捨て犬&DH



「何あなた、ロマーリオに怒られてホテルを出てきたの?」
 あきれたように恭弥がいう。視線すらこちらに向けてくれないのは、別にオレを見たくもないだとかそういうわけではなく、ただ単にぷくぷくとした頬に鼻をこすりつけている子犬に心を奪われているからだ。ああもう。
「いや違ぇよ」
 こう見えてもマフィアのボスである。ペットを飼うかどうかなど自分で決める。口出しなぞ必要ない。だが降りしきる雨の中、ホテルの駐車場の隅でか細い声で鳴いていた仔犬をどうにも見捨てられずに飼うことを決めたものの、今回の来日は仕事も絡んでいるのでそれなりに長期に渡る予定だ。ホテルは動物厳禁、まだこんなに小さいのにペットホテルに預けるには抵抗がある。ドッグカフェをいくつか回っては見たがどこも込み合っていて、部下達プラス犬を連れて居座るのはどうにも無理そうだった。そうなると犬連れでは入れる場所など限られている。雨はいつ止むかも判らず、確認すらしていない書類が部下の脇に束で抱えられている。こうみえても暇な人間ではない。濡れた体を拭いてやって缶詰を与えてみたら驚くほど元気になった仔犬と共に愛車に押し込まれては、捗るものも捗らない。ペットOKのホテルの手配を頼んで、オレは仕事と犬を抱えて某中学校の応接室に向かった。
「仕方ないね、あなたみたいなへなちょこに犬の面倒を見るなんて無理だよ」
 聖母と見紛うばかりの慈愛の表情を浮かべて恭弥がいう。このやろう。それを向けられている仔犬は、この貴重さがわかっているんだかいないんだか。いやいるのだろう、この部屋に入った途端仔犬は恭弥を上位の人間と認めたらしく、甘えたように付きまとっている。ちくしょう、名前リーゼントとかにしてやろうか? ああうん、けっこうかっこいいなそれ。
「おまえなあ、流石にそれくらい任せとけよ」
「……そうなの?」
 ぎゅうっと仔犬を抱きしめながら恭弥が問う。…………えー。
 動物を連れて中学校に入れば風紀を乱すだとかなんだか散々ごねられると覚悟していたのだが、どうやら違うらしい。大体どうして犬を連れているのかという問いすら、この応接室に入ってから優に三十分は経ってから発せられた。それまでは二人とも……いや一人と一匹とも、友愛を深めるのに夢中だったというわけだ。オレはついついそれを微笑ましく眺めてしまっていて、捗るはずだった仕事は手を付けてさえいない。まあもともと恭弥が仕事をしていなければ遊ぶなり構うなりするつもりだった。ていうかちょっとはオレも構え。
「こんな仔犬を飛行機に乗せるなんてかわいそうだよ」
「いや今度戻るのは結構先だしな」
 動物の成長は早い。あと二箇月もすれば、かなり体もがっしりしてくるはずだ。少なくとも、多少長時間とはいえ、フライトを耐えられるぐらいには。
 そういおうとして、だが止まった。そんな目でオレを見るな。
「……恭弥」
「なに」
「ちゃんと面倒みれるのか?」
「みれる」
「そうか」
 正直名残惜しい。短時間ですっかり情が移ってしまった。だがオレはそれなりの頻度で日本に来ているが、恭弥は少なくともあと四年ぐらいは、つまり高校を卒業するくらいまでは早々気軽にイタリアに来るというわけには行かないだろう。これだけ懐いているのだし、引き離してしまうのもかわいそうだ。
「じゃあおまえに任せるよ」
「ほんと」
「おう。うちで飼えるんだろ?」
「飼えないよ」
「……え?」
「うちでは飼えない」
 清々しいほどきっぱりと、だからなに、という視線を向けてきている。マンション暮らしなのか、それとも家族が動物が駄目だとか。理由は様々思いつくがどれが正しいか答えてもらえないだろうことぐらいは既に学んでいる。一つだけ判るのは、そこに議論の余地はないということだ。
「いやだって……おまえどうする気だよ」
「どうとでもなるよ」
「そりゃそうかもしれないが」
「やる気があればどうとでもなる。なんでも不可能だと諦めるのは馬鹿のすることだよ」
 おまえはどこのナポレオンだと突っ込みたくなるように重々しく、恭弥が宣言する。確かにどうとでもなるだろう。応接室、それとも体育館とか校舎の裏。恭弥ならば飼うことは可能で、他の生徒達も、あの厳つい風紀委員たちですら、きっとこの仔犬をかわいがってくれるに違いないとは思う。でも本当は仔犬には、学校とか縄張りとかじゃなくて、ちゃんとした家が必要なんだ。
「恭弥」
「なに」
「行こう、こいつが住むとこ探さなきゃ」
「やだ。僕はこの子と」
「わかってる。だから必要だろ」
 まあいい。ほんの少し予定が早まっただけだ。高校に上がるまではと思っていたけれど、本音をいえばずっとオレは、この子に与えてやりたいと思っていた。オレの弟子、恋人、雲雀恭弥に。
 雨足は少し弱まったものの、まだまだ降り続いている。恭弥が犬を抱いて、オレが傘を差した。相合傘だ。そういうと盛大に眉を顰めて、だがトンファーを引っ張り出すことはない。引っ張り出せない、ともいうが。仔犬の犬小屋代わりの、恭弥が泊まりたいときはいつでも泊まれるマンションを借りるべく、オレたちは駅前の不動産屋に向かった。オレが日本にいるときは泊めてくれよな。囁くと、仕方がないね、と恭弥は笑った。まったく、わかりやすい人なのだ。
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