「恭弥! ひさしぶり! 会いたかったぜー」
 騒がしい音とともにドアが開いて、途端飛び込んできたマフィアのボスに苦笑する。躾は重要。ノックをしろなんて説教、何度してやったか覚えていない程だけれども、生憎ながらこの能天気な馬よりは自分の方が覚えがいい。こんな騒々しく応接室に入ってくる人は他にいないなんてこと、もうとっくに理解してしまった。
「遅いよ」
 だがこちらの不満は不満として表明するべきだ。勘違いをさせてはいけない。約束の時間よりもだいぶ遅れていることを指摘してやる。それなりにやることもあり、無為にこの男のことを待っていたわけではないけれども、咬み殺したい気持ちを増幅させるには充分な時間だ。
「そういうと思ったぜ」
「なにそれ」
「不満なら空港だかパイロットだかにいってくれ。予定通りならとっくについてる筈だったんだからな。なんか雲が多くてすげー遅れて………ああもしかしたらオレがおまえのことばっか考えちまったせいかもしれねぇ。そんでこうむくむくと増殖?」
「何馬鹿いってるの」
「うん馬鹿なのはオレだからな。本気で成田の人とか機長さんとか咬み殺しちゃだめだぞ」
「じゃあやろうよ」
「なにがじゃあなんだよ…。やりませんー」
「なんでさ」
「いやなんでってか…流石に疲れたし、明日な」
「ふうん」
 ということは、本当に空港からここまで直行してきたのだ。考えると少し愉快になった。群れてばかりの人のことだから、またぐるぐると挨拶回りなぞしてそれからここに来たのだとばかり思っていたのだ。確かにソファにどっかり座って脚を投げ出してみせているマフィアのボスは疲れた様子で、それはあんな群れた乗り物で海を越えてくれば当然のことである。そこについては同情しないでもない。ヘリコプターか何かで来ればいいのに。
「なんかメシ食いにいこうぜ。腹減った」
「しかたないね」
「何食いたい? 寿司? ハンバーグ?」
「…ハンバーグ」
「そうくると思ったぜ。いつもの店予約してるからなー」
「なにそれ」
「ん? 腹減った? チョコならあるぞ」
「そうじゃない」
 確かにおなかはすいてるけどそうじゃない。その妙に先回りした、僕のことは何でもわかってるとでもいいたげな、ムカつく態度は何だといいたいのだ。ちょっと強いからって師匠面して。
 
だが思い返せばこの男は出会った頃からこんな感じで、修行をしながら旅をしていた頃から、ねぇといえばミネラルウォーターが出て、それはやだといえばタオルで汗を拭かれて、ムカつくといえばあーあーいいこだからおとなしくしてろ風呂も沸いてるしハンバーグももうすぐできるからって………ハンバーグ?
「あなたなんでそんな僕にハンバーグを食べさせようとするの」
 明らかにおかしい。今まで深く考えずにいたけれども、どう考えてもおかしくはないだろうか。僕はそうそう食べ物の好き嫌いをいう人間ではないし、家での食事は和食一辺倒で、ハンバーグなんて以前見周りの時に入った店で出された、あつあつで並盛の小さな旗が立っていて添えられた海老フライまで雄々しく上を向いていた、あの忘れがたき、入学したばかりの頃食べたきりの、あれ一回だけだったのだ。それがこのところ、図々しく師匠面をしてみせる男と会うたびに、食べている気がする。
「ええ? いや別に太らせて食おうとか………てか食おうとか考えてねぇよ?」
「ハンバーグを?」
 あんなにおいしいのに。
「え? いやうん、ハンバーグは食うけどな?」
「ならいいよ」
 先回りしてくる言動が腹立たしいだけで、というかもう頭はすっかりハンバーグである。今さら他のメニューは受け入れられない。
「おう。なんだ恭弥ハンバーグ飽きたのか?」
「違う」
「うん、そうだよなー。恭弥って戦ったあとは寿司とか食いたがるけど、戦う前は基本ハンバーグってかんじだもんな」
「なにそれ」
 確かにいわれてみれば、この先生ぶった男と戦うとなると、我ながら限界ぎりぎりまで打ち込んでしまうのが常で、さあおひらきとなった頃合いには空腹を通りこしてもう食欲がない、なんてことになるのも珍しくない。だが身体の方は大量に消費したカロリーを要求しているのか、さっぱりとした寿司なら、無理だと思っていても結構な量を腹に収められてしまう。逆に戦う前となるとどうにもハンバーグをというか肉を………これはあれだろうか、スタミナをつけておこうとかそういう。実際この男に比べれば、スタミナというか持久力が欠けているという事実は自分だとて理解していることで、だがこの男のおごりで、同じメニューを食べて、無意識の対策だとしたらどうにも詰めが甘くはないだろうか。いやだからといって、僕は正々堂々と本気で戦って勝ちたいのであって、二三日絶食させたディーノと戦って勝ちたいわけではない。
「ハンバーグを食ってる恭弥はかわいいもんなー」
「だからなにそれ」
「まあ自分でもなにそれと思わなくもないっていうか。いやでも好きな子が好きなもの食べて幸せそうにしてたらかわいくって嬉しいってのは普通じゃね?」
「僕は好きな時に好きなものを食べるよ」
「ああまあ………てかスルーですか恭弥」
 あたりまえである。好きだとかかわいいだとかこの男はことあるごとにいってくるので、正直出会ったばかりの頃は不覚にも狼狽えたりもしたものだ。だが今さらいちいち反応したりなぞするものか。ことあるごとに師匠面をしたがる、腹立たしい人である。おめでたいこの人にとっては自分は単なる弟子で、弟子であるのだからかわいいのも大事なのもあたりまえだ。実際、並中の教師たちも、だれか在籍するかわいい生徒が危険に晒されれば、その命を賭してでも戦うに違いない。教師であるのならばごくごく当然のことである。
「なんで僕がすることわかってるみたいな顔するのっていってる」
「んー? いやだってなあ」
「なあってなに」
「わかるんだもん」
「もんとか」
「やっぱほら………いわせんなよ」
「いいなよ」
 もじもじもじとマフィアのボスは人差指と人差指を擦り合わせてみせた。ムカつく。でかい図体をしてかわいいところがまたムカつく。ああ咬み殺そうかな、と思わず独りごちそうになる。
「だからほら………それはおまえのことが好きだからってあっぶねぇ!!」
 うん、そうしよう。
「おとなしくしてなよ」
「いやおまえ流石にふるならふるでもうちょい穏便に」
「ふる?」
 思わず掴んでいるトンファーを眺める。手錠の方がいいのだろうか。振り子のように回すに適した武器だ。
「わかってねーの? てか今さら何で怒ってんだよ、いつもいってんじゃん相手されてねーけど!」
「そんなことない」
 腹立たしいことは間違いないが、それでもこの男との手合わせから学ぶものが多いことは自覚している。武器の使い方に間合いの取り方。怒りにまかせてアドバイスをすべて聞き流す程愚かではない。
「そっかぁ? じゃあなんで怒ってんだよ、ふくれっつらして」
 うり、と頬を突かれて、まったく千回咬み殺されてって文句はいえない所業である。
「だから」
「うん」
「………師匠面するなって、いってる」
 自分でも情けない声音になった。ぽんぽんと背中まで叩かれて、たぶんこの人にはなにをいったって無駄なのだ。それともいつか、一撃で咬み殺せるほど強くなったら、彼はこんな態度をとらないようになるだろうか。
「いやそんなこといったって先生だし………でもこれ以上ないって程、師匠面してねぇと思うけどなぁ………今のオレ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃねぇよ」
「あなたのいうことは嘘ばかりだよ」
「そんなこと………何で思うんだ恭弥?」
 オレなんかした? とかきいてくるマフィアのボスはまるで捨てられた子犬みたいで、かわいいから始末に負えない。騙されない。
「知らないよ」
「知らねーってことないだろ。先生だからとかじゃねぇよ。何度もいわせんなよ。オレは恭弥がかわいいし、大好きだから、恭弥が何考えているかなんとなくわかる。それだけだって」
「嘘だよ」
「おまえなあ。嫌なら嫌でしかたねーけど人の気持ちを否定するようなこと」
 往生際の悪いマフィアのボスがぐだぐだいっている。だがそんなものは嘘である。いくらこっちが子どもだからといっていい加減なことをいうとは何ごとか。怒りに駆られて、僕は思わずその顎にトンファーを押し当てた。
「って、おま!」
「嘘だよ」
「嘘じゃねぇよ」
「嘘だよ。だって僕あなたが何考えてるかさっぱりわからない………どうしたの変な顔して」
 いつもはかわいいのに、と指摘してやる前にぎゅうぎゅうと抱きしめられた。ああ本当に、この人が何を考えているのかさっぱりわからない。








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