「きょうや。もう大人しくしろって。たっぷり戦ったろ?」
「やだ」
 すっかりかわいくなっちまったボスの弟子は、唇を思い切り曲げてそっぽを向いている。バックミラー越しに確認しただけでも、なんともはや、反抗的な対応だ。ちなみにその体は鞭でぐるぐる巻きにされている状況である。いや、我が上司は本気になれば、いくらでもこれ以上にえげつない縛り方を出来る人である。だがそれでもこの状況でここまで堂々とした態度を貫くとは、図太いというか何というか。いくら休日の中学校といえど、鞭で拘束されている男子中学生を横抱きにする三十二歳外国籍男性を護衛する、というか人目に触れないように周囲を囲む、というのはなかなか気の使う作業だった。ほんの十年前、こんなミッションを日常業務の一つとしてこなしていたなんて、我ながら信じられない。これが年を食ったっていうことなのだろうか。しかも、護衛されている本人達はさっぱりわかっておらず、片方など「群れるな」と牙を剥きだして見せるのだ。正直疲労度はすさまじく、今すぐ帰ってシャワーを浴びてゆっくり寝たい。だが残念なことにこの住宅地では、ちんたらした制限速度を守って運転するしかないのだ。並盛の秩序様は今は決然と右を向いていらっしゃるが、いつ何時メーターに視線をやるかわかったものではない。
「すーぐトンファー出して来るんだもんなー。駄目だろ? 今は匣を使いこなせるようになるまで練習すんだかんな」
「知らないよ」
 縛り上げた上、膝に乗せて両腕で取り囲んだままボスは説教を始めた。引田天功じゃあるまいし、そこまでしなくても逃げられることはないと思うが、何といっても相手は雲雀恭弥だ。念には念を入れておいたほうがいいと考えているんだろう、多分。いやきっとそうだ。当たり前だ。深読みするにも程がある。相手は今現在中学生なのだ。
「んー。使えば絶対強くなるぜ?」
「つまらない」
 拗ねたような表情に、ボスが酷く動揺したのがわかった。そりゃそうだ。この時代の恭弥は東に知らない匣があれば行って所有しているファミリーを咬み殺し、西に新たな謎があれば行って周囲の秩序を乱す者を回復不能にして、ついでに南と北の連中も壊滅させようかというのが御モットーなのだ。
「恭弥はオレより匣の方が大事なんだー」と泣き言をいうボスを何度慰めたことだろう。まあ一通り吐き出すとけろっとして浮雲を追いかける日常を続けているのだから、ボスも本心ではわかっているのだろうけれども。
 大体十代の恭弥がトンファー>>匣だからといって、匣<ボスだとはわからないわけだ。ていうかあの恭弥が例え十年前だといえども素直に認めるかどうかはわからない。正直五分五分といったところだろうか。なんといっても旋毛が曲がりに曲がって最終的に一回転なさった、時々素直な御子様である。穢れた大人には反応が読めない。
「すーぐ好きになるって。楽しいぞーこういうのも」
「そんなわけない」
「そうか? 何が嫌なんだ? 話してみろよ」
「……」
「一緒に考えてやれるかもしれないだろ? な?」
「…………感触が」
「ん?」
「感触が……ない。肉とか骨とか、潰れる感触がないとよくわからないだろ」
「……わお」
 なんとも恭弥らしい、というかえげつない答えである。黙視でいけねぇか、とか答えているあたりボスも予想はしていたのだろう。あーとかうーとか、一頻り呻いたあと、ボスは一つ大きく頷いた。
「まあそうだよな。オレも肉弾戦の方が好きだけど」
「やっぱり」
「やっぱり?」
 反応に驚いてどうする。だがここまで騙されやすいのも人としてどうなのか、という気はする。
「やっぱり変わらないね。口ではどうのこうのいうけど、あなた、僕とやるの好きだろう?」
「わかんの?」
「わかるよ」
 ボスの顔を覗き込んでいる戦闘狂の表情はこちらからは見えない。見えないがなんとも艶かしい声である。ああそうか、と思った。この恭弥は、本当はボスがどんな風に実戦で戦うのか知らないのだ。
 キャバッローネは仁義を重んじるファミリーだ。それは間違いない。だが日本にだって、勝てば官軍という言葉がある。イタリア語でいうならばChi vince ha sempre ragione。勝者は常に正しい。多分万国共通で、諺というよりは単なる事実、当たり前の事柄。マフィアの世界でもいうまでもない。部下から見ても有能な我がボスが重要視するのは見方の被害を最小限に食い止めること、戦いを最短で終わらせること。そのためには武器の種類や戦い方云々に拘っていられるものか。手段を選ばない相手にそうそう高潔を保ってもいられない。それは十年後の恭弥だとてわかっているはずだ。
 だが恭弥と戦うとき、それが痴話喧嘩であろうと手合わせであろうと、武器を選ぶなら、ボスは間違いなく手に馴染んだそれを選ぶ。そうだ、確かにボスは肉弾戦が好きなのだろう。たった一人の弟子が相手の時には。この十年間、この二人が暇を見つけては楽しげに、熱に浮かされたように、互いの生きるすべを高めあっているのを見てきた。
「あなたと戦うのに、こんなものなんて邪魔なだけだよ」
「恭弥。そうだな。うんそうだ。わかってるよ、でもな」
「ディーノ」
「ミルフィオーレの奴らに負けちまったら、オレともう戦えないだろ?」
 勝っても戦えるのは十年前のボスではないのか。まあボスはボスであるので、騙したことにはならないと考えているのだろうか。
「負けないよ」
 ふん、と鼻を鳴らす子どもは確信に満ちていて、ああ変わらないなあと思う。多分きっとそれなりに成長している筈でいや実際なされているのだが、ああそれでもさっぱり変わらない。
「負けるぞ、このまんまだとな」
「……」
「おまえを鍛えるのはオレの役目だ。オレはおまえをあんな奴らに負けさせるわけにはいかねぇんだよ。全部終わったらさ、躰一つでみっちり戦おうぜ、それに」
「……あ」
「こいつもおまえの役に立ちたいってさ」
 ボスが恭弥の匣を指し示すと動物好きな子どもは納得したようだった。よしよしと頭を撫でてやっているのが見える。
「……でもそうか、あなたも肉弾戦の方が好きなんだね」
 嬉しげに恭弥が呟く。多分十年前の恭弥は、そんな相手すら並盛内では満足するほど現れなくて、常に不満を抱えていたのだろう。普通の中学生なら風紀委員長がトンファーを構えただけで、全速力で走って逃げる。
「ああ、恭弥限定でな」
「そう?」
「うん、好きなんだなって最近気づいた。ま、肉刀戦でも肉槍戦でもいーけどなー」
「……なにそれ」
「ん? いやだからほら、こう、肉槍持って突っ込んでくー、みたいな」
「…………」
「日本だと一般的な戦い方なんだろ?」
 ミラー越しに見た、卑猥な所作については詳細な描写は慎んでおくことにする。純真な中学生はたっぷり一分間は沈黙したあと「あなた変わってないとばかり思っていたけど、やっぱり親父くさくなったね」といった。耳まで真っ赤だ。
 恭弥。実はその辺はさっぱり全く変わってはいない。うちの幹部連中はまあほとんどがこう、紳士的な自分を除いて、むさくて男臭いタイプだ。ボスは必然的に、そんな奴らの猥談やらジョークだのに幼い頃から晒されてきたのだ。同年代のクラスメイトの口に上るものに比べて格段に扇情的であったことは間違いない。
 この子どもがボスのそういった側面を知らないというなら、それはあの頃のボスが多少は幼い相手に遠慮したり格好つけたりしていた、というだけのことである。十年後のおまえはボスの冗談なぞ顔色も変えずに受け流すばかりか、機嫌がよければ「やれるものならやってみなよと」昼間からベッドルームに引きずり込んだりしてるぞ、と長年の不幸な目撃者としては、教えてやるべきなのかどうか。
「何いってんだー。恭弥も嫌いじゃないだろー」
 能天気なボスの声で、車内の気温が確実に何度か下がった。あと五分だ。五分もあればホテルに着く。そして部屋まで護衛すれば、あとはどれだけこの二人の見た目が犯罪臭かろうと、厳密な意味では業務は終わりである。あとは好きにしろ、と思う。いや本当にボスが好きにするという話ではなく多分あれは冗談だろう。冗談であって欲しい。ミルフィオーレを倒したあと、キャバッローネのボスがボンゴレの雲の守護者に殺される、などという展開はファミリー人間としては御免蒙りたい。いやあの恭弥だってさすがにそこまではしない、だろうか。どうだろうな。あきらかにSM的な体勢の上司とその弟子を見遣りながら、ファミリーの行く末と過剰な労働負担について思いを馳せた。












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