「なんで?」
「いやなんでって………なあ?」
 思わず突っ込んでしまったのだが、いい終えるまでにすでに気づいていた。これはもう、さっぱりちっともわかっていない。恭弥は視線だけで説明しろといっていて、そしておれはどうして視線だけでこうも意図を伝えることができるのかそのコツだけはいまだにわからない。
「恭弥が好きだから」
「………そんなの知ってる」
「ああ………うん、そうだよな………」
 そりゃ知ってるだろう。知らずにいられるはずもない。出会って十年、言葉を、いやそれだけでなく体でも態度でもすべてを尽くしてこの気持ちを彼に伝えようとしてきた。出会った頃の彼が、多少疎いなんてレベルではなく、対人関係やそれに付随する感情面で未発達であったのだから尚更。そしてそんな人が近づいただけで牙を剥くような子どもも大人になって、今でも感情を表に出すとはとてもいえないし、甘い言葉一つくれることもないような人だけれど、それでも自分は知っている。知らずにいられるはずもないのだ。彼が自分に向ける愛情を。
 だがそれ以外に何の理由が必要だろう? いや正直にいえば、他の理由で結びついている男女を自分は腐るほど見てきたのだ。だがこと自分たちに関していえば、他の理由が必要だとはとても思えなかった。というか、日本にいた恭弥のもとを暇を作りだしては訪れていた昔と違って、今はお互い忙しい身の上である。それでも時間が空けば彼は自分に会いに来てくれる。それはつまり………いや気が向いたときに戦いたいだけとかそんな理由も考えられなくはないけれど。
「なんでまたいまさら」
「いまさらって………なあ」
 つれない態度には慣れたつもりだったけれども結構へこむ。いいたいことはわからないでもない。お互い仕事があるからそうそう今の生活形態を変えられないし、まだまだ偏見の多い世の中だ。おおっぴらに報告できる相手も限られてくる。つまりは今さら、何が変わるというのかというのだろう。だがそれでも、オレは自分の覚悟をはっきりとした形で伝えたかったし、恭弥にもこたえてほしかった。
 思いあぐねた末のプロポーズ。その癖勢い任せの感も無きにしも非ず。まったく情けない。別にロマンチックな状況を夢見ていたわけではないし、そんなものに付き合ってくれる相手ではないのだが、それでもまあ、雰囲気のあるリストランテとか、夜景のきれいな丘だと考えていたわけだ。せめてこう、自室でまだ眠りから覚めやらない人に向けてではなくて。
 でも今にももう一度眠ってしまいそうだった人が、受け取った指輪を興味深げに矯めつ眇めつしている。これはもう合意だと受け取っていいのでは………うん、それに炎は灯せないと思うけどな、恭弥。
「なにこれ」
「だから………指輪だろ?」
「だからなんでいまさら。前のは炎が灯せただろ」
「前の?」
 ってどれだ。この宝飾武装戦闘狂には部下にも呆れられるほど指輪をプレゼントしている。研究のためというのだからこちらも協力したいところであるし、何より彼にとっては納得がいかないところであるのだろうが、それなりに緊迫した状況下では遭遇することも多い実力的には格差のある複数の敵に相対する場面………そんな時には際限なく炎をともし続ける彼のファミリーのリングよりも、一定の限度があるリングを使い捨てる方が効率が良く、消耗も少なく済む。
 だがそんなちゃちなリング………とはいえボンゴレの雲の守護者である恋人に送ると思えばそれなりのランクのものを精査してはいたわけだが………と違い、作法に則ってマフィアのボスの給料三ヶ月分の価値のあるリングである。ちょこちょこと彼と顔を合わすたびに与えていたそれとは違うのだ。だがいっても無駄だろう。そんな値段云々に左右されるような人ではない。
「忘れたの?」
「へ? いやその、恭弥」
「最低」
 なかなかに衝撃的な視線をくれて、恭弥は横を向いた。如何にも雰囲気はぴりぴりしていて、ああ、怒っているだけだと思えればよかったのに。だが一瞬彼が浮かべた頼りなげな表情に、気づかずにいられるはずもない。そして何が原因か、情けないことにさっぱりわからないときた。指輪? 前あげた? だって何個も。受け取らせるのに苦労したのは最初のあれくらいで、あとはそらもうほいほいと、強請られるままに差し上げてきたのだ。
「そもそも結婚することになんか意味があるの」
「意味っていうかなあ……」
 嫌がっているというよりは、心底、全くわかっていないようにいいだすので脱力する。ふわあ、と欠伸までしてこれはもう今すぐ眠りの世界へ旅立っていきそうだ。だが先にもいったように、多分まったく生活が変わらないのは事実だ。どうしても拘って、望んだのはオレのエゴだ。彼を自分のものだと納得したかった。自由な鳥が帰る場所はここなのだと、言葉で態度で知っていてもまだ足りなかった。情けない話だ。
「あなたの国でも日本でも、籍を入れられるわけじゃなし。それに宗教も違うだろ。なんでわざわざそんな茶番をしたがるのかさっぱりわからない」
「いやおまえが望むなら人ぜ………」
「なに」
「いやなんでもねえ」
 神社にアジトの出入り口を作っちまうような人が希望するなら日本式に執り行ってもオレは全く異存がないが、どっからどう見ても彼は無神論者である。だが人前で式をして誓い合うなどそれ以上に嫌悪することだろう。
「別にさ、ファミリーの連中もオレらのこと知っている奴らは認めてくれてるし、おまえのことはオレの伴侶だとわかってくれてる」
「ふうん」
 
深い喜びと感謝なしに語れない事実なわけだが、だからどうした、といったように恭弥は首を傾げる。そりゃそうだ。この人にとって我がファミリーの承認など何ほどの価値もない。
「でもな、区切りは必要かなと思うんだ。もう、十年だろ」
「だから?」
「………おまえがオレにとって一生唯一の人だと、おまえに誓いたいんだ」
 自分でも驚くほど必死な、震える縋りつくような声だった。
 だがこれが真実だった。神だとか、周囲の人間だとか、本当はそんなことはどうでもいい。浮ついた口説き文句もいつだったか酔いに任せて子どものように唱えた彼の名も、いつだって分け隔てなく聞き流してくれた人に、全てを曝けだし捧げてしまいたい。この身も心もかつてファミリーへの贖いに捧げてしまったことも忘れて。
「なんで僕に誓うの」
「………恭弥」
「そんなものはいかさまだ」
「恭弥。オレはおまえには嘘はつかねぇ。絶対だ」
 だがそんな必死の誓いも、彼には届かないようだった。それとも信用に値しないと思われているのだろうか。
「人が責任を持てるのは自分の発言にだけだ。それだって草食動物たちは揺らぐ。簡単に他の群れの人間の顔色を窺って妥協する」
「オレの気持ちは絶対変わらねぇよ」
「僕は………あなたに僕に誓ってほしくない」
 切って捨てるような口調に騙されてやれればよかったのに。多分きっと十年前ならそのままに受け取って腹を立てたりもしただろう。だが今はわかっている。わかっているものが多すぎる。
「あなたの国の宗教は離婚を認めてないかもしれないけど、そうじゃない国はいっぱいある。離婚率は高まる一方………神に誓っていてもね」
「そうだな」
「別れていなくとも愛情が失われた夫婦もいるだろうね。それが正しいこととは思えないけど。風紀が乱れる」
「………恭弥。マイナスの面ばかり見るべきじゃねぇんじゃねぇか?」
「人がせめて誠実であれるとしたらその相手は自分自身だ。どんな偉人でもね。例えば身を呈して人を救った人間は、その相手ではなく自分自身の良心に忠実だっただけだ。そしてそれすらひどく難しいことなんだよ」
 冷たい声でそう告げた、彼がどんな人か自分は知っているのだ。そんな言葉を連ねるまでもなく、ひたすら自分自身に忠実な自由な小鳥を。
「僕が誓うとしたら僕自身にだけだよ。
 
さみしいとは思わなかった。ただ、思い出していた。唐突に理解し、そして多分自分自身に誓っていたあの瞬間のことを。中学校の応接室。目の前に立っていた人はまだひどく幼くて、戦いのことばかり口にしていた。オレは彼にリングを渡しマフィアの戦いに参加させようとしながら、同時にひどい罪悪感に苛まれていた。今ならば彼はどんな世界に身を置いても、けして自分自身を損なうことはない人だとそう信じることができる。でもあのころは違った。オレはひどく不安で、焦って、そして悟った。彼がオレにとって唯一の人なのだと。
「恭弥は………」
「………」
「もうとっくに誓っていてくれたんだな」
「ば………………かじゃないの」
 ひどく赤らんだ頬を見るまでもなく、図星だったのだろう。あの頃渡した指輪。元はボンゴレのものだとか、そんなこといったってあの人には意味はない。炎をともし、戦いに使われ、いっそ潔いまでに形態を変えた。それでもこの十年、彼はあれのことをただ「指輪」と呼んだ。それだけで多分、オレは気づくべきだったのだ。
 この稀なる孤高の魂。彼がその心も体もオレを受け入れてくれた時点で、他に言葉は必要なかった。彼もまた彼にとってオレが唯一の人だと理解してくれていたに違いないのだ。オレはどれだけ回り道をしてきたのだろう。
「恭弥」
「………………ん」
「好きだ」
「え?」
「愛してる。かわいい。綺麗。愛しい。オレのためにぺペロンチーノを………作ってくれなくていいから一緒に食ってほしい。つうか食いたい」
「ばかなんでいきなり」
「好きだ」
 赤らんだ瞼にキスした。照れたような態度も肌蹴た寝間着もひどくオレを煽ったけれども、それでも強大な精神力を持って耐えに耐えた。あの頃とても紳士とはいえない状況だっただけに今その償いをしたい。焦れたような瞳に強請られてオレに拒めるはずもなかったのだけれども。
 知らない間に結婚十年目。今日二人だけの式を挙げました。














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