部下から聞き集めたところによると、マウリツィオ・チアーノはなかなかに真面目で優秀な男らしい。ディーノとしたら勿論自分の目で確かめたい。だが初日を含め数回顔は合わせたものの殆ど話も出来ていなかった。
 腕が立つと聞いてはいるが、今の状況ではボディガードの役につかせるわけにも、武器を持たせるわけにもいかなかった。まだまだ信用しているわけではないのだ。仕方がないのでほぼデスクワークをしている部署に任せてある。そこだって充分腕自慢ばかりだが、少なくとも武器を常時は携帯させていない。奪うことは出来ないし、地下の火薬庫まではなかなか気軽に行けるものではない。そう思って、戦力としては期待できなそうな仕事につかせたのだが、他の部下の話ではかなり使えるとのことだった。熱心だというだけではなく、仕事も速いそうだ。ロッソでは戦闘員しかやってないという話を思うと、かなり意外な気はする。雲雀の教育の賜物だろうか。
 ロッソがいくら目障りでも、そう本音を漏らすのはごく近しい部下と雲雀だけだ。ボンゴレの同盟ファミリーと事を起こすなど、得になろう筈もない。だが向こうから絡んでくる以上、情報はいくらあっても足りなかった。情報源は同じ屋根の下にいる。しかしボンゴレの預かり物から無理矢理に聞き出すわけにもいかず、信頼関係を築いて口を開かせるには、決定的に時間の余裕がなかった。
「ボス、入るぞ。書類の追加だ」
「ああ」
 そしてまた更に余裕はなくなった。いや、はじめからなかったのかもしれない。ロマーリオから分厚い紙の束を受け取ると、そっと溜め息をついた。
 このところシマの周辺が騒がしい。原因は明白だった。この半年ほどで四人、十代後半から二十代の女性が殺され、行方不明者はその倍以上だ。関連づけられてないだけの者も加えると、十は軽く超すだろう。彼女たちの行方が知れなくなった周辺では多くが芥子色のバンが目撃された。繁華街や大学の周辺で、車に乗り込む姿を見られた者もいる。だが死体遺棄現場は逆に、人里はなれた場所が選ばれたためもあってか、痕跡はほとんどなかった。同一犯の犯行だと目されている。
 幸いキャバッローネの治めるシマでは今のところ被害はなかった。だがいつ殺人犯があたりをうろつくか知れず、ファミリーに交代で警備にあたらせている。
「何だよこの量……」
「ん? リボンで結わいといたほうがよかったか?」
「ロマーリオ、おまえなあ」
 雲雀にとんでもない頭にされている姿を見たのを、いまだに引きずっているらしい。なにやら思い出したように笑っている。だがあれはこっちだって傷ついたのだ。痛みわけだ。好きで水色のリボンを三つもくっつけていたわけではないくらいわかりそうなものなのに、妙に理解のある態度を示された。
「冗談だぜ、ボス」
「いや、わかってるけどよ……。あー、行き詰ってるよなー」
 書類をめくりながら思わず呻いた。事件は他のファミリーの土地で起こっており、もちろんキャバッローネが調べて回ることなど出来はしない。痛くもない腹を探られかねず、また警察も動いているのだ。手に入る情報は日々加熱するマスコミによる少々胡散臭いニュースに加えて、警察のパソコンにハッキングして手に入れたものだけだった。今ディーノが読んでいるのもそれである。だけ、といっても貴重な情報源で、だが捜査が進展しているようにはとても見えなかった。この常時警備に多数の人員が取られる状況がまだまだ続くとなると、経済的にもかなりの痛手である。
「うあー、オレたちが調べられたらなあ、いいんだが」
「気持ちはわかるが、犯人がオレたちの世界の住人とは限らねぇぜ、ボス」
「……そうだな、こりゃ多分素人の仕業だ。痕跡を消すのはやたら上手いけどな」
「趣味が高じてって奴じゃねぇか?」
 確かに。笑えないロマーリオの冗談に眉をしかめ、手にしていた紙を書類の山の上に置いた。一人目の被害者の現場写真をプリントアウトしたもの。これも警察のデータだ。
 被害者の、といってもそれはもうすでにそれと判るような形状はしていない。親兄弟でも判断は出来ないだろう。確かに普通マフィアはここまで時間をかけて苦しめたりはしないものだ。しかもこんな、単なる堅気の娘を。縮れて赤茶けた髪を長く伸ばした、背の高い女子大生。レーダ・メローニ。勉学も優秀だったらしい。メディアは競って彼女たちの情報を晒している。
 十中八九性的サディストの仕業だろう。だがそうなるとこちらの情報網で調べるのは難しかった。わかりやすくその手の店の常連だったりしてくれれば見つけられるかもしれないが、今のところそれらしい話は伝わってきていない。
 死んだのはレーダ、ジャンナ、キアーラ、マリア。行方知れずはチェチリア、アンジェリーナ、アーシア……。
 もうすっかり名前だって覚えてしまった。自分のシマの女たちがこんな目にあってしまったら? マフィアの自分でも怖気を奮う、残虐な殺し方なのだ。それだけは避けなくてはならない。
「失礼します」
 不意にノックの音がして、マウリツィオが顔を覗かせた。
「こちらに雲雀さんがいらっしゃらないかと思いまして」
「いや、いねぇぞ。……急ぎか?」
 館内放送で呼び出してやろうか、と問うと首を振った。
「午後に御伴する予定ですので。その時にでも」
「そうか。もう部署には慣れたか?」
「ええ。至らなくて迷惑ばかりお掛けしていますが」
「いやいや。よくやってくれてるってきいてるぜ。ロッソの前はデスクワークが主だったのか?」
 思考まで日本ナイズされてしまったらしい謙遜深いイタリア男に質問を重ねる。そうでもしないと今にも部屋を辞そうとするに違いなかったからだ。世間話ぐらいは気軽に出来るようになっておきたい。
 いえ、と小さく首を振ったマウリツィオがふと怪訝な視線を書類の山の頂に向ける。まあ、他の部下にしても珍しいことじゃない。まだこんなにあるのかと、多分他人ごとだからこそこんなにも素直に率直に驚愕の意を示してくださるのだ。わからないでもない。実際ディーノも、その山が視界に入るたび驚きを隠せない。
「これは……警察の資料ですか?」
 突っ込んだ質問に驚いた。だが、多分一目瞭然なのだろう。被害者が刃物で殺された、なんて単純極まりない事実が半ページにわたった難文で説明される。のが警察流だ。パソコンサイトや週刊誌の写しでこれはありえない。
「ああ。うちもいつ被害にあうかわかんねーしな。警察も検問を強化したり多額の懸賞金をかけたりしてるみてぇだが、どこまで効果があるのか」
「ボス」
「人を配備してうちなりに対策をとってる最中だ。女たちも今の状況で見知らぬ男についてはいかねぇとは思うがな」
 嗜めるロマーリオの声に構わず答えた。実際ちょっと調べればわかるような情報ばかりなのだ。構わない。まあただ単にディーノが疑いたくない、というのもあった。一応自分の部下ということになればそれだけでもう信じたかった。無茶なのはわかっているし、痛い思いをしたこともないではない。それでも信じたくて仕方がない。
「警察の情報が信頼できるとは限らないと思いますが」
 視線を上げると、思いつめた表情のマウリツィオがいた。そりゃこんな稼業だから警察に好感を持っている人間のほうが希少価値だ。だがそういった見慣れた反応とは違う気がして、ディーノはつい目を眇めた。
「捜査も間違うことも、人間だしあるだろうが」
「……いえ。そういう」
「入るよ」
 相手の礼儀には煩い人が、返答も待たずにドアを開いた。一旦壁をはたいて、もう一度叩き返される。職人が細工を施した樫の板が、ベニヤの様にしなった。借りる、と一応断って棚から素早く資料を引き出していく。あのすばらしい動体視力は、きっとこんなときにも役に立っているのだろう。
「午後出掛けるんだって?」
「まあね。あなたはその山をいつ片付け終わるの?」
「え。いや。うん……あー」
「あと一時間ってとこだな」
「そう」
「無理だろ!」
「そのあと警備の奴らの様子を見に行く。あんたがいいだしたんだろ」
 非情な部下は渋い顔でディーノが処理し終わった書類をまとめている。こちらの山からあちらの山へ。日々のことながらこの作業の経過が視界に入るたび、ディーノはこの世の空しさなんかについて考える。
 とりあえず頭を抱えてみると、上から細い指がぎゅうぎゅうと圧迫してきた。痛いと気持ちいいの中間くらい。いや痛い? 力加減はいつも的確な人なので、多分これは意図的だ。
「僕も行くよ」
「恭弥が? どうした」
「別に。出掛けるのはその後でもいい。ね」
 最後の一音は鯱張って突っ立っている部下に投げかけられた。はい、と頷く。頭上ではここ最近伸び気味の髪がひっぱられたりかき混ぜられたりしている感触がして、たぶん雲雀はこの従順な反応を見てもいない。ツナの嘆きが、今更ながら判った気がした。
「夕飯時には帰ってくんのか、恭弥」
「何で」
 ロマーリオが思い出したように声をかけた。あちらの仕事もあるから、行き先や時間などは用事でもない限り殆ど聞いたことはない。いかにも嫌がりそうだ、というのもある。だが反応は、ただ驚いた、という感じだった。
「久しぶりに和食だそうだ。秋刀魚と栗御飯がどうとか」
「ふうん」
「朝調理場行ったら、大量の栗と里芋が置かれててな」
「……気が向いたらね」
 ああこりゃ多分帰ってくるなあ、と大量の紙束を如何にも力自慢そうな男に持たせて去っていく後姿を見ながら思う。わかりやすい。
「おまえ、献立とかチェックしてんだな……」
「差し向かいで食えるってだけで、機嫌がよくなる上司がいてな」
「えー」
「違うのか?」
「……」
 まあ違うとはいわないが。
「読書再開の前に髪を元に戻してくれ。やけにかわいくなってる」
 そういえば、いきなり前髪が落ちてこなくなったと思った。乱雑に手櫛で後ろに掻き揚げると、ゆるく結わいていただけのそれは簡単に外れた。今度はオレンジの、ギンガムチェックのリボン。こんなものを持ち歩いているなんて、なんとかわいらしい。思わず身悶えると、情緒を理解しない部下が肩を竦めた。











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