ミスったなー、とディーノは思う。
 雲雀のことだ。だが行事にかこつけてちょっとからかってみるなんて、恋人としても家庭教師としてもごくありふれたじゃれあいだと思う。もとより期待させて戦ってやらないなんてつもりもなくて、ただちょっと。こう、ちょっと。
 ………まさかあんな捨てられた子猫みたいな顔されるとは。
 雲雀は嘘をつけない。嘘だけでなく、媚も諂いも状況に応じて適当に中味のない会話を続けることすら、あの子どもには難しいだろう。自分を偽るよりは武器を振るう、そういう人だ。
 きっともっと楽な生き方は存在して、だが彼のやりように心惹かれているのは事実だった。へなちょこな自分が生きるために護るために捨ててきたもの。それと相反していて、かつそのものでもあるのだ。一つの齟齬もなく、ただ自分自身であること。
 だが今の今まで、嘘をつけない教え子の気質を不安に思ったことはなかった。それに全くつけないというわけではなく、なんかこう、お決まりのように嘘というか強がりというか、そんなことを口にしたりもする。気づかないはずもない。確かにとんでもなく素直だが、頭は悪くないし、警戒心は人一倍強い。いや野生動物一倍強い。いつも、「本当かな」と、むしろ嘘をついていたなら咬み殺してやろうという感じでこちらを伺う。嘘が下手でも、騙されることはそうあるまいと思っていたのだ。それがまさかあんな簡単に。
「なにみるの?」
「………へ?」
「映画。なにみるつもりなの」
「ああ! ちょっと待ってな」
 ディーノは慌ててポケットを探った。素直だ。予想外なほどである。絶対怒ってるとばかり。やはり騙されたのは自分を信用しているとか、そういうことなのだろうか。いや、捨てられた子猫のように見えたのは恋する自分のまなこ故で、現実には餌を取られてすぐの子猫とかなんかそんな。5秒後には猫キックが炸裂するとか、きっとそんな感じのはずだ。
「ほら! 前から一度みたいと思ってたんだ」
 部下の一人がどこぞで貰ってきたというチラシを広げる。この子どもは消して認めないだろうが、人数や交流が多いというだけで、きっかけやチャンスも驚くほど与えられるものなのだ。
「あなた………子どもじゃないんだから」
「ガキの頃向こうでも何度かテレビでみたんだけどさ………映画もあるんだなー。一度みたいと思ってたんだ。やっぱほら! 本場でみないとな!」
「声優が変わったんだよ」
 詳しいんだな、と思ったが、ジャポーネでは国民的キャラクターだというし、雲雀恭弥でも把握しているような一大転機だったのかもしれない。そういった社会的風潮の機微が、外国人の自分にはどうにも読み解けないのだ。
「むこうじゃ吹き替えだったしオレは気にしないぜー? だってあれだろ、映画化三十周年、なんだろ? そりゃみないとな!」
「子どもが群れてるよ、きっと」
「そこは抜かりねぇ! 二人きりで貸しきれるところ探してきたぜ! なんかシャンパンがついてくるんだって」
「………映画館の人もあれを上映するなんて思ってもなかっただろうね………」
 かわいい弟子が他人の心情を慮った発言をする。その成長に心が震えた。
 だがディーノだとて考えなかったわけではない。しかも場所は新宿の盛り場。色っぽい状況を予想して設置された場所のはずで。あちらはさぞ胡散臭い二人連れだと思うはずだ。だがアニメ映画であれば、男子中学生と自分が恋愛映画を鑑賞する、というよりはまだましなはずだ。っていうか雲雀だけでなく自分も、そんなのどこが面白いのかもわからないわけで。あのなつかしい猫型ロボットの大冒険を見守る方が、ずっと楽しい時間を過ごせるはずである。 
「いいだろ、きっと面白いぜ? 楽しみだなー」
「べつに」
「なんだよ、つきあってくれるんだろ?」
「つきあわないよ」
「あれ、恭弥は約束破る奴なのか?」
「破る奴だよ」
 むずむずした唇は一目瞭然だ。とりあえず数うちゃ当たるだろ作戦に出たらしい雲雀は、やはりとんでもなく嘘が下手である。いくら素直な性質を買っているといっても、これはいくらなんでもとディーノは思った。
「ま、絶対連れてってやるけどな。恭弥だったらさあ、どんな道具が欲しい?」
「………さあ?」
「やっぱタケコプタ−とかか? あ、でもあのなんとかいうライトで小さくなってヒバードに乗せてもらうのも楽しそうだよなー」
「あの子を大きくした方がいい………あ」
 何その顔。嘘つくの忘れちゃった、じゃないだろあれを巨大化させてどうする。
「あ、あなたは何が欲しいの」
「お、おお! そうだなやっぱどこでもドアかなー」
「それっぽいね」
「や、飛行機の中でも仕事してるしさ、大変じゃないんだぜ! ぜんぜん!」
「そうなの?」
「ああ! でもやっぱドア開けたらすぐ日本でさー、恭弥が風呂はいってるとかさ、いいよなー」
「………」
 じとり、とかわいい恋人に睨まれてようやくはっとする。これはない。ない。信頼する部下ほどの歳になってはじめて、口にすることを許されるような冗談である。何をいってるんだオレは。
「や!! 違う!!! ほらあれだ、そういうシーンがよくあったよな!」
「知らない」
「あったよ! あるんだよ! ドア開けるとしずかちゃんが、みたいな!」
「よく覚えてるね」
「違うぞ! もしあってもだな、恭弥が風呂はいってるのに押し入ったりなんてしねぇよ。失礼だもんな。風紀を乱してる」
「別に?」
「………へ?」
「入りたいなら入れば。僕は気にしないよ」
「………」
「あなたそういうの嫌なのかと思ってた。今日、一緒に入る?」
「………………マジで」
 一瞬で走馬灯のようにディーノの脳をいくつかの情景が駆け巡った。つまりいわばある種のファンタジー。ふわふわだったりあわあわだったりできることならばぬるぬるだったりえろえろだったり。僕が背中を流してあげるよとかなんかそんないやそれは流石にありえない。我に返るとなんとか表情を取り繕う、ことが出来た気がする。頬を引き締めて恋人を見遣れば、雲雀恭弥はとんでもなく美しく満足気な笑みを浮かべた。
「嘘だよ」
 雷が落ちたような衝撃のあとで、ディーノは全てを悟った。およそ人が犯しうる罪悪の中で、虚偽ほど罪深いものはない。ここまで人の心を傷つけるような行いを、神が許したもう筈があるものか。
 だが雲雀恭弥には罪はない。すべてはこの呪わしき日の存在を教えた自分に咎がある。わくわくとこちらの様子をかがっている子どもは、きっとさっぱりわかっていないのだ。家庭教師として、例え何を失っても自分は彼に教えてやらねばならない。嘘をつくのは悪いことだと。














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