コスプレしようそうしよう




「ちょっと待て。なにそれ」
 ひと風呂浴びてこようという状況で、はい、と手渡されたそれに雲雀はあっけにとられた。化学繊維が多く使われていそうなその服は、どう考えても風呂上がりに着るような服ではない。というか、男の自分が着るような服ではない。濃い臙脂のスカーフは折り畳まれているけれども、どこからどう見ても女子学生用の制服ではないか。
「ん? セーラー服。かわいいだろー」
「着るわけないだろ」
「えー? 着たいだろ恭弥好きじゃん」
「誰が」
「ん、おま………ってそっか。あそっか。いやごめん、でもさ着てみろよ。お前ぜってー好きだぜ」
「嘘だ」
「うん最初はそんなふうにいやだいやだいうけどな。最後はのりのりでオレにも乗って………っていってぇ、いてえって」
「馬鹿じゃないの」
「オレはおまえに会って馬鹿になったんだ」
「………生まれつきだよ」
「ってええ!! いや違うだろおまえそれは、僕もあなたのことしか考えられないんだなんとかしてってかわいい声で」
「ほんとに馬鹿なんだ」
「いうんだよ! おまえ三年後に!!」
「………………嘘だよ」
「ほんと。すっげーかわいくて、かわいくてだからオレは覚悟決めて」
「………いわないよ。あなたわかってるの、未来は未来だよ」
「知ってる。いわねーんじゃなくて、いえねーんだってことも知ってる」
 この人のことしか考えてないとはいわないけれど、なんとかしてほしいとはいつも思ってる。ディーノと一緒にいると、落ち着かなくて、うずうずして、どうしたらいいのかわからなくなる。一回咬み殺せば落ち着くような気がしないでもないけど、なかなかうまくいかない。
「………」
「だろ?」
「………違うよ」
「んー? 素直じゃねぇなぁ。恭弥は」
「ムカつく」
 何もかもわかっているみたいな口調で、馬鹿な家庭教師が笑みを浮かべる。生意気である。こんな複雑な、自分でもよくわからない感情を、なんでこんな馬鹿で鈍感なイタリア人が理解できるというのか。
「まあとにかく風呂入ってこい。そんでそれ着て」
「………着ないよ」
 理解できるわけがないのだ。馬鹿らしい。
「そういうなって、楽しいぞ」
「あなたがね」
 雲雀とてホテルに来て風呂に入って、こんな服を着て、それからまたすぐにパジャマに着替えておやすみなさい、とはならないことくらいわかっている。経験的学習。あまり学びたくなかったといってもはじまらない。
 全くこっちはさっさと風呂に入りたいというのに。いやさっさと入って出て、そういうことをしたいだとかそういう話じゃなく。いつもより豪勢なホテル。広々とした室内、見るからに豪華な家具。きっとバスルームだってとんでもなく広いに違いない。雲雀は古式ゆかしい、温泉やらヒノキ風呂やらを心より愛するものだが、そうはいってもジャグジーって奴はとんでもなく気持ちがいい。そのまま眠ってしまいたくなるほどで、ディーノが常宿にしているホテルでも、何度か寝ているところを起こされたり、起こされたついでになんやかんや。
「いーや、おまえだって楽しいって」
「なんでそんな自信満々なの、変態」
 さてはどこぞの女に変な格好をさせた過去があるのだろうか。ムカつく。
「ん。未来でお前が着たから」
「嘘だよ」
 ああ過去じゃなくて未来か、と納得している場合ではない。そんなことはありえない。今時点で雲雀はそんな格好したくないし、いくら未来は未来といえども雲雀は雲雀であるのだからそんな突飛なことをしたりはしないはずだ。自分は男で、胸はないし、逆に上背は………そりゃイタリア産のウドの大木ほどではないかもしれないが、それなりにある。どう考えても似合わないし、着たいと思う筈もない。
「嘘じゃねーって。それにな、これはそんな先の話でもねぇ」
「あなた、僕が分からないからって適当なこといってるんだろ」
 先日雲雀は未来に行って戦い、そして帰ってきた。そしてなんでだか知らないが、ディーノは未来の記憶を得ることになったらしい。とはいっても、自分やその他草食動物が戦ったことで未来は変わったので、彼が知ったのは将来起こりえると決まったわけではない、未来の可能性のようなものらしい。何か、次元だか何だかが変わってどうこう、みたいなことを前にマフィアのボスがのたまっているのを聞いた、気がする。
 そんなわけで、将来実際そうなるかどうか、雲雀には答え合わせは不可能である。十年先の未来が変わったから、雲雀がそんな変な格好をする近い未来もなくなったんだよ、とあとでいわれればそれまでだ。逆にいえば自分がそんな滑稽な女装をすることがどう未来に関わるというのかという話ではあるが。
「適当じゃありませんー。しかも恭弥が自分から着たんだぜ。『あなたそういう格好をしているのが好きなら僕が着てあげるよ』っつって」
「好きなの」
「うん、恭弥が好き………って、え?」
「そういう格好しているのが好きなの」
 なんということであろう、変態である。雲雀は思わず、テーブルの上の衣服を見やって、そして視線をそらした。だからといっていくらなんでも。
「違うっていや恭弥は似合ってたけどな、すっげーかわいかったけどな」
「嘘だね」
 危ない。口八丁のマフィアのボスに、危うく騙されるところだった。あんなもの自分が似合う筈もないのだから、雲雀がそれを着た云々もきっと嘘に違いない。なんてことだ。
「おっまえー。だいたいオレと一緒になんで戦ってくれねぇんだよ。傷ついたぞ。だからちょっとはサービスしてくれても、いいんじゃね?」
「………馬鹿じゃないの」
 なんで自分が。
 どうにも自分が現在に帰ってきてから、我が家庭教師は生意気になってきた気がする。うまくいえないけど、最終的には妥協しあえるものと思ってる、みたいな。以前のディーノなら………いやどうだろう。優しい癖にどこか我儘なのは前からの気がしないでもないけど、でもこんな格好雲雀にさせようとか、そんなことは考えたりしなかった筈だ。
「なぁ。一緒に戦おうぜ」
「………………………明日になったら決めるよ」
「ふうん?」
 微笑んだディーノは、もう自分が彼のチームに入ると決めたような顔だ。ムカつく。今回の戦いに関する記憶は彼も得ていないといっていたから、この先どうなるか分からないのは同じな筈だ。それなのになんでそんな余裕しゃくしゃくなのだろう。
「ま、それはそれとして。とりあえずこれ着てみねぇ? きょうや」
「………」
 とりあえずこれ咬み殺せばいいかな、と雲雀は思った。彼の予想通りに自分は動いたりしないと頭に叩き込んでやらなければならない。


 どうしよう。
 雲雀は目の前にあるそれに視線をやって、それから大きく溜息を吐いた。先日目にしたそれとよく似た、だが違うものである。並盛中学の旧制服。いや詳らかにするならば旧女子制服。膝丈のスカートも清楚な、濃紺のセーラー服である。
(なんでこんなの………)
 なんでもなにもない。手配を頼んだのは自分だ。
 雲雀の馬鹿な家庭教師が、雲雀の馬鹿な家庭教師のくせに、並盛中学に英語教師として赴任してきて、だから雲雀は副委員長に女子制服の手配を頼んだのだ。うん、経過報告として、これでは説明が足りないことは自覚している。ディーノが赴任してきて、先生だからとかいっていやらしい眼鏡なぞかけて、いやらしい恰好をして、きらきら笑顔を振りまいて回って、だから女子生徒がのぼせあがって、先生先生と群れて騒いでみせた。いつもなら雲雀も、群れてはいけないと彼女たちを嗜めたりするのだが、今度ばかりは責任の所在を彼女たちに求めてはいけないことなぞ明白である。なにもかも、自分の家庭教師がいけない。いるだけで風紀を乱す男だ。それがあんな格好して。いやらしい。
 数時間前も、雲雀は女子生徒に囲まれている師をみかけた。馬鹿みたいにへらへらと、宿題ちゃんとやってこいよだとか何とか、自分と修行していた頃はまだ戦えるっていってるのに宿題とかそんなこといいだしもしなかった癖に。すぐ寝ろすぐ寝ろ煩かったけど、雲雀は手合わせをした後だって、宿題といわれれば百だって千だってトンファーの素振りくらいできたのだ。不公平である。
 そう考えた次の瞬間には雲雀はディーノに襲いかかって、女生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。だのに雲雀はおさまらず勢いのまま啖呵を切ったのだ、あなたそういう格好をしているのが好きなら僕が着てあげるよ、と。
 そして足音も荒く応接室に戻って草壁に手配を頼んで………今までよくわかっていなかったけれど彼は優秀である。大して時間も経っていないのに仕立て上がったそれは完璧に雲雀のサイズで、しかも旧制服をきちんと再現している。
(………っていうか)
 脳内で、我が家庭教師が口にした、馬鹿みたいな台詞を再生する。未来に自分がいうという台詞。僕が着てあげるよ。これは偶然だろうか。
(なんでいっちゃったんだろう………)
 後悔はしきり。だが今さら訂正はできない。いくらディーノがこういう格好が好きだからって女生徒に押しつけるわけにもいかない。ディーノだけが知っているその未来の自分も、こんな理由で変な扮装をするにいたったのだろうか。
 五時間目終わりのチャイムが鳴るまで、約束の時間まであと十分。雲雀は大きく溜息をついた。







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