「あれ、どうしたの。ロマーリオは?」
「今さっき呼ばれてな。餅の処遇は一任されたぜ……」
 太るよ、といいながら雲雀がワゴンから皿をテーブルに移した。正直予想していたよりもずっと少量だ。ありがたい。
「結構少ないんだな、良かった」
「あなたまさかあれを三人で食べるつもりだったの?」
 首を振ると、疑わしげな視線を向けられる。正直そのとおりだ。
 いくらなんでも多いのでリゴベルトに預けてきた、といい、雲雀は思い出したように笑った。
「他の人には夕食に先着で出す、とかいってたけどどうかな。お茶を入れてる間にもだいぶ目減りしてたよ。味見だって」
「なんかあいつとは結構話すよな。餌くれる奴には懐くのかおまえは」
 かわいーけど妬ける、と湯飲みをテーブルに置いた手を掴んで引き寄せると後頭部を思い切りがつんとやられた。ディーノだって何も本気で初老に差し掛かったコック相手に嫉妬しようというのではない。研究熱心で真面目な男なので、雲雀から和食の話を聞きたくて仕方がないのだ。わかってんだけどな、と呟くと馬鹿だねと返された。これは結構機嫌がいい。
「それより……読んだ?」
「え……さわりだけ? 内容は少しロマから聞いたけど……っていってえ! あったりまえだろこんな分厚いの。どっからこんなリボン見つけてきたんだよ」
「ホッチキスでとまらなくて。ロマーリオが衣類棚にあるはずだって探してきてくれたんだ」
 ロマーリオの衣類棚に派手なピンクのリボン。そんな面白いことをまったく面白くもなさそうに雲雀がいうので、ディーノとしたら目を瞠ってしまう。いや、個人的な趣味をとやかくいうのはよろしくない。
「あいつリボンなんて持ってんのか。うわあ」
 だが理性はそう申し立てても感情は別物である。あとでどんな顔をして会えばいいんだと溜め息を漏らすと、雲雀はきょとんとした顔をした。
「ロマーリオの衣類棚じゃないよ。あなたの衣類棚。子どものころの服も取ってあって、昔はよく頭にリボンつけたりメイドのおもちゃになってたからそれもしまってあるはずだって、ロマーリオが」
 多分もう使わないだろうから貰っていいっていわれたんだけどまずかったかな、と珍しく神妙な様子で雲雀がうつむいた。かわいい……っていやそうではない。なんでそこでめったにみない反省したような顔をする。ロマーリオもロマーリオだ。多分ってなんだ。
「全然記憶ねぇんだけど。何に使うっていうんだよリボンなんて」
「髪とか。きっと似合う」
 どうにも首肯しがたい印象を自分に抱いてくれているらしい人が、リボンを解くとぽい、と紙束をテーブルの上に放りだした。番号が振ってあるから多少ばらばらになってもかまわないのだろうが、あまりにせいた様子に間近に迫った危険も忘れて笑ってしまう。膝の上に跨ると、ディーノの髪をいじりだした。ふ、と息を詰めた気配がある。頭に思い切り顔を近づけているから表情は見えないが、きっととんでもなく真剣な顔をしているのだろう。
「ほら、似合うよ」
 見えないからわからないが、絶対嘘だ。
「あのなー。おまえのほうが似合うに決まってんだろ。リボンなんて使うわけないし。大体プレゼントの包装以外に用途が思い浮かばねえ」
 うんかわいい、と何か納得したように頷かれた。人の話をさっぱり聞いていない。それはまあいつものことだが。
「じゃあしようがねえなあ。やるか。プレゼント」
「何が。リボン?」
「とオレ込みで。いろいろ考えてたんだけどな。そんなにオレがほしいっていうんなら仕方ねぇ」
「だから何が……ああ」
「もうすぐだろ?」
「まだだいぶ先だよ」
 首筋にキスをすると小さく笑った。腹の辺りまで細かく震えている。ディーノはシャツの隙間に突っ込んだ手で、触って確かめた。もっと触ろうとすると、音をたてていくつかボタンが飛んだ。ここもあそこも。脇腹も背も首筋も震えていてそれだけで熱になる。だが雲雀はもう笑っていなかった。
「すぐだよ、恭弥」
「……っそんな、頭して」
 雲雀はディーノの髪をぐしゃぐしゃかき混ぜると、リボンを解いて自分の手に絡める。ああ、とやっとディーノはいっていることに気づいた。正直視界から外れるともう目の前の魅力的な対象物以外意識に上らない。下腹部に手を伸ばすと、ゆるく存在を主張し始めている。撫で上げると耐え切れないように雲雀は頤をディーノの肩に乗せて、しがみついた。丸くなった背が珍しい。性器を弄るのと同じリズムで、それを撫でた。
「吝嗇」
「えー、オレが?」
「吝嗇だよ。もうとっくにあなたは」
 僕のものだろ。
 
ぐ、と息が詰まる。雲雀はぎゅうぎゅうと更に力をこめてしがみついてきている。抱きかかえたままディーノはソファーの上に身を倒した。あ、と声が上がり拘束が緩む。だが身を離そうとするとすぐに力が入れられた。見えたのはほんのちょっと、赤く染まった首筋だけだ。
 勿体なかった。顔を見れなかったのは本当に勿体なかった。だが今の自分の顔もとても見せられたものじゃないだろう。ディーノはだから自分の中の恥じらいを総動員してもっと躰を近づけようとする。





「いいんですか」
 ディーノが去ったのと入れ替わるようにして獄寺が部屋にはいってきた。綱吉の表情を見ただけで、首尾よく話がついたのだと察したらしい。
「何が? 獄寺くんだって納得した話だろ?」
「そうですけど……あいつ大丈夫ですかね、跳ね馬のところに行って」
 理解外だけどヒバリのこと慕ってるみたいですから、といって舌打ちする。十代目に対する態度がヒバリに比べて悪いだのなんだのと煩くいっていたわりには気にしているらしい。結局は人がいいのだと綱吉は薄く笑った。餅が好評だったと伝えると、嬉しそうに礼をいう。
「ディーノさんは面倒見がいいし、問題ないと思うよ」
「そりゃそうですけど。あいつらに公私を分けるとかの芸当、出来るんですかね?」
「……ああ」
 多分できないだろう。そしてキャバッローネの本部は、すなわちディーノの私邸でもある。常ならば別宅なり持ち会社なりに招かれるらしいところを、本部で面会したことは何度かあった。こう見えてもボンゴレのボスなので。
 キャバッローネの応接室は日当たりが良く、重厚な家具が配置されている。特殊な環境で育ったディーノが「家庭的」とイメージしているらしい雰囲気で纏められていた。すなわち鳥が囀り亀が戯れ、雲雀が寛いでいた。よく覚えている。
 一番最近に訪ねたときは一応私邸であることも慮って、確か到着は十一時近かった。一応挨拶を交わしただけで、雲雀はソファのディーノの隣に座ってイタリア語の新聞と四つに組んでいた。そう、まだ日本からこちらに来て、大して日が経っていなかった筈だ。こちらの会話に興味を見せるでもなく、如何にも眠そうに新聞をめくっている。目元が赤い。もしかしたら、あそこは居間も兼ねている部屋だったのかもしれない。ありそうなことだ。
「恭弥」
「うん」
 深刻な状況ではないにしろ、一応真剣な仕事の会話の隙間でディーノが呼びかけた。頷いた雲雀に、ああ一応話は聞いていたのだと綱吉は思う。なに、と視線をやると睨まれたので慌ててうつむいた。
「朝食は?」
「いらない。食欲ないし」
 ということは今頃起きたのか。嫌な顔をしながらもボンゴレの宿舎に逗留してくださったこともあるし、今思い返せば学生のころからそうだった。常に眠そうな顔をしているくせに、九十過ぎの年寄りのように朝が早い人なのだ。まあなんとなく理由も分かってしまう。話の結論が出るのが翌日になるのだろうということも。
 
綱吉が顔を上げると、雲雀を抱き上げたディーノがドアの向こうに消えるところだった。いらないっていってるでしょ、という声がドップラー効果のように聞こえた。
 はあ、と綱吉が溜め息をつく。ああ。出来れば思い出したくなかった。
「刺されないといいんですけどね。あいつ」
 獄寺が物騒なことをいいながら紫煙を燻らせた。ああ、本当に。兄貴分の無事を願いつつ、綱吉は茶を飲み下した。





「で。やっぱりロッソがネックなの」
 スパイのような気分で何とか雲雀の部屋に忍び込んで取ってきた白のシャツを着せてやりながら、滞ってる仕事の話をする。本当に誰にも見られなくて良かった。きっちりした格好を好む雲雀だが、自宅だと思ってくれているのか身なりにかまわずふらふらと動き回ったりもする。ただ単にシャツや地味な色の服が好きだというだけで、他人の目を気にしての行為じゃないというのが問題なのだ。本人はさっぱり自覚がないので必要とあらばボタンが一つしか残っていないシャツでも屋敷内なら気にせず動くだろう。さすがにまずいと自分からとってきてやろうといいだしたのだが、よく考えればディーノも汗だくで、わかりやすくみっともいい姿ではない。それで部屋に入り込むところやシャツを抱えているところを見られたら、いいわけはきかなかっただろう。
「ああ。それだけじゃねぇけど。ここんとこうちの周りのシマは治安が悪くなってるからな。そっちにだいぶ人手をとられてる。わりいな」
「それはいいけど。何、腹がたってるならそういいなよ」
「そりゃ腹はたつさ。シマだってわりと広いし、いくらだって儲ける方法はあるはずなんだぜ、勿体ねぇ。第一住民が気の毒だ。よその事情に首突っ込むよりやることがあるだろうよ」
 正直できることなら潰してやりたいと思っている。だがそういうわけにもいかない。不満を口にするのも憚られた。綱吉は今は見せかけの平和に固執している。甘い顔を見せればロッソだけでなくほかのファミリーにも舐められるだろう。強大なボンゴレゆえ、今はたいした動きはないが、一度たがが外れれば持ち直すのには苦労する。失脚させる情報がほしいと部下を動かしてはいるが今のところ進展はなかった。
 貝ボタンはとんでもなく小さく、特に首元のものは我ながらとめるのに恐ろしく時間がかかった。ふう、と思わず息を吐くと笑われた。
「ご苦労様。ねえ、僕が潰してあげようか?」
「ばーか。オレがやるよりまずいだろ。ボンゴレ」
「ちがうよ。面白い話をもってくれば協力してやってるだけ。いい土地なんだね? 欲しいなら欲しいっていいなよ、ディーノ」
 魔女リリスだってここまで魅力的に誘惑しては来ないだろう。やっととめ終わったのにすぐはずしたら怒るんだろうなあ、とディーノは思った。
「いえばいいってもんでもないだろ」
「いわないよりいいよ。あなたは欲張りなのに隠そうとしすぎる。僕には大げさなくらいいうくせにね」
 馬鹿いえ。思った半分も要求してない。だが雲雀は欲しければ欲しいというだろう。そしてディーノにもそれを要求する。ディーノは雲雀のようには生きられず、それでも彼が望むのならそうしてやりたくなるのだ。
「欲しいよ」
 だからいった。本当はもっと欲しいものはあるけれど。
「……うん。いい子だ」
「ああ」
 そしてまるで躰がいきなり軽くなった気がした。小さく息をつく。
「恭弥」
「ねえ、それで沢田とはどんな話をしたの」
 手を伸ばそうとしたのと同時に雲雀が立ち上がった。ばらばらになった書類を、もう一度揃えようと拾い始める。もうすっかり仕事の顔で、それでもどこか満足げだった。
「おまえなあ。情報交換だよ、単なる。あ、おまえの部下、うちで預かるって話が出てる」
「部下?」
「今ツナんとこいるやつら。とりあえずマウリツィオ・チアーノとかいう奴を試しでな」
 しばらく固まってから、ああ、と頷いた。人手がないっていうからまわしてやったのにね、とやけに嬉しそうにしているので、ああミスったなあ、と思う。だがまあ綱吉だっていまやボンゴレのボスで、逃げ切る自信があるから口止めをしなかったのだろう。ディーノはそう思うことにした。
「聞きだすつもり?」
 とはいえ心配ではある。だから雲雀が問いかけたとき、ディーノは咄嗟には意味が分からなかった。
「……ああ。うん。どこまで知ってるか微妙だけど。つうかおまえ部下の前歴とかちゃんと覚えてるんだな」
「……まあね」
 狙撃の腕はかなり使えるし、ああ、力も強いね、雲雀は考え込むようにうつむいた。
 大して新しい情報ではない。それに、それなりに能力がなければ雲雀は下に置きもしないだろう。だが、反芻するような表情は嫉妬させるには充分だった。
 ローテーブルで書類を揃え、一旦そこに置いた。床に落ちた分も、もらさず几帳面に拾い上げていただけたのだろう。相変わらず凶悪な厚さである。ソファの上に落ちたままだったリボンを取り上げると、屑籠に投げ入れる。何であんなふわふわ軽いものをあんな速さで投げることが出来るのか疑問だ。だが棄てた理由は分かる。リボンはもうすっかり皺だらけで、汚れていた。本来縛るべきではないものまで縛ってみたりもしたのだ。
「元は僕の部下だし。たまには借りてもいいね」
「え、それはちょっと」
 向けられたのは笑顔で、それでどうしてここまで反論は許さないという意思を伝えることが出来るのか、ディーノは知らない。
「ちょうどこっちでも自由に動かせるのがほしいと思っていたところなんだ。ああそれと」
 にじりよるとディーノの髪を軽く曳いた。弧を描いた唇が目の前にある。
「あなたリボンをもう一本ぐらい隠し持ってないの?」








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