委員長の特別看護


「大丈夫?」
 朦朧とする意識。それでも心配そうに細められた瞳を見た途端に、思考がクリアになった。こんな表情、大切な人に浮かべさせるわけにはどうしたっていかない。オレは無理矢理笑顔を作った。
「大丈夫だって。今日はもう帰れ、な?」
「やだ」
「やだって………そういうこというなよ」
 認めがたいことだけれども、ただでさえ気が弱くなっているのだ。そんなこといわれれば、甘えたくなってしまうに決まっている。だがいくら熱が出ていても、オレは根が丈夫な性質だ。この程度の風邪、しばらく寝ていれば治る。それよりも、体調を崩しやすい、繊細な体質の我が弟子にうつしてしまうことのほうが心配だった。そんなことになれば、オレは罪悪感で息もできないことだろう。
「つらいんじゃないの」
「これくらい、たいしたことねぇって。早く帰れ。………っは」
 えずくような咳を数度。堪えようとしても堪えられなくて、今この瞬間にもウィルスを撒き散らしていると思えば、呼吸すら止めたいような気分だった。
「大丈夫?」
「は、ああ。大丈夫、だから」
「嘘ばっかり」
 否定のしようがなかった。これのどこが大丈夫だというのだ。だが幸運にもインフルエンザにはかかっていないし、食欲はないけれども吐き気も腹痛も、今はもう殆ど鳴りを潜めている。辛いのは上がりきった熱のせいだ。しばらく寝ればきっと治る。それにこんな苦しみ、我が想い人には味わわせたくなどない。ごく当然の心理であるだろう。
「まあそれなりにきついけど、な。ここにいたらおまえも風邪ひいちまうぞ。今日は帰れ。な?」
「戦う?」
「ああ………って、ええ?」
 慈愛に満ちた表情を浮かべる我が小夜啼鳥、かわいいナイチンゲールが口にした言葉を、オレは瞬時には理解できなかった。だってこんなときに、白衣を着たらきっと似合う天使が口にしていい台詞じゃない。
「戦う? 僕は構わないよ」
「いやおまえ勘弁しろよ。流石に。無理だっていくらなんでも」
「そんなことはわかってるよ」
 いくら師匠といえども、今日は満足に戦ってやることもいや鞭を思うように扱うことすら難しい。なんとも情けない話だ。だがいくら戦い好きの子どもであろうとも、ここまでオレが弱ってるときに戦闘の提案なんて、容赦ないにもほどがある。オレは泣きそうな気分でかわいい弟子の顔を見上げた。なんでこんな時にも、この子はこんなにも美しく穢れのない表情を浮かべてられるんだろう?
「ごめんな………今日は戦ってやれねぇよ」
「でも、戦えば元気になるよ」
「………へ?」
 罪悪感に打ちのめされながら震える手を伸ばしてすべらかな頬を撫でる。その感触をほとんど味わわぬうちに、かわいい唇はオレが今まで一度も聞いたことのない、驚異的な民間療法を口にした。マジか。常々思ってはいたが、日本という国はなかなかに西洋の常識から外れた、恐るべき風習が未だ色濃く残っている。
「戦えば治るよ。ちょっとでいいからやってごらんよ。大丈夫、本気では殴らないから」
「いやいやいやいやいやいや! 無理だろーそれは!」
 この子どもが戦いにおいて本気で殴らないとか! 慈愛溢るる提案に泣きそうになるが、流石に駄目だ。駄目。今殴られたらオレは絶対に昏倒する。そんな無理はできない。
「病は気から、っていうだろ。僕も風邪ひいてるときゲームとかいって人を殴って回ると元気が出るよ。遠慮しなくていい」
「いやおまえなー。どんな治療だよそれ」
「早く元気になりなよ」
「いやその気持ちは嬉しいけどな」
「じゃあ、僕が戦ってるの、見てて」
「………へ?」
「戦ってるの見てたら、あなたも戦いたくなるだろ。そしたらきっと力が湧いてくるよ。ほら風邪ひくと、無性にプロレスの試合とかみたくなったりするじゃない」
「いやしねぇよ」
「そう? 変なひと」
 変なのはおまえだ。そう突っ込んでやりたかったが、優しげな手付きで額を撫でられたのに驚いて、何もいえなかった。なんてこった、かわいい。とんでもなくかわいい。先ほどから猟奇的なことしか口にしていない我が弟子がとんでもなくかわいく見える。変なのはオレだ。そして何とも救われないことに、どうやら風邪のせいでおかしくなったのではないらしいのだ。
「まあいいや、ちょっと待ってて」
「いやおまえどこに行く気だよ」
 慌てて、華奢な手を掴む。思わずやってしまった行動に自分でも驚いた。たかが風邪でどれだけ気弱になってるのだと思われることだろう。案の定恭弥は目を丸くして、だが何故だろう、嬉しそうに笑ってみせた。子ども相手にするみたいに髪を梳いて、大人しくしてなよ、という。オレは苦しいにもかかわらず、喜びで胸が満たされて、だが次に続けられた言葉に思い切り固まることになった。
「すぐ戻るよ。戦う相手捕まえてくるだけだから」
「え! いやおまえまだそれ………てか誰と戦う気だよ!」
「決まってるでしょ、あなたの部下」
「駄目に決まってるだろ!」
「うるさいな、部下だったらあなたのために戦う位喜んでする筈だよ」
 そりゃ本当に治るならするだろう。だがどう考えたって治るわけがないし、部下らを危険な目にあわせるわけにはいかない。今のオレは多分部下たちの誰と比べても弱いし、頭はふらふらして、だがそれでもオレはキャバッローネのボスだ。ファミリーを護るのが役目だ。オレは震える手で枕の下にしまっておいた鞭を取り出した。


 熱は百一度ちょうど。食欲はなく、咳が酷い。無理にも働こうとするのを抗生剤を与えてベッドに放り込んだ。そんなかなり弱ってるボスの日本でのホテルの部屋に、弟子が入っていったのは数十分前のこと。大勢で囲んでも煩わしいだろうしと、ロマーリオは別室で書類仕事を黙々とこなしていたが、突如響き渡る家具や壁が破壊される音に驚愕することとなる。
 慌てて部屋に向かえば、上司とその弟子は戦闘の真っ最中。止めようとしてもまったく聞きはしない。さんざっぱら暴れて大汗をかいたあと、シャワーも浴びずに上司はベッドにもぐりこみ………そして次の朝にはすっきりした顔をしていて、熱もほとんど下がっていた。どういうことだろう。まったく、医学の知識はそれなりにあるつもりだったが、生命の神秘というものは計り知れない。とりあえずその朝、いくら戦闘狂の子どもであろうとも、病人に戦いを挑むとは恭弥も困ったものだとつい口にしたところ、あんなに包み込むように優しくかわいらしく慈愛に充ち溢れ気立てのいい奴はいないと真面目な顔で反論された。熱で頭をやられたのかとも思ったのだが、前述の通り熱はもうすっかり引いているのだ。ロマーリオは頭を抱えた。




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