警備の様子を見るといっても、特にシマの中で動きがあるわけでもない。雲雀には退屈なだけだろうと思ったのだが、興味深げに部下の報告を聞いていた。まあ確かに、如何にも風紀が乱れてる、といった感じの犯罪ではある。
 死んだ者は帰ってこない。残酷だが真実で、そしてその事実に慣れもする。だからディーノが考えるのは、まだ被害を受けていないシマの娘たち、そしてもしかしたら生きているかもしれない娘たちのことだ。チェチリア、アンジェリーナ、アーシア、シモーナ、クラウディア……。
 被害者が連れ去られた時間帯に共通点はなかったが、それでも日暮れてからのほうを警戒を強めている。今はまだ昼を過ぎたばかりなので、引き続き見回りをさせる数人を残して、馴染みのカフェの席で話を聞いた。街からかなり離れている屋敷にわざわざ報告に来させるよりは効率的だ。奥まった席なら他の客にはほとんど話も聞かれない。
「こことボンゴレ以外だと、ロッソと……アークイラとか?」
「被害を受けていねーとこか? そうだな。ここら辺だと。だが犯人がマフィアだとは限んねーし、むしろ向こうが気にしてんのは警察の縄張りじゃねぇかな。跨ってやってるから捜査にも連携がとりにくいだろう」
 ふんふんと納得したように頷く。マフィアの勢力図は、地図のようにきれいに線が引かれているわけではない。そして縄張り争いっていうのは、マフィアでも警察でもどこにでもありそうな問題だ。下手をすると猫にだってある。
「移動セールスマンとかトラック運転手とかな、それと余所者にも警戒してる」
「ああ、犯罪地域がやけに広いのは、犯人のホームグラウンドが広い所為だってプロファイルもあるし」
「ホテルとか……ここもそうだが飯屋で聞き込んでな」
「そうか。車にも気をつけておいてくれ。芥子色のバンだ。流行りだし珍しい色でもないが」
 手に入れてきたという数軒のホテルの来客名簿を十人近い男で覗き込みながら、チェック事項を挙げていく。流石に雲雀は覗き込むまではしないが、それでも大人しくしていて、ちょっと感動的ですらある。ディーノだってこんな風にむさくるしい集団で額をつき合わせるのが、喜ばしい行いだと思っているわけではないのだ。顔が近い。ああオレって結構操立てるタイプだったんだなあ本人がさっぱり気にしてくれねぇのに、と浮気現場というよりはラグビーのスクラムのような体勢で考えていると後ろから声がした。
「跳ね馬!」
 振り返ると、カウンターでコーヒーを飲んでいた男が手を振っている。店に入ったときに怪しい客がいないかざっと確認させたのに、さっぱり気づかなかった。昔とはすっかり様子が変わっている。だがそう、高校のころの同級生だ。
「アルトゥー……っ!」
 かすれた雲雀の声がして、視線をやるとジャケットのポケットから小鳥が顔を出したところだった。小鳥。アルジェッロ。眉をしかめて、雲雀が鳥にポケットに戻るように促した。ああ、と納得する。いつだって神出鬼没な鳥だ。隣に座ったマウリツィオもジャケットの内側に手を突っ込んだまま固定していて、だがこっちから出てくるのはそんなかわいらしいものではないだろう。だが他の部下に比べてもかなり早い反応だ。流石に雲雀が誉めるだけはある。ディーノは片手を振ってやめさせた。
「何だ? 鳥の品評会でもやってんのか?」
「ちげーよ。ここらはオレのシマだって知ってんだろ? 飯くらい食いに入るさ」
「そうだっけ? もうすっかり忘れちまってたよ」
「そういうもんか?」
 意図せずに声に羨望の響きが混じった。同じようにマフィアの息子で、だが次男坊。それだけでこんなに別次元の出来事のように語れるものなのだろうか。スツールから立ち上がりもせず、コーヒーを飲みながら会話を投げかけてくる。狭い店のことで聞き取るのに問題はないが、それだけで彼が如何に平穏な生活をしているのかわかる気がした。
 確かに勢力図は刻々と変化していくものだが、それにしても。学生のころのほうがむしろそういった血生臭い情報に興味津々で、それで自分の力を図っている奴らの一端を担ってたはずだ。そういえばロッソの。あのころは今より更に弱小で、既にファミリーを継いでいたディーノには興味のある事柄ではなかった。学校なんて本当に、ただ眠るだけの場所だったものだ。だが確か昔のスモーキンボムみたいに、いかにも不良少年、といった面持ちだったはずだ。アクセサリーをじゃらじゃらつけて。わかりやすく周囲を威嚇していた。こんな、如何にもビジネスマンといった格好をするようになるなんて想像もしなかった。
「ディーノ」
 ぎゅ、と雲雀がテーブルの下の手を握った。大丈夫だ、といってやりたかった。大丈夫だ。今更。こんなものに揺るがされたりしない。
 うん、と雲雀は頷いた。何も口にしていないのに。
 色素の抜けたような髪と目。こんなだったか、と思う。懐かしい知己。こんな、わかりにくい奴だったろうか?
 それとも、と思う。
 それとも自分が変わったのだろうか。
 ふ、と古い友人はわが相席者たちに目をやった。この中で目を引くのなんて一人だけだ。つい緊張して、そしてすぐに間違いに気づいた。まったく大人気ない。
「見た顔か? おまえの親父さんのところで前は働いてた奴だ。マウリツィオ」
 ボンゴレから連絡がいってるので、隠す気もない。やったことは裏切りでも、今は同盟なのでそこを問われはしないはずだ。促すと、マウリツィオは軽く頭を下げた。礼儀を風紀に叩き込まれたのであろう彼にすれば、破格の扱いだ。前のファミリーに対してかなり思うところがあるのかもしれない。
「あー、それでか。なんか見覚えがあるなと」
「親父さんとはうまくいってんのか?」
「え? まあそれなりにな」
「そうか、機会があったらいろいろ吹き込んでおいてくれ。事業提携できてもいいと思ってるんだが、なかなかうまくいかなくてな」
 こちらの思惑は読めているのだろう。小さく笑った。そうだその通り。ただ旧交を温めるだけで満足できる程、清廉な性格をしていない。
「じゃあ、オレらはもう出るけど。懐かしいな。連絡くれよな」
「ああまたな」
 こうとなってはもう、込み入った話は出来ない。潔くディーノは立ち上がって、場所の移動を決めた。まだ開店前であろうバーでも貸切るか、それとも開き直って屋敷に戻るか。雲雀はこれを潮に仕事に行くことにしたらしい。
「栗ご飯だからな! 早く帰って来いよ」
 大柄な部下を引き連れて駐車場へ向かう背中へ声をかけた。小さく笑うような音がして、片手があげられる。








 車に乗り込むと、すぐにオーディオのスイッチを入れる。もう既に癖になった行動だ。
 皇帝。ピアノはマウリツィオ・ポリーニだ。
 完璧な演奏。まさにそれだ。厳格とすらいっていい。何かひっかることがあった、のだが心地よい音の波に流されてどこかにいってしまった。
 最近この曲ばかり聞いている。馬鹿の一つ覚えみたいに。
 そしてさっきの反応も馬鹿みたいだった。嫉妬と焦燥、そして動揺。馬鹿みたいというよりは馬鹿だ。気づかれなかったとは思うが、どうだろうか。
 他人を慮っても仕方がない。いつだって知る必要があるのは自分自身だ。
「そうだろう?」
 後部座席に声をかける。返答はない。まあ当然のことだ。だが存在するというだけで、心が落ち着きもする。我ながら単純だ。彼が自分と同じ感情を持つきっかけになると想像すると、それだけで心が浮き立った。きっとプライドが傷つけられる。
 オレの獲物だ。
 大事なものはいつだって取り上げられる。それこそ子どものころのおもちゃから、ささやかな希望まで。獲物だってそうだ。今手元にあるのは一人だけ。理不尽だ。
 躾の悪い右足がひくひくと動いて苦笑する。さっぱり関係ないリズムだ。
 トゥーラタラッタラターラーラー……。
 繰り返される王者のための主題。ハンドルを握っていない左手の指先で窓を叩いて、今度は正しく拍を刻む。トゥーラタラッタラターラーラー、トゥーラタラッタ…………。
 理不尽だ。再び思った。獲物は取り返さなくてはならない。まだ充分に遊んでいないのだから。
 だが今手元にある獲物を味わうのが先だ。これは特別、なのだから。気位の高い眦が涙に濡れ、美しい肌が紅に彩られる。紅。何よりも美しい色だ。想像するだけでぞくぞくした。あの男はそれを知ったらどうするだろう? あの自信家の、全てを持っている男がきっと屈辱に打ち震える。それを見ることはかなわないのだろうが。
 男は右にハンドルを切った。数ある隠れ家の一つまで、もうすぐだ。今更富になぞ興味はないが、それでもそのおかげで、遊び場に困ったことはない。だが取り上げられるのもその所為で、場所は割れているのだろう。皮肉に男は小さく笑った。









                                                         




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