「ただいまー。いやぁ、疲れたー」
 ドアを閉めスーツケースを床に置くなりディーノはそうこぼして、雲雀は微笑んだ。長時間のフライトだったのだから、疲れて当然である。それにあの空港。なんだってあんなまた、群れがいっぱいいるのだろう。
「おかえり」
「おう。きょうやもおかえりー」
 自分は空港に迎えに行っただけなので、なんかそういわれるのはおかしな気がしたりもしたけれども、きちんと挨拶をするのはいいことだ。雲雀は上機嫌で頬をすりあわせると、コートを脱いだ。もこもこしているわりに動きやすく、裏地に風紀と刺繍がしてある気に入りの品だ。まだ父親じゃなかった頃のディーノがくれたものである。
「ああ、やっぱうちが一番だな…」
 ネクタイを緩めながらディーノはそんな言葉を漏らした。雲雀が自分が父親にしたのは本当にイタリア人なのだろうかと思うのはこういうときだ。いやまあ、イタリア人だって何日かぶりに家に帰って一息つくときは、「ああうちが一番だな」といったりするものなのかもしれないけれど。そこらへんの文化の相違まではよくわからない。でも、今問題にすべきは、ここがあの、やたら豪勢なイタリアの城ではなく、日本のマンションの一室だということだろうか。
「ほんとうにそうだよね」
 計算でなく、素直にこういうことをいってしまうところが我が父のかわいいところである。雲雀は唇がうずうずして、思わずそっぽを向いた。こういうときどういう顔をすればいいものやら。
「あ、ねぇあなた」
「ん?」
「ごはんにする? お風呂にする? それとも…」
「な!!!」
 着替えるだけにする? と続ける前にディーノが奇声を上げたので、雲雀は目を丸くした。なんだっていうのだろう。
 長旅だったのだからお風呂に入ってさっぱりしたいだろうけれど、疲れているなら面倒くさいかなと思ってきいただけだ。まだ沸かしてないし。だが、普段だって仕事の合間にちょっと家に戻ってきただけでも、隙あらばあのなんだかゆるゆるした私服に着替えようとする人である。どうせまた出かけるだろと部下に小言をいわれているのをみたのは一度や二度ではない。だから着替えるだけならきっとしたがるだろうし、だとしたら汚れもので一杯の筈のスーツケースを開けないと。
「じょ、じょじょ」
「あまちゃん?」
 なんかそんな決め台詞があるってきいた記憶がある。あれ、じぇじぇ、だっけ?
「冗談でもそういうこというんじゃありません!!」
「なにが?」
「え? なにが………って?」
 いきなりよくわからない冗談をいいだしたのはそっちではないか。そういいかえそうとして、だが父がきょとんと目を丸くしているのをみて、どうやら自分の勘違いであるらしいと雲雀は気づいた。やはり、なんだかんだで父はイタリア人である。まあその国民的人気らしいドラマについては雲雀だって詳しいわけではないが、そもそもの会話からして、何をそこまで顔を真っ赤にして驚くことがあるのか、文化圏の違う雲雀にはさっぱりわからない。
「あ、そうかご飯にはまだ早いよね」
 四時前という時刻で、夕食の話もないものだ。だがさっき空港で顔を合わせたとき、せっかくここまで来たんだしどこか寄ってくかだとかお茶してくかだとか、いろいろいっていた気がする。雲雀としたらあんな群れで溢れている場所に長居をしたいはずもないので、さっさと帰ろうとそう答えたのだけれども、もしかしたらおなかがすいてるのかもと思ったのだ。っていうかあのときはやだっていったけど、こっちもちょっと今さら小腹がすいたっていうか。
「ん………まあその、そうか。そうだな、機内食も食ったし夕飯はまだいいかな」
「そう」
「あー……オレ、ちょっとシャワー浴びてくる」
「沸かさなくていいの」
 そんな時間のかかるものでもないし、どうせ後で雲雀も入るのだから沸かしてしまえばいい。そう思ってきいたのだがディーノは首を振った。
「いや。ちょっと頭から水かぶりてぇだけだから」
「………そう?」
 禊ぎか何かだろうか。今回のアメリカへの出張は純粋にビジネスだけが目的で、抗争だとか暗殺だとかそういうおもしろいことは何もないときいているし、実際父からそういう空気というか臭いのようなものは感じられないのだけれど。
「あ、スーツケースの中にみやげ入ってるから。出たら食おうぜ!」
「わかった」
 やった! いやそんな別にものすごくおなかがすいてたとかそういうほどじゃないけど。でもディーノのみやげの味はいつも期待できるものなので、雲雀は唇を緩めた。
 そそくさと浴室に向かった父を見送ったあと、うきうきとスーツケースをあける。中にはたくさんの菓子の箱が詰め込まれていた。よくぞまあこうも買い込んだものだ。雲雀は一つ一つ検分して、クッキーらしき箱とチョコレートらしき箱を選んだ。後の物もとりだして、ローテーブルの上に積んでいく。菓子もあったがブランド物らしき箱だの袋だの、カメラなどの電子機器もあった。後で本人がかたづけるだろう。
「あ、あなた服はどうしたの」
 キッチンで湯を沸かしているところでバスローブ姿の父が浴室から出てきたので声をかける。そういえばスーツケースの中に、大量に持っていった筈のスーツだのなんだのはなかった。というかもう菓子一つはいりそうな隙間もなかった。
「んー全部送っちまった。いくつも荷物持ちたくねーし、この方が楽だろ」
「それはそうかもしれないけど買い過ぎじゃないの…?」
 観光旅行じゃあるまいし。だいたい服だってちょっとは自分で持ち帰ってくると思っていたのだ。
「ん? まあそういうなって。あ、恭弥お茶いれてくれてんの? 嬉しい。久しぶりだな恭弥の緑茶」
「え? 緑茶がいいの?」
 アメリカみやげの物ならどう考えても洋菓子だろう。たまには紅茶でも淹れるかと思ったところだったので、父の熱烈な喜びの表明に、雲雀は首を傾げた。
「おう。あったりまえだろ、だって日本だぜ!!」
「そう。仕方ないね」
 特別だよ、といいおいて急須を取り出す。まあ雲雀からすればどんなものにだって緑茶は合うので、別に異存はない。
「へへ、あんがとな」
「いいからさっさと着替えてきなよ。さきに食べてしまうよ」
「え? わわ、ちょっと待てって」
「早くしてよ」
 ばたばたと父はクローゼットに駆け込んでいく。雲雀は湯呑みに湯を注ぎながら、吹き出しそうになった。湯を冷ますためにかかる時間を考えるとそこまで焦るほどではないのだが、父はどうやらよくわかっていないのだ。どうりでいつもいつも、あの人がいれると苦いと思っていた。

「ん! これは選んで正解だな! めちゃくちゃうまくねぇ?!」
 チョコチップとペカンナッツが練り込まれたクッキーを頬張った父が得意げにそんなことをいい、思わず雲雀は首を傾げた。
「あなたこれで選んだつもりなの…?」
 どこの菓子屋だか知らないが目についたのを全部買ってきたのだとばかり。
「口に合わないか?」
「そうじゃない」
 大ぶりのクッキーはどれも素朴な味わいで、甘さが少し強いもののなかなかにおいしかった。
「そかそか。恭弥ナッツが入ってるの好きだもんなー。ほら、これもうまいぞ」
「ん」
 アーモンドたっぷりのフロランタンを差し出されたので、かぶりつく。ふむ、たしかにおいしい。
「って、あなたどうしたの」
 みればまた、父は真っ赤な顔をしていた。いったいどうしたというのだろう。
「い、いいいいいいいやなんでもねぇ! 手から食うとはおもわなかってっていうか、それで」
「ふうん?」
 目の前に差し出されたらそりゃそのまま食べると思う。手も汚れないですむし。何を馬鹿いってるんだか。
「それにしてもいっぱい買ったね」
「そうか? 他にもおみやげあるぞー、財布だろ、マフラーだろ、靴だろ、それと………あれ、カメラどこやった?」
「そこにあるよ」
「お、サンキュな。んで、写真もいっぱい撮ってきたし」
「なにそれ、いらないんだけど」
 まさかそれも土産だとかいうつもりか。雲雀が唇をとがらすと、まあまあとディーノは頭を撫でてきた。明らかな子供扱いである。気に入らない。
「いろいろ撮ったんだぞ。ほらすげー高いビル!!」
「だから興味ないってば」
 だいたいずっとオフィイス街にいたんだろうに何が写真だ。雲雀はふんと鼻を鳴らした。並盛よりいいところなんてあるわけないのに。
「そういうなって、ほらアメリカのねこー」
「みせて」
「ああもうかわいいな!!」
「たしかに」
 人間と違って猫に住所選択の自由はほとんどない。並盛に生まれなかったのは彼らの責任ではない。っていうかとてもかわいい。
「お…おう。なんだ、自画自賛したのかと思った」
「なにが」
 猫の写真は数枚で終わって、あとはまた、ビルとか道とか川とか、よくはわからないけれど何となくテレビや映画で見た気がする建物だとか。とたんに興味を失って、雲雀はカメラをディーノに返した。
「ま、わかるけどな」
「なにがさ」
「恭弥が並盛が好きで、大事だってこと。でもな、他の場所にだって他の場所なりのいいとこだってあるんだぞ」
「興味ないよ」
「そういうなって。ポイントポイントならあるんじゃねぇか? そういうみならわなきゃ、みたいなとこ」
「なにそれ」
 雲雀だってそれは、並盛が何から何までどこよりも優れていると考えているわけではない。むしろそうだったら、ここまで風紀を守ろうと尽力することもなかったかもしれない。そういう問題ではないのだ。どこがいいとか悪いとか、ポイントだとかじゃなくて、並盛は並盛ってだけ。
「ばか」
「ばかって………ちょっと考えてみろってたとえば」
「ばかはばかだよ。あなたほんとにわかんな………」
「ん?」
 ぼすん、と音を立てて雲雀はディーノに寄りかかった。ばかはこっちだ。この人がわからないわけないじゃないか。イタリアの小さな街を思い出した。古い建物の残る、穏やかな街だ。彼が大事にしている街がどんなところだか、自分はもう知ってる。
「続きみたくなったかー」
「………なんない」
 何もいってないのに、ディーノは心得てる風にそんなことをいって、まったく甘い父親だと思う。そりゃ自分でも、一時間待ったって「ばかっていってごめん」なんていえなかったと思うけど。ばかはばかだし。
「ん。そか。じゃあまた今度な」
 目元をくすぐってくる手は冷たくて気持ちがよかった。本当に水を浴びたんだろうか。
「ねぇ、なんか話ししてよ」
「はは、きた。きょうやの「おはなしして」。なんだよ、もう眠くなったのかー」
「なってない」
 それは確かに、寝る前にベッドの中で何かはなせと強請ることは珍しくない。思うのだがたぶん父の髪が、暗くなってもきらきらとしているのがいけない。それだからきっとまぶしくて、中々寝つけなかったりするのだと思う。だからついいろいろ話したりするのだけれど、ディーノのいいかたではまるで小さな子どもにいってきかせているみたいではないか。
「えーと、じゃあ何の話する?」
「修行の話。赤ん坊との、羊の格好したときの」
「はは、おまえほんと、その話好きだよなあ」
 あたりまえである。何度聞いたって飽きない。それも当然でかわいいものがとんでもなくかわいい格好をしている話なのだ。いくつかバリエーションはあるのだが、何でも我が父は子どもの頃、羊の着ぐるみを着て狼と戦ったり他の羊の群れを守ったりしていたらしい。なんだそれかわいい。
「よーし、じゃあその日オレはな、シマの東の端にある牧場の柵によりかかって、油断なく周囲を伺ってたんだ」
「うん」
「リボーンに渡された羊の服を着てたから、春先だったけどちょっと暑かった。パーカーの帽子に角がついててさ、ちゃんと羊の毛のふわふわが襟とか袖についてるんだ」
「それは………かわいいね」
 赤ん坊には一目置いているけれども、ちょっと迂闊なことがあるというか気の利かないところがあると思う。なんで写真を撮るとかビデオに撮るとかそういうことをしておかなかったんだろう。イタリアを訪れた際彼のアルバムは見せてもらったけれど、まるでビスクドールみたいにかわいらしい子どもだった。それが羊の格好をしたところなんて、どう考えても永久保存版である。
「おっまえいつもそういうけどさ、別に男が着ぐるみなんてきたってかわいくないって。変な格好だったと思うぜー? まあどんな格好だってオレは頼りになるかっこいいボスだっていうならまあわかんなくもないけど」
「はいはい」
 これはいつもいつも父が挿入するお約束のギャグである。最初聞いたときはともかく、いまは大しておもしろくもない。
「ボスを継いでしばらくして頃でさ、その格好すんのも久しぶりで」
「うん」
 じゃあ、今日の話は狼を追いかけたり追いかけられたり、羊追いの大きな犬と仲良くなったりする話だ。雲雀が一番好きなバージョンである。
「暢気に草を羊たちが食ってるのみてたらさ、なんかだんだん眠くなってきちまって。そのころはほんとに忙しくて、あんま寝てなかったし」
「うん」
「で、ついうとうととして………で、はっと気づいたら後ろの方でぐるるるるるるってな、低―いこわーい雷みてぇな唸り声が…」
 怪談でも話してるみたいな口調で、ディーノがうらめしやなのか狼が構えてるポーズなのか、みたいな手の形を作ってみせる。うっわあなにそれ今すぐ咬み殺したい。
「狼だね! 咬み殺したの?」
「もう、なーんだよ知ってんだろ。オレはきゃあって叫んでぴょんと飛び上がってさ、もうすっげーびっくりして」
「ふふふ」
「そしたら狼もたぶんびっくりしたんだろうな。きゃんって鳴いて飛び上がって………」
 目をまんまるにして飛び上がっている父と狼の様子を想像して、思わず笑みを漏らした。自分があと十………いや五年でもいいから早く生まれてきていて、一緒に戦えたらよかったのに。きっと楽しかったろう。目を閉じて、一緒に狼を追いかけるさまを思い浮かべる。もちろん、雲雀は羊の格好なんて似合うはずもないしするつもりはないけど。ああやっぱり、しっぽとかもはえていたのだろうか。気ぐるみの詳細な全容はいまだ不明で、というのも父が恥ずかしがって詳しく説明してくれないのだけれども、雲雀からしたら興味津々である。狼だって見間違うくらい本物っぽくて、かわいくてふわふわで今すぐ咬み殺したくなるくらいの羊っぷりだったのだろう。ああまったくほんと赤ん坊って気が効かない。



















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