「なあ、ロマーリオ、恭弥は驚くだろうなあ」
 どうだろうな。問われてロマーリオは思わず自問した。いやもちろん驚くだろう。驚くに違いない。だがそのあとの反応が、ボスの期待するような、こう、「きゃあ嬉しい」みたいなものではないんじゃないかな、という怖れが刻一刻と自分の中で肥大していっているのを感じている。
 何度となく訪れた、風紀委員長の城である応接室に今いるのはマフィアのボスと、その部下たち十数人。その中で一人、ディーノのみが如何にも楽しげに、上機嫌な表情を浮かべているという事実から、こうなんとか、なんとか口にはしないでも察してはもらえないものだろうか。
「あ、………ああ! きっとびっくりするぜ、ボス!!」
 つい返答すら返せずにいると、ディーノを抜かせばこの部屋の中で一番年若い、金モールを必要な長さにするため繋げていた部下が、気をきかせたのか明るい声をあげた。嘘が下手である。
「そうだよな! きっと喜んで………へへ、嬉しい、惚れなおしたよとかいわれたらどうしよう?!」
「え? ………いやそのうん、どうしようなボス」
 だから責任が持てないような発言は控えろと常々。部下に救いを求めるような視線を送られてロマーリオは困惑した。無駄な心配だ? いや流石にそこまでいうのは。
 幼い頃からボスの傍にいるせいか、忌憚のない対応をとることに躊躇いはないけれども、そうはいっても空気を読みはする。何ごとにも大らかな性格のボスであるけれども、へこむ時はけっこう長らくへこんだままでいる人なのである。意外と根は繊細というか。我がファミリーに残された時間は少なく、とても今さらさあ撤退しようと思いたっても間に合うものではない。部屋の主が御帰還あそばれたその時、相対するのは楽観的なボスと悲観的なボス、どちらの方が傷は浅いかという問題である。
 改めて部屋の中を見回して、思わずロマーリオは溜息をついた。金銀のモール、折り紙の輪つなぎが縦横無尽に垂れさがり、花瓶から持ち込んだ花束もいくつもいけられている。そして、日本人ではない自分にも美しいとはとてもいえないことだけはわかるボスの字で、おおきな垂れ幕に「雲雀恭弥くんお誕生日おめでとう!」と。ほんとうはもっと熱烈な文章案もだされたのだが、部下一同必死で止めた。
 だがこのサプライズパーティー、という企画にはどうしたって責任を感じないわけにはいかないのだ。どう考えたってディーノは、我々部下たちの行った………もしくは行おうとした企画に影響されて、このようなパーティーを考えついたのだろう。
 三カ月ほど前、キャバッローネのファミリー一同はボスの誕生日をサプライズパーティーで盛り上げようと、そう考えて準備を進めていた。今となってはもう、それを提案したのが誰だったかは覚えていない。いや、皆が皆、満場一致でその案を受け入れたのだから、今さら犯人探しをするつもりもない。
 だがこの企画が通ったのも、その頃の状況を鑑みれば納得のものであった。その頃、ファミリーはちょうど繁忙期にあった。人員不足というわけではないのだが、マフィアの裏稼業に拘らず精力的に仕事を増やしているので、いざどこもそこもと忙しくなればトップの人員はそれはもう。いや不満をいっているわけではない。嬉しい悲鳴という奴だ。
 だがまあそんなこんなでファミリー総出で忙しい時期にあり、大規模なボスの誕生パーティなぞとても開ける状況下になかった。しかもボスは誕生日から十日ほど先に日本で取引先と行われる予定の会談に出席することを何故か………いや今ではもう明々白々だがあの頃は何故かよくわからず、ただボスたる勘で、何か自分の力添えが必要な案件だと考えたのだろうと理解していたのだが、それを強硬に主張しており、ただでさえ過密なスケジュールが来日のための時間を開けるため更にぎゅうぎゅう詰めになっていたわけだ。とてもとてもパーティーを、などといいだせる状況ではなかった。だがボスはまだ若い。あと十年二十年先ならともかく、まだまだ誕生日が楽しみな年頃の筈である。そう頭を抱えていたわけだが、誰だったか、前もって予告すればボスも仕事の進行を気にするだろうが、サプライズでささやかな飲み会に移行するだけならきっと喜んでくれるだろうと、そういいだしたのだ。さあ名案だ、と一堂盛り上がったわけだが、メンツ的にも人数的にも時間的にもパーティー会場は城の食堂、食事を作るのは我がファミリーのシェフ、という選択肢しかないわけで、そう簡単にサプライズにはなりそうもない。だからちょうどその頃、友人でもあるリーゼント頭の中学生を介して、ボスの弟子である雲雀恭弥からキャバッローネ本部の住所に関する問い合わせがあった時はこう、渡りに船、と思ったわけだ。なんといってもボスは初めてできた弟子を随分とかわいがっていた。面倒見のいい人であるし、歳の離れた弟のようにでも感じているのかもしれない、とこちらはまあそう考えていたわけだ。きっと恭弥がボスに会いにイタリアに来たら、相当喜ぶに違いない、と。
「今日来るっていっとかなかったしきっとすっげーびっくりして………僕も会いたかったよ、とか」
「ああいわれるといいな。口を動かしてもいいから手も動かせボス、さっさとしねぇと恭弥が帰ってくるぞ」
「え、もうそんな時間か?」
「いやさっき草壁からメールがあって、これからまだ寄付金を払っていない事務所を訪問するってあったからな。まだ少しかかるだろうがよ………ボス、いくらなんでもモール買いすぎじゃねぇか?」
「よーし、じゃあ急いで飾りつけしねぇとな!」
「「おう!! 任せてくれ、ボス!」」
「いやおまえらも、そうじゃなくてな」
 うねうねと床に散らばるモールを見ながらため息をつく。先程から殆どの人員をモール係に任命して事にあたっているというのに、全く減った気配がない。花も垂れ幕もすっかり準備は整ったというのにだ。大体これ以上ぶら下げたら一人二人うっかり首でもひっかけて死にそうである。
 不発に終わった二月のパーティーの顛末は、今はもう思いだしたくもない。いやもちろん、ボスに恋人というべきかなんというべきか、まあそういう相手ができたことは喜ばしく思っている。それまで我がボスは秋波を送ってくる女性には事欠かなかったくせに、決まった相手をつくることをしなかったから尚更だ。男同士だし子どもだしそのうえボンゴレの次期守護者。本来なら反対するだけの要素は掃いて捨てるほどある。だが、あんなにも嬉しげに。あんなにも幸せそうに恋人を抱きしめるボスに批判の声をあげられるほど、キャバッローネは非情な人間の集まりではない。気づけば皆が祝福の言葉を唱え、サプライズの誕生パーティーだった筈のその夜の予定の趣旨は、いつの間にやら披露宴的なそれに変わっていた。なんといってもあの反抗期の塊みたいな少年が、薄く、だがこちらにもそれとわかるほど明らかに笑みを浮かべ、ボスと二人でケーキカットまでしたのである。二人が寝室に引き揚げたあとは、古参の部下たちで集まって酒を飲みながら、ボスの幼少時のビデオをかけっぱなしにしながら嬉し涙を流したりもした。ああ、あの泣き虫で番犬であるドーベルマンが尻尾を振って寄って来るたびにわんわん泣いていた坊っちゃんが、一人前になったことは喜ばしい。だがその坊っちゃんの、幼い頃から知っている坊っちゃんの濡れ場を一瞬でも目撃したかったかと聞けばそれは否だ。断じて否である。なんと衝撃的で、そして居たたまれなさを覚える光景だったことか。
「飾りつけはこの程度でよくねぇか? これ以上やったってしょうがねぇだろ」
「そういうなよ、ロマーリオ! 派手な方が楽しいし、恭弥だって驚くに決まってんだろ。あんま地味だと気づかないかもしれねぇ」
 さすがにそれは。つっこもうとして、だがそこでかちゃりと音がして、ドアが大きく開いた。
「ああディーノ。なに、遅かったね」
「恭弥!!!」
 ボスが大きな声で名前を呼ぶ。そこで異変に気づいた部下たちは慌てて手にあった分のモールだけなんとか壁に貼り付けて、さりげなく残りをまとめた。だがいくらなんでも早い。視線をやると、委員長の後ろに従っていた友人が困ったように頭を下げた。他の委員たちも頭を揃えているし、見周りで何か突発事項があったのだろうと納得する。
 ディーノは今にも抱きつかんとばかりに両腕を広げ、そしておろした。委員たちの存在に気づいたのだろう。照れたように笑ってみせる。ボスから聞いた話では、雲雀はたいそうな恥ずかしがり屋らしく………ものすごく違和感があるがたいそうな恥ずかしがり屋らしく! 二人の関係を公にすることには意欲的ではないらしい。まあ、普通そうだろうというか、触れまわる必要もないだろうと思うが。そんなわけで、こちらも気をきかして草壁にも、ボスは弟子をあのとおりかわいがってるから誕生日を祝ってやりたいと考えている、と説明して協力してもらった。
「早かったな、まだ帰らねぇんだと思ってた」
「ん。集金に行った会社が休みだったからね。そのまま帰ってきた………なに、あなた僕がいない間に何する気だったの?」
「何って………これ?」
「ああ」
「いってぇ!!」
 改めて部屋の中を見渡すと雲雀はトンファーでボスの頭を殴った。ボスは頭を抱えて蹲り、痛いだろう、そりゃ痛いだろうがその程度の攻撃で済んだことにキャバッローネファミリー一同驚いている。あ、それだけではない。さわさわと廊下のあたりに控えている委員たちも驚きの様子を隠せないでいた。
「なんだよ、喜んでくれねぇの? これでも頑張ったんだぜー」
「なんで喜ぶの。明日から学校もあるんだよ。ちゃんと片付けられるの?」
「へ? ………ああ、任せとけ!」
 と自信満々にボスは頷いているが、取りあえず任された。久しぶりに恋人と会って、しかも恋人の誕生日だというのに、不発に終わったサプライズの後処理なんて、そんな切ない作業はやらせるわけにはいかない。経験者から語らせていただくと、あれは結構悲しい気分になるものである。
「ふうん。ならいいけど」
「てか恭弥、何で驚かないんだよ?! 予告しないでいきなり来たんだぜ、オレ。それに応接室だってこんなに派手に飾りつけたのに」
「え? いやだって………どうせ来るだろうと思ってたし。せめて来ないって連絡入れなよ、せめて」
「………」
「大体あなたが派手だから悪いんだろ! 部屋がどうなんて気づくわけないじゃない」
「そ、そうか………」
 ふい、と雲雀はそっぽを向いて見せて、だがこちらとしたら居たたまれなくていけない。確かにボスは派手な外見の人だが、この金モールの物干し場みたいになっている部屋の異変に気づかないなんていくらなんでも。ボス以外目にはいってないって宣言しているようなもんじゃないか。
「で?」
「で、って?」
「プレゼントは? くれるんでしょ?」
「ああ! ちょっと待て、時計だろ、鞄だろ、靴と………あと指輪!!」
「ワオ。いいね」
「だろ? これはなかなか使える奴だぜ」
 雲雀の指に嵌めてみせたボスは得意気に頷いて、だがこちらとしては気になるのは風紀委員である中学生たちの反応である。副委員長である草壁以外は皆頬を赤らめて俯いていて………そこで気づいた。ああなんてことだ。それは指輪であってもそういう意味の指輪ではなく戦闘のためのものなのだと、周囲を顧みずこの日に生まれた事実を喜びあっている二人に気を使わないでいい立場であるなら、今すぐ弁明したい。なんぼなんでも我がボスは中学生に人前でプロポーズするほど、空気も世論も読めない人ではない筈である。
「あ、あとケーキも!! すっげぇうまいって評判の店で作らせたんだぜ!」
「ふうん?」
「ちょっと待ってろ。あ、ロマ、箱開けてくれるか」
「ああ」
 いわれてロマーリオは部下の一人に手伝うよう目線で促した。普段なら何もケーキの箱一つ一人で開けられないわけではないのだが、サイズ的に、風紀委員長の執務机の上に鎮座ましましたケーキはたいそう大きく、下手にやるとどこかでひっかけてしまいそうなのだ。
 今回のパーティの準備は殆どすべてボスが自ら行った。以前から五日が雲雀の誕生日であることは聞いてはいたが、群れを嫌う性格を考えても、ホテルの部屋か、どこかレストランか何かで二人で祝うつもりなのだろうと思っていたのだ。それが、来日直前、多分時間が足りないだろうから飾りつけを手伝ってほしいと、そう頼まれた。
 もちろん断る筈もない。実際こうして全面的にファミリーで協力しているわけだが、もしこれら飾りつけの材料の購入まで任せてくれたなら、もうちょっとこうささやかに、部屋の広さに見合った量を用意することも出来たろう。ボスは何というか幼い頃から裕福に育ったので、会社経営に必要とされる金銭感覚はともかく、実際生活に必要とされるそれは、あまり潤沢には持ち合わせていないのである。
 だからケーキもこんなことになった。
 我々部下に任せてもらえれば、多分ボスと雲雀とで食べるのにちょうどいいくらいの、小ぶりなサイズのバースデーケーキを用意したことだろう。だがボスは、とりあえずそういう人であるし、その上ついてきた部下や他の人間たちへの心配りも忘れない人である。手伝ってくれたファミリーたちも、食い盛りの筈の風紀委員たちも食べるだろうと、そう考えたのだといっていた。
 そんなわけで、準備されたケーキはたいそう大きい。垂れ幕と同じ文章が記されたチョコレートプレートと、てっぺんにぐるりと刺された十五本の蝋燭の存在にも拘らず、派手にデコレーションされ、七段に積み重ねられたショートケーキは、そうバースデーケーキというよりは何か、そう何か別のケーキに見えた。とりあえずもういい歳の部下一同からすれば、見るだけで腹に持たれそうな生クリームの量である。
「ワオ」
「うまそーだろ? 恭弥ショートケーキ好きだしさ。じゃあすぐ火を」
「消せない」
「「「あ」」」
 思わず自分も、部下数名も驚きの声をあげた。そういえばそうだ。チャッカマンを掲げることでなんとか蝋燭に火は灯したが、吹き消すのはどう考えても無理である。
「うあー………すまん、恭弥」
「いいよ、別に。それより早く食べようよ」
「おう! そうだな!!」
 さすが食べざかりの中学生。見周りもこなし身体を動かしてきたあとの若い胃は、この程度の生クリームなぞものともしないらしい。羨ましいことだ。
「ちょっと待ってろすぐ」
「なにやってるの」
 包丁を構えたディーノの後頭部を雲雀が殴って、さっと部下数人が緊張の色を浮かべた。たぶん、ボスがどこか切りはしないかと考えたのが半分、あの美形が生クリームに頭から突っ込んだら目も当てられないと考えたのが半分というところだろう。普段から手合わせでもそれ以外でもぽこぽこ手をあげるのを見慣れてるロマーリオからすれば、まあ、いつものじゃれあいである。そっと視線で制し………だが続く雲雀の発言は予想だにしていなかった。思わず振り返ってまじまじと見つめてしまう。
「こういうものは、二人で切るものでしょ」
「あ! ………ああ!! そうだな!!」
 なんの話だ。そりゃ目の前にあるケーキはバースデーケーキというよりは限りなく他のケーキに似て見えるとはいえ、いくらなんでも雲雀が今日のこの日の趣旨をわからないなんて筈はない。だがそこまで考えて、気づいた。あの日。あの不発に終わったサプライズパーティーである。あの時我々部下一同は大いに盛り上がり喜んで、二人でケーキを切るように促して………。まさか、ああ多分そのまさかだ。雲雀恭弥はバースデーケーキは二人で切るものと勘違いしている。
「委員長!」
「委員長、どういうことですか!!」
 ドア付近で固まっていた委員たちから大声があがる。それは当然だ。だが雲雀は鷹揚に頷くと、薄く笑みを浮かべた。
「君達も食べるといいよ」
「………委員長!!」
「委員長、ありがとうございます!!」
「おめでとうございます!」
 そうじゃない。明らかに雲雀の発言は質問に答えてはいなかったが、委員たちはそれで納得したらしい。間違った方向に。いや間違ってはいないのだが、ボスから話を聞いた限りではそんな簡単にプライヴェートのことを周囲に漏らすタイプではない筈だ。見れば委員たちの中には男泣きに泣いてる奴までいて、ああ気の毒に。その心中は察するに余りある。
 だが非情なるマフィアであるキャバッローネファミリーの一同は黙って紙皿を並べる仕事に従事した。確かに気の毒に思う。中学生にはさぞ衝撃的な出来事だろう。だが我々の乗り越えてきた、あの衝撃、あの居たたまれなさを思えば、たかが知れている。困難を乗り越え、この大量の生クリームまみれのケーキを食いつくすことこそが、中学生の心と体のまっとうな成長と、そしてこの場で求められる役割ではなかろうか?







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