屋敷に戻ってすぐにディーノは電話の受話器をとった。正直気はすすまない。だが息子から話が行く前に連絡を入れておいたほうが心証はいいだろう。
 何人もの取次ぎを通した後で、ようやく繋がった。直通の番号を教えあうような仲ではないから仕方がないが、それにしてもやりすぎではないかと思う。何も受話器越しに殺されたりはしない。受話器そのものに毒を仕込むのは、結構ありふれた手法だが。
「そちらの元ファミリーのマウリツィオ・チアーノについてお聞きしたい」
 前置きも適当に済ませて本題に入った。率直な物言いに驚き、こちらを軽い存在と見做す。そして何故か口までも軽くなる者が多いのだ。
「今はボンゴレにいるんでしたか。同盟ファミリーでなければけじめに指でも詰めさせたところでしたが」
「いや、……それは」
「貴方のお好きな日本の風習でしょう? いやすばらしい文化だ」
 受話器越しに笑声が聞こえ眉をしかめる。アジア圏独自の償いの儀式が良いものとはとても思えなかった。だが、やり方が違うだけでイタリアンマフィアの中にもそのように残虐な禊というか責任の取り方は存在している。過去のものだとは思うのだがどうだか。他のファミリーのやりようは把握していない。
 パーティやら何やらで数知れず顔は合わせているから、嫌でも独特の咳き込むような笑い顔が思い出された。限界まで痩せたようにみえるあの男は、声高に残虐なジョークをいいまるでそれ自体が苦行だとでもいうように笑って見せる。わざわざ露悪的に振舞う連中は珍しくもないが、ディーノはいつまでたっても馴染めなかった。癇に障る。
「あれが何かしたのですか?」
 わかりやすく偉そうな口ぶりに苦笑した。いつもどおりだともいえる。
「……いえ。まあ研修とでもいいますか、一時的にこちらで預かることになったのですよ。それでとりあえず確認を。形式的なものです。そちらにいた期間は短かったと聞いていますが、その前は何を?」
「そうですな、三、四ヶ月といったところですか。以前に何をしていたかまでは……ああ、確か日雇いで渡り歩いていたと聞いた気もしますが」
「ああ……よくある話ですね」
 そして、誤魔化しがいくらでも可能な話だ。確認が難しい。
「ええ、まあ。前歴をとやかくいえるような組織ではないのでね、うちは」
 あからさまな厭味だ。キャバッローネだってファミリーの中には前科者から何から。だがいちいち反論するのも馬鹿らしかった。
「そんなことでわざわざ……貴方が直々にうちにご照会なさろうとするとは。下種な勘繰りをしたくもなりますな」
「いえまさか、これが本題ではありませんよ。映画館の件で再度検討いただけないかと思いまして」
「あれははっきりお断りしたはずです」
 焦れたような問いに話題を探した、その先がまずかったらしい。ディーノもそう簡単に一度断られた話が前進するとは考えていないが、こうも露わに不快の意を示されるとむしろ意地になる。
「そちらのシマの映画館はどこも黒字続きだと聞いております。特にあの、なんという名前でしたか、小さな映画館が盛況だとか」
「貧しい地域が多いんですよ、そちらとは違う。娯楽がない。だからでしょうな」
「だったらなおさら」
「館の自主性に任せたい。うちらが口出しすることじゃないと思いますよ」
 そういわれるとディーノは何もいえない。御為ごかしだ。そう思いはしても。だが興行収入が並外れていいロッソを口説き落とさなくては、この計画は頓挫したままになるだろうことはわかりきっていた。
 大体貧しいというが、ファミリーの収入自体は悪くないはずだ。それを還元しないのも治安が悪いのもロッソの責任だ。何を偉そうに。
「そういえば今日、息子さんとお会いしましたよ」
 椅子の背をぎしりと鳴らし、体を伸ばす。何とか気持ちを落ち着かせて話題を変えた。ここで焦るのは得策ではない。一応は穏やかに会話を終わらせたかった。全く電話越しでよかった。たぶんとんでもない顔をしていて、それでも声だけは柔らかく。
「息子……というと、セルジオですか? 確か今日はずっと」
「いえ、御次男のほうです。ブルーノさん。高校のときの同級生だったんですよ。御存じでしたか?」
「……どこで」
「うちのシマのカフェです。昼食をとられているようでしたが」
「そう……ですか。お分かりでしょうがあの子は以前脚に負傷しまして」
 え、と固まる。確かにスツールから降りて近づいてはこなかったが、杖を持っていたわけでもなく、大体あの高さの椅子に座るというだけでそう不自由にも思えなかった。
「……お元気そうでしたが」
「ええ、もちろん。日常生活には支障がありません。ですが戦うには。うちで他に役割がないわけではありませんが、私が無理にやめさせました」
「間違った対応、だとは思いませんが」
「いえ、親のエゴです。仲たがいをして、それから会っておりません」
 沈黙が落ちる。また姿を見かけたら連絡しようかと提案したが、丁重に断られた。当然だ、本気になればロッソでも見つけられないわけはないのだろう。だが貸しがどうとかいうのではなく、本気で会わないほうがいいと思っているように聞こえた。
 電話を切り、ついつい溜め息をつく。虚勢を張っていた元クラスメイトに、さっぱり気づかず傷つけるようなことをいってしまったかもしれない。だが、その一方で納得する。そうだ、あいつはそんな理由でもなければ裏稼業から身を引くような人間には見えなかった。
 いつの間にやら後ろに控えている部下に声をかけ、マウリツィオの前歴を調べるように頼む。それともう一つ。一応な。怪訝そうな顔をするのでそうかわすと首を振る。だが本当に一応、確信なんてありはしなかった。すぐに調べさせると部下は手配しに部屋を出て行った。








 ふと、目を覚ました。信じられない。いつの間にやら眠っていたらしい。
 思わず欠伸をすると、すかさずそれまで小さな音量でかけられていたラジオが消される。そこまで気を使わなくてもいいといってあるのに、すっかり癖になっているらしい。雲雀はつい笑った。欲しい、と思う。
 きっといい部下になる。ディーノの部下たちも周りについている者はかなり能力が高い。だがうんざりするほどフレンドリーで、気安く対応してくる。それなりの月日の中で、多少は雲雀も「相手にしない」という交際法を覚えつつあるが、自分の部下ともなればいちいち咬み殺して躾けなくてはならないだろう。楽しそうだが、ちょっと面倒かもしれない。多分彼らのボスほど骨があるわけでもない。
 ロマーリオならそのままでも、とも思うが承諾されるはずがないことぐらいは雲雀にもわかる。
「アルトゥーロ」
「はい、もうすぐ着きます」
 左側を向いて声をかけると、聞く前に質問の答えがなされた。やっぱり結構使えると思う。ちょっと安全運転過ぎるのは玉に瑕だが。
「ここは……もうロッソの縄張り?」
「ええ。ボンゴレと同盟を組んだので私に追っ手がかかってるわけではなくなりましたし。あいつも……わからなかったってことは騒がれてないんでしょう」
 かけるべき言葉が見つからなかった。ということは話さなくていい、が雲雀の論理だ。だが少々居たたまれなかった。仕事は手間取っている。ボンゴレの力はあまり使えず、つまりは駒が足りない。心情的にはかなり急いて、だがそれをいうなら隣の男のほうが余程だろう。
 三台前を走る黒のマセラティ。ちらちら視界に入る。まさかこんなところで目にするとは思わなかった。先程は驚いて、咄嗟に失態を犯してしまった。気づかれても構わない、と思っているのだがそれにしても迂闊だった。
「さっきは……悪かったね」
「……っいえ! 全く問題ありません! あいつはオレのこと知らないはずですし」
 ハンドルに置かれた手はふるふる震えていて、多分これは怒りからなんだろうな、と思う。何を、ということはいわなかったのに伝わったのは気にしていたからだろう。他人の思惑などほとんど気にしない雲雀だが、それでも少々使いにくいと思った。
 もともとはボンゴレに任すつもりで、マウリツィオ――いや正しくはアルトゥーロ――を預けたのだが、結局は取引を持ちかけられて自分で動いている。報酬は悪くないが、かなりの時間を無駄にした。シンプルに、気に食わない奴は倒せばいいという風にはマフィアですら行かないのはわかっている。疑わしきは罰せずなんて、いいだしそうなのがボンゴレのボスだ。だがことがことで、正直不満があった。
「ようやく、ですね。ふらふら動いているから、見つけられると思いませんでした」
 マセラティが止められたのを確認し、その脇を通り過ぎる。確かにようやくだ。
「君は自力で三軒見つけてるんだろ。それに、大本をつかめなければ意味がない」
 高級車に、数え切れないアジト。全くどこが堅気だ。交通量は多くなく、近くに止めればさぞや目立つだろう。トランクや後部座席に詰まれた荷物を運び込んでいるのを見ながら、ボンゴレの諜報部に連絡を入れる。
「あとの三軒は情報を得たというだけですし、実際に正しいか確かめられていません」
 限界までしょぼくれてみせる二メートル近い身長の男に次の行き先を指示する。程近い場所、尾行よりはずっと向いた仕事だ。








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