思う存分体を動かして、まだ教師ぶっている父親の話を聞きながら、いやほとんど聞いてはいないが、一応はバックグラウンドミュージックとして認識しながら昼食をとり、シャワーを浴びて二人で昼寝をした。目覚めると男の姿はない。多分仕事に行ったのだろう。まだ休みという建前らしいのだが、職住接近にも程がある環境である。何かあれば部下たちはすぐ意見を仰ぎに来る。それに、南の島での日数を足すと、例年よりもひどく長い休みを取ったことになるらしい。どうにも不安らしく、ディーノはよく確認だといっては執務室に向かっていた。
「……おなかすいた」
 時計を見れば、短針は前見たときから九十度ほどすすんでいた。それは流石に雲雀だって躊躇いはする。だが背に腹は変えられないというものだ。内線を掛けても言葉が通じる自信は皆目ないが、厨房まで出向けば身振り手振りでなんとかなるかもしれない。大体イタリア人といえどもアイムハングリーぐらいはわかるだろう。そう考えて雲雀は部屋を出た。
 いつも夕食をとるのは、厨房とは廊下を挟んですぐの部屋だ。ディーノの自室とは別方向に華美で、持ち主によく似て無駄にきらきらしたシャンデリアやサンタの丸焼きが作れそうなサイズの暖炉や空間恐怖症患者が作成したらしい絨毯などが個性を発揮している。それと映画の世界だけで存在するのだろうと思っていた、酷く細長い、駅のホームみたいなテーブル。本来ならば進行方向上り下りに分かれて、率直に言えば上座と下座に分かれて座るものなのだろう、真ん中に必要とはとても思えない燭台だのを置いて。だが親子の会話はこれでは成り立たないとディーノが主張して、初日以降テーブルを縦ではなく横に使っている。まあいい。親子であるからして順当なのだろうと頭ではわかっていても、下座に座れといわれればムカついたであろう雲雀である。
 清潔な厨房は南向きで窓を開ければすぐ裏庭に出れるようになっている。裏庭に客の目が入ることは殆どないから、これでもかというボリュームでハーブ類の植え込みがあった。大きな窓から燦燦と入る日の光が、今日も暑いですよと自己主張している。厨房はそのままファミリーの人員向けの食堂に繋がっている。いうなれば社員食堂。だがその単語から連想するイメージとは著しく乖離して、いかにもゆっくりフルコースを楽しめそうなスペースになっていた。実際はそんな時間が取れるほどマフィアは暇ではないらしいことは、雲雀にもわかっているが。
 この時間に食堂に人影はなく、部屋に入った時点で厨房スタッフは雲雀の存在に気づいたようだった。料理長が大きく手を振る。この国に来て初めての食事で、丁寧な自己紹介と、適当な父の訳ではわかる気すらしないさらに懇切丁寧なメニューの説明を受けたから顔を覚えている。既に天命は知ってそうな年齢の、体格のいい男である。しかもこの部屋以外の場所で見かければ、咬み殺してみたくなったであろう面構えだ。どうみてもコックというよりは戦闘員の風貌である。
「オハヨーキョーヤ」
「……おはよう」
 今の今まで寝てたのが知られていたのだろうか。一瞬なんともいえない気分になったが、料理長は満面の笑みを見せる。
「コニチワ?」
「……ああ、うん。こんにちは」
 そこからはずっとイタリア語だ。よくわからないが、立派な鯛や大きな牛肉の塊を掲げて見せてくれようとしてきたから、夕食のメニューはどうだとか、おいしいから期待しておけだとかいっているのだろう。いわれるまでもなく期待しており、イタリア時間の遅い夕食まで待てそうにない。問題は、どれも生では食しがたそうな食材しか見受けられないということだ。いや多分奥にある業務用の冷蔵庫を漁れば何かしかはあるのだろう。だが、咬み殺すのに躊躇いはない雲雀だが、咬み殺して食料を奪う、というのはどうなのかとも思う。肉食動物としては正しい行動といえるのだろうか。なんかこう、山里を襲うサルみたいで抵抗が。
「ボンアッペティート」
「え?」
 視線を上げると、豪快なサイズに切られたタルトがあった。いや、豪快なサイズに切られたタルトの乗った皿を持った料理長がいた。さっぱり気配を感じなかったわけだが、これは流石マフィアの本場と考えるべき場面なのだろうか。
「ボーノ、ボーノ」
 頬をつつく動作つきで皿を押しつけてくる。意味を理解できる数少ないイタリア語だが、いわれなくともわかった。真っ赤なチェリーの砂糖煮がたっぷり乗ったタルト。非常においしそうである。
「えーと……グラッツィエ?」
「オクサマニ」
「……え?」
 意味をとりかねて固まっていると、料理長は雲雀の空いた手をぎゅっと握り、次の瞬間には既に仕事に戻っていた。笊に上げられていた大きな魚が次々と捌かれていく。無駄に群れているこの屋敷の人間の食事の世話は、確かに大仕事に違いない。
「お、恭弥。こんなとこにいたのかよー」
 取り敢えず皿を抱えたまま食堂を出ると、ふらふら廊下を歩いているディーノがいた。仕事はどうした。
「あなたこそ」
「ん? まだおまえ寝てんのかと思ってさ、覗きにいったらいねーんだもん」
「ああ」
「なんだ、おまえうまそうなの持ってるなー」
 羨ましそうにディーノがいう。暇してるくらいなら戦えと殴ってやろうかとも思ったのだが気がそがれた。腹が減っては戦は出来ぬ。二人とも空腹なら仕方がない。これで、オレは腹いっぱいだから手合わせしてやってもいいぜだとかいいだしたら、ぎっちょんぎっちょんに咬み殺してやるところだった。
「そうだ。ねえ、あなた仏壇はどこ?」
「仏壇? オレはブッディスタじゃないぜ?」
「それは知ってる。でもこう、仏壇とか祭壇とか、なんかそんなのがあるんじゃないの」
「墓にはもう連れてったよな?」
 それはそうだ。ディーノのしろしめすこの屋敷に着いて、大してない荷物の整理もほどほどに、代々のボスや幹部の葬られているという墓地へ行った。「オレにも家族ができたよ」とディーノは墓に向かって言葉少なに語り、後ろでは群れが盛大に号泣していた。非常に居心地が悪かったが、そこで暴れないくらいには雲雀も空気が読めたわけだ。その夜、ディーノは寝物語に自分がボスを継ぐまでのいきさつを語った。雲雀は慰めのあるいは気休めの言葉一つ、思いつかずに黙っていた。ただ、腹を割って話すことが家族には必要なのだろうと、自分の話を少しだけした。つまらない話だ。並盛の秩序を護るための機構や、祭りで得たショバ代の使用方法のほうが余程ドラマティックで面白い。だが、そんな下らない話でディーノは泣いて、力任せに抱きしめたまま眠ってくれて、同情してるのかと腹を立ててもおかしくない場面だったのに、雲雀は何故か嬉しかったのだ。
「きょうや?」
「……うん、行ったけど。オクサマニ、っていわれたんだよこれ」
「タルト?」
「そう。お供え物なんじゃないの?」
 首を傾げた父親はしばらく固まっていたが、大きく一つ頷いた。それが自信満々な様子でますます腹立たしい。「奥様に」といわれた。先代の奥様、ディーノの母親は亡くなっていると聞いている。あのコックも自分よりも、血がつながらないとはいえ身内である雲雀が奉げるべきだと考えたのだろうが、本人が暇なら、その方がいいに決まっている。
「きょうや。ばぁか」
「馬鹿じゃないよ」
「馬鹿だろ。おまえ、イタリア語わからねぇじゃん」
「あ」
 当然のように日本語だと思ってたのだがひょっとして違ったのだろうか。そういえば前後の話はイタリア語だった気がする。意味を理解しようとするのでいっぱいいっぱいでさっぱり覚えていない。
「聞き違いじゃね? 奥様にって、オレは独身だぞ?」
「…………うん。じゃあどういう意味なの?」
「え、いやわかんねーけど」
「………」
 役に立たない。
「まあとにかくだな、もらったからには恭弥のもんだ。食っちまわね?」
「それは……」
 いい案だ。先ほどもいったとおりこちらは空腹であり、敵は非常においしそうなタルトである。だがいいのだろうか。
「大丈夫だって。オレはこれでもボスだぜ?」
 まあ確かに、この男がいいというのならばいいのだろう。だが明らかに、表情がボスというよりは共犯を持ちかける悪ガキのそれで、雲雀は愉快になった。
「まあそうかもね」
「だろ? ほらこっちこっち」
 にこにこと人気のない書庫に誘導する。明らかにボスの所業ではない。
「うまそーだなー」
「僕のなんだろ?」
「そうだけど。人が食ってるの見ると食べたくなるだろ」
「まだ食べてないし。意地汚いね」
 ぱっかり開いた口に、少しちぎって押し込んでやる。餌付けしていたわけでもないのに懐いていた、故郷に残してきた鳥を思い出した。今頃どうしているだろう。
「うん、やっぱうちのシェフのタルトは最高だな」
「そうだね」
 甘く煮られたダークチェリーと優しい味のカスタード、さっくりしたタルト生地。とんでもないサイズだと思ったが、空腹と相俟っていくらでも食べられそうだ。まあ、意地汚い父親にももう少し分けてやっても、いいけど。
 視線をやると目をきらっきらさせている男がいた。咀嚼が早い。いや鳥は噛まないのだったか。ゆっくり、大きくちぎって思わせぶりに自分の口に入れる。右頬がぷっくり膨らんだのが自分でもわかって、ちょっと欲張りすぎたかもしれない。だがディーノは文句をいうでもなく微笑んでいる。正直癪だ。フォークもどうにかして入手すべきだったと雲雀は思った。タルトは崩れやすく、チェリーは果汁がでて指が汚れる。
「うち?」
「……ああ」
 それか。
「なあって」
「うちだよ」
 法律上は。
 何がどうなって、いやどうやったものやら、雲雀は既にイタリア国籍の人間だ。住所もここ。全く冗談としか思えない話だ。「うち」という言葉から限りなく遊離した、間口百間はありそうな巨大な城である。
「きょうや!」
 一声あげるとディーノが抱きついてくる。全く突然だ。もう少しで皿を落とすところだった
「嬉しいぜ。そうだよな、家族だも……うひゃっ!」

「どうしたの?」
「おまえなどうしたもこうしたも……ってひゃ。くすぐってえだろ」
 面白い。顔が真っ赤だ。雲雀は着々とディーノのグレーのタンクトップの背をなぞって、真っ赤に染まった指を拭った。背中にも柄が入っているから少々拭き取りにくかった。吸い込みが悪い。脇のあたりを擽ったあと、八の字を作成する。背中からも肋が透けてるみたいな柄になってる筈だ。それからこちらももう一口食べて、ああまた指が汚れてしまったじゃないか。
「あーもー遊ぶなよ。ひでえな」
「どこが」
 へなちょこのことだから既に胸の辺りに汁が飛んでいる。今更だ。
「ほら、もう一口食べなよ」
 
寛大にもまたちぎってやる。ディーノはすぐに笑顔を浮かべて、単純だと笑ってやりたくなる。普段は雲雀には理解できないほど多くのものを抱えて背負って、口にはしないが、自由にはとても動けなくなってるような人なのだ。ぱっくり開いた口はやっぱり鳥みたいで、いや、色はかわいがっている鳥に似ているけれども、連想するのはむしろ春先に体育館の軒先に巣を作ろうとする燕や鳩の、その雛たちの方が近いかもしれない。全くどっちが子どもなんだか。雲雀は笑って、最後の一口もディーノの口に押し込んでやった。










 

 

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