執務室に入ると、雲雀とロマーリオが書類を纏めようと苦心しているところだった。やけに大きなホッチキスが放りだされているのは、それでは歯が立たない厚さだったということだろう。バインダーに挟むとか、他にもやりようはあったろうに彼らが選んだのはリボンで綴じるという方法だったらしい。どこで見つけてきたのかやけにかわいらしい濃いピンクのチェックのリボンが、今まさに表紙のうえで蝶々結びにされようとしている。

「ただいま。いいこにしてたか?」
「してたよ。あなたは?」
「してたしてた。だから、ご褒美」
 抱きしめようと手を伸ばすと、ぽこん、と件の書類で頭をはたかれた。音は軽いが、厚さが厚さだから地味に痛い。それでも腕の中の人を放さなかったのは結構な奇跡だ。
「うー」
「ほらご褒美。嬉しい?」
「おまえがくれるものだからな!」
「殊勝だね。コーヒーでも淹れてくるよ。それまでにそれ読んどいてね」
 ちゅ、と鼻先にキスを落としてきて照れたようにすぐ離れようとする。咄嗟に手に持っていたものを押し付けようとすると怪訝な顔をされた。
「何、これ」
「いいこにはご褒美。ずんだ餅、ボンゴレでもらったんだ。ちょっと向こうでつまんだんだけど結構美味かったぜ」
「もらいもので褒美を済まそうなんていい度胸だね。コーヒーじゃなくてほうじ茶でいい? 緑茶なら向こうで飲んできたんだろ?」
「ああそうしてくれ」
 文句をいいながらも、心もち浮かれた足取りで雲雀がドアの向こうに去っていった。久しぶりの和菓子が嬉しいのだろう。甘いものが嫌いではないことを知っているのだから、もっと気をきかせてやってもよかった。コックを誰か一人――順当に考えれば責任者のリゴベルトでさぞや大喜びで行ってくれるだろうが、長期になるとむしろこちらが困る――日本の和菓子屋に修行にでも出そうか、などと考える。
 見た目が綺麗で、イタリア人にはまだまだ物珍しいからパーティにでも出せば充分元は取れる。ボンゴレと同盟関係のキャバッローネがドルチェに日本の菓子を出す。それだけでも十分な示威行為になるのだ。しかもまだまだ若い守護者たちは、日本のものが出ただけで素直に喜びを露にしてくれる。
「ボス」
「ん? なんだ?」
「一応読んどかなきゃまずいんじゃねぇか? それ」
 ついつい存在を無視していた男に戻りたくもない現実に引き戻されて、呻き声を上げる。分厚い。どうみても物理的に不可能だろう。
「とりあえず謝って夜にでも読むか。かいつまんで内容教えてくれねぇか、ロマ」
「オレも本当に大体しか知らねぇぞ。あんたが調子に乗って花丸とか描いてやるから意地になってるんじゃねぇか」
「……まあなあ」
 家庭教師がいい所為かかなりイタリア語には堪能な雲雀だが、話すほうに比べて読み書きには若干不安が残るようだ。スラングばかり教わったからね、と以前冗談交じりに恨み言をいわれた。確かにマフィアに囲まれていれば、美しいイタリア語の学習など望むべくもない。しかもボンゴレではいまやボスも日本人な以上、報告書の言語には煩くなかった。だがそれでは上達しないと、キャバッローネで提出させる書類は伊語で書かせることにした。ついでに添削もしてやるようにしたのだが、頭になかったのは雲雀の負けず嫌いで勉強好きな性格だ。忙しい時は流石に普通の量だが、興に乗るととんでもなく分厚い報告書を押しつけてくる。
「出版業界全体の不調と、その穴にうちらが食い込む可能性。ネットワークビジネスと、図書館とかの情報資料をどう流用するかって問題だな。公的施設を底上げするという名目で国から資金を引き出せるかどうか。やりようによっては有望な資金源になると恭弥は見ている」
「あー、面白そうだな」
「っていうのが半分で、残りはモラヴィアとファシズムについての論考だ」
「あいつあんな顔してモラヴィアとか読むのかよ! えっろいなー」
「……そうくるか」
 退廃的だとファシズム政権にも教皇庁にも抑圧された過去があるとはいえ、世界に誇るイタリア作家である。不穏当な発言は控えることにして、あまりに分厚い報告書をめくる。雲雀に聞き咎められたらとんでもなく怒られそうだ。
「この前はオレが頼んで映画についても調べてもらったのにな。結局滞ったままだ」
「弱小の映画館のプログラムを連携させて企画しようってあれか」
「ああ、ポルノ系のところはかなり旨みがあるし。正直やりたい放題だからな」
 儲かると見たのだが、なかなかうまくいかない。映画館は収入源として確立はしていないものの、常にちくちくと脅してショバ代を巻き上げたり売春婦を出入りさせているファミリーが多いから、いくら映画館自体の収入が上がるといっても、頑迷に自分たちの利得を守ろうとする。
「恭弥は才覚があるな。並盛を統治している間に磨かれたんだろうが」
「ああ。本人は草食動物はどこの国にいても一緒だよ、なんていってるが。同じじゃねぇよ、宗教も文化もまったく違うんだ。あいつはそういうのを超えて、人の流れを読めるんだろうな」
 嗅覚があり、下手にマフィアやこの国の事情に毒されていないから、自由に革新的な提案をしてくる。そのとおりにという訳にはなかなかいかないが、かなり重宝していた。ボンゴレがなぜ今の彼の戦闘力にばかり頼る状況を受け入れているのかまったく理解できない。雲雀の理由はわかりやすい。こちらが任せる仕事が面白いからだ。向いてもいる。キャバッローネが最近請け負っている都市開発ではかなりの手腕を発揮していた。立場が立場ゆえ表の仕事にしか関わらせることは出来ないが、大事なアドヴィザーだ。本当にいつボンゴレに文句をいわれてもおかしくない。だがいついわれてもいいと我ながら強気なのは、育てたという自負があるからだ。それこそ、報告書の書き方まで。本人が知ったら全力で否定してかかるだろうが。トンファーを翳して。
「だが厳しいな。……ロッソか」
「ああ、一応ボンゴレの同盟だがあそこが一番口煩い。自分たちの利益を守るので精一杯で、あけすけに嫌がらせしてきやがる。シマを跨いで商売するのは当たり前だし、そうじゃなきゃやっていけねぇってのはお互い様なのにな。映画館の話を振った時だって、とんでもなく噛み付いてきやがった。……ああロマ、そうだ、あそこの元戦闘員を預からねぇかって話があったぜ」
「ボンゴレから? 危険じゃねぇか?」
「まあな。オレもそう思ったんだが、逆をいえば情報が聞き出せるかもな。今は恭弥の部下らしい」
 かいつまんで状況を説明してやると、愉快そうにしている。笑いごとじゃない、といってやりたい。
「受ける気か?」
「いや、正直受けざるをえないっつうか。……ツナは甘いからな、どうしても同盟を維持したいんだろうし、元ファミリーがいるとなったら痛くもねぇ腹を探られかねねぇ。だからこちらに押し付けてきたんだろうが、こうなったらせいぜい利用してやるさ」
「わかった。本部勤務で仕事をあてがうな……と、わりい」
 携帯電話が鳴り、会話が途切れた。大して緊急の用事ではないが、と説明してロマーリオが席をはずした。
「ボス、オレの分の餅は頼んだぜ」
 去り際にいい残されて眉をしかめる。すでに今日は一度食べているのだ。かなりの重責といわざるをえない。
















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