ありふれたプロポーズ


「ふぇ?」
 我ながらマフィアのボスとしてあるまじき声がでた。
 昼からずっと手合わせを続けて、その中での休憩時間。何てことはない雑談をする。それに付き合ってくれるということに、いや休憩を取ろうという提案を素直に了承してくれた時点で天にも昇る心持にしてくれるかわいい弟子と、中学校の屋上で二人きり。
 かたや成層圏に、かたや地上にいるともなれば話題の選択にも困るものだ。宇宙ステーションの中継とかテレビで見ればわかる話だ。なんかこう、咬み合わない。いや、物理的には隣に座ってるんだけども。ほんの数分前までは物理的意味で咬み殺し合っていたのだけれども。
 まあとにかく会話に困って、オレは弟弟子の話をした。いずれ同じ組織で働くことになるのだ。彼にとっても興味深い………興味深いことになっていただきたい話である。我が弟弟子は数日前、自分に将来の夢を打ち明けてくれたのだ。平凡でも普通でもいいからいつかはかわいいお嫁さんを貰って幸せに暮らしたいのだという。微笑ましい話だ。
「いいんじゃないの」
 だが、弟子の反応は全く予想していなかったものだった。こう、もっと、かわいくてかわいくないことをいうと思っていたのだ、いつもみたいに。「それは群れた話だね」みたいな、ほら、こう、いつもの。まさか同意いただけるとは思っていなかった。
「そうか?」
「並盛の住人としてまっとうな心構えだ。あるべき姿だよ」
 ああ、うん、そうかもしれないが。
「おまえもそうやって生きるつもりなのか?」
「あたりまえだろ」
「いやだって平凡って………なんだよ」
 つい哲学的な問いを口にする。正直こういうのは苦手だ。
「風紀を守る」
「へ? いやおまえ」
「あたりまえのことだけどね」
 そうじゃないのかと問われれば勿論そうだ。風紀を守る。善良な一般市民なら多分あたりまえのことだ。何も間違ってはいないのだけれども何かが間違っているような気がすごくする。
「それと自分の育った土地を守る」
「うん、それはすごく大事なことだけどな」
「大事なことだよ」
 自信満々に弟子が頷く。過剰防衛どころか明らかに攻めてるよなおまえ。
「あとは?」
「自分がやりたいように生きるよ」
「………」
 いやそれ平凡でも普通でもないから。そう思ったが、そんな夢のないことは教えたくなくてオレは話題を変えた。
「いやでもよかったぜ」
「なにが」
「だって平凡ーとかいうからさ、いずれ結婚でもするつもりかとか思っちまった」
 弟弟子の話の主眼はそれだ。どうやら親しくしてるあのお嬢さん二人のどちらかに心を奪われているらしいのだ。
「するよ」
「………ふぇ?」
 みかえせば、何当然なこといってるのかなこの人、って感じの表情を浮かべた弟子がいた。なんていうことだろう。
 透き通った瞳には何の迷いもない。思えば恭弥はまだ中学生なのだ。初恋の相手と大人になったらそのまま結婚するだとか、そうでなくてもある一定の年齢になったら誰でも大人は結婚して幸せな家庭を持つものだなんて、無思慮に傲慢に考えていそうな年頃だ。いやオレだって、ほんのちょっと前までは、自分はいずれ一定の年齢になったら誰かと結婚して子をなすものとばかり思っていた。幸せかどうかはともかくとしてマフィアのボスとして。そんな常識はあの日、中学校の応接室でこの可憐な浮雲、どこまでも自由な鳥に出会った瞬間に跡形もなく崩れ去ってしまったけれど。
「結婚。するよ」
「………そうなのか? いやだって」
「普通そうだろ。責任ってものがある」
 なんだそれは。いやあれか、男は家庭を持って一人前みたいな、そんなこうわけのわからない精神論みたいな。でもみてみろ、そんな御託を毎日耳にたこができるほど聞かしてくれた忠実なる部下がある日ぴたっと口を噤むほどの状況なんだぞうちのファミリーは。むしろそこまでマフィアのボスを骨抜きにした責任というものが。
「うあー………マジかよ、おまえ………」
 だが本音をいえば、このどこまでも自由な人に同じだけの情熱を返してもらおうなどとはよもや考えてはいない。こうやって心を許して、傍においてくれるというだけでどれだけ幸せなことかわからない。だが、好き、というお言葉一つ戴いてはいないが、やることはやっている、付き合っているという認識で同意にいたっているはずの間柄である。オレは今にも泣き出してしまいそうな気分で項垂れた。
 だがこのかわいい子を縛りつけるようなことをしてはいけない。普通に平凡な幸せを手に入れるというのならば邪魔をしてはいけない。それに、付き合っているからといってすぐそこまでの覚悟を持つ人間の方が少ないだろう。オレがずっと傍にいて戦ってやって余所見をさせなければ、十年先二十年先、気づけばやっぱり一緒にいた、そんなことにならないとも限らない。いやそうしてやる。オレはどうしても諦めなどつくはずもなく、そんなことを考えた。
「どうしたの」
 視線を上げると、心配そうな顔で恭弥がオレの顔を覗き込んできていた。優しい子なのだ。オレは無理に笑顔を作った。
「ん? ちょっとびっくりしてな」
「なんで」
「なんでって………恭弥がかわいい嫁さん貰うとかさ、想像してなかったから」
 なんとか平静を保って答えると、かわいい子はとんでもなく目をまんまるくしていた。
「あなた、お嫁さんをやりたかったの?」
「………ふぇ?」
 今日何度目かの情けない声を出す。いやおまえなにをいって。
「ごめんさっぱり気づかなかったよ。あなたいつも、その、二人になるとあんなだし。でも僕だってやりたいわけじゃないし、あなたの方が似合うに決まってるものね」
「え、いやおまえなにいって」
「やっぱりあれだよね、ドラマとかでみるみたいなシンプルなのよりひらひらしてるののがあなたには似合う気がするな。お姫様みたいな」
「え、いやだからなに」
 すっかり納得いただいたご様子で恭弥はうんうんと頷いている。いや待て。だがオレはそこで思い出した。恭弥は中学生で、それはもう、ある一定の年齢になったら誰でも大人は結婚して幸せな家庭を持つものだなんて、無思慮に傲慢に考えていそうな年頃で。そうでなくても、初恋の相手と大人になったらそのまま結婚するだとか信じていても不思議ではない年齢なのだ。そしてオレと恭弥は好き、というお言葉一つ戴いてはいないが、やることはやっている、付き合っているという認識で同意にいたっているはずの間柄なのだ。ああなんということだ。
「恭弥、結婚ってオレと?」
「他に誰がいるの」
 普通だったらぶん殴られてジエンド、でもおかしくない問いをつい口にする。だが恭弥はそれどころではないらしく、そっけない答えがあっただけだ。だがなんという喜びだろう。降って湧いたような幸運。オレは中学生という生き物の、いや雲雀恭弥という生き物の純粋さに心の底から感謝した。
「やっぱり花は薔薇かな?」
「………………」
 だが恭弥はさっぱりわかってない。そんなひらひらしたのよりシンプルなAラインの、ビスチェにだけ細かい刺繍が入って背中がこうがっと開いてる、そんなののが絶対いいし、花はカラーだ。せめて百合とか。その方がきっと恭弥の可憐さが、って着るのはオレか。そうか。いやちょっと待て。
「恭弥」
「手袋とか下手にするよりはちゃんと見せた方がかっこいいと思うんだよね。袖のないドレスで」
 うわお。いや、この柄にまでご配慮いただけたことはありがたいのだが。
「きょうや。やっぱその、恭弥が着たほうがな、いいと思うんだが」
「やだよ」
「だっておまえのが似あうし!」
「そんなわけない」
 ちょっと考えればわかることだと思うのだが、そんなつもりはないらしい。いやおまえ、この逞しい二の腕で袖のないドレスとかギャグだぞ。どう考えても。
 正直にいえばこの子どもが手に入るなら女装などなんでもない。マフィアのボスたるもの飲み会ともなれば何度そんな罰ゲームをこなしてきたかわからない。今更恥らうことなど何もないのだ。だがマフィアのボスたるもの、結婚ともなれば如何に男同士だとか理由をつくろうとも、どうやったって、内輪にささやかに式を、っていう訳にはいかない。少なくともガキの頃から迷惑をかけている古参の部下連中には、どうやったってその勇姿を見られることになる。………。正直一番みられたくない。ベッドではオレが新郎だぞとかいって信じてもらえるだろうかいや無理だ。
「似あうって! ぜってえかわいい! ちょっと想像してみろ」
「やだ」
 しょうがないのでオレがかわりに想像した。ほらみろかわいい。とんでもなくかわいい。オレがどうこうというよりこの姿を生で見たい。
「なあ、着ようぜ? あんまり群れてないようにするし」
「やだ」
「そういうなって。似あうぞ、きっと」
「知らない。咬み殺すよ」
「………咬み殺されなかったら着てくれるか?」
 いえば我が弟子はにっこりと笑った。曰く「やれるものならやってみなよ」。負けたときのことを考えないこの姿勢はオレが教育してやるべき課題の一つだが、今はありがたい。どんな手を使ってもオレは、我が花嫁の艶姿を見るのだ。手段は選ばない。






inserted by FC2 system