ドアの開く音がして書類から顔をあげると、雲雀がつかつかと部屋に入ってきたので、ロマーリオは驚いた。
「お、おお。恭弥、早かったじゃねぇか」
 飛行機の到着時間は知っていたが、夕方近くで道も混んでいるだろうし、何より住み慣れた国の交通機関に属する人間の、いやそれ以外の人間も殆どではあるがその、仕事の悠長さは嫌になるほど知っている。あと一時間や二時間は優にかかるだろうとみていたのだ。
「そうでもないんじゃない」
 ふわあ、と長旅の疲れかいつものことか、雲雀は大きく欠伸をするとトランクを床に置いた。考えてみるとこの雲雀が、空港での税関の煩わしいあれやこれやを我慢できる筈がない。自分だって、時々キレそうになるほどなのだ。やれ麻薬は持ってないか覚醒剤を隠しているんじゃないかと痛くもない腹を執拗に探られるのだ、平静でいられる筈がない。その癖キャバッローネ随一のスナイパーとして手放せる筈もない愛用のライフルは、細かく分解してトランクの底に忍ばせてあるとはいえ、特に何もいわれず国外に脱出できたりするのだ。全く理解できない。細かいことをがたがたいうんじゃねぇと、有るべき公共機関の人間としての心構えをついついいらぬ説教をしてしまうのが、功を奏しているのだろうか。いやまさか、そんな甘いものでもないだろう。
 これだけ早い到着である。雲雀恭弥は雲雀恭弥であるので、もしかしたら税関の人間を群れるなさっさとやれと脅しつけたのかもしれないいいぞもっとやれ。………ではなく、まあなんというか、そうだ、ボノが真っ白な顔をしているのが目に浮かぶようだ。
 そう考えて気づいた。空港に雲雀を迎えにいった筈の部下の姿がない。
「恭弥、ボノはどうした?」
 慌てて聞くと、コートを脱ぎ身体を軽く伸ばしていた雲雀は、首を傾げた。
「ああ、迎えに来た彼? この屋敷の玄関のところで別れたけど」
「本当か? なんだあいつ、しょうがねぇなあ」
 送迎の役目を担った以上、この部屋まで送り届けるのが彼の仕事である。つい眉をしかめると、雲雀がなんでもないようにいう。
「なんか、取引先からいきなり連絡があったみたいだったよ。着いてはいたんだし、問題はない」
「そ、そうか」
 風紀の乱れや群れることには厳しいが、基本的にはどこか鷹揚なところがある人だ。飲み友達でもある日本人の青年が、彼についていくわけがわかった気がして、つい笑みを零した。
 だが確かに我が部下を責めるのはお門違いだろう。本当ならば自分か、それとも自分とボスが迎えに行くべきところ、というか迎えに行きたがっていたところを、ボスの仕事が終わらないために、急遽彼に頼むことになったのだ。今はそれなりに仕事が忙しい時期で人手が足りず、だが雲雀と顔見知りで、出迎えの役をこなせる人間はそう多くはない。五年程前からボスが渡日する度に随行し、日本語も達者な連中というと、いきおい我がファミリーの古参の幹部、ということになる。彼だってたまたま少々手がすいた、というだけで、暇というわけではないのだ。
「この部屋の場所は聞いたしね」
 そう雲雀が言葉を重ねるので、苦笑した。こういうところが我がボスが、かわいい恭弥は天使のように慈愛に充ち溢れて優しいだとかなんだとか、そんな戯言をいいだす原因だろう。恋に溺れる人間ではない目を通すと、単なる不器用な心配りとしかいいようがないが、それでも何となく微笑ましく感じないでもない。そしてそう感じてしまうのは、多分彼がまだ子どもの頃から知っているせいだ。何をしたって、ああ成長したものだと、そう思ってしまう。だが彼はもう二十歳を過ぎていて、そう思えば部下の対応はそれなりに適切なものといえなくもない。家の玄関まで連れてくれば、正面の廊下をそのまま突き進むだけのこの部屋、ボスの執務室はそう難しい場所にあるわけではないし、ここにいる他のファミリーたちも日本語が達者なものはそう多くはないといえ、少なくとも英語は喋れるし、雲雀も英語はもちろん、長年のボスの説得の甲斐あってイタリア語も日常会話程度なら殆ど不自由はないのである。幼い頃から知っているだけについついボスではないが世話を焼きたくなってしまう嫌いがあるが、彼はもう学業を終え自分の組織を立ち上げたいい大人なのだ。
「ちょっと待て、今茶でも用意させる」
 長旅のせいもあるのだろう、疲れた表情を浮かべる雲雀を制して、ロマーリオは内線の受話器を取った。部下を笑えない、どうにもひどい対応である。だがボタンを押す前に、雲雀が軽く手を振ってソファに座った。
「いいよ、大丈夫」
「そういうな。ボスがこれからのためにどれだけ緑茶を用意したと思ってる。十年は風呂にだって使えるって量だぞ。せいぜい消費してやってくれ」
「ふうん。じゃあ遠慮なく」
 そんなものしたことあったのか、などと口にするほど馬鹿ではない。二人分茶と茶菓子を注文して受話器を置き、ソファに再び座ろうとしたところでチャイムが鳴った。ドアを開けると、日本茶と御萩とビスコッティとティラミスとズコットがワゴンに乗せられて置かれていた。早い。思わず呆然として席に戻ると、不審気な視線を向けられた。
「どうしたの」
「………いや。茶が届いてた」
「当然だろ、頼んだんだから」
「ああ、うん。そうなんだがな」
 当然ながら雲雀は、グリニッジとも並盛とも違う速さで流れるイタリア時間というものを御存知ない。だがまだ知らずにいるというのなら、教えない方が得策であろう。曖昧に笑って茶を前に置くと、うん、と一つ頷かれた。全く惚れ惚れするような上に立つ者の態度といえて、つい平伏したくなるほどだ。
「ボスの分と思って頼んだんだが」
 届くまでにはボスの仕事が終わると思ったのだ。なんといっても額に炎が灯っていないのが不思議なほどの必死さで書類と格闘していたのだ。あんなにも早く書けるペンというものを、今までの人生で初めて見た。終わるまで出てくるなと、書類と一緒に資料室に詰め込んでおいたから、今頃はさらにペンを加速させているかもしれない。
「冷めるよ」
「………ああそうだな。呼ばれるか」
 ボスが来てからまた頼んでも、あの速さなら問題はないだろう。ありがたく茶を一口口に含む。うまい。コーヒーの苦味とも、紅茶の渋く甘い味とも違う、滋味深さがある。そういおうとして、だが目の前の青年が茶を飲み下すなり深く息を吐いて、彼は舌ではないどこかで、異国の地で飲む日本茶を味わっているのだと、そう思った。
 居住まいを正す。こういう際の礼儀は何を置いてもきちんと行われるべきものだ。三つ指をついて………頭を下げるべきなのはボスなのか、こういう場合? 一応ジャッポーネの礼儀作法の本も読んだりしたのだが、難解にも程がある内容だったうえ、情けないことにいざとなるとすっかりあがってしまっている。とりあえず土下座は違うだろうと判断して、ソファに座っている状況下でできる限り、深く頭を下げた。
「ちょ、頭をあげなよ」
「恭弥。キャバッローネをあげて歓迎する。これからよろしく頼む」
「………なにそれ」
 冷えた、だがそれ以上に頼りない声に困惑する。いや誤解を恐れずにいえば、頭を下げたところで、それはこちらとして最大限に敬意を払っているというジェスチャーであって、雲雀がその態度を喜ぶとは思っていない。ロマーリオがみたところ、風紀を乱したり自分に逆らったりすれば容赦なく咬み殺すが、あそこまで平身低頭礼を尽くしているのはどう考えても、草壁を含む委員面々の趣味だ。いやそんないいわけすべきではない。
「あげて、は違うか。ボスの部下一同歓迎する。ボスの気持ちは、わからねぇ筈はねぇし、俺がいうべきことではないな」
 僭越だった、ともう一度頭を下げる。だが、やめなよ、と低い声で窘められた。そこらへんのチンピラなら耳にしただけで走って逃げそうな声だ。今さら、長い付き合いの子どもが怒ったところで慣れたものだが、それでも困惑する。怒らせるようなことは、何一ついったつもりがない。
「嘘ばかり」
「いや………そんなわけねぇだろ」
「別に、君を疑ってるわけではないけどね」
 薄く微笑むと、雲雀は息を吐く。その物憂げな様子にロマーリオは妙に焦った。そうだ。長旅で疲れているのかと思ったが、雲雀は常に世界中を飛び回っている浮雲だ。なにかこちらに不手際でもあったのだろうか。思いついて蒼白になる。いや、いつもならば雲雀が機嫌を損ねたところで大して気に留めもしない。フォローするのはボスの役目だ。だが今日は何といっても特別な日である。これから、彼はこの屋敷で暮らす………まあ忙しい人だからそう毎日いはしないだろうが、とりあえずここを家と定めて生活する、とそういう話になっている。今ここで御破算になったら、ボスはどうなる。ここ最近、かわいい恭弥が来るかわいい恭弥が来ると、かつてないテンションで仕事に取り組んでいたボスは。ああやっぱり、どんなに忙しくても、自分が迎えに行くべきだったのだ。
「ボノがなんか失礼なことしたのか? ………ああ、いやそんな筈はないな、あいつは」
 咄嗟に疑ってしまったが、あの部下は自分よりよほど気配りの出来る、優しい性格をしている。それに、雲雀が中学生の頃からたびたび日本に出向くボスに同行していたから、その対応にも慣れている筈だ。
「恭弥、何があった………他の奴らか!? 正直に話してみろ」
「別に」
 と答える奴は大体いいたいことが何かあるものだ。ロマーリオは頭を抱えた。キャバッローネをあげて歓迎する、そういった言葉に嘘はない。実際このところ屋敷中は歓迎ムードで沸き立っていて、廊下を全部飾りつけしようとか、到着に合わせて花火を打ち上げようとか、そんなことをいいだす部下たちをボスの耳に入る前に窘めるのはそれはもう大仕事だったのだ。ボスが聞けばすぐやりたがるに決まっているし、雲雀がそんなこと喜ぶ筈はない。
 だがそれとは別として、五千人を超す人間の意見が間違いなく一致している、そういうファミリーであるかというと首肯し難い。だいたい、むしろそうであるとするならば、それは歪な団体であるといえるのではないだろうか? どんな思考統制だ。厳密にいえばアンケートを取ったわけでも、全員の考えを確認したわけでもない。ファミリー中が祭り前かのように盛り上がっていて、本心を口に出せないだけで、内心では心穏やかではない人間がいるのかもしれない。何といっても二人は男同士で、キャバッローネファミリーのボスとボンゴレの守護者で、むしろ反対すべき意見の方が多くて普通だろう。自分はずっとボスのそばにいて、あの日応接室に入った瞬間にすべての骨が抜かれて、精神力だけで二本の足で立ちながら「おまえが雲雀恭弥だな」なんて虚勢を張ってみたボスを見ていたから、こうなるのは当然、というか遅かったとしか思えないのだけれども。
「何か、いわれたか?」
 部下を疑うのは正直つらいことだ。そして、例え何があってとしても単に悪意によるものだとはロマーリオには思えない。皆、ボスを慕っているのだ。
「大したことじゃないよ」
「恭弥!」
「………」
「大したことじゃなくてもいい、教えちゃくれねぇか。俺は把握しておくのが仕事なんだ」
 そういうと、困ったように視線を揺らした。余程いいにくいことなのかと、気分が重くなる。
「本当に大したことじゃない。挨拶されたり、聞いてもないのにここまでの行き方を教えてくれたりしたしね。でも、ただ………ドン川井、っていわれたよ」
「カワイ?」
「ああうん、字は知らない。画数の多いほうの字かもね。でもとにかく、名前だと思われてるんだろ、その「カワイ」ってのが僕の」
「いや恭弥、そりゃいくらなんでも」
 勘違いだろう、というと雲雀は小さく首を振る。
「何人にもいわれた。正直にいうとね、嫌われるのも恨まれるのも覚悟してた。僕は君たちの大事なボスを誑かした、って思われてるんだろうなって。だって、僕に会うまではあの人、普通に女の人が好きだったって、いっていたから」
「いや………そんなこと思っちゃいねーと思うが」
 なんといっても出会ったとき向こうは何も知らない中学生だったのだ。どう考えても責任を問われるのは年長者であるボスで、実際あの頃は職質でも受けたらみっともないと、デートだなんだとボスがいいだすたびに内心ひやひやしていたものだ。
「いいよ。気を使わないで。でも、刃向って来るなら咬み殺せば済むし、負ける気もないけど………………名前も知られてないほど関心がないとかは、正直予想もしてなかった」
 かつてないほど打ちひしがれた様子で雲雀がいう。ロマーリオは慌てた。そんな筈はない。そんな筈はないのだ。雲雀はボスの恋人で、だがそれ以前にボンゴレの雲の守護者である。知らないわけがない。
 例えばである。ユヴェントスのプリマヴェーラに所属している、若きサッカー少年がいるとしよう。彼の崇拝の対象はもちろんヴィンチェンツォ・イアクインタで、彼が蹴ったボールにもキスしそうな勢いだ。いつか同じチームでプレイするのが夢である。だがそれはそれとして例えば、そうだ、彼がデヴィッド・ベッカムを知らない、そんなことが有り得るだろうか? ない。それはない。プリマヴェーラどころか、プルチーニに所属している子どもだって知っているだろう。当たり前のことだ。
 例えとしておかしいのは承知している。雲雀はベッカムって感じじゃないし、恐妻家というよりは、夫を尻に敷いてプレス機で伸ばしたように仕上げそうな男だ。ボスがおとなしく敷かれている柄じゃないだけで。そして、サッカー選手でもないから、公にその写真が出回ることもない。だが、裏世界に足を踏み入れた人間ならだれでも知っている。雲雀恭弥。ボンゴレの雲の守護者。チヴェットーネファミリーを一晩で壊滅させ、だれもが恐れたピピストゥレッロファミリーのボスを再起不能にした男。何にも縛られることのない浮雲。武勇伝は枚挙にいとまがない。
「そんな筈はねぇぜ、恭弥。こういうことをこっちがいうのもあれだがな、おまえさんがくるから、精一杯歓迎しようとこっちは数ヶ月前から準備を進めてるんだ。部屋や風呂を改築したし、他にも色々、な」
「それは………知らないよ。でも名前も憶える気がないなんて、どうせ短い、遊びのような関係だって思ってるんじゃないの。いや、僕は、人がどう思おうと気にしないけど」
 まるで自分にいい聞かせるが如くに雲雀がいう。確かに普段の雲雀ならそうだろう。だが彼の態度はとても気にしていない人間のものとは見えなくて、ロマーリオはこんな状況にもかかわらず、仄かな喜びを感じていた。彼が気にするなら、それは自分たちがキャバッローネファミリーであるから、ボスの部下であるからなのだ。
「そんなわけねぇだろ。おまえ、自分がボスと何年付き合ってると思ってる。大体ボスは、付き合いだす前から弟子のおまえを猫っかわいがりしてて、こっちに戻っても隙あらばかわいい恭弥がどうしたかわいい恭弥がこうしたと………………………カワイ?」
 いやな予感がする。ロマーリオは息をのんで、そしてどこか聞き覚えのある名字をもう一度唇に乗せた。カワイ。川井だろうと河合だろうと、日本人としたらそう珍しくもない名字の筈である。で、あるが。
「そうカワイ。委員にもボンゴレにも、そんな名前の人間は僕が知る限りいないけど。誰と間違えてるのかな」
 おもしろくなさそうに鼻を鳴らす、ボスの恋人はこれはもうさっぱりわかってはいない。だがロマーリオは一つの可能性に気づいてしまった。
 ところで、ボスであるディーノはイタリアではイタリア語で話す。もちろん。母国語であるので当たり前のことだ。そしてボスたるもの、ただ無口に仕事に励んでいればいいわけでなく、ちょっとした雑談に参加したり、旅先の面白いエピソードを披露するのも、部下の心を掌握するには重要なコミュニケーションである。と、いうのをさし置いておいても元来ディーノは話好きで、特にたった一人の弟子ができてからというもの、その自慢話というか惚気話というかを話したくて仕方ないらしく、傷がついたレコードのごとく次に日本に行くまで同じ内容が繰り返されるのだ。
 そしてその話も、イタリア語で話される。当然である。日本までついていった、日本語の話せる幹部連中は帰国までに充分すぎるほどその話を聞いて、国に帰ればそこまで親身に話につきあってはやらないから、ターゲットが他の部下に移るせいもあるだろう。全てがイタリア語である………といいたいが、例えば固有名詞なぞは日本語のままに発音される。「並盛」とか「風紀」とか。「風紀財団」とか。ああ、それに「応接室」もそうである。これは「風紀」に比べれば訳に困る単語ではないが、雲雀が学校に通っていた頃は、「応接室」はそれ即ち「風紀委員のための部屋」の意味であったし、財団に入ってからは、これは異国の人間にはどうも理解しかねるのだが、「応接室に行きたい」と告げると、雲雀が居住する奥まった数間の和室に通される。財団だとて外部の人間を相手にすることは多く、そのための部屋も設けられているにもかかわらず、である。たぶんそこは何か、別の名前を与えられているのだろう。まったく、応接室に住む人間が、誰よりも他人と相対することを好まない人間であるとは何たる皮肉であろうか。
 そんなわけでボスは雲雀と会える場所のことを全て「応接室」という。下手に訳せば、よくわかっていない他の部下らは話を聞くたびに、そんな場所でなにをいちゃいちゃしているんだとか、ボスともあろう者がそんな部屋に寝泊まりさせられているのかなどと、いらぬ心配をしてしまうに決まっているので、むしろこの対応は適切といえるだろう。ボスの話はそれなりに長いので、時々日本語の単語が紛れ込んだところで、ファミリーの人間もいちいち意味を聞いて話の腰を折ったりしない。日本ではそんな名前の場所があるんだろうとか、そんな感じで流してしまうのが普通だ。
「あの人の知り合いに………誰かいるの? カワイ、って」
「いねぇよ」
 意を決したように聞いてくる、その態度に苦笑する。「かわいい恭弥」とボスならばいうところだろう。子どもの頃から知っているせいか、その描写には全く違和感を覚えずにいたのだが、もしかしなくても二十歳を過ぎた男には適切な評価とはいえないものではないだろうか。
 「かわいい恭弥」。ちなみに「かわいい」も日本語である。何でなのかそれは、ボスでなくては窺いしれない。多分、日本で出会い日本で逢瀬を重ねた日本人の恋人には、アッヴェネンテとかカリーノとかカーロとかより、「かわいい」という賛辞の方がよりふさわしいと思っているのだろう。それともただ単に、これは深く考えたくないところだが、口にしすぎて癖になったのかもしれない。愛称というのは普通、元の名前よりも短く決められるものだと思うのだが、基本的にボスが呼びかけるとき、日本でもイタリアを含め別の国でも、この形容詞が頭につかないことはないし、下手すると二重三重にも、さらに形容詞が積み重ねられている。
「ようこそ、かわいい恭弥!!」
 ばん、と大きな音をたてて扉が開いて、ボスが飛び込んでくる。あの書類の山が何とか片付いたのだろう。満面の笑みで部屋に入ってきたマフィアのボスは、大きく腕を広げて喜びを表現しようとしている。
「………ディーノ」
 ソファから立ち上がったボンゴレの雲の守護者は、鷹揚にその過剰な感情表現を許し、抱きつかれるままにおとなしくしている。先ほどまでの胸に抱えていた不満は、取りあえずは飲み込むことに決めたらしい。常々思うのだが、雲雀はその孤独を愛する生き方から誤解されることも多いが、ボスのいうとおりその心根は優しく、そして対応は常に公平である。部下が何をいったからといってボスを責めることはないし、その逆も然り。不始末はすべて本人に降りかかってくるもの、という認識である。そんなわけで、この健気な人は、力任せに恋人を抱きしめるボスの所業を、寛大にも許していた。実際にはボスがすべての元凶とも、いえなくもないのだが。全く我がボスにはもったいないくらいの人である。
「ああオレのかわいいかわいい恭弥。会いたかった!! オレがどれだけ会いたかったかとか、わかってないんだろこの」
「お互い様だろ、そういうのは」
「………………ああ。そうだなオレが悪かった! オレは幸せ者だ。これからずっと一緒にいられるんだもんな、かわいい恭弥」
 もう一度、ボスのために茶を頼むため、ロマーリオは立ち上がった。もちろん、人目も憚らず、というより自分の存在なぞさっぱり忘れたかのように、己が愛を確かめ合っている恋人たちに正直目のやり場に困った、というのもある。そろそろ慣れてもよいと自分でも思うのだが、そうはいってもなかなか、子どもの頃から知っているボスが演じるラブシーンというものは、気恥かしいものなのである。
 さて問題である。今取りあえずは、ボスが身を張って誤魔化してくれている………いや自覚はなかろうが、実際そういう状況にあるわけだが、取り急ぎ、早急に、対応が必要である。だがどうするか。ボスの恋人は、雲雀・川井・恭弥ではなく、雲雀・河合・恭弥でもなく、単なる雲雀恭弥、で、そもそも日本人にミドルネームなど存在しないのだということを、どう部下たちに説明すればいいのだろうか。どうしたって、じゃあいつもボスがいっている「カワイ」っていうのはどういう意味なんだと、そう聞かれることだろう。キャバッローネをあげて、今なら断言できる、キャバッローネをあげて我々は雲雀を歓迎している。ボスの幸せを喜ばない人間がこのファミリーにいるものか。だがそれはそれとして、雲雀恭弥は雲雀恭弥で、ボンゴレの雲の守護者で、武勇伝には事欠かない男で、………ああ、なんということだろう。ただでさえこのところのボスの、浮ついた、にやけきったありさまに、若い奴らは戸惑っているらしいというのに。ロマーリオは頭を抱えた。







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