元旦ですらない小さな神社はそれでも参拝客で込み合っていた。とはいえそれなりの広さのある境内のこと、かわいい顔してかわいくないわが弟子が、大量殺戮を執行しないぎりぎりのライン……といえばわかりやすいのではないだろうか。どうだろう。この微妙な匙加減がわかるようになったのはつい最近のことで、まあ慣れ? としかいいようがないのだが、人を寄せ付けない子どもにここまで近づけたのは単純に喜びでもある。ぽつりぽつりとあきらめ悪く居残っている屋台は甘酒だの焼きそばだの。敷地の真ん中ではドラム缶で火が焚かれていて、人が集まっている。多分アレだろう、焼き芋とか。日本人はどうも火を焚けば芋を焼く人種だ。秋から冬にかけて中学を訪れるたび、風紀委員に焼き芋を提供されたので結構飽き飽きした経験から否応なしに学んだ。
 鳥居の前でぼんやりと待ち合わせの相手を待つ。イタリアで年始の行事をこなし、更に日本に渡ってまずは沢田家に年始の挨拶をした。弟子と顔を合わせるのを最後に設定したのは、義理と人情秤にかけりゃ義理が重たいというかなんというか。こう見えてもマフィアとしては仕方のない処世術といえよう。そこまで考えて少し笑った。仕事の関係で承諾した家庭教師のはずが、いつのまに義理というよりは人情の対象になったものだろう。感情のみに素直になるなら、年が明けて真っ先に顔がみたい我が弟子はまだ姿を見せない。時間には厳格な人なので心配にもなる。腕時計を確認して溜め息をついた。約束の時間から三十五秒過ぎ。いつも遅れたオレを楽しそうにトンファーで小突くのに、いったいどうしたことだろう。
「やあ」
「遅かったな。何かあったのか」
「……別に。いつも遅れる人が偉そうなことだね」
 む、と歪められた口唇に慌てる。細かいことは言いたくない。学生時代はオレもさんざん遅刻したものだし、勉強熱心な弟子が強請らない限り、今日は授業をする気はない。遅れた、とか悪かったとか口にしないのは彼らしくもあり、実際遅れたのはこちらのほうだ。本当はもっと早くに顔を見せたかった。 
「今日はいつもと違う格好なんだな」
「まあ初詣だからね。まだ屋台が出てると思ってなくて、ショバ代をもらっていたら遅くなってしまった」
 謝ったと同義だ。やり場に困ったような視線がかわいくて息をつく。
 宗教行事だからだろう。着込んだダウンジャケットやコートの隙間に黒スーツの男たちが手を合わせている。同業者というわけではなく、正装、という位置づけのようだ。顔ぶれからなんとなく察する。そこに紛れて恭弥が近づくまで気づかなかったわけだが、気づいてみれば孤高の浮雲はあまりに違いすぎて、何故気づかなかったかと自分を問いただしたくもある。孤高で清楚であまりに潔白。身に纏った空気はこの世界の誰とも違った。
「学ランか」
「いつもそうだろ」
「いやそうなんだけど」
 学生服が正装という認識は間違っていない。葬式だの結婚式だのという場面でも学生は着たりすると、以前トラウマギリギリの家庭教師の式で弟弟子から聞いた。
 ただアレだ、いつもは無造作に肩にひっかっかっている学ランに袖が通されている。そうしていると親の期待が垣間見えるというか。
 ……どうみてもでかい。
 いや、恭弥は華奢だが背が低いわけでもないし、年も、はっきり聞きだしたわけではないが流石に中一ということは無いだろう。家庭の事情には踏み入らないことにしてはいたのだが、これは期待というよりは把握していないにも程があるという状況かもしれない。ネグレクトとまではいかずとも、無関心な親などそう珍しい存在ではないのだ。
「うん?」
 小首をかしげた動作に戦慄する。いやおまえそんな袖から手も出ない状況で。
「よく似合ってるなー、と思って?」
「くだらない世辞はいわないでいいよ。肩に引っ掛けやすいように大きめに作ってあるからね、動きにくくて仕方が無い」
 トンファーも取り出しにくいし、と顰められた眉に安堵する。そんな理由か。多少暴力的な要素が抑えられて非常にかわいく……いやいうな、男子中学生に与えるべき形容ではないことはわかっている。だが理性と感情は別物で、どこからどうみてもかわいいのだし、それが弟子というものなのだろう。いえば問答無用で、多少の不自由さなど放り出してトンファーが翳されることなどわかっていたから、オレは大人しく口を噤んだ。
「あ、そうだ。お年玉やんねぇとなー」
「ワオ。あなた大人だったの」
「……ギリギリ?」
 成人とされる年齢は各国で違い、何をもってして大人と見做すかは判断の分かれるところだ。家業を継いでいなければまだ学生をやっていてもおかしくない年齢で、その場合はまだ大人と言い張るには責任も何もあったものではなかったろう。だが恭弥が聞きたいのはそういう問題ではないことはわかっていたのでとりあえず頷く。
「へぇ……もっと若いのかと思っていたよ」
「そりゃあどうも? お前オレのこといくつぐらいだと思ってたんだ?」
 衝撃的な数値はここではつまびらかにしないでおく。きっとあれだ、年齢不詳の部下を常に従えていると、そういう感覚が鈍ってくるものなのだ。大体元からして、他人の年齢を推し量るなんて繊細な芸当なぞできそうもない弟子である。部下だってきっと苦労を……ああそうか。それで老けたのだろう、気の毒に。ロマーリオを見ろ。上司に恵まれているからしてとても三十八には見えないほど若く……若く見え……。有能だから忙しくなるとついつい頼りがちになってしまうがこれではいけない。コートのポケットを探りながら、腹心の部下に近いうちに長期休暇と特別手当をやろうとオレは心に誓った。そうだ、これを新年の目標としよう。
「オレがいない間もいい子にしてたか?いい子にはお年玉をやるぞ」
「サンタじゃないんだから、いい子かどうかとか問わないんだよ、日本は」
 ん、と差し出してくる悪い子の手に苦笑する。もらってあげよう、という態度はそれでこそ恭弥だ。
「そっかー。おこさまは皆貰えるんだな、日本では」
「…………子ども扱いしないで」
 子どもだろうと大人だろうとかわいい弟子にやらない筈もないのに、多少の逡巡の果てにプライドの高い我が弟子はいい切った。とんでもなく拗ねた顔にミスったなぁ、と思う。だがどうにも恭弥を目の前にすると、ちょっかいを出したくて仕方なくなるのだ。好きな子を前にした小学生かと、前に部下にもいわれた。男子中学生を相手に何を、とも思うが、まぁ多分精神状態はそれに近いのだろう。目の前で口唇を尖らしている様子がかわいくて仕方がない。
「じゃ、ほい。手ぇだして」
「だからいらないって……何これ」
「あ、かっわいいだろー、ひよこ柄。恭弥が喜ぶと思ってすっげー探したんだぞ。無駄遣いすんなよ」
「あなたにだけはいわれたくない……ってそうじゃなくて」
 じゃあ何だ。やっぱり額か。切りのいい金額を年玉には渡すものだと教えてくれたのは元家庭教師である。まあいわれずともそれくらいは察しがつくという物だが、問題は所謂ポチ袋というものが、切りのいい金額分の紙幣を収納できるようにはなっていないということである。日本の親御さんは皆こんな苦労をなさっているのかと、昨晩ホテルで紙幣をちまちまちまちま折りながら感心したものだ。多分この面倒な作業が、子に対する愛情だとかなんだとかされているのだろう。
 結局半額分すら入りきらず苦々しい気分でぽんぽんに膨らんだポチ袋を手渡す羽目になった。素直な弟弟子やその友人たちは皆一様に目を丸くしていて、多分日本人は皆器用で細かい作業が得意だというし、何でこれくらいのことも出来ないのかと思われたに違いない。気まぐれに優しさを示す元家庭教師は差額分は小切手でもいいぞといってくれたけれど、……いや待て、いつもあの外見に騙されてやったあとに気づくんだが、何でオレあいつに年玉なんぞやらなくちゃいけないんだろう。
「ごめんなー。切りのいい額をやるもんだ、ってリボーンから聞いていたんだけど入りきらなかった」
「差額は封筒に入っていなくても別に構わないよ……って、ちょっと待って、あなた赤ん坊にお年玉あげたの?」
「おう。ひっでぇんだぜ。毎年やってんの。そりゃ今はさ、オレも大人だし構わねーけど、ガキの頃からだぜ! しかもイタリア! 年玉関係ねーし。ポチ袋がないから封筒に突っ込んで渡せばよかったから楽だったけどさ、なんか違うよな。……ん? どうしたきょうや?」
 うつむいて震えている恭弥の顔を横から覗き込む。吝嗇臭い男だとでも思われたのだろうか。違うのだ。額の問題ではなく、オレは法に反した行いでしこたま儲けている元家庭教師に年玉名目で金を渡すことの不条理を説いているわけで。
「ねぇ」
「おお。どーしたー? あいつに先に渡したから怒ってんのか?そりゃオレだって本当はまず一番に弟子のお前に渡したいと」
「そのポチ袋どこで売ってるの」
「……恭弥?」
「僕も赤ん坊にあげにいく」
「ちょっと待て。お前まだガキだろ?」
「あなただって子どもの頃からあげてたんだろ」
「そうだけど! ありゃあげてたっていうよりカツアゲされてたっつーか、しごかれた挙句に金もってかれたっていうか」
「ワオ。自慢のつもりかい? いい度胸だね」
「どこがだよ!」
 我が日本語の習得レベルに初めて若干の不安を覚えながら参拝もせずに踵を返す恭弥を追いかける。器用にも石段を降りながら集金で集めたらしい金を数えている……って何だその札束。今日はさほど屋台は出ていなかっただろう。大体それお前が勝手に使っていいのかよ、なんとなくそうじゃないかとは思ってたけど。
 この子どもが他人に金を! 多分喜ぶべきことなんだろう、喜ぶべきことなんだろうが、オレが感じているのは怒りと戸惑い、そして焦りだった。今すぐ引き止めてつまらないことを考えるなと説得したい。だがどうやって? 全てはオレのエゴだ。そしてオレはもう子どもではなく、そうさせる原因が何なのかを知っている。
「うっわああああぁあああああ!」
 ミスった。濡れて滑りやすくなってる石段(正月からこちら晴天続きだと聞いているが、冬は空気が乾燥しているから多分神社側が水でも撒いたのだ)に足を引っ掛けて、とんでもない速さで落下していく。この日本の宗教施設に見られる石段ってやつは何のためにあるのだろう? ああ、走馬灯だろうか? 呆れ返った恭弥の顔が見え……うぁ?
「…………いってぇ」
 階段の中腹あたり、流石に一息では登れないとみたらしく設けられたスペースに、オレと恭弥はもんどりうって倒れた。っていうか
「おっまえ、トンファーで首根っこ引っ掛けるって人のことなんだと思ってんだよ!」
「助けようとしたのに文句いうな。あのフードはどう考えてもそのためでしょ」
「そんなわけあるか! ……ってそうか、そか。助けようとしてくれたんだよな」
「……何?」
「いや何でも。なぁ、きょうや」
「ん?」
「いくなよ」
 道の端によって、すりむいた手のひらを治療する。いつもトンファーを不必要なほどに握り締めている手とはとても思えないほどに柔らかだった。
「やだ」
「……いうと思ったけどな。だったらオレにもくれよ? あれはさー、あいつがオレの家庭教師だったからお礼とか、日頃の感謝みたいな」
「してない」
 うん、実際あんましてなかったなあの頃は……ってひょっとしてオレの話か? 怖くて聞けねぇ。
「ちっとも?」
「うん」
「……まったく?」
 だがあきらめの悪いオレはついつい問いただしてしまう。無理やりに危険な世界の事情に巻き込んでいるのだ、感謝して欲しいとは思ってはいないけれどこう、もうちょっとその。 
 ぎゅうっと、この細っこい体を抱きしめる。ああやっぱり先程の感情はそういうことだったのだろう。彼の関心を独り占めしたいという、とても身勝手で欲深な。オレがもっと強ければそれは可能だったのだろうか?
「何をいわせたいの。あなた子どもから金を取るつもり?」
「恭弥からな。別に金じゃなくてもいいけど。額の問題じゃなくて気持ちっていうか……無理か?」
「大人なんでしょ?」
「うー、もう子どもでいいよオレは。十七、十七。恭弥がいったんだろ」
「やっぱり」
 いやそのリアクション違う。もはやなりふり構わず、先程の恭弥の誤解に乗っかってみれば、納得したように頷かれた。いくらなんでも高校生には見えないくらいの自覚はある。しかし大体お前はどうしてそういつも自信満々なんだ。
「子ども。おこちゃま。しかたないひとだね、あなたは」
「……そうか?」
 ああこれはばれているのか。歌うように紡がれる非難に苦笑する。何もそんな楽しそうにいわなくてもいいだろう。
「……へなちょこ?」
「あー、……まあそーだなー」
「怒んないの?」
「オレはいちいち怒んないの。ま、へなちょこなのもたまにはいいかな」
 あの頃に戻ったみたいだとはいわない。だがなんとも面映い気持ちでオレは恭弥の背中を擦った。多分オレは恭弥に家庭教師だけではなく同年代の友人も与えたかったのだろう。正しくはオレがなりたかった。年を取ればたいした問題ではなくとも、学校という場所に押し込まれている頃は友人なんて同じ学年の相手にだけ与えられる称号だった。多分日本でもそうだろう。例えいつでも好きな年齢の雲雀恭弥であろうとも。
 家庭教師にも友人にも親にも子どもにも。だがオレはその奥にある自分の願いに気づいてしまった。本当に欲しい称号が何かも。
「そうだね」
「へ?」
 何が。問う前に与えられた柔らかな笑みに身震いする。ほんの一瞬、擦り寄ってくるような動きがあって、オレが答えようとしたときにはもう彼は立ち上がっていた。
「焼きそばくらいおごってあげるよ。下の屋台で」
「焼きそば?」
「額の問題じゃないんでしょ?」
「ないない! 焼きそば超好き!」
 階段を降りかけた恭弥を追いかける。とりあえず新年の目標は変更だ。今年の、いや何年かかっても構わない。簡単な相手でないことはわかっている。
 右手を掴むと戸惑ったように視線が揺れて、だが目に見えて歩く速度を緩めた。オレはもう時が止まればいいくらいに考えてた。
「焼きそばか! 初めてなんだ、うまそうだよな」
「好きじゃなかったの」
「焼きそばは好き! ソース焼きそばは初めて! 楽しみだな恭弥」
「あなたが食べるんだよ。僕はあとで寿司を食べる。あなたの奢りで」
「えー、まだ三箇日だぜ? 市場閉まってんじゃね? 碌な魚ねぇぞ、きっと」
「……よく知ってるね、そんなこと」
 焦げたソースの匂いには恭弥も抗えなかったらしく、結局二人して焼きそばをつついた。とんでもなく地獄耳の元家庭教師には、その後人の年玉を横取りするなとさんざんしごかれてもう一度渡す羽目になった。盗聴器は見つからなかったから、多分物陰に潜んでたんだろう。あいつはあの性格であの強さであのサイズなのがそもそもいけない。だがあんな美味いものが食えるなら百万なんて惜しくはなかった。
 その話を後で恭弥にすれば、やはり自慢かいと目を眇めて、だが来年もまた食べに来ればいいとそういって笑った。そんなだから楽天家のオレは、やはり今年中に目標を達成しようと虎視眈々と狙っている。








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