いきなり父親と思えなんて、非現実的極まりない話だ。「家族になりたい」。そういわれたときは正直当惑した。同情されているのかとも思った。どんな状況でも雲雀は生き抜くことが出来る。だが、世間一般的に見て、自分がどう思われるか位のことは把握してもいる。屈辱と怒りを感じて然るべきなのに、その瞬間、確かに戸惑いと同時に沸きあがるような喜びを感じていた。気まぐれのように来日する男を辛抱強く待たずとも、きっと闘って貰える。そう考えたのも嘘ではない。だが、それだけではなかった。家族。けして手に入らないものに拘るほど馬鹿ではない。そう思っていたのに、自分が今までどれほどそれが欲しかったのか気づかされた。
「ねえ、起きなってば」
 頬をつねる。だが、うんうんと唸るばかりで起きる気配がない。既に我が物顔で窓から入り込んでいる朝日を厭って、いやに少女趣味な布団の中に頭を突っ込もうとしている。木の葉が落ちる音だけで目覚める自分には、理解できない話だ。こうなったらもう、脳天をトンファーで思い切り刺激してやるよりほか方法はないだろう。
「うー……きょうや、いいこだから……」
 頭を撫でられて驚愕していると、再び、今度はもっと力をこめてしがみついてこられた。いいこだから? いいこだからなんだというのだ。起こせというのか? 
 この屋敷についてすぐ髭面の側近の男に、この図体の大きな子ども……もとい父親を毎朝起こす係に任命された。いい度胸だ。雲雀が来るまではずっとこの部下の役目だったというのだから、投げ出さずに仕事を全うすべきだ。だがそういってやると、外人というものは表情豊かだ、日本人ではとても有得ないほど大げさに、考えるのも嫌だという表情を浮かべてくださった。さてはどれほど寝起きが悪いのかと思えば、案の定だ。しかし改めて考えれば、雲雀にとっても寝室に他人が入ってくるというのは歓迎すべき事柄ではないから、役目を果たすほかない。身を捩って、ピンクの枕の下にしまっておいた武器に手を伸ばすが、あと少しのところで届かない。なんということだろう。こう見えても責任感は強いのだ。さっきからいくら揺すっても起きないのだから、これはもう他に方法はないというのに。腹立たしく、能天気にすうすう寝息を立てている人を眺める。本当に、やたら標高の高い鼻だ。そう考えて、そして。
 摘まんだ。
「…………………………ふっっっが、が! はあぁぁ。……きょうや?」
「おはよう」
「うん? おはよ。……あれ? なんかオレ」
「よく寝てたね」
「そうか? うん、そうだな、よく寝た……」
 ふにふに目蓋を擦っている人は、本当に目が覚めているのかどうか。機械的に雲雀の両頬に挨拶を落とすと、伸びをする。
「ねえ、おなかすいた」
「うー……あ、そうだな。ちょっと待ってろ」
 今にも覚束ない足取りでディーノは壁に掛けられた内線電話に向かう。厨房スタッフには日本語は通じないから、ディーノに掛けてもらったほうが早い。二三応答したあと、作り付けの小型冷蔵庫を漁るとペリエとナッツを一掴み持って戻ってきた。
「すぐ持ってくるって。取り敢えずこれ食べてな」
「……む」
「ははっ。栗鼠みてぇ。」
 どこが。
 とはいえ胡桃に罪はない。必死で租借すると、そろそろまともに頭が動き出したらしい男に提案する。
「ねえ、やろうよ」
「……朝食はどこいったんだ?」
「食べたら」
「ちゃんと食休みしないと体に悪いぞー」
 いつもながらこの男はのらりくらりとかわそうとする。実力行使にでようと、再び武器に手を伸ばし……自分の腕が目に入った。
「ちょっと休んで、オレも仕事確認しないといけねーし、それから……どうした?」
「……………………買い物」
「へ?」
「あと買い物行く! 昨日も一昨日もいっただろ!」
「あ、あー聞いたけど」
「行く。パジャマ買いに行く」
 ディーノのいうところの「うち」についたときから覚悟はしていた。どう見ても城。クラシカルで派手で。しかし歴史というものなのか、マフィアの家であっても洗練された確固とした志向が感じられ、やたらきらきらしているのに居場所として受け入れられる。
 だがこの男の部屋に入った途端、そんな自信は雲散霧消した。インテリアと服の趣味はイコールではない。それくらいわかっている。しかし雲雀はどこかで、もっと現代的で男性的なものを予想していたのだろう。
 残念なことに、旅に出る前に雲雀は持っていくべき衣類についてディーノに相談した。気候がどれほど違うのかもわからない。風紀委員の如く旅となれば懇切丁寧な栞を作成して欲しい、とまでは思わないが、アドバイスは必要だった。だが、ディーノは荷物は必要ない、といった。イタリアの前に滞在する島、それ用の涼しい服は必要だ。だが、夜着はホテルにあるだろうし、イタリアにつけば普段着も夜着も全部用意してある。足りなければすぐ買いにいける。そういわれて納得した。もともと、制服以外の服をあまり持っていない雲雀だ。着たきり雲雀だな、なんて、妙に日本が達者な外人には何度となくからかわれている。興味がない自分にも、だらしないように見えて細かいところまで計算されているのがわかる服装で固めているくせ、学ランの裏の刺繍が会うたびに違うことにどうやら気づいていないらしいのだ。だがいくらなんでも、愛用とはいえ異国の地で学ランを着る気はない。向こうが用意してくれるなら楽でいい、そう考えたのが間違いだった。
 この男の自室、いや、いまは自分の部屋でもある場所に入ったときから、後悔している。振り返らない性質の雲雀からすればかつてないことだ。ピンクの絨毯、壁紙、カーテン、アンドフリル。いやレースもある。それは流石に白だ。だからなんだとも思うが。
 寝具はさらにピンクだった。いうなればピンクにピンクを重ねたようだった。ベビーピンクのシーツに少し濃い色味の薄掛。どれほど群れるつもりなのだと問質したくなる数の枕は、繊細なピンクのグラデーションを展開している。
 そして当然の帰結として、寝間着も同じ色合いでコーディネートされていたわけだ。流石マフィアのボス。薄情な裏切り者の父親は、チャコールグレイのスウェットを下に履いただけで就寝していたが、雲雀的にそれは却下だ。いくら夏でも上半身だけとはいえ何も着ないで寝るなど、風紀が乱れる。そんなわけで、いやいや与えられた寝間着を着ていたが、とても受容できるものではない。ピンクなだけではなく、とんでもなくフリルなのだ。
「うん、それはいいけどな。どっちにする?」
「…………どっちって」
「昨日もいったろー? つきあってやりたいけど両方は無理だって。手合わせと買い物、どっちにすんだよ」
「僕は行きたければ行くよ。あなたは関係ない」
「から手合わせってー? おまえなもうちょいいいようってものが」
「知らない」
「一人じゃ駄目だって。イタリア語わかんないんだし。おまえみたいなかわいいのが店に一人で来てみろ、超構うぞ、群れてくるぞ」
 それは予想がついたので黙った。この屋敷にいるマフィアの人間すら、子どもだと見ると世話を焼きたくなるのか、一人でいると日本語が通じない者すら、身振り手振りを交えて話しかけてくるのだ。店員ならなおのことだろう。正直鬱陶しい。
「どっちか?」
「……ごめんな。今日はちょっと仕事がどうなってるか顔ださねーと。おまえ始めるとしつこいし。負けたって認めねーだろ」
「負けないよ」
「あー……うん」
「負けない」
 あまり甘く見ないことだ。倒した後で引きずって店まで連れて行ってもいいのだ。だがあろうことか雲雀は躊躇った。このところずっとディーノは仕事場に籠もっている。好きでしている苦労だ。嫌なら休めばいい。そう思うのだが。
「戦う?」
「戦う」
 当然買い物に行くのだ。それなのに雲雀の口からでたのは、自分でも信じがたい一言だった。なんてことだ。
「そっか。付き合ってやるから楽しみにしてろよー」
 ディーノはにっこり笑うと頭を撫でてきた。生意気だ。












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