疲れ切った体を引きずって、引きずって、辿りついたは我が自室。そのドアを開け………そしてまた閉めた。
 自室というよりは寝室というのが正しい表現であろうか。ここ最近入室することすら殆どないが、リヴィングルームとしてや、趣味の時間の為に使うべきスペースは一応別にまた確保されている。そのため我が寝室に用意されたスペースはかなりの最低限だ。その割合簡素な部屋の、それでも一応体裁は整えてる格好の調度類の向こう、いつもならば目隠しの役割を担っている筈の天蓋が大きく開かれて、安眠と誘う我がベッドがドアの地点からでもよく見えた。そしてそのベッドの上、ずっとずっと会いたいと思っていた人の黒くて丸い頭が見えたような気がしたのだ。
「いやないって、ないない」
 思わず声に出して自分にいい聞かせてしまう。これはついに頭がおかしくなったか、それとも視力の問題か。そんなにパソコンの画面ばかり見てたら病気になっちゃうよ、とここ数日の朝食のヨーグルトには、いつもコックがどちらが主役かわからないほどたっぷりとブルーベリーソースをかけてくれるのだが、如何にアントシアニンといえどもそうそう早い効果は期待できないであろう。
 おそるおそるドアを開け、そしてまた閉める。かわいい頭がぴょこん、と揺れるのが確かに見えたからだ。いる。やっぱりいる。幻覚などではない。木の葉の落ちる音でも起きるという触れ込みの人である。さっきはつい急いでドアを閉めてしまったから、その音で起きてしまったのだろうか。
 いや起きてしまったも何も。
「おーい……………いるかぁ………ってうあ!」 
 思ったよりもずっと、かなり近くに、澄んだ瞳を見つけて思わず閉めた。全く何をやっているのだろう。これではいつだったか日本で見た、子猫の動画のようだ。動画サイトでたいそう人気だという、子猫がだるまさんころんだ、をしているという映像である。日本の文化に関してはそれなりに詳しくなったつもりだが、それでもその「だるまさんがころんだ」などという遊戯は流石に把握していなかったからその説明から始まって、オレにはただ単に無邪気に飼い主に近寄っていってるだけに見えるその子猫が如何に賢くてかわいいかを聞かされながら、そう、確か十回は繰り返して鑑賞しただろうか。風紀委員長ご本人としたら、まったく、ほとんど、たいして興味はないのだけれども、こういった社会風潮や流行を把握しておくことも、風紀を守るためには必要されるのだそうである。月に一二度渡日できればいい方の、外国籍の人間ですら聞き覚えているような日本の流行歌すら、さっぱりまったくご存じない中学生の言である。ここは多分大人として、騙されておいてやるべきところなのだろう。かわいい秘密の恋人がいうことなのだから。人一倍かわいいものが大好きな癖に、そういうことを表に出すのはよろしくないと考えているらしいのだ。
 ついついそんなことを思い出していると、とうとう子猫は扉の向こうまで辿りついたらしい。うずうず待ち構えている気配がして、だがこの子どもはそも戦いに関しても、他の何事に関しても、五歳の牛の恰好をした幼児すら知っている我慢という一語を知らない。すぐに、だが、ゆっくりと扉が開いて、そしてまた閉じた。何やってるんだか。
「何遊んでるの。早く入りなよ」
 扉がもう一度開いて、むすっと唇を尖らせた顔をのぞかせる。おまえが遊んでたんだろとか、ここはオレの部屋だとかいいたいことはいろいろあったわけだが、まずとりあえず
「びっ………………くりしたー。なんだよ、いつ来たんだよ」
 オレは思わず大きく息を吐いた。心臓がうるさく自己主張しているのが自分でもわかる。まるで誘い込むように開かれたドアに連れられて入り込む。愚かな。壁にリバウンドしてがたんがたんとまだ動いているドアはそうオレを非難しているようだった。
 これが日本の、いつも宿泊する並盛のホテルであったなら、オレだって驚きはしない。ふらっと恭弥が姿を見せるのはそう珍しいことじゃなかった。ひと月ほど前ならば、こんな遅くまで出歩いちゃ駄目だぞなんて師匠らしく一言いってやってルームサービスの何か甘いものかそれともハンバーグでも食わせてやって、それから家まで送ってやったろう。もう少し最近の話なら、いやそれはあまりに短い日々で、しかも日本に滞在していたのはさらに短く、オレは彼と一瞬たりとも離れていたくなくて、学校が終わる頃には迎えに行ってホテルに連れ帰っていたから、そんなシチュエーションはありえなかったけれども、きっと諸手を挙げて歓待して、抱きしめてキスをして、隙あらばそれ以上のこともしようと、そう目論んだ筈だ。未だに夢のように思われるけれども、オレと恭弥は恋人同士になったので。
「さっき」
「………へ? あ、さっき、な。さっき?」
「うん」
「荷物は? あ、恭弥それ着てくれてるんだな。嬉しい。よく似合ってる」
「寒いからね」
 照れたように恭弥がいって、オレは思わず笑った。黒のざっくりしたカーディガンは、いつだったかオレが買ってやったものだ。いつだって寒そうな格好をしているからどうにも気になってしまうのだけれども、流石にこの国で、学ラン姿を貫くわけにはいかないのだろう。
「そっかー………いやびっくりしたぜ」
 先ほども言った通り、これが日本ならばオレも驚きはしない。だが今オレがいるのは住み慣れた我が家、幼いころから生まれ育った家で、勿論イタリアにある。こんなところで恭弥に会えようなどとは思いもよらない。
「そう」
「おお、まさか会えるなんてなー。嬉しいぜ! あ、なんか飲むか? お茶でも………っておまえが来てること、うちの奴らは知ってるのか?」
 リヴィングとして使っている部屋に比べれば手狭だが、それでも一応ソファやテーブルは置かれているスペースにいざなう。成長期の子どもに思う存分食わせてやりたいという願望は滾るほどあるが、オレの部屋の中だけで何とかなるほど、設備が整っているわけではない。思わず聞いて、そして気づいた。うちの連中が、愛弟子がはるばるイタリアまで訪ねてきたと聞いて、オレに知らせもせず黙っている筈はない。
「………………さぁね?」
「おっ………まえ、なあ。なんだよ普通に来いよ、そこは」
 確かに彼は、不本意ではあるが秘密の恋人である。部下たちにも誰にも、その事実を知らせてはいない………この半月ほどの間、その褒め讃うべき事実を隠匿しているのがどれほど動かしがたい苦痛であったことか。
 そう、実際彼にこの胸に渦巻く思いを打ち明けるまでは、些細な事柄で悩みもした。オレはキャバッローネのボスで、そして、世間は同性同士の恋愛にいまだ寛容とはいえない。だがあのとき、積りきった感情を露わにしたときに、このかわいい子がまるでなんでもない、ごく当然の話のように「いいよ」といって、そしてその時、オレの悩みなぞすべてどこかへ行ってしまった。むしろ世界中に、このかわいい子はオレの恋人なのだと触れまわってしまいたい気分にすらさせられたけれども、この慎ましくも風紀に厳しい人が、そのような事柄はみだりに人にいうべきではないというならば、まあその考えをとりあえず今は、尊重してやるべきなのだろう。焦ることはない。猫が可愛いと思うことすら人にいえない、感情を露わにすることを嫌う子どもだ。正直傍から見ていればわかりやすいにもほどがあるほどわかりやすいけれども、そこは本人の意識とは違うのだろう。
「うるさいな。それよりあなた、僕に何かいうことがあるんじゃないの」
「へ? ………来てくれてうれしいぜ?」
 そういえばあまりに驚きすぎて、この喜びを伝えきれずにいたかもしれない。オレはかわいらしいほっぺたにキスをして、真摯に感情を伝えた。しかし我が恋人は眉をしかめて、それでは足りないらしい。
「それはもう聞いた」
「そうだったか? いやでもほんとに嬉しいんだぜ、ほんとに」
「何度もいうと嘘っぽいね」
「何度でもいうって。だって、再来週あたりには仕事の片がつくはずで、そしたら日本に行こうって思ってたからさ、こんなに早く会えるなんて思ってもなかった」
 頬をすり合わせて、それから首筋に顔を埋めた。滑らかな黒髪の感触と香りを思う存分味わって、そしてやっと少し落ち着いた、気がした。いや全く落ち着かない部分があることは遺憾ながら自覚してはいたが、こう、気持ち的に。恭弥だ。ああ恭弥だ。
「久しぶりだ、恭弥」
「………うん」
「会いたかった。………ほんと驚いたぜ、だっておまえがイタリアに来るなんて思ってもいねぇし、まだ学校が………………が、っこう?」
 ほんの数分前まで、オレはこれほど驚くことはこの先一生なかろうと思われるほど驚愕しきっていたのに、今はその比ではないほど驚いている。明日、世界が滅亡でもするのではなかろうか。
 並盛にあるホテルに来るのとはわけが違う。ここはイタリアで、日本からは往復するだけで一日潰れる。春休みはまだ先、確か、そう確か今は二月になったばかりの筈だ。このところ仕事一辺倒で気づけば曜日や日にちの感覚なぞどこかに飛んで行ってしまっているが、たぶん、もう月は変わっている筈だ。月末の決算の書類を昨日か一昨日か先一昨日か、その辺りに確認したような、そんな気がする。
「恭弥、が、が、ががががっこうは、どうした」
 思わず問う声も震える。別に何があっても学生は真面目に勉学に勉るべし、などと考えているわけではない。オレも恭弥の年頃にはマフィアのボスと学生との二足の草鞋が器用に履きこなせず、でっかい取引がある度に学校を大幅に休んだりしていて、きちんと卒業できたのは奇跡だとか成績だけはそれなりの評価を保っていたことだとか、あとはマフィアとしての暗黙の脅しだとか、そんな感じだった。今思えば教師の方々はさぞ心労を感じられておられたことだろう。だが恭弥はそんな不真面目な幼いオレとはそも、学校に対する考え方からして違うのである。
「別に」
「いやが、がががっこうだぜ? 学校!」
「聞こえてる」
「なんかボンゴレでトラブルとか、いやいや、今は大した小競り合いも………」
「そうなの? つまらないね」
「恭弥、正直にいってくれ」
「………」
「おまえこそオレに、何かいいたいことがあるんじゃないのか?」
 何があったのかは知らない。だが確かに何かあって、そして彼は、そこでまずオレに会おうとしてくれたのだ………それだけはわかる。華奢な肩を掴んでその表情を窺おうとし、だが彼は顔をそむけた。その前に一瞬、小さく息をのんだのも、オレは見逃さなかった。何ということだろう。彼のことを、その状況を心配するべきなのはわかっているのに、オレは明らかに今、歓喜に震えていた。彼が、あの彼が、自分を頼ってくれたのだ。
「だから、それは」
「それは?」
「それは………………だから」
「ああ。だから?」
「………………………お」
「ん?」
「お。…………おた、おたん。………………おた」
「え、ちょ。恭弥、どうした?」
「おた、おたん………」
 矢よりも鋭い視線で睨まれて、オレは慌てた。どうしよう何がいいたいのか、さっぱりわからない。
「恭弥?」
「だから!」
「ああ」
「お誕生日おめでとう! って!!」
「………………………え?」
 戦う戦ういっている時だって声を荒げない子どもは、思いきり大声をあげると途端に真っ赤になった。すぐに俯いて、だが耳まで赤く染まっている。かわいいなあ、とそれをぼんやり眺めながら、先ほどいわれた、いや怒鳴りつけられた言葉を反芻した。どうやら、戦いに巻き込まれているわけではないらしい。物騒な状況ではないようでひとまず安心である。だってお誕生日おめでとうと恭弥はいっただけだし、お誕生日………誕生日?
「って、オレ?」
「え?」
「あ、そうか! 今日四日か、そっか。オレ誕生日だ」
 ここ最近忙しくしていたこともあって、さっぱりまったくきっぱり頭から抜け落ちてた。だがいわれてみれば確かに今日は四日だったはずで、オレは一つまた歳をとったわけだ。なるほどと納得して、だが視線をやるとかわいい恋人は明らかに冷え切った表情を浮かべていた。
「あなた、自分の誕生日もおぼえてないの?」
 これが祭日で学校が休みであるから自分の誕生日を把握していると、常々公言している人間のお言葉である。オレは慌てた。いくらなんでもそんな非難を甘んじて受けるべきではない。
「いやいやいやいや! おまえにいわれたくねぇよ!」
「僕はおぼえてるよ」
「いやそれは学校が休みだからなんだろ? てかオレもおぼえてるって!」
「うそつき」
 ふん、と軽蔑しきったかのように恭弥は横を向いた。なんといっても誤解は解かなければ。自分の生年月日もおぼえていないような人間だと思われるのは納得がいかない。
「おぼえてるって。二月四日。忘れるわけねーだろ」
「忘れてたじゃないか」
「いやだからそれは、自分の誕生日を忘れてたわけじゃなくてだな。今日が何日なのか忘れてたっていうか………」
 確かに今日は四日である。だが今日から十日ばかり先の讃え祝うべき日に日本にいたいと、可能な限り仕事を前倒しにして労働に勤しんでいたせいで、さっぱりまったく自分の誕生日なぞ念頭になかった。情けない話ではあるが、この健気な思いを認めてほしい。
「余計おかしいだろ」
「えー………いやそうだけどさ」
 そういわれれば確かにそうだ。いくら今年は無理をして仕事を詰め込んでいたといっても、去年やそれ以前、格段に仕事量が少なかったかといえば、そうでもない。五千人の部下を養うべく果たすべき役割は年々重くなっている。だが効率的に仕事をこなすすべもまた、学びつつあるのだ。
 でもいっておきたいのは、今までオレは誕生日を忘れたことなんてない。毎年ちゃんとその日は自分の生まれた日だってことぐらい把握していて、それというもの当日にもそれ以前にも部下たちがいろいろ祝ってくれたり、飲み会を企画してくれたり、つきあいのあるファミリーとかから花束が届いたりなぞするからで、だが今年は
「帰るよ」
「え!! え! いや待てよ、恭弥!」
 何か大事なことに気づいたような気がした次の瞬間、突然愛しい人がソファから立ち上がってドアの方向に向かって歩き出し、オレは慌てて追いかけた。
「帰る」
「いやなんで、帰んなよ。恭弥」
「どうでもいいことだったみたいなのに、わざわざ押しかけて悪かったね」
「そんなことは…ねぇって」
「嘘ばっかり」
 今にも射殺されそうな視線。思わず伸ばした手を払いのけられて、だが縋るように、もう一度掻き抱いた。嘘かといえばその通り。この歳になって誕生日なぞ、大きな意味を持つ筈もない。かわいい子との歳の差がまた一つ大きくなってしまうというのに、何で祝ったりできよう? でもこんな風に彼がイタリアに来てくれては、喜ばない筈がないではないか。
「恭弥に会えて嬉しい」
「な、にそれ」
「ああ、今更だな。さっきもいったばかりだ。恭弥がイタリアに、うちにいてくれて嬉しい」
「だって………」
 かわいらしくとんがった、唇にキスをする。他の所にも。我ながらよく似合っている黒のカーディガンも白のシャツも今は邪魔だった。がたん、と音を立てて、半開きのドアが自己主張する。その横の壁に恭弥を囲い込んで、唇と舌は重要な任務にあたらせたまま、小さな貝ボタンを一つ一つはずした。
「や………いや、なんで」
「いや、じゃねぇだろ?」
「いや、なんでそんな、はやい………」
 怯えたように恭弥が肩を震わせる。その仕草に煽られた。体を繋げた経験は、そう多いわけではないけれども、最初の時を除いて、いつもこの小悪魔は、どんなに丁寧に優しくかわいがってやろうとしていても、服を脱がせているその先から、焦れたように自分で脱ぎだしてしまう。積極的な恭弥もかわいかったが、純情な様子を見せられて平静でいられる筈もない。
「恭弥、好きだ。おまえがオレの誕生日祝ってくれるなんてな。めちゃくちゃ嬉しいよ」
 は、と恭弥は息をついて、さっきまで細い頤をのけぞらせて快楽に喘いでいたというのに、オレの一言で何故か正気を取り戻したようだった。気にくわない。どうしたって。
「やめて、ここでは………」
「かわいい、恭弥」
 下肢に手を伸ばすとまるで怯えたように身を震わし、再度嫌だといった。いつもならばオレはそこでやめてやったと思う。たとえどんなに彼が欲しくても、お預けを食らうことになんの不満も抱かなかったことだろう。無理をして、彼に嫌われることの方がよほど恐ろしい。だが今は違う。聞き入れられる筈がなかった。だってそうだろう? こんなところまでオレに会いに来てくれた恋人が身体を重ねるのは嫌だという。どうして本気に取れるだろうか。頬を赤く染め、瞳を潤ませ、オレが触れるたび身を震わせる、そんな人のいう「嫌」を。
「だめ………ねぇ、だめ」
「なんで。ほら、きょうや」
 嫌だという癖に、むしろいつもよりも反応がいい程だ。粘ついた音をたてだした下肢にいい気になって、首筋に舌を這わせた。いつもと違うから興奮しているのかもしれない、と思った。いつもの、といっていいのかどうか自信はない程度しか身体を重ねたことはないけれども、それでもそういう時はいつも、並盛の泊りなれたホテルのベッドルームだった。だが今はオレの部屋で、ああ、オレの部屋で。叫び声を上げずに済んだのが自分でも不思議だった。ああなんてかわいい人だろう!
「や。………だって」
「だって?」
 思わず笑みを漏らすと、潤んだ瞳でできる最大限まで睨まれた。肌蹴られたシャツを掴んで、何とかオレの目からその淫らな体を隠そうとする。そんなのは無駄な行いなのだと教えてやりたかった。
「あ、あなたの」
「うん?」
「あなたの………」
「オレの?」
「………部下がみてる!」
「………………………………………へ?」
 ゆるく開いたドアの隙間に視線をやると、大きく眼を見開いた部下たちが十数名、床にへたり込んでいた。何ということだろう。視線が合うと皆一様に、ふるふると首を振る。
「あ! す、すまん!! ボス!!!」
「え? いやおまえら………」
 先頭で座り込んでいる我が右腕は、如何にも素人が仕上げたらしい板看板を手にしていた。どぎつくカラーリングされたそれには、大きなゴシック体で、ドッキリ大成功、と。
「ドッキリ? いやえ、それ………」
 確かに大成功である。驚いた。だがどう見ても部下たちの方が驚いている。
「………ディーノ」
「恭弥! おまなんで…ああ! これ着てろ!!」
 あわてて着ていたパーカーを脱ぎ、押しつける。どう考えたってみだりに人に見せていい格好ではない。
「ん」
「恭弥、これはどういうことだ?」
 くしゃくしゃに握りこんだパーカーを、恭弥は顔を埋めるために使ってしまって、オレは取り合えずその下に着ていたシャツも脱いだ。その如何にも煽情的な身体を隠さなければどうしようもないではないか。
「だから、僕あなたの家も知らないし」
「いや悪い。でも聞いてくれりゃ」
「あなたの部下に聞いたら、誕生日にどっきりを仕掛ける気だ、って。誕生日を祝わないでいて、そこで最後に弟子の僕が現れたら、すごく驚く筈だって………いうから」
「え? 祝わないで………って、あ」
 そうだ。毎年だったらオレはさすがに誕生日を忘れることなんてなくて、というのも部下たちが盛大に祝ってくれるからだ。オレに何をいうことはなくても、パーティーの準備で数日前から慌ただしくしているし、親交のあるファミリーなどから花束が届いたりする。
 だから多分部下たちの目論見としては、誕生日をきっぱり無視してみせれば、オレが焦り、気を揉み、苛立ってみせると、そういうことだったのだろう。そして苛立ちが最高潮に達した日付が変わる直前、かわいがっている弟子が現れる。まるで天使のように。そこで喜んでいるところで、種明かしに部下たちが乱入、パーティーに移行、とまあ、そういう思惑だったに違いない。けばけばしい看板を持った部下の後ろにおはします者たちは、シャンパンの瓶だの豪勢なケーキだの、ブルスケッタが並んだ皿なぞを抱えていて、どうしたって誤解のしようがない。まさか肝心のターゲットが、自分の誕生日のことなど、さっぱりまったくきっぱり潔い程忘れているなんて、そんなオチは予想だにしていなかったのだろう。
「おまえら………」

「ボス、すまなかった。そして……おめでとう」
「へ? ああうん。………いやでもな、悪かった」
 思わず頭を下げる。これで足りるとは思わないが。
「食堂で祝宴の用意をしてある。ささやかだがな。恭弥、おまえさんは」
「いくよ」
「え。いやだって恭弥、おまえ」
「たいしたことない」
 わけがない。この屋敷に詰めている人間だけで、少なくとも「群れ」と定義すべき人数は十分に補っている、はずだ。だが我が部下は驚く様子もなく大きく首を振って、よろしく頼むな、という。そしてぐしゃぐしゃにされたオレのパーカーから顔をあげた恭弥は、恥じらいだとか照れだとか、そういったものがすっかり拭い去られた表情を浮かべていた。薄い微笑みを浮かべて、任せておきなよ、という。オレだけが意味もわからず、肌蹴られたシャツにも構わず立ち上がろうとする仕草に慌てていた。



 日が昇るまで続いたパーティーは、実際本当にオレの誕生パーティーだったのか疑問の残るところだ。オレの名前が書かれたケーキは出て、だがそれを二人して切ることを部下たちに強要された。突然の話についつい赤面してしまったオレを尻目に、恭弥は鷹揚に要求を呑んで、だがケーキに書かれているのはオレの名前であるからして、どうやらイタリアにおける誕生日の風習だと、そう考えたらしい。勿論そんなものはない。
 ところでそのパーティーの後、先ほどの蛮行(というのは恭弥の表現である)において、いつもならボタン一つ外すにもいちいち長い時間をかけるにもかかわらず、ものすごい速さで服を脱がされてひどく驚いた、といわれた。自覚はなかったが、やはりひどくがっついていたのだろう。赤面ものである。早急に名誉挽回を図りたい所存だ。







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