ぽぽぽぽぽっきー


 日が暮れて腹が減ったので、雲雀はいつの間にやら並盛中学の応接室の次ぐらいに住みなれた駅前のホテルに向かった。今日の夕食はハンバーグにしよう。そうしよう。いつもいつもハンバーグ食うか、といってくるハンバーグ好きのイタリア人に免じて、特に好きな和風おろしじゃなくてトマトソースにチーズがのった奴にしてやってもいい。寛大な気分でエレベーターに乗り込み、最上階で降りる。渡されたカードキーを取り出そうとポケットを探っているとドアが開いて、ぽん、とクラッカーが鳴った。
「恭弥。ポッキーの日おめでとう!!」
「………」
 取り敢えず殴った。だが家庭教師は引く様子もなく、楽しげに雲雀の頬を当該のチョコレート菓子でつついてくるなんだこれムカつく。
「おおー、さすがわけぇな。ポッキーが頬にめり込むぜ。ほら、食え食え」
 だが口にしてみると空腹な人間の舌にとって、チョコレート菓子はたいそうおいしかった。夢中で咀嚼して、ん、と促せば次のが差し出される。五本ほど胃の中に納めれば、機嫌も上昇したし胃も少しは落ち着いた。
「で、何の騒ぎなの」
「ん? だから今日はポッキーの日なんだろ。おめでとう。ほら食え」
「ん」
 今度はピンク色の、多分苺味らしきものが近づいてくる。雲雀は急いで飲み込んで、それから口を開いた。食べながらしゃべるなんてみっともないことだ。
「だからってなんでおめでとう、なの」
 学校が休みになるわけでもない何とかの日、なぞ雲雀は興味がない。だが確かにそれが今日かどうかは不明だが「ポッキーの日」なるものがあることは聞いたことがある気がする。しかしそれははたして、おめでとうと祝いあうような日なのであろうか。よくはわからないがヴァレンタインデーやホワイトデーと同じくお菓子業界の陰謀、いや特定の、お菓子業界の中にある企業の陰謀であるのだろうが、特に祝ったり贈りあったりなどということまでは推奨していないのではなかろうか。少なくとも並盛中学校に於いては、たまたま登校時に服装検査と同時に持ち物検査も行ったのだが、菓子類を持ち込んでいる生徒が多い、などという傾向はうかがわれなかった。
「これはアーモンドのみたいだな。いろいろあるもんなんだなあ」
「うん」
「うん、うまい」
 さくさくと新しい箱を開けた家庭教師は、一人で食べて一人で納得している。信じられない。だいたいこの男、何をとち狂ったか雲雀のことが好きだというのだから、それはもう、下にも置かない対応を心掛けるべきだ。
「ちょっと」
「ん? どうした恭弥。腹減ったかー?」
「な!!」
 ひょい、と家庭教師は雲雀を抱きかかえるとリビングに向かった。いや持ちあげろって意味じゃなくて、ともう少しで突っ込みそうになる。何とか冷静に自制できたのは奇跡だ。
「もう夕食の時間だもんな。ハンバーグでいいか?」
「あなた好きだね」
「へ? うん、オレは恭弥が好き。好き」
「だからなに」
 そんなことは知っている。何度もいわれたので流石に忘れる筈もない。我が家庭教師だという男は、遺憾なことに頭がおかしいのだ。しかしだからといって害があるわけじゃないし、今はもう聞き流すようにしている。だが話しているのはそういう問題じゃないし、いくら自分が温厚な人間といえど、ハンバーグと同列に語られて嬉しくはない。例えこのホテルのレストランから運ばれてくる特製のハンバーグが、柔らかくてジューシーで、三日連続で食してもさっぱり飽きていない逸品だとしてもである。しかもどれほどおいしくても三日目となれば、いや確かに飽きてはいないしもちろん提供されれば喜んで食べるけれども、寿司や和食が運ばれてくるならそれはそれで全く構わないというのが正直なところである。ハンバーグ好きな外人が喜んでいるから、まあつきあってやろうかくらいのものだ。寧ろ興味は先ほどの菓子により比重が傾いている。これまであまり手軽な、コンビニで売っているような菓子類を食べる機会はなかったが、なかなかおいしい。あとをひく。
「ハンバーグを食べる恭弥はかわいいよなー、なんかこう」
「ばかじゃないの」
 それをいうなら、既に成人している筈のマフィアのボスである。いつも雲雀が皿の中身の大方を胃の腑に納めて一息ついて、そして視線をあげると、何とも蕩け切った表情を浮かべて自分を見ているのだ。余程ハンバーグが好きなのだろう。満腹で幸福な気分を味わっている大型犬のようで、その癖皿の中身は思ったより減っていない。それを見るたび雲雀はこの大きな子どもの頭をかいぐりかいぐりしたくなるような、妙な衝動に駆られるのだ。人のことを子ども扱いするくせに、自分のほうがよほど子どものような人だ。
「別のメニューにするか?」
「………それでいい」
「ん。なんか今月からのメニューでクリームソースのやつがあるって」
「それ、ちょうだい」
「………………これ?」
 もちろん。それはそれ、これはこれ、である。
 だいたいこんな菓子を持ってきたのは自分の方ではないか。
「いや! だめだめだめ。これまでだって」
「なんで」
「晩御飯食べてから。今はここまで! おなかいっぱいになっちまうだろ。体に悪い」
「知らないよ。ほらそれ」
「………一本だけだぞ」
「けちなことい………ん」 
 待望のそれが口元に差し出されたので黙る。アーモンドがたっぷり振りかけられているそれも、なかなかおいしかった。
「おいしい?」
「ん」
「いやおまえそれだけでオレに通じると思ったら大間違いだぞわかるけど!」
「ならいいだろ」
「次の、な。オレに勝てたらやってもいい」
「なにそれ」
 なにそれ。なにその楽しげな提案。雲雀はわくわくとトンファーを取り出し、だが家庭教師は着用中のジーンズの後ろポケットに収納されている筈の鞭ではなく、一本のポッキーを取り出した。なんということだろう。
「ポッキーゲーム、だ。わかるだろ?」
「なにが?」
「日本じゃずいぶん一般的なゲームだっていうじゃねぇか。祭日になるほどだからな」
「………」
「シャマルに聞いたぜ。何人か集まれば決まってこれをするんだろ。夫婦になるカップルの初めての共同作業っていや、ほとんどがこれだって」
 どこの合コンでの話だ。風紀が乱れている。やはりあの保険医、一度咬み殺しておかねばならないようだ。
「日本への理解を深めるためにもみんなでこれをやる集まりに参加しねぇかってさんざ誘われてよー。あいつ何考えてんだかな………」
「行ったの」
 最低である。やはりこの男も咬み殺しておかなければ。
「へ? オレは恭弥が好き。いっただろ?」
「行ったんだ」
「いやいやいや! 話しただろ、って。だいたい行ってねーからここにいるんじゃねーか」
「さあ。さっき帰ってきたんじゃないの」
「………ほんとおまえは。普通、そんな早い時間にするもんじゃねーだろ」
「明確な時間の決まりがあるとは聞いてない」
 如何に風紀を乱す集まりといえど、菓子を食いながらするのであれば午後の三時から四時がふさわしいだろう。むかむかしながら睨みつけてやると、ディーノは蕩けそうな笑みを浮かべた。変態である。
「妬いたか? きょう」
「そんなわけない」
 しかも可哀そうな変態である。そんなことあろうはずがない。なんでそんなに根拠もなく楽天的でいられるのだ。
「………まあいいけどな。ほら、するんだろゲーム。オレのほうが有利だと思うけど」
「なにそれ。足元をすくわれても知らないよ」
「んー? だってギリギリまで顔近づけて食うゲームなんだろ? オレはむしろキスしたいくらいの勢いだからな!」
「嘘ばっかり」
「何が嘘なんだよ。オレは初めての共同作業を恭弥としてぇ」
 それが嘘だ。つい黙りこむと、ほら、と頬に、唇の近くというには少し遠すぎる個所にキスを落とされて、驚いて視線をあげると如何にも得意そうに笑っている。まったく自分の力を過信して、我が家庭教師ながらどうしようもない。これなら勝ちは決まったも同然だが、そのままゲームに移行するのを、つい雲雀はためらった。憐れみ、といえばそうかもしれない。だがフェアではないゲームなど、そんなものさっぱり面白くはないものだ。
「な!!!! きょきょきょきょうや!」
 そういえば初めてのキスだ。挨拶代わりに、いくらここは日本だといっても頬や額にぶっちゅぶっちゅとしてくる外国人が奇声をあげて、ようやく雲雀は気づいた。初めてのキスはチョコレートの味がした。
 我が家庭教師はとんでもなく目をまんまるくしていて、雲雀はつい笑った。まったくだから自分の力を過信するなというのに。常々自分が口煩いくらいにいってきていることではないか。
「あなたに僕がキスしたくない筈ないだろ。そんなきらきらした顔して。あなたはいつも偉そうなことをいうけど、戦況も読めない………んっ!!」
 二度目も三度目も、そして四度目も僅かばかりチョコレートの味がして、だがそのあとはもう、すっかり訳がわからなくなってはっきりした記憶はない。ただきょうやきょうやきょうやと、答える間もなく自分の名を呼ばれ続けたことは覚えている。あと情けないほど取り乱してしまった自分も。
 だが人のことを好きだというくせに何をするでもなく、いや子ども扱いだけはしてくる人も取り乱しているのを見れて、雲雀は満足だった。そうだ、自分はずっとこれが見たかったのだ。目を皿のようにして全部見届けてやるつもりが、あれよこれよという間に共同作業は完遂して、あとはただただその瞳に身惚れていた記憶しかなくとも、どこか達成感があった。
 僕が勝つまで毎日やるよ。いつものようにそういえば、我が家庭教師は照れくさそうに笑った。まったく仕方のない人だ。


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