つまらないな、と雲雀は思った。
 嘘をつく、ということがである。無駄な行いだとしか思えない。傷つくことなしに我を通そうという、その考え方自体がまず間違っているのだ。
 だいたいさっきから嘘をつきとおしているのに、相手はさっぱり反応がない。先ほど、もしやこれは騙せたのではないか、という手ごたえめいたものを感じたりもしたのだが、次の瞬間には向こうは平然として、「そういわずに一緒に入ろうぜ?」などと返してきた。なんということだ。これではまだ、あのいつもの嘘をついたほうがまだましなみたいだ。彼の宿泊するホテルに寝泊りするのは珍しいことではなく、雲雀がそんな風紀を乱す行為を認めるはずがないことなどわかっているはずだ。それとも、家庭教師などと自任するものだからこちらがつい期待してしまうほどには、ディーノは自分のことなどわかってはいないのだろうかいや期待など本当はしていないけれども。
「恭弥はさ、もっとちっちぇー頃とかこういうのみなかったのか?」
「………どうかな」
 映画館を予約した時間はもう少しあとだとかで、ぼんやりと雑談に付き合う。その、ディーノのいうところのスペクタクルでハートフルな何かの観賞のあとには、目くるめく時間が待っているのだと思えば、書類に並んだ文字もさっぱり意味をなさなかった。だいたい入学式の準備といっても、新入生だってほんの数日前までは小学生といえど充分に自己判断が可能な歳だし、しばらく放置して置けば勝手に病院なり何なり行くだろう。きっとそうだ。
「あなたはみてたんだ?」
 詳細にキャラクターやらストーリーの説明がなされているチラシの裏を眺める。正直にいえばアニメだけでなく、テレビ番組全般にたいした興味はない。自室にそれがない、というのも大きいのだろう。群れている場所を調べるために、夏祭りの時期などに数回、視聴覚室でローカル番組を観るくらいのものだ。だが、幼い頃はもう少しはみていたはずだし、そうでなくともあの猫型ロボットは日本人のDNAに深く刻み込まれたものらしい。ポケット。便利な道具。それを説明するあの特徴的な声………は変わったのか。なんということだ。
「や、どうかな。ガキの頃は寮に入ったりしてたしな。休みの時くらいしか」
「更正院?」
「じゃねぇよ。学校、学校の寮! まあそりゃそんな感じの奴もいたけど!」
「そんな子どもで?」
「本気でチビの頃は家にいたぜ。さすがに。でもこうマフィアん家だとな、あんまこう毎週時間通りにテレビを見る、ってわけにはいかねーつーか」
 なるほど。まったく人数が増えると煩わしいばかりである。
「あ、でも恭弥よりは詳しいと思うぜー。知ってるか、あいつはどら焼きが好き!」
「………知らないよ」
 とりあえず義務を遂行してみたが、勿論知っている。母国語が違う人間には秀逸かもしれないが、日本人にはわかりやすく、安易で、子供向けの駄洒落である。むしろそれ以外の何を食べるというのだ。
「本当に?」
 視線を上げればやけに真剣な顔をした家庭教師がいた。だが次の瞬間にはいつものへらへらした表情に戻って、雲雀はいうべき言葉を見失ってしまう。
「………まあね」
「そか。じゃ、あいつが工場で作られてるのは知ってるか? すっげぇでっかい、それ専用の工場があるんだぜ」
「へぇ………知ってるよ」
 ちょっと驚いたがロボットなどつまりは家電製品である。工場で作られているのは当然のことだ。たぶんアレも、そして変形したり合体してたりする子どもの頃観た記憶があるアレも、とにかくロボットと名がつくものは皆工場で作られているのだろう。なるほど納得した。
「こう、ベルトコンベアを多量に流れてくる感じで」
「ふうん。群れてるね」
「そういってやるなって、誰だって生まれてくる場所は選べねぇ」
 その考えはわからないでもないので頷いた。だがもしこの人が好きな場所や家に生まれるとして、他のところを選んだりするだろうか? 自分を必要とする人間があると知れば、自ら貧乏くじを引きまくりそうな人だ。
「恭弥はさ、どんなうちに生まれてきたんだ?」
「知らないよそんなこと」
 マフィアの家に生まれたわけではなし、いやそうであっても雲雀は雲雀の好きにする。自分で選択できないことに縛られるのは無駄だ。
「知らないってことないだろ。なんかマジでおまえって、工場で生まれてたりしてそうだけど」
「なにそれ」
 ほんとになにそれ。
「それくらい謎だって話だ。ミステリアスなのも魅力的だけどな、いやミステリアスって感じでもないんだけどなおまえ」
「なにそれ」
 むっとする。そこまで単純な人間ぽく扱われると腹がたつものだ。
「そろそろご家族に紹介してもらってもいいころだと思うんだがな? 先生なんだし。息子さんはオレに任せてください、ってちゃんと。まさか本当に工場で生まれたってわけじゃないよなー」
「………そうだよ」
 気づいたときにはその嘘は口から出ていた。いくらなんでも騙されるはずがない。だがいくら相手の意向を気にしない雲雀でも、それはまずかった。ディーノが家に来てどうこう、というのは。
「やっぱり」
 だが相手の反応は予想外なものだった。こくこくと納得したように頷いている。
「そーじゃねーかと思ってた。おまえはなんていうの、人間とは性能が違うというか」
「………まあね?」
「すっかり納得だぜ。耳が生えてないはずねーもん、おまえ。おかしいと思ってた。やっぱそうだったんだな」
「………………え?」
 意味が分からない。だがディーノはぎゅ、と雲雀を掻き抱くとやさしい声で続けた。
「やっぱあれか。鼠に齧られたのか。でも気にすることねーぜ。今のままでも充分かわいい。かわいい恭弥。かわいそうにな」
「………」
「耳が生えてるとこも見たかったけどなー」
 大きな手が柔らかい手つきで、執拗に雲雀の側頭部を撫ぜる。もしそうであれば、猫の耳が生えていたであろう場所だ。雲雀はうんざりした。やはり嘘などついても碌なことがない。騙すより力づくでも、自分の好きにした方が余程いい。
 だが最後に一つだけ、雲雀はいつもの嘘をつくことにした。いやいつもいつも向こうが勝手に嘘にするだけで、自分はいつだって本当になって構わないのだ。だいたいなんで僕がそんな猫の方があたりまえ、みたいな扱い。
「あなたなんて知らない」
「………恭弥」
「もう明日からここに来なくたっていいから」



 多大な犠牲を払って、ディーノは雲雀恭弥に嘘をつくのをやめさせることに成功した。
 犠牲、というのは、いつもの嘘というか強がりというか、そんな冷たいお言葉では勿論ない。傷つかないといえば嘘になるが、明日になって応接室に行けば、落ち着かないような安堵したような、そんな表情で出迎えてくれることはもう分かっている。というか、むしろそんな啖呵をきっておきながらきちんと映画には付き合ってくれるところが雲雀恭弥だ。嘘がつけない。
 むしろ犠牲になったのは部下の信頼というかなんというか。いや、それはこんなことで揺らぐようなものではないことはディーノが一番よくわかっている。だがそうはいっても微妙な心持になるものだ。先ほどホテルの部屋に戻る前、部下に手渡されたのは大量の猫型ロボットのグッズ。かわいらしいはかわいらしいし、だがいい歳した大人には対処に困るシロモノだ。
「その、恭弥が猫耳ロボットだったらいいのにみたいなことをいったらしいな、ボス」
「え、ええええええ?」
「まだ子どもなんだから遊ぶ時間もやれ、と恭弥にいわれてな。いや正直こうやって日本に来るだけでギリギリなんだがなうちは」
「や、わかってるって! てかそれは冗談だって、嘘っていうか!」
「ボス、恭弥が嘘なんぞつくはずねーだろ。オレも反省してるんだ。ボスになったときあんたはまだガキだったもんな………」
 いや、確かにガキだったがこのロボットに夢中になる歳よりは上だったというか。
 腫れ物に触るような態度で大量の低年齢向け玩具を手渡すと部下は去っていった。よかったね、と隣にいる弟子がいう。それがまた嘘でもなんでもなく、本心からいっているらしいのにディーノは当惑する。全くどうすればこの誤解が解けるのだろう。やはり嘘などついてはいけないのだ。














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