会合だの会食というよりは単に気の置けないお喋り。そんな顔をして情報を与え合う時間をディーノは月に一度弟分と持っている。日付を決めたのはお互いに忙しい立場故、どうしても流されがちになってしまうからだ。

 今日はボンゴレの本部で会った。食事を終えて、今は応接室に移動している。キャバッローネと違い、守護者をはじめ詰めている構成員の居住部分を切り離している本部は、重厚なインテリアで飾り付けてもどこか無機質な感じがする。いや、それは穿ちすぎというものなのだろう。
 
プライベートの時間などといわれても、正直ディーノにはうそ寒く感じられる。幼いころから、そんなものが与えられたことはいまだかつてなかった。たとえば自分の家ではない別の場所、どうしたって狭苦しいホテルの部屋で寛いでいるとしよう。一人か、それとも恋人と二人きり。いつのまにやら慣れ親しんだ状況だ。それでもドアの前か、そうでなくても隣の部屋にはボディガードを兼ねた部下が何人か。彼らが自分を護衛していて、それ以上にディーノの感覚では自分が彼らを守っていた。御為ごかしをいうつもりなどない。空間的には、常に自分は一人ではなかった。
 それでも綱吉が喜ぶならと、個人的に会っている振りをする。
「ディーノさん」
「うん?」
「相談があるのですが」
 綱吉が思いつめたような顔をしてうつむいた。だがやっと殻を破ってくれたようでディーノには嬉しい。仕事の相談。いや他の個人的な、恋愛だのなんだのという話という可能性もないではない。彼より長く生きている分経験も積んでいるし話を聞いてもやれるだろうが、如何せん置かれた状況が違いすぎる。ディーノが綱吉の立場でも、自分には相談しようとは思わないだろう。仕事の話だったら部下に相談すればいいだけではないかとも思うが、どうもボンゴレの守護者は戦闘方向に偏りがある。頭が回るタイプも一応いる。しかし、やけに上司に妄信的だったり常々隙があれば裏切って世界大戦がどうだのと夢見がちなことを呟いていたりもする。もう一人、戦術にも経営にも詳しい人間がいるにはいるが誰かの相談を受ける、という状況がまるで想像できない。
「どうした。何かあったのか?」
「……いえ、たいしたことじゃ。まだお茶も出してなかったですね。すみません今すぐに」
「んー、別になくたっていいぜ」
「そういうわけにも」
 話を始めてから部下が出入りするのが嫌なのだろう。デスクに近寄ると受話器をとったが、内線のボタンを押す前にドアにノックの音がした。
「どうぞ」
「お茶をお持ちしました」
 運んできたのはプロレスラー上がりか何かじゃないかといった体格の錆色の髪の男だ。キャバッローネにも前歴が格闘家だの何だの、スポーツを本格的にやっていた人間も少なくない。腕に覚えがあるからか不安定な職種だからかは知らないが、結構な評価を受けとんでもない時間と情熱をその競技に注いでおきながら、選手生命が絶たれるとこんな稼業に飛び込んでくる。気が知れない。だが、ここまでごつい奴はなかなかいない気がする。
 そしてそんな人間に茶を運ばせたりなどしない。たまたま人手が足りていないのかもしれないが、客人扱いされていないのかと不安になってしまう。先月までは確かに、事務を請け負っているという赤毛で胸の大きい如何にも気の強そうな娘が茶菓子を運んできていた。美人ではあったが興味はなく、だが光栄にも相手にとっては自分はそうではないようで、何度となく意味ありげな視線を送られたので記憶している。
 堅気の娘が居つきにくいのは知っているが、ここまで人を変えなくてもいいだろう。比較効果で中国茶器のようだった粉引きの茶碗が、ローテーブルに置かれるなり普通のサイズに見える手品を見守りながらディーノは思った。
「今日はずんだ餅です。仙台名物だとか。お餅大丈夫でしたよね」
「おう。好きだぜ」
 一時期は足繁く日本に通ったこともあって、今では結構な日本通だ。ホテル暮らしにもかかわらず、屋敷のコックをわざわざ連れて行って本場の味を食わせたり料亭に短期で弟子入りさせてみたりした。おかげで味がいいとはとてもいえない街の日本料理屋にいかなくとも、本国で和食は楽しめた。だが流石に菓子類や餅はなかなか食べる機会がない。柔らかい感触に目を細める。小豆の餡よりも癖のある、だが暖かい味わいがあった。
「こういう生菓子も手に入るんだな」
「うちにはお取り寄せのプロがいますから。沢山あるので、良かったら持って帰ってください」
「いいのか? あんがとな」
 素直に頷いて緑茶を口に含んだ。と、ここで衝撃が走る。苦くはなく、むしろ鰹のだしでも飲んだときのような旨みが口に広がった。いやそんな筈はない。ただの茶なのだ。だがとろりとした、まるで甘いような感覚があった。
「旨いな、このお茶。茶葉が違うのか?」
「いいえ、いつもどおりです」
「じゃあ煎れ方か? すげえな。奥が深いんだな緑茶って奴も」
 羽振りのいいボンゴレのことであり、元々綱吉は茶には煩いと聞いている。ずっといい茶葉を使っていたに違いないが、ここまで旨いと感じたことはなかった。
「……っとわりい。で何があった」
 男が退出したのを見極めて、素直な賛嘆の念を露にするのをやめる。別に今までの会話が世辞だったわけではなく本当に驚いていたのだが、如何にも露骨だったのだろう。綱吉が苦笑する。その態度にディーノは胸を撫で下ろした。そう深刻な話でもなさそうだ。
「ディーノさんのとこって、今人手足りてます?」
「人手? いや、なかなかな。離職率はどうしたって高いし怪我人も出るし。何があるかわからねえから、結局は無駄でも随時何人か待機させとかなきゃならないしな。でもそれはお互い様だろ?」
「ええまあ。いきなり忙しくなったりしますからね」
「あー、……まあなあ」
 意地のように忙しいと認めたくない性質のディーノだが、弟分には嘘はつけなかった。というか同じ立場ゆえ、いってもばればれだろうということもあった。どこの世界に暇なマフィアのボスがいる? カナンの地ならあるいは。しかもそこで犯罪者が駆逐されていなければの話だ。ディーノはいまだにお近づきになったことはない。
 いずこも同じ……ああこういうとき日本語では何というのだったか、記憶を辿ってだがそれはすぐに見つかった。秋の夕暮れ。そうだ、いずこも同じ秋の夕暮れ。誰だってみんな寂しいんだという意味の和歌だといつか聞いた。教えた人が人だから信用できるわけでもないが、心情的には理解できる。それに日本に限らず「秋」も「夕日」も寂寥の比喩に使われる。だが秋の冷たく澄んだ空気、オレンジの縞模様に染まる空。ディーノがまず思い出すのはいつも暖かく幸福な記憶だった。自分の中にもまだこんな感情が残っていたのだと、心が震え、浮かれていく感覚。
「でもうちは今、かなり人手が足りているんですよ」
「本当か?さすがボンゴレだな……何かあったのか?」
「ヒバリさんに今戦闘の仕事ばかり回させていただいているのはご存知ですよね?」
「へ?」
 またいきなり話が変わった。だが綱吉はそっとソファの上で姿勢を正していて、突っ込む隙を与えない。
「どんな状況でも臨機応変に動ける人ですし、ヴァリアーの人たちに頼むよりも双方に被害が少ないんですよね。無駄に殺したりするのを嫌うから」
「ああ見えて」
「ええ、ああ見えて」
 くすり、と綱吉が笑った。確かに雲雀は人を殺すのを嫌う。甘いとか、相手に同情しているわけではもちろんない。ただ抵抗する気が起きなくなるように痛めつける。情報が漏れるのが嫌ならばただ単に記憶がなくなるように頭蓋を叩けばいいのだと、いつだったか話しているのを聞いた。殺されるのとどちらがましかは被害者に聞いてみないとわからない。
「マフィアが……いや違うな、オレが人を殺すのは保身のためです。復讐の予防。でもあの人はそれをしない」
 ああきたな、と思った。そうだ、確かに雲雀はそれをしたがらない。実際問題としてそれで済んでいるのかどうかは知らない。聞けないこともある。だがしたがらないことは知っている。
 一方ディーノは殺人を犯す。躊躇いもなくそうすることができる。自己保身のためであり、部下に累が及ばないためでもある。だから雲雀がそうしないだけで裏切りとすらとられることを知っている。だが今更ではないか。彼は浮雲なのだ。
「……ツナ。あいつはあいつなりに保全を考えているよ。ボンゴレに矛先が向かないように手は打ってる」
「ああ! いえ違うんです。そういう意味じゃなくて。承知で仕事を依頼しているんだからいいんですよ」
 綱吉はあわてたように手を振った。指示通り動かないんだから、いいわけがないだろう。まったくこの弟分は人がいい。ディーノは小さく息をついた。だが観察力はある男だ。随分取り乱してと、思われていることだろう。
「たださっぱり復讐だとか逆恨みっていう話を聞かないから、なんでかなって。それで最近知ったんですよ」
「足洗ってるとか? 恭弥ならかなりこっぴどくやるだろうからな、こりごりだろうもう」
「おしい……かな、微妙だな。ヒバリさんが戦闘を行いますよね。大体お願いするのは多人数相手が多いです。見境ないように見えて、結構その中では骨のある人を選んで集中的に楽しまれるのかもしれません。叩きのめして叩きのめして叩きのめして……それで一月ほどたつと」
「おお」
 まるで怪談でも話すように綱吉が声を潜め、ついつい引き込まれるように頷いた。余程こちらのほうが恐ろしいのは、件の対象が生身の人間だからなのだろう。
「風紀委員が一人増えている」
「……え?」
「確かな情報です。多分委員の教育とかは他の人がしてるんでしょうけど」
「いやいやいやいや」
「並盛にいる委員はだいぶ膨れ上がっているみたいです。あちらは少数精鋭を旨としているみたいなところがありますからね、ここで使えないかって最近打診がありまして」
「ありえねーだろ! 何で殴られて下についてんだよ」
「……さあ」
 綱吉が肩をすくめる。できれば知りたくない、という表情だ。部下の行動の把握は仕事の一部だが、お前に罪はないといってやりたくもなった。
「でも中学のころからヒバリさんの部下ってそんな感じでしたし」
「いやまーそうだけどさ……。それで、受けたのか?」
「ちょうど人手が足りてない時期で。今お茶を運んできた人もそうです。マウリツィオ。マウリツィオ・チアーノ。ご存知ですか?」
「チアーノ? ルーポ・ロッソのか?」
「流石ですね。戦闘員としてしか働いていなかったと聞いているのに。ルーポ・ロッソファミリーとは最近同盟を結んだばかりですけど、それまでは散々小競り合いをしてきたでしょう? そのころにどうやらヒバリさんがお持ち帰りしたみたいで」
「へえ。オレはただ名前は聞いてたってだけだぜ。入って何ヶ月も経たねえうちに名を上げた腕が立つ出世頭だと。ロッソは上を叩くより下っ端の構成員から揺さぶりをかけたほうがいいかと思ってな。使えるのか?」
 ボンゴレと同盟を組んだからには面と向かっては敵対しないものの、ディーノはルーポ・ロッソにはいい感情を持っていない。赤い狼……その名のとおり共産国との繋がりが噂され、揉めていた時期には結構な被害も受けた。規模としては中の下がいいところだが、だからこそ形振り構わない行動に出る。だが自分でもそれとわかるほど機嫌が急降下したのは、雲雀の行動を下卑た言葉で表現されたからだ。しかし向こうからすればちょっとした罪のない冗談なのだろう。ディーノはもう一つ餅をつまみ、少し冷めてしまった茶を口に含んだ。
「……これは、さっきの奴が煎れたのか?」
「ええ。彼だけじゃなくてみんな凄いんですよ。勤勉だし気は働くし礼儀正しいしまあ多少ヒバリさん至上主義って言うか、群れるのを嫌がるようなところはあるんですけどね、腕も立つ人ばかりだし。ボンゴレにもここまで使える人たちは少ないくらいで」
「それで?」
「え?」
「相談ってなんだ?」
「……あー、ディーノさんのとこ今人手足りてないんですよね?」
「いや足りてますよもちろん」
 ははっ、とディーノは乾いた笑いを漏らした。やばい。かなりやばい。自分の直感が告げている。
「足りてないってさっきいったじゃないですか!?」
「だっていらねーよそんなん! 思いっきり胡散臭いじゃねーか、スパイだったらどーすんだよ!」
「しばらく使ったからスパイとかじゃないのは保障しますって! よく働きますよー。しかもヒバリさんのお墨付き。超安心」
「どこがだ! 大体だったら何で手放そうとするんだよ?」
「だってどんどんどんどん増えていくんですよ。風紀じゃなくてボンゴレにいるのに、ヒバリさんから電話があっただけで裏返った声を出したり九十度で御辞儀したりするから、示しがつかないって獄寺くんがキレるし。だからディーノさんのところだったら大丈夫かなって」
「余計大丈夫じゃねーだろ、こっちにはあいつ本人がいるんだぞ?」
「だから……ショック療法になるかも」
 如何にも今思いついた、といった感じで綱吉がいいだした。別に病じゃなくても、悪くなった頭は叩いて直す、という民間療法を実践している雲雀である。頼まないでもショックくらい与えてくれるだろうが。
「……何でだよ」
「そうだ、とりあえずマウリツィオだけでも試しに使ってもらって、それから考えるってどうです?」
 困りきった、という顔をして綱吉が提案した。正直ディーノは弟分には弱い。困っているというのなら助けてやりたくなってしまう。いや、しかしこればかりは。
「……しばらく考えさせてくれ」
 搾り出すようにしてディーノはいった。ぱあっと綱吉は笑顔を浮かべて頷いた。もう肩の荷は下りたといわんばかりだ。実際そこまで喜ばれてしまうと、さっき迄よりも更に断りづらい。とぼとぼとディーノはボンゴレを後にした。


















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