「あーもうおしまい! そろそろ終わりにしようぜ恭弥ぁ」
 大声で弟子に向けて宣言する。てか懇願する。
 秋口の太陽は、そろそろ地平線という名のベッドに潜り込んでブオナノッテってのたまいたい気まんまんで、オレとしてもその欲求は全く理解できないものではない。疲れた。マジで疲れた。もちろん我が弟子はまだまだ子どもで、手合わせといっても負けてやるつもりなぞとんとないわけだが、そうはいっても長時間身体を動かして疲労を全く感じない程、オレは人間離れしてはいない。マフィアではあるがまだまだ人類のつもりでいる。だが人間というよりはまるで妖精のような見た目をした弟子は、もうすでに息も荒く、滴り落ちる汗も西日を受けて輝いてまるで天使のようだというのに、何度手合わせの中断を申し込んでもまだまだといってオレの隙を窺うべくきらきらとした瞳でこちらをみつめることに夢中で、必死の嘆願を受理しようという素振りすらない。
「まだだよ」
 そうくると思ったぜ、と突っ込んでやりたいのをなんとか我慢する。素直というか正直というか、反応のわかりやすい子ではあるが、そこを指摘されるのはお気に召さないらしい。ぷくぷくに膨らんだ頬をつついたりなぞしてしまったら、さあ夜通し戦いましょう、なんてことをいいださないとも限らないのだ。
「まだじゃねぇよ。ほらもう暗くなるだろ? 暗いとこでの戦い方を勉強するのはまた今度、な?」
「今じゃなかったら次もないよ」
「そんなことねぇって。オレは恭弥の先生。一生先生。な?」
 いってやりながらあまりの嘘臭さに笑いだしそうになる。この前途洋々たる子どもに危険な未来を提示しているのは間違いなく自分なのだ。しかもそんな運命なぞ、このいたいけな子どもはまだ知らない。好きあらば危険に突っ込んでいくであろう性格であることはこの際問題にならないだろう。だがあらゆる可能性が未来にはある。もしかしたら雲雀恭弥が雲雀恭弥で、なおかつ平穏で安寧なる生き方が存在する世界もあるかもしれない。
「なら咬み殺されなよ」
 ないかもしれない。
「………………いやおま………先生咬み殺すなよ」
「咬み殺すよ」
「うん咬み殺せるなら咬み………うんオレが悪かった。もう夜だからな」
「教師なんて一度咬み殺せばおとなしく風紀のために働くものだよ」
「へぇ………そうか」
 初耳である。オレはつい幼少時から世話になった、赤ん坊姿の最終破壊兵器に思いをはせた。あのように恐ろしい家庭教師をオレは今までの人生一人しか知らないし、このかわいらしい子どもが自信満々で提案する攻略法が有効であるとはとても思えない。というかあの恩師を咬み殺せるとはとても思えない。だが戦い方の一つも知らない普通の教師にはききめがあるのかもしれない。オレは思わず陰でデモーニオと呼ばれていた、十かそこらの頃担任だった、何か違反をすれば柳の枝でお熱い奴を数回プレゼントって感じの教師を連想した。あああいつを咬み殺せるならどんなに………いやだめだ。復讐は復讐しか生まないのだ。
「ねぇ、だからやろうよ」
「ああ………ってだめだだめだ」
 いくらかわいらしい御誘いだからって騙されてはいけない。この子どもがいっているのは咬み殺して風紀のために働かせるぞ、ということなのだ。
「なんでさ」
 だが見れば弟子は目をまんまるくして、さっぱりまったく訳がわかりません、という表情を浮かべている。こっちが何でだと聞きたい。出会ってからこの方ずっと不安だったが、おまえちゃんと人の話聞いてるか恭弥。
「いやだから説明したろ。もう遅くなったし」
「あなただって本当は戦いたいはずだよ」
 なんだってそんな誤解を。
 いや嘘じゃない。もし戦えば戦うだけこの子どもが強くなるというなら、オレはいくらだって戦ってやったろう。残された時間は長くない。だが実際は休息も幼い子どもには欠かせないもので、無理をすればいいってものではない。
「恭弥…オレだっておまえを鍛えてやりたくないわけじゃないんだぜ、でもな」
「でもなに」
 オレは言葉に困った。目の前には期待で目をきらきらさせた子どもがいて、だがその子は人の話を聞きやしない。無理やりにでもホテルに連れ込んで、ベッドに放りこむべきか? 考えてオレは溜息をついた。多分これが最短で、この子どもを休ませる方策だろう。だがオレはそんなことしたくはないのだ。
「でもはでもだ」
 口に出してすぐ後悔した。こんな頭ごなしに接していい筈がない。
 オレの師匠は基本的に多くを語らない人で、幼いオレは羊の気ぐるみを着せられてオオカミの群れに放りこまれたり、ハイエナの群れに放りこまれたり、ピラニアの池に放りこまれたり、ついでにマフィアの群れに放りこまれたりなぞした。人間はいいどんな屑だって話はできる………っていやいやそうじゃなく。

 正直子どもの頃はそんな乱暴な師匠のやりように不平やら不信感やらを抱かないでもなかった。だがボスになって数年たつと、彼が教えてくれたことがどれだけ重要なものだったか、理解できるようになっていった。ほら、映画でもあっただろう。師匠に上着を脱いだりとか着たりとか車にワックスを塗ったりだとか延々やらされて納得がいかないでいる子どもが、敵に相対して初めてそれがどれだけ重要なものかわかる、みたいな。我が師匠はジャッキー・チェンよりかぎりなくチャッキーに似ていたが、オレにしてくれたことは同じだ。へなちょこな子どもを一人前にしてくれた。強くなることでオレは恐怖心に打ち勝つことができた。だから彼には感謝している。心から感謝しているのだけれども、まだまだ幼いオレの弟子、天使のような子どもを前にして、オレは同じことをするつもりは全くなかった。だってオオカミに咬まれるとすっげー痛い。それにあの頃の恐怖とか不信感とか心もとなさを思い出すだけで、とてもこの子どもに与えられる試練ではないと断じるには充分だった。あの頃のオレはとても償いきれないような罪を犯していてファミリーのためにどんな代償も払う覚悟はできていたけれども、この子どもには何の罪もないのだ。オレが、マフィアの世界が巻き込んだだけ。
「ねぇ」
「だーめ。いいこだから聞けよ、きょうや」
 ムスっとした顔のままそっぽを向いてみせた子は、たぶん、っていうかどう考えたって素直に話を聞きやしない。それでもオレは覚悟を決めた。この子がわかってくれるまで、何度だって説明してやる。







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