標的235妄想



 ノックをする前にドアが開き、敬愛するボスが顔を覗かせた。人差し指を口唇にあて小さく頷く。
「今さっき寝たとこだ。ずいぶんぐっすりだけど一応な」
 成程。闘うだけ闘って、満足してそのまま眠ってしまったらしい。まるで子どもだ。いや、今は確かに子どもなのだった。そう考えてロマーリオは苦笑した。
 未来の世界に飛ばされたというのに、随分とまあ肝が据わっている。驚きといえばそうだが、らしいといえばらしい。だから安堵したのは過去であろうと今であろうと雲雀恭弥は雲雀恭弥であるというわかりきった事実故ではなく、それを告げた男の表情によってだった。
 ボンゴレの守護者が過去のそれと入れ替わる。そのことは随分と前から計画されていたことだった。たかが指輪のためにといえる状況ではないことは重々承知しているが、まだ若い守護者、その強さはここ数年の間、緊迫していく戦いを通して手にしてきたもので、引き換えに指輪を得たところではたしてミルフィオーレに勝つことが出来るのかどうか。勝算は五分、いやそれ以下かも知れない。肉体的な強さ、そして経験。だがそれだけではなく、その指輪に灯すはずの覚悟すら、修羅場を潜り抜けていく中で獲得してきたのだ。それは、幼い頃から破格の強さを誇った雲雀恭弥ですら例外ではない筈だ。
 入れ替わるその日が近づくにつれ、ディーノは目に見えて苛立ち、そして焦っていた。だが今は大分落ち着いているように見える。少なくとも落ち着いているように振舞うことが出来るまでには、余裕があるように見える。
 現実は変わらない。いやむしろ悪くなったように思える。共に十年の年月を歩み、力を得た雲雀は機械の中だ。そして目前に迫った戦い。だが、今の姿であろうと過去のそれであろうと、雲雀恭弥という存在だけが彼の心に癒しと平安が与えられるのかもしれなかった。
「どうした? ロマ」
「あー……いや。明日のスケジュールの確認だ。そろそろボンゴレにも顔出さなくちゃまずいだろ」
「そうだな。家庭教師だもんな……。あーやっぱさ、こういうのってちゃんと平等にみんな扱ってやんなくちゃ駄目だよな」
 無茶だろ、という突っ込みはよしておく。猫に文字を教えるくらい無理だとは思ったが口にはしないでおく。
「あんたの役目は統括的なもんだろ。別に気にする必要はねぇと思うが」
「そうだけどよ。前会った時恭弥に釘刺されたんだよ。並盛では依怙贔屓をする教師は問答無用で咬み殺してたって」
「ほう。意外だな」
 風紀が乱れる。重々しく、且つやっと見つけた玩具に嬉々とした様子で宣言する姿が嫌でも思い浮かんだ。だが闘う機会は死んでも逃さなそうな子どもだ。今も昔も。
「そうか? まあ今回ばかりはあいつもな。全体的な戦力の底上げが必要なのはわかってるだろ。恭弥ばかり強くてもどうにもならねぇ」
「ああまあなあ」
 変わらない、とはいわない。実際一回り以上小柄な姿に随分とびっくりしたのだ。だが我が上司が求めてやまないものを、彼は身の内にたたえている。
「……って過去の自分だから理性的に考えられたのかも知れねえ」
「ああ」
「まあ教師も一個の人間だからな。やる気があって風紀を守る生徒を育ててやりたくなるのは仕方ないことだけどね、っていってたけど」
「……」
「かっわいーよなー」
 やる気のある生徒の授業風景を思い出してげんなりした。ああ、とんでもなくある。ついでに風紀は死んでも守るだろう。ていうかあいつが風紀だ。
「…………で、どうすんだ。理性的なボスは」
 ボンゴレの守護者のメンバーに、積極的に教師の愛顧を得たいなんて考えるようなかわいらしいタイプはさっぱり見当たらないわけだが、指摘はしないでおく。今は平時ではなく、戦いに慣れたわけでもない中学生がどんな反応を示すか、わかったものではない。
「がんばる」
「……そうか。がんばるのか」
「わかってんだよ。重要なのは勝つことだ。わかってる」
 例えどれほどの傷を負っても。ボンゴレとキャバッローネは生き永らえ、彼の恋人は戻ってくる。重要なのは雲雀恭弥の、ではなくボンゴレの勝利だ。そして生き残ること。わかっているから頷いた。彼がどれほど苦しむのか知りつつも頷いて見せた。
「明日の朝一でボンゴレには顔を出す。二日酔いになってんなよ? ロマ」
「いい年してそうそう無茶な飲み方をするつもりはないぜ、ボス。大体この状況で酒なんぞ飲むかよ」
「草壁とこっちで会うのも久しぶりだろ。楽しんで来いよ」
 久しぶりに見た柔らかい笑み。それに良く似た、だが取り繕ったような笑みをここ最近どれほど見たことだろう。大きく息をついてロマーリオは頷いた。
「じゃあ甘えてみるか。なんかあったらすぐ連絡するんだぞ。……あと無茶すんな、ボス」
「無茶?」
「相手はまだ子どもだぞ」
「……いやどれだけ信用ないんだよ、オレ」


 ひらひらと手を振って優秀な部下が姿を消すのをディーノは見送った。何だかんだいって、親子ほども歳の離れた友人との交流を楽しみにしていたのだろう。見た目的には十も離れているようには見えないがそういう問題ではない。
 部屋のドアを開け、溜め息をついた。すうすうと寝息を立てて能天気に寝ている子ども。無茶どころか、手など出せるはずもない。だがもう少し、警戒してくれたってよさそうなものだ。あまりの幼さに罪悪感のほうが先にたつ。十年の月日を経た今なら多少の平静でいられるはずだった。だが彼と一日手合わせして気づいたのは、ここずっと自分が平静でなどいはしないこと、そして雲雀は雲雀であるという、目を逸らしにくい事実だった。
 気づくと頬が緩んでいる。だがこのままずっと眺めてられるほど穏やかな性格もしていない。愛弟子はこのまま朝までぐっすり寝ていることだろう。朝一で闘ってやれないスケジュールは同じであるのだし、このままボンゴレに顔を出すのもいいだろう。思いついてディーノは部屋を後にした。弟弟子はもう寝ているかもしれないが、元家庭教師はまだきっと起きている。近所迷惑だぞなんて、蹴り飛ばされるかもしれないが。考えて苦笑する。別にそれを楽しみにしているわけでもない。だが会いたかった。


 元家庭教師に勢いよく蹴り飛ばされる敬愛するボスにロマーリオは笑みを漏らす。昔に戻ったようだなどというつもりはない。そんな幻想を抱くはずもない二人、そして自分も未来を見ている。どんなに困難な状況であろうともそれは変わらない。
 だから理由としたらごく単純に憂さ晴らしだ。わかりやすく朝から機嫌を損ねた雲の守護者に朝食を与え、ボスはすぐに戻って手合わせをするはずだからといい聞かせ、その後ボンゴレのアジトにとんでいった。一応何人か部下は置いてきてはいるがあの子どもが大人しくしているかどうか。修行があるのだからふらふらと出歩いてくれるなよというと、明らかに眦を尖らせて、だがこっちが本当にいってやりたかったのはその師匠であるマフィアのボスだ。いや何度いってやったか知れない。
「雲雀恭弥はオレとの修行をもう開始させている」
 何とも得意げなトーンの声が聞こえて顔を上げる。あぶない、ボスの大事なペットが床に落ちるところだった。駄目だ、ボス。わかりやすく駄目だ。後方に立っている自分から見ても相当駄目なのだから、これはもう駄目だ。亀ごと頭を抱えたいところだが必死で耐える。もしかしてこのフルネーム呼びが不平等に感じさせないためのデモンストレーションか何かのつもりなのだろうか。
 そういえばボンゴレの人間にばれたのはいつ頃だっただろうか。開き直ったボスと隠すという思考回路が存在しない弟子のことなので、気づけば公然の秘密という雰囲気だった。ちなみにロマーリオが知ったのは忘れもしない十月十五日。過ぎた酒で痛む頭を抑えながら寝汚い上司の布団を剥ぎ取ったら、前日さんざっぱら闘って怪我をしてはぶんむくれていた筈の少年がその横で暢気に眠っていた。打ち解けるまでには相当時間がかかりそうだと、忠実なその部下と酒を酌み交わしつつ愚痴を吐き出しあったのはもうほんの何時間か前のことだ。手が早えよボス!と元凶のみ叩き起こして突っ込んでやったからよく覚えている。
 あいかわらずかわいくねーじゃじゃ馬じゃじゃ馬だけどな、あいかわらず恥ずかしいほど蕩けるような声で上司が続け、ロマーリオは息を漏らした。


「なんかさー、変わんないよねディーノさん」
 修行前にいったん部屋に戻ろうというのだろうか、ボンゴレ数人がこちらに向かって廊下を歩いてくるのを見て、ロマーリオは咄嗟に物陰に身を潜めた。ちなみにボスは元家庭教師と打ち合わせ中である。いつだって派手な上司がいなければこういうのは得意技だ。かなりシンプル極まりない内装だが問題はなかった。
 漏れ聴こえた綱吉の言葉に安心する。とりあえず信用はされているようだ。
「あー……なんかああいう田舎の年寄りっていますよね……」
「同じ話ずっとしてるよね。ちょっと一人になりたいとか思っちゃったよ。そこまで考えてるのかなあ」
「いやそれはないと思いますよ、十代目」
 確かにそれはない。いや、他の人間の修行進度を話してやる気を高めようとか、そんなことは考えたかもしれないが。そういえば多少話はくどかったのかもしれない。こちらはすっかり慣れているので気づかなかったが。
「でもディーノさんはディーノさんなのな。なんか安心したぜ」
「そうだな。なんつーか、あいつは十年前とあんま変わんねーつーか」
「……ヒバリさんのこと好きなんだねー」
 なんか気づいちゃったよと、頷きあいながら三人は去っていった。その姿を見送りながらロマーリオは大きく息を吐く。卵が先か鶏が先か。わからないがとりあえず無事に守護者達が戻った暁には、十年前の世界で二人の関係は公然の秘密だ。まあ問題はないかもしれない。そう過去が変わるわけでもない。だがあの当時、堂々といちゃつく上司の影で、何とか他ファミリーに知られないように気を配っていた自分や部下の苦労を思い出す。反対する気は皆目なかったが、まだ相手はマフィアですらない中学生で、公表するにはリスクが高すぎる。仕事は山のようにあるのにボスが日本に行きたがるたびに大量の護衛を投入して、忙しくて仕方がなかった。
「待たせたな、ロマ。早く帰るぞー」
 振り返ると上機嫌のボスがいた。恭弥がお待ち兼ねだろうからなとやたらにこにこしている。ああ待ってるぞトンファー構えて、といってやりたかったが我慢する。最近そんなのばっかりだ。だがまあ「変わらない」姿を久しぶりに拝めたことにやはり安堵もするのだ。早足で歩き出したディーノが廊下の角を曲がる。転ぶ前に追いつこうとロマーリオは足を速めた。

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