五月上旬とはとても思えない陽気だ。遠慮のない日差しがアスファルトを照りつけ、肌がひどく汗ばんでいるのが自分でもわかる。

 住宅地は花盛りだ。ウエストを締め上げた太った男のように、低い塀から躑躅やら小手鞠やらが溢れだしている。新築の建売の庭では、判で押したように花水木が満開の花を咲かしていた。白く可憐な様は嫌いではないが、そのお仕着せのような状況に群れを連想して、僅かに苛立った。花期が長いので川沿いと駅前の一部の街路樹に選択したが、失敗だったかもしれないと今更ながら思う。

 
 ディーノとは応接室で会う約束をした。休みの日でも当然のように待ち合わせ場所にそこを選ぶ男の姿を思いだして、口元が緩んだ。彼は僕が学校に住んでいるとでも思っているのではないだろうか。まぁ、あながち間違いとはいえない。否定するほど嫌な勘違いというわけでもなかった。

 ただ、長期の休みともなれば、一日中学校にいるというわけではない。繁華街の群れを咬み殺すことのほうが楽しいし、収入にもつながるので自ずと活動の主体になる。それに春には風紀の人数が増える。不馴れな者も多いがそれは致し方ないことだし、心得違いを咬み殺すのもできる限り自重している。人手ばかりは足りているから書類の類も殆ど溜まってはいない。

 だが、人が溢れる場所で彼と待ち合わせをする気はなかった。休暇中の草食動物達はどうにも理性をなくして浮かれている。ジェノサイドの現場のど真ん中で、会いたかったと抱きしめてくれる人ではない。そして自宅の住所は教えていない。毎日のように国際宅急便(時々厳重に隠された銃器類を含む)を送りつけられたくなかったら自衛が必要だ。風紀や教師の目が気になるのか、高い送料を使って、学校にイタリア製の駄菓子やら玩具やらカードやらが送られてくることは殆どなかった。まぁその分、来日の度に携えてくるのだが。

 道の状況によってはディーノのほうが早く着くかもしれないと、歩く速度をはやめた。彼のために学校に来たのだと勘違いされる状況は避けたい。書類の類も多少は残っている。





 曲がり角の先、右の方向で、柔らかく低い聞きなれた声がした。咄嗟に白く茂った満作の陰に身を隠す。なぜそうしてしまったかは自分でもわからなかった。

 「物騒な仕事に向いているとは、自分でも思えないんです。リボーンにいわれてもどうしても納得できない。他の生き方もあるんじゃないかって」

 「うーん、まぁ、オレも昔はそうずっと思っていたけどな」

 草食動物の声が聞こえてくる。明らかに一番相談してはいけない相手に、打ち明け話をしている。愚かな話だ。同年代の、明らかに緩い自称仲間達ならともかく、ディーノは兄弟子である前にキャバッローネのボスだ。いいように、ボスを継ぐように話を持っていくに違いない。考えてちょっと笑った。全部自分に戻ってくる話だ。

 「友人や仲間が危なくなると、そりゃ戦わなきゃって思う。でも、本当は基本的に身勝手なんですよ、オレは。傷つきたくないし。そんな、危険な生き方が自分の運命だとはとても思えない」

 「……俺はさ」

 僅かな沈黙の後にディーノがいった。何度か聞いたことがある、真剣な声だ。

 「俺はって、話だけどさ。運命ってそういうものじゃないって思うんだ。今までの人生を思って、例えどんなことがあってもやっぱりこの道を選んできただろうって自覚する瞬間がある。沢山の岐路と沢山の選択肢があって、それでもこうしてきただろうと。振り返ってわかることもあるんだ。ああ、これがオレの運命だったんだ、って。ツナが今どう思っているにせよ、未来のお前がどう思っているかはわかんねぇよ。今は流されてるみたいに感じても、お前の仲間を助けるために重要な選択だったのかもしれない」

 二人は左の方角に曲がった。方向的に多分学校に向かっているのだろう。裏道を通っていこうとそのまま進んだ。多少遠回りだが、このまま二人が話をしながらゆっくり来るというなら、急げば充分先につくことができる。





 書類を広げていると、件の騒がしい人が駆け込んできた。

 「恭弥。おめでとう。会いたかった」

 「早かったね」

 なにやら目を覗き込んで、頭を捏ね繰り回した後胸に掻き抱かれた。たぶんペットとかを思い切り構い倒した挙句嫌われるタイプだと思うのだが、生憎僕は彼のそんなやり方が嫌いじゃない。まあ、いやなら咬み殺せばいいだけの話だ。

 「恭弥? なんか元気ない?」

 「なくないよ」

 胸に顔を押し当てているせいで、くぐもった声になる。擽ってぇ、と笑った。自業自得だ。

 「疲れには甘いもんだぜ、恭弥。補給しとけよ」

 ポケットからけばけばしい包み紙の飴を取り出すと、問答無用で口に押し込んでくる。たぶん自国のものなのだろう、オレンジの香りととんでもない甘さ。

 「ぷれぜふと?」

 「これはちげーよ。約束しただろ。ホテルにおいてあるから」

 無駄に大きなものを口の中に放り込まれた所為で、まともに喋れもしない。片側に寄せると必然的に膨れる頬を指で押された。もう片方に寄せてもまた指でつつかれ、かわいい、などと満更嘘でもないような顔をしていう。あれだ。校内の女子にも殆どの形容詞を甲高い「かわいい」で済ます群れは多いが、多分に馬鹿に見えると思う。睨みつけてやると、いらねーなら返せ、などとやたら貧乏くさいことをいう。

 突然口唇をふさがれた。言葉とは裏腹に舌先は意図を持っていないかのように蠢く。奥のほうまで差し入れて、上顎の裏を掻いた。耐え切れずにこちらから飴を押しつけると、ゆっくりと舌を絡めた上で漸く引いた。唾液で薄まっているはずなのに、さっきよりも甘い。

 「一度あげたものを取り上げるなんてね」

 キスをねだるのは簡単だ。多分それ以上も。もう一度近づいてきた口唇に咬みついてやる。簡単でないのは自分自身で、ディーノに指摘されるまでもなく混乱しているのがわかる。

 運命なんて言葉を、彼の口から聞いたからだ。

 「修行の頃は、ペットボトルの回し飲みだって嫌がったのになー。」

 やっとこちらに飴を譲り渡した口唇は赤く濡れている。少し笑った。ディーノは何もわかっていない。今だってそんなこと、ちっとも平気じゃないのだ。





 食事を終えて向かったいつもの部屋は、とんでもないことになっていた。薔薇だ。一面の薔薇。ことが起これば鈍器と呼ばれるのであろう花瓶が幾つも並び、ベッドや机などにも思う存分散らされている。

 「何これ?」

 「綺麗だろ?」

 ディーノは一輪拾うと僕の顔に近づけた。

 「黒真珠だよね?」

 「意外だな。知っているのか」

園芸部が毎年世話をする品種と、似ているなと思っただけだ。どうやらあたりだったらしい。似合う色だとディーノはいう。髪に挿そうとしてくるので頭を振ったが外れなかった。



















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