武器と弱点


「かわいい子だと思うぜ、胸でかいし。ああ、うん、胸でかいしさ」
 はあっと大きくボスが溜め息をついた。ああもうこれは仕事になんねぇな、とロマーリオは手近にある書類をまとめた。時に諦めずに戦うことも重要だが、それと同じくらい潔く諦めて別の手段を講ずることも重要なのだ。というか、今の上司の様子を鑑みるに、どう頑張っても今以上能率が上がるとは思えない。さっさと気分転換に某中学の応接室に向かってくれれば話は早いのだが、先ほどから小一時間ほどこうやってうだうだしている。
「まあそうだな」
「うん、でかいんだよな。かわいいと思うぜ。でもさ………」
 すでにぐしゃぐしゃになった書類に視線をやると、溜め息をもう一回。溜め息をつきたいのはこっちである。
「でも、なんだ」
「いや。かわいいと思うぜ。胸でかいし、さ。うん、でかいし」
「そうだな」
 マフィアのボスというよりは傷の入ったレコードのようになった上司を、怒鳴りつけずにいられるとは我ながら寛容になったものだ。
 だいたい寛容さというものは、ある程度の人生経験や、挫折や不遇を経験してはじめて獲得できるものだというのが、裏社会で長らく生きてきた男としての結論である。勿論いい年して頑迷な親父など珍しくもないが、それはそれとして、様々な経験を経て、人と接して、はじめて対立する意見の中にある一分の理を理解できるようになるのだ。まだ年若い頃は、いくら頭がよくても潔癖だったり融通が利かなかったりするものだ。キャバッローネの最も若年の幹部からしてそうで、いやあれはちょっとかなり度がすぎるのかもしれないけれども。
 そんなわけで、件の女性も、明らかに隠し撮りであります、といった風情の写真では酷く大人びて見えるけれども潔癖な一面を隠し持っていても不思議ではないのだ。まだ中学生なのだから。顔も知らぬ男に身体の一部分を過剰に評価され褒揚されていると知ったら、さぞや憤激するに違いない。訴えられても文句はいえない………いやまかり間違ってもマフィアのボスであるので、軽微な罪で訴えるのはご勘弁願いたいのだが。
「さっさと坊主に何があったのか聞いてみりゃいいじゃねぇか」
「なにかなんてあるわけねーだろ! ロマーリオ!!」
 めんどくさい。
「あいつほどまっすぐな奴はいないぜ。浮気とかするような奴じゃねぇ」
「じゃあいいじゃねぇか」
「………でも本気になるかもしれないだろ」
「ボス」
「いやだって、あいつだって年頃の男の子なんだぜ? 近くにあんなかわいい子が! 胸でかいし」
 ぐしゃり、ともう一度書類に冷徹な攻撃が加えられた。いやそれは、仕事には直接関係のあるものではないのだ。問題ない。
 同盟ファミリーの継承式だというので、キャバッローネでもボスに幹部、上の方の人間がまとめて渡日することになった。それなりに仕事は整理して残った連中に任せてきたが、それでも色々と面倒な諸事があるもので、ホテルに着き荷解きをするなり本国との連絡や確認に追われた。ボスとしたらさっさと並盛中学に向かいたかったはずで、まあ気の毒な話ではある。そんな中、一組の書類が届いた。長いこと懇意にしている私立探偵に頼んだ、身上調査書。くだんのファミリーの、もうすぐボスになる少年が通う中学に最近転校してきた子どもたち、中でもリーダー的存在の少女が怪しいと元家庭教師から聞きつけて、ボスがすぐに依頼したものである。
 長く仕事を頼んでいる私立探偵は腕がよく、そしてこの世界にもそれなりに通じている。少女の属するファミリーは弱小もいいところで、まさかキャバッローネのボスが相手にするはずはないと考えたらしい。幼いが、隠し撮りの写真でもはっきりとわかる美貌である。あとボスの表現によるところであると「胸がでかいし」。そんなわけでキャバッローネのボスがこの少女を見初めたのだと勘違いされたようだ。身上書では、少女は美人で真面目で肝も据わっていて、マフィアの人間と一緒になるのにこれほどふさわしい人はいないと、さんざっぱら称えられている。そしてボスが海より深くへこんでいると、まあこういうわけだ。
「オレよりふさわしいとか、ねぇと思うけど」
 なんだそのポジティブ。
 少女は戦闘も巧みで、学校の屋上でトンファーを持つ暴徒と対峙した際、敵のシャツのボタンを飛ばして撃退しようとしたらしい。
「でもかわいいし。胸でかいしさ。そんなシャツ千切られて襲われたりしたら、その気になっちまうかもしれないだろ。胸でかいし」
 ボスは沈痛な溜め息をついた。いや、どう考えても咬み殺す気にしかならなそうな暴徒である。
「何話してるの、さっきから」
 振り返ると暴徒がいた。じゃなかった、雲雀恭弥がいた。いつのまに。
「恭弥! どうしたんだよ学校は?」
「あなたがなんとか式で来てるって赤ん坊に聞いた。それよりなんなの」
「どうした? ああかわいい顔見せてくれよ」
「さわらないで」
 躍るような足取りで近づいていったボスを恋人はトンファーで威嚇した。
「なんだよ、恭弥まさか………浮気」
「したの? 信じられない」
「いやおまえ」
「さっきからなんなの。風紀を乱す話ばかり。………でかいとか」
「いやそれは、そんなわけねーだろ。オレはおまえだけだぜ」
 疑われているにもかかわらずボスはとんでもなく嬉しげな声を出した。
「嘘ばっかり。かわいいんだろ」
 そして拗ねたような声をだす雲雀恭弥はすでに絆されかけている。簡単である。だがそのあとのボスの発言は、ラテンの血が流れるロマーリオにとっても、それはねぇよ、と思わせるものだった。
「なんだそれ? 女の子は皆かわいいもんだろ………っでっっ!! なにすんだ!恭弥!!」
 よく殺されなかったな、とロマーリオは思った。ホテルにわざわざ向こうから来るとか、最近の雲雀はどうもボスに甘い。いや、そうでもないか今にも殺しそうな目をしている。
「だったら女子を追いかけてればいいだろ!!」
「なんでわざわざ」
「………だから、かわいいんだろ」
「そりゃ、だから女の子は皆かわいいもんだろ?」
 雲雀はさっきまで怒りを湛えていた目をぱちくりさせると、「イタリア人って………」と小さな声で漏らした。これは例外だと、ロマーリオとしては反論したいところだ。いくらなんでももうちょっとは心のこもった賛辞を述べはする。
「恭弥みたいにかわいい子なんているわけねーけどな」
「………僕が女子にみえるとでも」
「なんでだよ。どっからどうみても男の子だろ」
「ふうん………仕方のない人だね」
 なんでだかはさっぱりわからないが、どうやら納得していただけたらしい。雲雀恭弥はやっと武器を収めて、だがボスの方は大人気なく未だ納得していないらしかった。
「恭弥こそどうなんだよ。したんだろ、胸のでかい子と! 戦闘!!」
「胸のでかい、子?」
「なんだよ、忘れたとはいわせねーぞ。なんてったてきゅ………! いやなんでもねえ」
「どしたの? 舌咬んだ?」
 賢明にもボスが口にしなかったその数値は、非常に驚嘆に値するものだった。なんといっても、マフィアのボスが結婚を視野に入れて女性の身上を調査していると、まあそう誤解されていたらしいので、明らかに不必要な、だが素晴らしい三つの数値が書類にはしっかりと記載されていたのだ。それを読んでもボスは忌々しげに舌打ちをしただけだったのだが………きちんと記憶はしていたらしい。
「恭弥。知ってんだぞ。屋上で」
「………ああ、そうか。そういえば大きかったね」
「なんだよ誤魔化すなよ。気づかないわけねーだろ」
「何いってるの。僕だって女子相手にわざわざ弱点を攻撃したりしないよ。いくらなんでも」
「弱点?」
 ぽかんとボスは口をあけた。こちらも一緒だ。わけがわからない。
「あんな重そうなの二つくっつけて戦うなんて弱点もいいとこだろ。それでも臆しないのは敵ながら認めるところだけど」
「おまえ戦いはそんな甘いもんじゃ………いや、うん、そうだな。勿論仁義は必要だな」
 簡単に意見を撤回したボスの判断は間違ってはいない。男女雇用均等というわけにはとてもいかなくとも、こんな裏社会で生きようとする物好きな女性は少なくないのだ。いつ、望まずとも戦う、そんな場面にならないとも限らない。ボンゴレの守護者が胸部を執拗に攻撃するだとか、そんな噂が広まったら威信に関わる。
 だが弱点。あれを弱点とは。いや確かに一面ではそうなのかもしれないが、それ以上に大きな武器であるのだ。そんなこともわからないとは、全くこんな子ども相手にボスは無駄に気を揉んだものだ。
「あたりまえだろ。あなたのアレだって僕は攻撃してないじゃない」
「え? いやおまえ、ええ?」
 同じ弱点を抱えているであろう少年は胸を張っていう。棚に上げるのもいいところだ。いやキャバッローネのボスのアレはキャバッローネのボスのアレであるので、というのが理由になるのかは知らないがそんなわけで、幼い頃から知っている身からしても多少規格外というかなんというか。まあ端的にいえば的がでかい、攻撃しやすい、といえるのかもしれない。
「仁義だよね」
「いやあのなあ。弱点とかいうなよ、大事なもんだろー」
「どこが」
「どっからみてもそうだろ。恭弥にも大事にして欲しいな。な?」
「………そんなの」
「してくれる?」
「ボス」
「うわ!! へ! いたのかロマーリオ」
「最初からな。他の書類はこちらで確認しておく。ボスは継承式までに恭弥に教えておきたいことも多いだろうからな」
「へ? ああ、そうだな! 頼んだぜロマーリオ」
 あの状況下で、臆せずに戦おうとしている上司を部屋において外に出る。他にどうしろというのだ。
 キャバッローネのボスの弱点が、雲雀恭弥にとってなおかつ武器たりえるか、それについては詳細を知りたいとは思えない。長らくこの稼業で様々な経験を積んできたつもりだったが、それでもまだとても寛容にはなれない部分はあるものだ。せめて人のいないところでやって欲しいものだと考えながら、ロマーリオは仕事を進めるべく他の幹部たちがいる部屋に向かった。











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