鬱蒼と茂った木々が陽の光を遮っていたが、とても涼しいとはいえなかった。その原因は走っているからだ。走っているから。それも左肩に重い荷物を載せて。凹凸のある地面は間断なく体力を奪う。昼食に程近い時間だというのに、空腹というよりはむしろ吐き気がした。咽喉も痛い。標高差がどうこうというよりは、僅かにある獣道すら避けて迂回に迂回を重ねている所為で、疲労が増している気がした。
「……ディーノ。そろそろペースを落としていーぞ。だいぶ引き離したからな」
「って、っめ。リボーン。そろそろ降りろよ。おっもいんだよ」
「体重のことをいうと、女にもてねーぞ」
髪をひっぱられておとなしく速度を落とした。本当はそのまま立ち止まって休んでしまいたかったが、どうせすぐまた走り出さなければならなくなるだろう。ゆっくりとでも進み続けているほうが後が楽だ。……だんだんとしごきに慣れ始めている自分の思考にうんざりする。
「あいつら何だ? いきなり発砲してきやがって」
「そうだな、大して跳弾はしてなかったが、森に入った時点で手間取ってた。まあ、カスだが、数が多いのが難だな」
「そうじゃねぇよ。どこのファミリーの者だっつってんだ」
「きいてもおまえにはわからねぇだろ」
小さく笑うのを荒い息の隙間からきいた。確かにそうだ。マフィアの家に生まれ性質の悪い学校に突っ込まれて、否が応でも情報だけは入ってきそうなものだが、俺は強いて耳を塞いでいた。マフィア同士の小競り合いの内幕も、それにまつわる血生臭い話もききたくはなかった。恐怖もあるし、嫌悪感もある。だが、どんな奴らに殺されそうになっているかぐらいはきいておきたかった。
「ヴェントゥーラファミリーのやつらだな。二三見た顔がある。シマはキャバッローネからはかなり遠いからな、知らなくても無理はねぇぞ」
「そんなやつらがこんなとこで何してるんだよ」
ひょいっとリボーンが俺の前に降り立って、ついオレの足は止まる。大きな目で見据えるとなにやら面白そうな顔をした。
「そりゃ、お前を殺しに来てるんだぞ」
わかってたけど。わかってはいたけど実際に耳にするとなんと破壊力のある台詞だろう。
「ここからだいぶ北の、古くからあるファミリーだぞ。昔はビアネータやボヴィーノと同盟を組んで栄えてた時期もあったんだが、今はシマの殆どがスラム化している。質の悪いヤクを見境なく売りさばいた所為でな。不良のガキを集めて、上納金を取ったり盗みをやらせたりもしてるらしーぞ」
「んなっ。まずいだろ。不良のガキって。年端もいかねぇやつらを巻き込んでるのかよ」
「安心しろ。マフィアのガキに比べれば月とスッポンだぞ」
安心できない。座り込んだオレにリボーンは諭した。
「キャバッローネのボスは病床とはいえ、護衛に囲まれて城の中だからな。頼りない後継者を人里離れたとこで殺して、混乱してるのを叩いたほうが確実と見たんだろう。だめだぞ。こんなところでふらふらしてるな」
誰の所為だ。お前が修行といってこんなところに連れてきたんじゃないか。そういおうとして、でも声が出ない。目が熱い。こらえようとして、でも駄目だ。駄目だ。唾液までしょっぱいような気がした。
「落ち着けよ」
音の割には小さい衝撃が頬にして、オレは顔を上げた。ああでもきっと赤くはなっている。だって目から始まって、もう顔全体が熱いのだ。
「落ち着けよ、マフィアのガキ。こんなのは日常茶飯事だろう?」
「う」
確かにそうだ。あんな家に生まれたおかげで、理不尽にも命を狙われた経験は両手の指でもまだ足らなかった。でもその時は故郷の街にいて、ファミリーの誰かが傍にいてくれた。こんな慣れない土地で、幼い姿でサドっ気の強い家庭教師と二人きりなんかじゃなくて。
でもここなら故郷の誰かを巻き込むこともない。リボーンはとんでもなく強いし頼りになるのだ……多分。おそらくはきっと。
息を吸って吐く。もう一回吸って吐いた。手の甲で目蓋を拭う。
「で? オレは何をすりゃいいんだ? リボーン」
ゆっくりと立ち上がると、リボーンは笑った。
「お前ならやれるぞ。ディーノ」
「やれません」
前言撤回。情けない話だがこれは勇気ある撤退といえなくもない。ちなみにオレは地面に思い切り伏せの状態。サディストは殆どはいはいの体勢でオレと額をつき合わせている。これはオレが首根っこを捕まえているからで、何で振り払われないでいるのかはわからない。ていうか何で報復を受けていないのかはわからない。知らない奴が見れば赤ん坊らしいかわいい格好に見えるんだろうが、オレにいわせれば不気味だ。だがオレは離すわけにはいかなかった。山頂に近づき潅木が増え見晴らしがよくなってきたのに気づいてすぐ、咄嗟に身を伏せたが、追っ手に気づかれていないだろうか。
「だいぶ状況判断と反射神経がよくなってきたな。えれーぞ」
怒ってはいないらしい。珍しく褒められたが嬉しいかどうかは微妙だ。
「だがそれでも、見られただろーな。見られてる。居所がばれちまったな」
「な、何でわかるんだよ。リボーン」
「ここにとどまって俺が正しいのを確かめてみるか?」
「う」
リボーンは笑って囁く。悪魔の誘いだ。そいつを捕らえている手が震えているのが自分でもわかる。怖くて仕方がない。
「そこでさっきの提案だぞ。二手に分かれる」
やすやすと俺の手を捻ってリボーンが立ち上がる。あまりの痛みに呻いていると、尻を蹴られ立ち上がらされた。
「こんなとこで潰れてても距離を詰められるだけだぞ。見えるように二手に分かれて、お前は学校のある街に逃げ込む。オレは反対側に下山するぞ。利点は何だ? ディーノ」
「ええと……戦力が分散する」
「そうだ。オレを追おうとする命知らずはそうはいないがな。しかもターゲットはお前だ」
だめじゃねぇか、一応突っ込んだがきく気はないらしい。
「オレは丸腰だし勝てるわけねぇだろ。ぜってー無理だ」
「無理じゃねーぞ。俺の生徒に手をだそーとした落とし前はつける。あいつらは他所者だぞ。お前のほうがしばらく住んでる分道を知ってる。路地が入り組んでるから迷わせて、広場におびき寄せろ。武器も貸してやるからしばらく時間を稼げ。お前はこけなきゃ逃げ足は速えーからな。修行の成果だ」
にしても安心しろ。にいっと笑うと付け加える。
「あいつらは無駄に重い重火器しょってたからな。動きが鈍い」
「むりむりむりむり!」
これほど安心できない言葉もなくてオレがあわてても、どこ吹く風だ。もうそろそろ山頂で、敵を騙すなら今だろう。息が詰まる。
「三十分ぐらいか。トンネルを通って、奴らの裏手に回る。それまで待つんだぞ」
「リボーン」
「何だ?」
「あのトンネル全長二十キロ近くあるんだけど……」
「十八キロだぞ。大丈夫だ。お前の好きなフェラーリでも持ってきてやるぞ」
車を強奪するつもりなんだろう。だがそもそもアクセルに足が届くのか? 問い詰めようとリボーンを見て、やめた。散々見た顔だ。修行と称したいじめの中で散々見た表情。機嫌よく武器の確認をしているようだが、オレにはわかる。こいつはやる。絶対やるのだ。