白雪姫と七人の草壁(エンディングあたり)



 見回りを終えて帰宅した草壁たちは驚きました。陽が燦燦と入る自慢の小さな台所で白雪姫が倒れているのを見つけたからです。どうしたことでしょうか。小さなテーブルの上には一切れだけ手をつけられたハンバーグの皿が残っていて、まだ湯気が立っておりました。
「委員長! しっかりしてください!」
「なんていうことだろう。お亡くなりになっている」
 雲雀はもう息がなく、嘆き悲しんだ草壁たちはガラスの棺を用意してそこに安置することにしました。暗い土の下に埋めてしまうのは耐えられなかったからです。森の鳥やバリネズミたちも見守りました。
「……う、うん…」
 今が盛りの花を手向けていると、小さな、小さな呻き声が聞こえました。驚いた草壁たちが顔を見合わせているともう一度。ハンバーグに練りこまれていたのは、象をも動けなくするほどの毒だったのですが、雲雀は意地だけで目を覚ましたのでした。
「大丈夫ですか! 委員長、何があったんです」
「……六道骸の仕業だよ。あの男、今すぐ咬み殺す」
 雲雀は起き上がろうとしましたがすぐ体勢を崩しました。力が入りません。それほど強力な毒だったのです。
「委員長、無理です。安静になさってください」
「どいて」
「……いいですか、六道は魔法の鏡を持っています。きっとこっちの様子を窺っていることでしょう。今は死んだ振りを続けて、体調を整えてください。委員長が元気で、世界で一番美しい人でいる限り、きっとまた嫉妬して戦いを挑んでくるに違いありません。そのときに返り討ちにしてやればいいんです」
「……」
 いわれて雲雀は考えました。城には骸に忠実な三人の部下と兵隊達がいます。歩くことも大変な今の状態では確かに無謀といわれても仕方がないかもしれません。雲雀自身は取り立てて自分が美しいなどと感じたことはないのですが、小さな頃から周りの人間は皆、自分のことを世界で一番美しいといいます。多分死んだ母親が神様にお祈りしてくれたのでそうなったのでしょう。肌は雪のように白く、唇は血のように赤く、髪は黒檀のように黒い美しい子どもが生まれるように願ったと聞きます。きっとまたあの魔法の鏡は骸に雲雀が一番美しいと教えるのでしょう。実際あの男よりは余程不愉快ではない顔をしていると自分でも思っていました。
 わかった、と頷くと草壁たちは喜びました。夜になったらさりげなく棺を家の中に運び込むので、それまで死んだ振りを続けることになり、雲雀は目を閉じました。すると、体が弱っていたこともあってすぐに眠りが訪れました。
 さて、隣国であるキャバッローネに一人の王子がおりました。名をディーノといいます。若くハンサムで誰からも好かれる優しい人柄でしたが、困ったことに家来のいないところではたいそうなへなちょこでした。今日も家来たちを引き連れて国境にある森まで遠乗りに出かけたのですが、いつの間にやら彼らとはぐれ道にも迷ってしまいました。苔生す森の土はたいそう滑りやすく、王子は何度も転んで怪我をしましたが何とか森の外に出ることが出来ました。
「ここは……どこだろう。オレの領地じゃねぇよな」
 暗い森から一歩外に出ると花の咲き乱れる草叢が広がっていて、その向こうに小さな、とても小さな丸太小屋が見えました。ひょっとすると帰り道を教えてもらえるかもしれないとディーノは近づいていきました。
「いきなりすまない。聞きてぇことがあるんだが……」
 家の前に動物たちと草壁たちが集まっているのを見て取ったディーノは声をかけましたが、次の瞬間息を呑みました。ガラスの棺に納められているのは、間違いなく世界で一番美しい人でした。そして何てことでしょう、その人はもう死んでいるのです。
「私たちの委員長が亡くなったのでお弔いをしているのです。すみませんがお帰りください」
「……なんて綺麗な人だろう。こんな人がいるなんて」
「この国のお姫様です。肌は雪のように白く、唇は血のように赤く、髪は黒檀のように黒い美しい人になるようにとこの方のお母様がお祈りしたので、この国で一番愛されている美しい人になったのです。でも後妻に入った今の御后様が嫉妬したのでお城から追い出されて亡くなってしまったのです」
 芝居を続ければいけないのに邪魔が入ったと、草壁たちは王子を追い払おうかとも考えたのですが、自慢の委員長を褒められれば悪い気はしません。今までの経緯をすっかり説明してやりました。
「可哀想に。こんな綺麗でかわいい人がそんな目にあったなんて。名前はなんていうんだ?」
「雲雀恭弥様です」
「恭弥。……恭弥、か。ぴったりだ。かわいい名前だな」
 ふ、と雲雀は意識を取り戻しました。元々葉が落ちる音でも目を覚ますほど眠りは浅いのですが、今日は流石に体力が落ちていて、周りで動物達や草壁たちが騒いでいてもうとうとと眠り続けていました。ですがまるで耳を擽るような、やわらかくて甘い声が聞こえたような気がしたのです。いったい誰だろう。とんでもなく気になったものの、計画をぶち壊すわけにはいきません。必死で目を閉じたままでいました。
「なあ、どうか恭弥をオレに譲って欲しい。すっげーかわいい。ずっとオレの傍においておきたいんだ」
「何をいってるんですか! 許すはずがないでしょう!」
「そこを何とか。かわいいなー。さっきまで青白かったのに血の気が戻ってきた気がする。気のせいかな、頬が赤いみたいだ」
「気のせいですよ。亡くなっているんですから。早く帰ってください」
「な、ちょっと棺を開けてみてくれよ。間近でみてぇんだ」
 放っておくといつまでも帰らなそうだったので、渋々草壁は棺を開けました。ディーノは雲雀の髪を梳き、どこか温かい気のする頬を撫でました。とても離れる気になどなれません。美しい黒髪と白い肌。身を包んでいる衣装もこの国独自のものなのでしょうか、肩に掛けられた黒い上着とズボン、そして白いシャツです。ですが一つだけ鮮やかな、草壁に説明されるまでもなく目をひきつけられる血のように赤い色がありました。あっ、と草壁たちがとめようとした時はもう、ディーノの唇は雲雀のそれに重ねられていました。
「……んっ…ふ……んー…」
 ぱちり、と流石に雲雀も目をあけました。目の前にある閉じられた目蓋は金の睫毛で彩られ、額にかかる柔らかく癖のついた髪もまた金でした。キャバッローネの国と並盛の国は昔から国交があったのですが、城の奥深くで育ってきた雲雀はこんな姿の人間を初めて見ました。
 思い切り抗うとようやくディーノは雲雀から体を離して目を丸くしました。瞳の色は髪よりも少し濃くて、琥珀といってもいいような色でした。骸の魔法もたいしたことがないな、と雲雀は思いました。
「恭弥。……きょうや! 生き返ったのか? うわー……愛の力だな」
「……あなた、僕に何したの?」
「何って……キス? ってっ!! いってぇって!」
 そんなことはわかっています。でもそれだけじゃない筈です。先程眠りに着く前と世界はもうまるっきり違って見えました。腑に落ちない顔をしているとちゅ、ともう一度唇が触れていきました。瞬きをするともう一回。これもキスです。ふわふわうずうず落ち着かない気分になって、でもさっきのはまた全然違いました。
「何だ? 恭弥……もっかい? じゃあほら、目閉じろよ」
「やだ」
 雲雀はいつだって自分のやりたいようにやります。でも結局、雲雀は目を閉じました。舌が奥深くに進入してゆるゆると全てを探っていくと、とても目をあけてはいられなくなったからです。ぷは、と何とか体を引き離すとディーノは如何にも愉快そうに笑いました。
「さっきよりもまた赤いなー……ってオレの所為か。瞳も黒檀みてぇに黒いんだな。本当に……世界で一番美しい人なんだな」
「違うよ」
「何いってんだ? あ、あれかー、謙遜ってやつだろ? この国の美徳だとか」
「そんなの知らない。僕よりあなたのほうがずっと綺麗だよ。あなたが世界で一番美しい人だ。骸の鏡なんてガラクタもいいとこだよ」
「……へ?」
 ディーノは驚きました。そりゃ自分の見目が悪くないことは知っています。家来達も国の女達も皆褒めてくれました。全部が全部世辞ということもないでしょう。ですがこんな、心を惹きつけてやまない美しい人を前にして自惚れていられるほど愚かでもないつもりです。
 一方、空気のように忘れ去られた草壁たちはめいめい別の方角を見て心を無にしようと努力を重ねていました。彼らには全てがわかっていたからです。雲雀の母親は子どもが全ての国民に愛される幸せな生涯を送れるようにと祈りました。乱暴で厳格な風紀委員長ではありましたが、雲雀は誰よりも並盛を愛していて、だからこそ誰よりも人々に愛されました。そしてだからこそ彼らにとって美しい人であったのです。雲雀がディーノを誰よりも美しいといい、ディーノにとって雲雀が世界で一番美しい人であるというなら、自分たちがどうして反対することが出来るでしょう。
「恭弥。オレと結婚してくれ。……キャバッローネで一緒に暮らそう」
「うん」
 とはいえこれだけは反対しないわけにはいきません。草壁たちは口々に声をあげました。
「委員長! 六道骸のことはどうするのですか?」
「この国をこのままにしておかれるのですか」
 振り返った雲雀の瞳は静かで、その姿は威厳に満ちていました。彼が口を開く前から草壁たちは自分たちの中に浮かんだ疑いを恥じていました。とはいえその返答は多分に間違った前提の元にたったものでしたが。
「六道骸は嫉妬深い男だ。きっとすぐに自分の間違いに気づいて彼を殺しに来るだろう。彼が世界で一番美しい人なんだから。僕は彼を守らなくちゃいけない。それにもしあの男が馬鹿で、勘違いしたまままた僕を殺しに来たとしても、返り討ちにすればいいだけだよ」
「……恭弥、オレのこと守ってくれんのか?」
「僕の敵だから仕方がないね」
「恭弥の敵はオレの敵だぜ。恭弥を殺しに来たらオレが殺してもいい?」
「あなた人の楽しみを奪うつもり?」
「楽しみなのかよ……交換条件。な?」
「仕方がないね」
 重々しく頷く様子は高度な政治的取引とも見えなくもない、と草壁たちは自分たちを励ましました。
「この国は僕のものだからね。すぐに取り返す。負けるつもりはないけど向こうは兵もいるしね、キャバッローネの軍隊を動かせたほうが都合がいい」
「計算づくかよ!」
「軍を動かしてあなたを守ってあげるといってる。草壁、僕がいない間この国の風紀は任せたよ」
 軍隊など使った群れた戦いなど雲雀恭弥にとって面白いものではありません。そんなことも判らずに文句をいっているディーノは放っておいて、草壁たちは自分たちに任された責任と喜びを噛み締めました。
 何年かのち、並盛国とキャバッローネ国は一つの国になりました。そして二人はずっと幸せに暮らしました。
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