おかいもの


 最悪だ、と我知らず獄寺は舌打ちをした。
 予兆はあったのだ。今思えば。朝の占いはおとめ座はさんざんだったし、朝から風紀委員に服装がどうのと絡まれた。そして朝食の際、皿が割れた。いや、最後の一つは、だからこそこんな店に来ているという理由でもあるのだった。少し深さのある楕円形の白磁で、カレーやパスタをのせるにも、他のおかずをのせるにも非常に使い勝手のいい皿である。
 いつでもお優しい十代目は一人暮らしの自分を気遣ってくださって、夕食に誘ってくださったりする。それはとても嬉しいのだが心苦しい。しかもそれをアレが聞きつけるとアレが大量の料理という名の破壊兵器を携えて我が城まで押しかけてくる可能性があるわけで、それだけはどうしても回避せねばならない。というわけで、ごく簡単なものではあるが自炊を始めている獄寺である。元々が本さえあれば、それなりに食べられるものは作れるのだ。正直はまって、だが皿を割ったのはいただけない。ので、放課後早速並盛の家電や食器類を営む店にやってきた。割ってしまった皿もここで購入したものなので、どこに置いてあるかはだいたい把握している。さっさと買ってしまおうと足を向けて、そして後悔した。皿が置かれているはずの場所のすぐ近くで、見知った二人の人間が食器を選んでいる。
「ねえどれにするの。はやく決めなよ」
「おう。………あ、そうだ、コーヒーメーカーも買わねえ?」
「買わない。あのスペースのどこにそんなもの置くつもりなの」
「えーなんとかなるだろちょっと詰めりゃ。棚とかさ」
 うぜえ。仲睦まじく言い争いをしている二人に対する感想はそれだ。さっさと決めてさっさと出て行け。
「棚?」
「棚」
 うわあ爆破したい。ここが壊れ物満載の店でなければ今すぐにでも。自分の選択を後悔したことはないけれども、こうやって家を出て、資金に限りがある身とはなんと不自由なことか。
 家、といえばあの馬鹿は並盛在住で、あの更に馬鹿なへなちょこはイタリアに家があり来日の際は、豪勢なホテル住まいだった筈である。こんな店に用があるわけがない。これはどういうことか。跳ね馬がついに資金にあかせて教え子を囲うための家を購入した、とでもいうのだろうか。獄寺は義憤に駆られた。あの馬鹿はどうみても楽しげでこれはどうもさっぱりわかっちゃいないが、どんな理由があろうともそんな歪な関係は許されるべきではないのである。不幸な人間が増えるだけではないか。自分だって、アレ、こと大量破壊料理の生産者だってそうだった。
「緑茶で充分だよ」
「そういうなって。目覚めのコーヒーはうまいぞー。頭がすっきりする」
 決定的である。ああこれは関係がどうのというより淫行がどうとか。
「ふうん」
「ハチミツとミルクをたあっぷり注いでやるからさ」
「! てめぇら!!」
 今思えば、たかだがコーヒーの味つけに関する発言が何でこんなにも自分の逆鱗に触れたのかはわからない。ただ気づけば獄寺は、風紀が乱れる、の一心でチビボムを取り出していた。壊れ物の一群も視界には入らない。
「お。スモーキンボムじゃねーか。久しぶりだな」
「果てろ!」
「どうやら話が通じる状況じゃなさそうだな………がっ!!!」
 ゆっくりと鞭を取り出したマフィアのボスは、すっと凶悪な笑みを作る。と、次の瞬間、愛人の強烈な後頭部への一撃によって昏倒した。
「え?」
「咬み殺す」
 そういえば近くに部下がいない。そんなことに目をやられていると、不幸な身のはずの愛人のトンファーがまずダイナマイトの口火を潰し、そして自分の頭蓋を二度殴打した。三度目にいかなかったのは優しさではなく、棚にでも自分がぶつかって皿が割れるのを恐れたためだ、と意識が戻ってすぐ獄寺は理解した。武器を取り出したのとほぼ同じ場所で、自分が倒れていたからだ。
「いってーな、この乱暴者。びっくりするだろー」
 頑丈なマフィアのボスが文句をいう。あの凶行にこの対応とはマフィアのボスたるもの精神的にも頑丈であるらしいもっときっちり躾けてくれ。
「しないよ」
「する。めちゃくちゃする。オレの心がガツンとやられた。なんとかしてくれ」
「………そうなの?」
 いやこの馬鹿発言にその心配したような顔は間違ってるだろ。
「てめえら、何やってんだよ………」
「ん? 買い物に来ただけだぜ? おまえこそ何」
「やってるのかな。並盛の店で破壊活動をした罪は重いよ。反省文百ま」
「な!!!」
「そんなつまんねー大作、オレがいる間に読むとかひでーだろ恭弥! そんな暇があったらオレと手合わせしてようぜ?」
 いいながら目配せしてくる跳ね馬にはたいそうムカつかされた。一応は認めたくないがボンゴレの守護者をそんないいように扱うものではない。
「てめーみてろ、感動的な超大作を仕上げてやるからなー!」
「な! この馬鹿! オレがせっかく」
「せっかくなに」
「ん? いやほら、せっかくとめたのに、って。そんなことに時間取られんなよ」
「? 別に。確認するのは他の委員だよ」
「な! てめー………」
「それ専門の委員がいる。だから安心して手合わせしてくれて構わないよ」
「ああうん、そうだな………あ、スモーキンボムはこんなとこで何してるんだ?」
 確かに簡易な書類整理等なら他の者に任せて当然、といえば当然である。だが割り切れない何かを抱えていると、唐突に自分に質問が投げかけられた。話を変えようとしているのが見え見えである。
「あ? 皿買いに来たんだよ、当たり前だろ。朝割っちまったから」
「………ふうん。なに、ここはへなちょこが集まる店なのかな?」
「恭弥! だめだぞ。そんなこといっちゃ、誰だってミスっちまうことはあるもんなんだからな!」
 おまえにいわれたくねぇよ。だが跳ね馬は先生ぶって、いや実際世も末なことに先生なのだろうが、弟子をたしなめている。しばらく諭されるとさすがの風紀委員長も反省したらしい。
「そうだね。………彼はあなたほどへなちょこじゃないと思うよ」
「わかってるじゃねぇか」
「ひでぇ! ひでーだろ恭弥! そりゃちょっと割っちまったのは悪かったけど!」
 おまえもか。
「いいから、さっさと買って帰るよ。カップと………あとコーヒーメーカーだっけ?」
「おう!」
 結局買うのか。明らかに財政担当ではない方の発言に財源がにこにこ上機嫌になった。
 くだんの、コーヒーメーカーである。今思えば、何であの時あんなにも腹がたったのかさっぱりわからない。お幸せなようでもう好きにしてくれ。そういえばこの跳ね馬、やはりイタリア人らしく、いや自分もほぼイタリア人ではあるのだがそこらへんの感覚はさっぱりわからないのだけれど、「君と夜明けのコーヒーが飲みたい」だとかそういう歯の浮く台詞をいったりするのだろうか。はずかしい。
「ほんとうに、あなた淹れられるの? 僕は知らないよ」
「まかせとけって。甘くすれば飲めるだろ?」
 それとも「君の方がこのコーヒーより甘いぜ」とか。
「さあね」
「いっつも行くと屋上とか応接室で寝てるんだもんなー。やっぱコーヒー飲んで目をしゃっきりさせないとなー」
 あとは「君としゃっきり、モーニングコーヒー」………ってあれ?
「おまえら………同棲でも始めるんじゃないのかよ………?」
 どうみても一分の隙もなくそうとしか。だが二人は、特に同じボンゴレの守護者であるはずの男はこれ以上ない軽蔑の表情を浮かべた。
「なにそれ? 君見た目だけじゃなく頭まで風紀が乱れてるの?」
「え? いやだってそう思うだろ。こんなとこで」
「オレと恭弥はカップを買いに来ただけだぜ? 応接室で使うやつ」
「あなたが割るからね。次割ったら実費と賠償金と慰謝料を請求するよ」
「な? いくらになんだよそれ」
 口にされた予算は恐るべきものだった。こんな店じゃなくジノリでも扱っている高級店か、骨董屋にでも足を運んだらどうか。
「だいたい普通考えないよ。男同士だよ? いくらこの人がすごくかわいいからって」
「………ああ、そうだよなー」
 ちらり、と跳ね馬は視線をそらした。ああわかった。おおよその関係性は把握した。てか跳ね馬、どうみてもこれはちょっとつつけば落ちるだろう。何やってるんだ。
「で?」
「へ?」
「どれにするつもりなの? カップ」
「ん。これかこれか。どっちにするか迷ってる。恭弥はどれがいい?」
「ふうん」
 まあこれで気づかない男の攻略はたいそう骨が折れることだろう。雲雀はじっくり二つのカップを検分して、迷っているようだった。どちらもシンプルな、白に地紋の入った項の高いカップだ。どちらを選んでも、この小さな店で選ぶにしては趣味がいいものだと認めざるを得ない。もしくは趣味が近い。死んでも認めがたいことだが。
「これ」
「………それ?」
 重々しく返答した風紀委員長が示したのは、選択肢二つのどちらでもなく、どこから取り出したものやら明るいオレンジの、水玉が入った小さな、たいそう子どもっぽいカップだった。
「え、いやそれかあ? だいたいおまえ聞いといて!」
「聞いたのはあなただろ。はい、二つ。」
「つめてぇ! こう、ちょっと一緒に悩んだりするのが楽しいんだろー。なあスモーキンボム!」
「へ? いやどうだろうな」
「食器ごときで悩まないよ。もう帰る」
「あ、待て待て」
 結局オレンジのそれを手にとって、楽しげに連れ立っていってしまうのを呆然と見守る。
 あのカップ。明るいオレンジの、水玉が入った小さな、たいそう子どもっぽい、プラスチックのカップだ。そりゃもう、そうそうのことでは、テーブルから思い切り落としたって割れはしまい。あんな恥ずかしいものを雲雀恭弥が使うというのに、全く気づいていないとは。
 十代目に報告するべきか悩みに悩んで、皿を買い忘れたことに気づいたのは夕食、会心のチキンピラフを作り上げたときだった。まさか食事をフライパンからじかに食べる羽目になるなんて、なんということだろう。









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