ありふれた結婚報告


「知ってるか。あのへなちょこが長年の夢をかなえたらしいぞ」
 日々その頂を高くしていく書類の山。それを征服せんとする、果敢なるルーティンワークをこなしている最中、凶悪なる家庭教師がそんなことをいいだした。
「ゆめぇ? ディーノさんが?」
 何とか声を絞り出す。時間はない。全く山男は下界に意識を向ける余裕などないというのに。
 だが話題の中心は、常日頃とんでもなく世話になっている兄弟子である。夢ってなんだ。あれか、敵対しているファミリーのどれかをついにぶっ潰したとかそういう。いやそれだったらまず先にボンゴレに一言あるはずだ。考えて綱吉は、すっかり物騒になった自分の思考回路に溜め息をついた。
「ガキの頃のお前と同じだぞ。小さくてもいいから自分の家を持ってかわいい嫁さんを貰って平凡でも幸せな暮らしをするんだ!ってな」
 それディーノさんというよりオレの真似だろ、という口調で家庭教師がいった。基本甲高い声なのでほぼ百パーセント似ていないのだが、それでも真似てることはことは分かるし、癇に障る。そうだ、今思えばあのころは、そんなかわいらしい、純真極まりない夢を持っていた。でもマフィアのボスになってしまった今、そんな子どもっぽい夢が何よりかなえるのは難しいのだと分かる。というかマフィアのボスにまでなったのに、憧れの人には未だ振り向いてもらえない。
「え、いやディーノさんはだって」
「結婚、するらしいぞ。近いうちに招待状を送ると電話があった」
 マフィアになる前もなってからも、とんでもなく世話になった兄弟子である。利害関係などなしに、ただ自分のために力を尽くしてくれたことを知っている。だから自分は彼の幸せを誰よりも望んでいる。いくらだって幸せになっていい人だ。
 だが綱吉は飲み込めない何かを抱えた。幸せ? 本当に? 祝福すべき立場なのは分かっている。それだけの苦労をしてきた人だ。だがあのひとはどうするのだ。あの、風紀風紀喧しくて勝手で気侭で人の都合など考えなくて戦いと匣以外のものに興味を示さない人は。幸せってなんだ。
 結婚は人生の墓場だなんてよくいうけれども、そりゃあのいつも屍の山の上で笑ってそうな人を嫁に貰ったらさぞや広大な墓地になりそうだけれども。夜には運動会が出来そうな。あんな風紀風紀喧しい人よりかわいくて優しい女の子と結婚したいのはよくわかる。だがあの人だって優しいところもあるし、悪い人じゃないのだ。そもそもあの誰にも心を許さない人を手懐けておいて、簡単に放り出すとはどういうことだ。ちょっと風紀風紀喧しいだけの話じゃないか。
「てかオレ午後からヒバリさんとあうんだぞ………」
 仕事の打ち合わせでわざわざご来訪いただける段取りになっている。逃げ場はない。どんな顔をして会えばいいのだ。何を言っても咬み殺されそう。
「多分おまえが考えてるような話じゃねーぞ」
 愉快げに家庭教師は机の上に飛び乗った。危ない。どれだけの微妙なバランスでこの山が均衡を保っているかわかっているのだろうか。
「なにが」
「考えてみろ、ツナ。あいつのいう小さな家、見たことあるよな?」
「………え、アレ? 引っ越すんじゃなくて?」
「あたりまえだろ、キャバッローネの本部だ。「家族が増えるんだからやっぱ手狭かなとは思ったんだけどな、あいつが「充分だよ」っていうから! なんかこう、奥ゆかしいよなー!!」だ、そうだぞ」
「え、充分だよ、って、え、あれ?」
 何でそこだけ物真似がうまいんだ、てかいやまさか。
「それで、あいつのいう平凡な暮らし、だ。おまえもそろそろ馴れてきたよな」
「………マフィアのボス………」
「ああ、まああいつは生まれも育ちもマフィアだからな」
 こんな歩く不条理でも弟子の結婚が嬉しいのか、さっきからやたら上機嫌な態度である。っていうか、いやまさか。予想の通りなら問題なくハッピーエンド誰も泣くことのない展開な訳で、だが自分の中の常識がガラガラと崩れていく音がする。いやだからほらまさか。
「で、あれがあいつのかわいい嫁さん、だ」
「やっぱり! かわいい? かわいいかあれ?」
「かわいいだろあいつは。女はちょっと気が強いほうがかわいいもんだぞ」
「ちょっと!? てか女じゃないし!!」
「まあな。だがマフィアのボスと結婚しようっていうならな、あれくらい肝が据わってなきゃダメだってことだ。わかるな?」
 にやり、と赤ん坊が笑みを浮かべる。いわれなくとも綱吉だって分かっている。生まれ育った国にいるはずの、こちらは疑いようもなくすごくかわいい人の姿を思い浮かべた。ああ、どうしたってこんな世界に彼女を巻き込むわけにはいかない。しかしそれと同時に、ぞ、と寒気が背中を伝っていった。我が家庭教師は未だ上機嫌で笑みを浮かべていて、いやこれはそうじゃない。この笑みは何か企んでいて異議は唱えさせねぇぞ、という時のあの。
「いや、オレも反省してるんだぞ。おまえはまだあっち方面じゃダメツナだからな。家庭教師としてさっさと面倒見てやるべきだった」
「いやいやいやいや!! 大きなお世話だから!!」
「そういうな。だいたい守護者に先越されるとか外聞が悪い」
「んなわけあるか! ディーノさんオレよりずっと年上じゃん、順当だろ!」
「大丈夫だ、オレに任せておくんだぞ。大サービスだ、家庭教師だけじゃなくて仲人も引き受けてやる」
 いまだに愛人ばかり抱えて独身を貫いているヒットマンがにこにこと明言した。勘弁してくれ。綱吉は書類の山に目をやった。しったことか。何とか、何とか今すぐこの場から逃げなければ。今日午後から会う予定だった幸せな結婚を控えた人には、是非お祝いの言葉を伝えたい気持ちもあったけれど、正直今それどころではない。
「先方には既に話は伝えてある。マフィアのボスの相手にふさわしいかわいい女だぞ」
 それ絶対かわいいと違う。内心突っ込みながら綱吉は戦略を練った。まずは飛行機のチケットだ。日本行きの。そして死ぬ気で部屋に戻ってパスポートを入手しなければ。
「なに、恥ずかしがることはねぇ。肝は据わってるし、安心して任せられる」
 にやり、と家庭教師が笑った。さっぱり分かってない。わかるはずないのだ、この秘めた、不器用な恋心など。
「昔おまえも会ったことがあったな。なに、ちょっと粛清粛清と喧しいがかわいい女だ。胸もでかいし」
 ぞ、と再び鳥肌が立つ。ああ、マフィアの危険がなんだ。なんのために今まで危険な生活に耐えてきたと思っている。自分が彼女を守ってやればいいだけの話だ。何があっても死ぬ気で、今すぐ日本に行ってあの人の心を射止めなければ。







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