のこったのこった


「日本っていうのも、世知辛い国だよなー」
 生意気なことをいうので一発ぶん殴ってやろうと横を向いて、そしてやめた。聞いたところによるとマフィアのボスであるはずの男が、ソファに座ってしょぼくれている。何の冗談だ。
 時刻は既に十一時を回っている。倦怠を身に纏った躰をそのままバスに沈めて、そしてまた浮き上がってきた。躰だけ。バスローブを羽織り、ミネラルウォーターのペットボトルを携えてソファに座る。テレビのリモコンを弄くる。ほんの半時間前まで耽溺していた行為を今はもう忘れているのだという僕なりのジェスチャーだ。流れだしたのはニュース番組で、三十八度を厳密に維持する湯に浸かる前に既に沸騰してた僕の脳は、したり顔で物申すキャスターの戯言をさっぱり全くこれっぽっちも理解できなかった。
 しかし外国籍であるこの男がそういうのなら、それもまた世界の、この国に対する意見の一つであるのだろう。日和見主義の政治家、陰惨な殺人事件、芸能界のあれやこれや。否やを唱える論拠などありもしなかったから、僕は沈黙を貫いた。
「銭湯に入れないって聞いたときもへこんだけどさー」
「プールも群れた海も駄目だよ」
 並盛のためにもそこは明らかにしておかねばならないところである。ただ立っているだけでも風紀を乱す男なのだ。勝手に女子に話しかけられたりなどしているので、何度制裁を加えてやったか知れない。そんな浮ついた場所に水着姿なぞで投入したら、どんなことになるかもわからない。
「まじかよ、厳しいな。あ、まだ怒ってんのか? あのお嬢さんはあれだぞ、道に迷ってるから聞いてきただけだぞ」
「怒ってない。ほんとに駄目なんだよ。だいたいあなたに道を聞くなんて頭がおかしいんじゃない?」
「ひでえなー。オレは並盛の裏道のスペシャリストといっても過言じゃねぇぞ。見回りに付き合ってるうちにかなり覚えた」
「それくらいで」
 確かにそれなりに詳しいかもしれない。そして並盛に在住している外国人も、最近は増えては来ている。だがまだこの国で、それなりに人通りのある道で、道に迷ったからといって明らかに海外製品の金髪の男に声をかけるなぞ、不自然極まりないではないか。何故気づかない。
「恭弥も道に迷った時にはオレを頼ってくれていいぞー」
「ああ馬鹿なんだ」
「おまえなあ………頼れよ! てか励まそうよ、なあ」
「なにまだへこんでるの?」
「ああ。なんでマフィアだからって相撲見に行っちゃいけねーんだよ………」
 先ほどからしつこく流れているニュースは、暴力団関係者に親方がチケットを譲渡した責任問題についてだった。まあスポーツ観戦に興味がある人種は多いのだろう。僕自身は興味がないが、我が中学の体育祭の観戦の権利と引き換えに、風紀委員会では街の有力者からはかなりの寄付を貰っている。実際に見に来ているのを見かけたことはないが、観客が群れた場所の見回りは委員に任せているので、出席しているか否か詳しいことは知らない。
「多分群れていたのが問題なんじゃないの?」
 彼の部下からしてそうで、単品で見る限りには、多少目つきが鋭いような気もしないではないが全体的に見てまあ気のいいおじさん、といった感じだ。草食動物に比べれば動きも機敏で躰も逞しいが、それだけですぐ、裏稼業の人間と判断するほどではない。だが数人集まれば、これはもう、見るからにマフィア、だ。あっという間に周囲にばれてしまうだろう。
「一人で相撲見に行って何が楽しいんだよ」
「なんで。いきなよ一人で」
 どうしてこう、ことあるごとに群れようとするのだろう。まあ、部下にサービスするのも仕事のうちだという彼の考えは、全くさっぱりこれっぽっちも実践するつもりはないけれども、一つの意見として存在しているのを否定するほど狭量ではない。そういうやり方で成り立つ群れた組織もあるのだろう。サービスといいつつ自分が一番楽しんでそうなのも見逃そう。演技にはどうしても見えないけれども。
 でもここは日本で、彼と僕が一緒にいられる時間はそう長くはない。方向音痴の女子だとか、廻しを締めた力士なぞよりも、僕の相手をしていればいいのだ。
「えー? 恭弥、相撲嫌いか?」
「マフィアならそんなことしてちゃ駄目だよ」
「そか。そうか、そうだよなー………こんな業の深い仕事をしていて余興を楽しむとか、贅沢な話だよな」
「人が戦っているのを見ている暇があるなら自分が戦ってるべきだよ」
「え? それ?! 立場とか考えろって話じゃなくて?」
「知らないよそんなの。自分が戦ってるほうがよっぽどましだよ」
「………えー、何、恭弥、自分で相撲するほうがよかった、か?」
「うん?」
 そんなわけはない。トンファーという武器を使うことからもわかるように、戦うといってもこう、過剰な肉弾戦、肌と肌が密着するような行いは好きではないのだ。だがそういうならば、ほんの数十分前までしていたのはなんだったのかという話だ。突っ込まれるのはわかりきっていたから僕は口を噤んだ。
「そうか、そか。ごめんな気づかなくて。いやそっかー。うん、恭弥がしたいんならオレは付き合うぜ。あ、ちょっと待っててな、今明日の手配しちまうから」
 なんだそれ。だが相手がこの男だというのなら、想像してもそう不快な話ではなかった。たまには趣向を変えて戦うのも面白いかもしれない。鞭を使わないとなると途端に自信がないのか、我が家庭教師は照れたような顔でなんだかんだいうと、電話に向かった。
「プロント?」
 部下への指示の電話は、始めからイタリア語。それでもこうしてこうして傍にいる時間が増えれば少しずつわかる言葉も増えていくものだ。まずは場所、そして明日移動する時間。大体は聞き取れたことに満足しながら、向けていた集中力をとぎらせようとしていた瞬間耳に入った「mawasi」に、僕は武器を構えた。
 ない。それはない。どんな犠牲を払っても僕は正しい戦いかたってものを彼に教えてやらねばならない。












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