猟奇的な願望


「おまえの体の一部でいい、オレにくれないか」
「なに、それ」
「ずっと携えていたいんだ」
 それだけでいいの、とは口にできなかった。ただひどく獰猛な、体を重ね合わせていた時のままのような恋人の瞳を、ぼんやりと眺めていた。漁火のように燃え続けるそれを見るのが、雲雀はひどく好きだった。いつだって燻っていて、隙あらばこちらを燃えつくそうとするそれを見るのが。
「僕は必ず帰ってくるよ」
 それなりの確信を持って口にした。過去の自分に、過大な期待を寄せているわけではない。いくらボンゴレリングを持ってはいても、それがこの十年の経験に及ぶものだという考えは雲雀にはむしろ認めがたいものだった。この十年、好んで戦いの場に身を置いた。頼まれなくとも懇切丁寧な指導をしてくださる師もいた。本人ですら胸が高鳴るほど、自分の能力は目に見えてあがっていったのだ。
 だから口にしたのは、もっと本能的な、原始的な部分で信じている何かだった。雲雀は基本的に無宗教で、それでも並盛に御座します氏神には敬意を払っているけれども、ディーノの住む国に存在している、にもかかわらず別国籍の男を神として受け入れる土壌にはあまり親近感を抱けそうにもなかった。だから信じているのはもっと別なもの。自分自身、も信じているけれどそれではない。この十年、共にいた人、自分を教え導いてきた人。本人にはとても素直にはいえそうにないけれども、そんな対応を求めない人だからこそ、限りない信頼を寄せてきた。運命の人。本当だかどうだか知るすべはないが彼はいつもそういった。常に二人はつながっているのだと。彼ならば十年前の自分を、必要な強さを持つように鍛えてくれるに違いない。
「あたりまえだろ。久しぶりの平和な並盛を十分に楽しんでくるといい。あとでオレにも話聞かせてな」
「そうだね」
 さっぱりわかっていない人の柔らかい髪を梳く。わずかに湿ったそれに触れているだけで、先ほどまでの熱がぶり返しそうな気がした。
「でも………恭弥、欲しいんだ」
「うん………」
 切なげに歪められた灯のともった瞳が近づき、骨ばった指が同じように濡れているであろう自分の髪を弄った。
「いいのか?」
「ばか………はやく」
「ああ、ちょっとまってろ」
 ジャケットの内ポケットを探る様子を耐えきれない思いで見ていた。そんなものいらない、使わなくたっていい。だがそこから取り出されたのは予想に反して、いつも彼が本国で入手しているというゴム製品ではなく、薄い刃の、携帯用の物ではあるけれどもひどく美しい、手の込んだ彫金が施されたナイフだった。
「な、にそれ」
「うん、ちょっとでいい、から。切らせて」
「や」
 自分の勘違いにあわてる間もなく、雲雀は体を引いた。いつもの自分ならありえないような仕草だ。だが、まさかこの人がそんなことをしたがるなんて、考えたこともなかったのだ。
「そんなもの必要ないだろ」
「いやおまえだって………いいっって」
「そういう問題? かわりに十年前の僕が来るんだから別にいいだろ」
「いや違う。それは違う恭弥。オレの恋人は今現在のおまえなんだぜ?」
「………ディーノ」
「電話すれば繋がって、離れててもどこにいるかわかる今とは違う。さみしいんだ」
 今、にはいる。だがそのことを打ち明けるわけにはいかなかった。彼はきっともっと反対するに違いないから。いつだって慎重な戦略を練る人だ。人体実験も不十分な装置にボンゴレの未来を託すと知れば、きっとなんだかんだといってくる筈だ。
 だが本当はそれよりも心を動かされたのは、ナイフを構えた彼の、武器よりも鋭い瞳だった。弱音を吐いて見せたばかりとはとても思えない、獰猛な光。しかし、その事実に気づいてしまえば雲雀恭弥はその感情を無理矢理にでも押し殺すことができる。おそろしいなんて、そんな筈はない。でも如何にも工芸品といった風情の薄いナイフの銀の色は、金に近い琥珀の瞳に、伏せられた睫毛が彩る陰影の色に似て、ひどく心を高ぶらせた。十年ほど前、同じ金の髪でナイフを操る男と対峙したことはあるけれども、こんなふうに、足元も覚束ないような気分にはならなかった。なるはずがない。
「どうしても、欲しいの」
「ああ………欲しいんだ。恭弥」
 そんなことを考える男だとは、十年来の付き合いで考えたこともなかった。だが男はマフィアのボスで、だとすればそう不自然な嗜好とはいえないのかもしれない。むしろ、らしい。不躾な視線に、自分でも頬が赤らむのがわかった。痛い、だろうか。多分そうだ。いくら痛みに強いからといっても、そう簡単な話ではない。だが、それだけだ、ともいえるのだ。戦いに不都合があるだろうか? それも多分おそらく。だが、その程度のことでやられる自分ではない、と思う。それよりも入れ替わってから後のほうが問題である。もちろん彼は十分に手を尽くしてくれるだろう。そこは信用している。十年前の自分も簡単にやられるような子どもではない。だが、あの馬鹿みたいい目立つ突飛な形をした機械が攻撃されたら? 何とも不本意なことにその中にいる自分に戦うすべはないのだ。
 だから、いい。あげてもいい。この人に弔う死体も残さず消えてしまう可能性はゼロではないのだから。雲雀恭弥が雲雀恭弥である以上、いくらディーノが望んでも、自分をそのまま与えてやるわけにはいかなかった。だがもし死んでしまうならその体はもう雲雀には必要のないもので、全てくれてやっても構わない。しかし僅かでもそんな可能性のあるときに限って、何かあっても体は残らないときた。だったらまあ先払いで、これくらいやってもいい。いい。
「いいよ」
「恭弥………本当に?」
 思いつめたような彼の顔を、左手でただぺたぺたと触った。ディーノがその手首を掴んで指の一本一本にキスを落とした………のを雲雀は息を詰めて眺めた。華奢で美しいナイフ。その煌めきに目が眩んだかのように、目蓋を伏せる。さすがにその瞬間を見ていたいわけではなかった。と、じゃき、と何やら耳障りな音がした。
「え?………なに」
「あんがとな。恭弥。一生大事にする」
 そういって笑った彼の手に握られているのは、一房の黒髪だった。ぼんやりと雲雀はそれを眺め、それから下に視線をやった。そこには、シーツを力いっぱい握りしめている自分の左手があった。五本の指がきちんと揃った、左手が。
「なんで?」
「ん? いつだって傍にいさせてくれな」
 ちゅ、とディーノは切り取られた髪にキスを贈った。雲雀はそこで我に返る。髪。そう髪だ。恋人の髪を持ち歩く。昔の映画だのでみたこともある、そう珍しくもないエピソードだ。そうだ。だがディーノはマフィアのボスで、マフィアのボスなのだから所望するのは当然あれだと思ったわけだ。こちらだって映画だのでよく見る、とか考えるのは一応マフィアの世界に足を突っ込んでる人間として正しい認識なのか疑問ではあるけれども。だが自分は間違ってない。絶対間違ってはいない。第一いつだってここでつながってるんだとかそういう恥ずかしいことをいってくるのはディーノなのだし、だから自分がそう考えたのはごく当然のことだ。
 ベッドの脇、床に落ちて着物と一緒にぐちゃぐちゃになっていた肌襦袢を拾い上げる。仕付け糸で止めてあるだけの半襟は、少し引っ張っただけで、簡単に外れた。夏ならば白で決まりだが、もう秋に入ったので半襟でいくらでも遊べる。着物が地味好みな分、少し派手な色を差すのが習い性となっていた。先ほどまで身に着けていたのは臙脂で、まあ赤というくくりで間違っていないだろう。縦に力を入れると、ぴ、と音がして簡単に裂けた。
「え? 何してんだ、恭弥?」
「それかして」
「駄目だぜ恭弥! これはオレの!!」
「取らないよそんなの。ほらかして」
 細くなったそれで、髪を束ねて結んだ。まあ糸じゃなくて布なわけだが、丈夫で結構ではなかろうか。
「はい」
「おおーかわいくなった。ありがとな!」
 ディーノは嬉しげに礼をいって、いそいそとそれをポケットにしまった。そんなものでいいのか、と思う。そんなもので。1か10か、そんな単純なものでないのは雲雀だって知っている。まるごと雲雀のものになったディーノなぞ、それはもうディーノではない。だが髪を一束所有してそれで何になるだろう? しかしそういうなら、小指だって同じだ。もし所有するなら、もっと大きくて、重要なもの。日本には古くは阿部定の例もある。
「ん? どした?」
 美しく煌めくナイフに目をやる。自然喉が上下するのが自分でもわかった。
「サンキュな、恭弥。一生大事にする」
 だが微笑む獲物があまりに上機嫌で気がそがれた。だいたい見目だけはいい男だ。この若さで宦官にするのは惜しい。しかもここまでして、大した怪我もなく事態が収拾されたらどうするという話だ。それに、すぐ近くにボンゴレの人間が仕舞われている機械の中で、アレと分子の状態で溶け合う、という状況には抵抗があった。なんというか、そう、風紀が乱れる。
「きょうや?」
「………黙って」
 朝になるまではまだ間がある。それまではせめてそれを我がものにするべく、雲雀は手を伸ばした。


 翌日鏡を見て、あまりに切り取られた髪に雲雀は驚愕した。いくらなんでもこれはない。報復としてディーノの長く伸びきった後ろ髪をばっさり切り取ってやる。残った半襟で結んで、ポケットにしまうと、被害者は熱烈に喜びを表明した。よくわからない。そういった特殊嗜好は持たない男だと認識しているのだが、トンファーで小突いても時々何やらへらへら笑顔を浮かべていることがあるし、間違っていたのかもしれない。もしかしたらアレを切り取ってやったほうが、喜んだりしたのだろうか。
 とりあえずあの、白くて丸い機械だ。あの入江という男も、その機械も、雲雀はそれなりに信用している。そうでなければ、いくら逼迫した状況とはいえこのような策に賭ける筈はない。自分で戦ったほうがよほど楽しいし、結果にも納得する。だからきっと何の不備もなく、機械自体は作動するのだろうと考えているのだが、そうはいっても同じ髪だ。何か起きないとも限らない。分子の状態から人の姿に戻ったとき、自分の髪の色は少し淡くなっていたり、それとも前髪の一房だけ煌々たる輝きを発しているかもしれない。そう考えると、これからの先行きもそれなりに面白いものなのかもしれなかった。

















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