眼鏡ネタ(十年後ボスが登場したらすっかり覆っちゃった2009.01あたりの妄想)



「それでスパナがコンタクトを作ってくれたんですけど、オレもう怖くって。そりゃそういう場面じゃないってことは判ってたんですけど、やっぱどうしても抵抗があるっていうか」
「そっか? しようがねぇな、ツナは」
 む、と一瞬眉を顰めて、だがすぐに気のいい弟分は笑った。顔をあわせてすぐこそ戸惑ったような表情を浮かべたものだったが、すぐに打ち解けて、これまでの経過を嬉しげに報告してくれた。ああ、多少は愚痴混じりに。それだけでも日本にきた甲斐があったというものだ、そうオレは自分に言い聞かせた。後悔していても何にもならない。
 少なくとも再び顔を見ることがかなうとは思っていなかった弟弟子は、こんな風に打ち明ける相手を必要としている。弱音すらはけない緊迫した状況は、精神的にも負担が大きい。自分も立場上、嫌でも虚勢を張っていなければならないので良くわかる。
 ミルフィオーレのアジトの一室。大変だったんですね十代目、といささか大仰に相槌を打っているスモーキンボムをのぞいては、少しずつ距離を保ちながら静かに各々の時間を過ごしている。既にオレが到着してから二時間ほどは経過しており、旧交を温めあうには充分な時間があったということもあるが、何より怪我人も多く、少しでも休息をとりたいという状況が見て取れた。
 恭弥も、十年前の恭弥も少し離れた壁際にずっと寄りかかっている。だが特に負傷しているわけではないことは既に弟弟子から聞きだしてある。よくぞまあ、群れを嫌うくせにこんな所にいたものだ。まだこの世界に来て間もないのだから、そうやって彼なりに情報を得ようとしているのかもしれない。視線が合うとすっと露骨に目をそらしてくださった。つれない。だがまるで毛を逆立てている猫のようでかわいらしくも幼くも見える。
「だって目の中に異物を入れるなんて! 正気の沙汰じゃないですよ。リボーンも無茶ばっかりいうし」
「ああ、そりゃあ大変だったなー」
 そうだ、十年前はまだこんな風に弟弟子の些細な泣き言を聞いたものだった。スパルタとお墨付きを与えてやりたい元家庭教師に対する彼の批判は的を射ていて、オレは同情しながらもなんとも小気味いいような、愉快な気分にさせられたものだった。だがそのうちに彼はボンゴレのボスになり、瑣末な愚痴すら周囲に零せない立場になった。多分その辛さを一番わかってやれるのはオレだったけれど、別組織の身分では差障りが多すぎて、少しずつ、だが確実に腹を割って話せない事柄が増えていった。そしてそうこうしているうちに彼は
「ディーノさん?」
「ん? ああ、どうした、ツナ?」
「……いえ。日本に着いたばかりでお疲れですよね。もう遅いし。すみませんオレ、気が利かなくて」
 こちらの考えに気づいてしまったのかもしれない。人の気持ちにはいつも敏感だった弟弟子が小さく頭を下げるので慌てる。
「お部屋は用意してあります」
 入江正一。話を聞いていたのか、ミルフィオーレの幹部である男が立ち上がった。
「細かいことはまた明日にでも。時差ぼけもあるでしょうし今夜ははゆっくりお休みください」
「わりーな、アポなしで来ちまったのに部屋まで」
「アポを入れて来られたらそちらのほうが問題ですよ。キャバッローネのボスが」
 多分癖なのだろう。小さく、困ったように笑う。信頼できる男なのか、どうにもまだ確証は持てなかった。
「僕が案内するよ」
 ドアの方向に向かおうとする入江を制して恭弥が近づいてきた。十年前の守護者たちは皆、一様に驚きの表情を浮かべ、だが家庭教師と生徒だという間柄を思いだしたのだろう、すぐに納得したようだった。むしろ驚いたのはこちらのほうだ。
 ドアを開けると、その向こうに控えていたロマーリオが顔を上げる。十年前の恭弥の姿に僅かに眉を上げ、だが恭弥の反応は背後に立っているこちらからは窺えない。一番慣れ親しんでいるはずの部下だが、どうだろう、あまり細かいことには頓着しない気もする。だがオレを見たときは明らかに固まって、警戒しておりますが何か、とでもいいたげな雰囲気を漂わせてはいた。
 身の回りのものや武器など荷物はかなりの量になっていたから、オレも半分運ぶのを受け持った。恭弥は勿論そんなこちらの様子を省みることもなく、ずんずん先にすすんでいく。慌てて後を追った。
「サンキューな、恭弥。いやー、なんか懐かしいな!」
「……別に」
「そりゃおまえはそうだろうけどさー」
 こちらとすればその幼い姿にはどうしても懐かしさを覚える。華奢な背中。背もまだずいぶん低い。こんな子どもに十年前のオレは結構な無体を働いていたわけだ。十年の月日の内に少しずつ薄れていった罪悪感が、またぞろ甦ってくるのを感じる。
 まだ恋も知らないような、殊に人間関係においては年よりも幼かったであろう子どもに何度も何度も愛の言葉を囁いた。暇を見つけては日本を訪れて、望むように構って戦ってやって、オレ以外に目をやらないようにとそればかり考えていた。嫌がらないのをいいことに躰を繋げた。何度も。
 今ならば他にやりようがあっただろうと思う。あの子どもをもっと慈しんで、傷つけないように無理をさせないように愛してやる方法が。少なくとも彼の心が追いついてくるまで待ってやるべきだったのだ。だがなんとも浅ましいことに、もしオレがあの頃の自分に戻って、あの頃にもう一度存在したとしたら、きっとまた同じことをしただろうという確信もあるのだ。雲雀恭弥を手に入れられるのならば、オレはきっと手段は問わない。
 恭弥に、十年前の恭弥にどうやって伝えるべきか、いやそもそも伝えるべきなのかどうかをオレは彼と今日顔を合わせてからずっと迷っている。この世界のことも、状況的に仕方がないこととはいえ、教えるのは本意ではない。先のことなど判らないほうが良いに決まっている。弟弟子は強いて触れないようにしていたけれど、今それを覆すために動いているとはいえ、寿命を知らされて平気でいられるはずもない。そうでなくともあらかじめ決められた未来など何の意味があるだろう。
 だから、せめて戦いに不必要なことくらいは伝えないほうがいいのではとも思ってしまう。いや、ただ単にどうにもいいにくいというか照れくさいという理由も確かにある。正直に認めよう。今のあなたとお付き合いさせていただいております? こういう場合日本語ではなんていえばいいんだろう。さっぱりわからない。
「なー恭弥、もうちょっとゆっくり歩いてくれよ。こっちは荷物あんだしさ」
「あなた、体力落ちたの」
「落ちてない落ちてない。明日になったら思い切り証明してやるよ」
「どうだか」
 くるり、と恭弥が振り返った。学ランの袖が大きく円を描く。妖艶な、そして鮮烈な。あの頃のオレならそう感じたであろう、そして今のオレにはまだそこかしこに残る幼さが見て取れる笑み。ああこんな子どもに。
「あなただっていれるときはさんざん大騒ぎしたくせにね」
「…………え?」
「怖いとか痛いとか物理的に無理だとか騒いでたじゃない。初めてだからって騒ぎすぎだと思ったけど」
 ……ああうん、コンタクトの話だ。着けるようになったのは確か十年前からだった。弟弟子には大変だったななんて気軽にいったけれど、慣れるまではオレも結構手間取ったものだった。
「忘れちゃった?」
 見上げてくる澄んだ瞳。まるで吸い込まれそうだ。ああ、あの頃も確かそう思っていた。今も。
「忘れるわけねぇだろ? 大事な思い出だ」
「……ふぅん?」
 オレにとっては十年前の思い出、そして今目の前にいる子供にとってはほんの数日前のこと。
 失態を演じてしまったのは、恭弥がはじめてあの懐かしい並盛のホテルに泊まっていってくれた、その翌日の朝だった。つまりはじめて最後まで彼を抱いたその翌日。それまでもあの幼い子どもにたびたび触れてはいて、だが子どもだからと、彼が受け入れてくれるまではと、少なくとも途中でやめてやることは出来ていたのだ。そしてどんなに遅くなっても彼は自分の家に帰っていた。しかしその夜はオレは余裕なんてどこを探しても見つからない有様で、やめることができなかった。今思えば彼にとっては泊まってくれたというよりは気絶するように眠ってしまったというほうが正しい表現なのかもしれない。オレがやったことはどう考えても悪い大人のそれで、だが朝目覚めて、隣で眠る彼を見つけたとき、どれほどの幸福を感じたことか。
 平日で恭弥は学校がありオレも朝から仕事の会談があったから、あのお世辞にも広くスペースをとっているとはいいがたいパウダールームで二人並んで朝の支度をした。男二人、大して時間を取るものでもなかったはずだが、オレは買ったばかりのコンタクトを装着するのにひどく手間取って、最後の最後で締まらないよねあなたはなんていいながら恭弥は手を止めて、オレの情けないさまを見物していた。オレはといえばもう世界は薔薇色に見えており全てが輝いている状態で、あんなかわいい憎まれ口じゃなくもっと辛辣な罵倒が飛び出したって、さっぱり堪えやしなかったろう。
 ああ勿論忘れるわけがない。だがなんというかそのいい方は。気まぐれで主語を抜く彼の話し方にはもうすっかり慣れてはいるのだが。
「ボォス」
「うおっ!! はい、なんだ?」
「オレはこの十年ずっとあんたたちのことを誤解していたみたいだぜ……」
 振り返ると、なんかもうすっかりうちひしがれた様子の部下がいた。いやお前なにを。
「オレにはいろいろ打ち明けてくれてると思ってたんだがな……そうか、オレはてっきりあんたのほうが……いや二人がいいならいいんだが」
「お前絶対なんか誤解してる! なんか誤解してるから!」
 大体ありえないだろう。何を誤解しているかわかるだけに言葉に詰まる。だがそれはないいくらなんでもそれはない。今ならともかくいやそれでもありえないけれども、あんな子どもにあの頃のオレがどうこうされるって、どう考えてもないだろう。この十年ずっと、いやそれ以前からずっと尽くしてくれた部下である。何でそんな簡単に真に受けるんだ。恥ずかしながら何度も惚気を聞かせたりしてきたはずなのだが。
「ボス」
「……」
「男らしくねぇぞ。恭弥が嘘をつくはずがないだろう」
「いや信頼してんのはいいんだがな。もうちょいオレのことも」
「……ちゃんと責任とってもらえ」
「オレ責任とってるから! それはねぇって!! オレはいつだって恭弥をかわいがってエロいことしてとろっとろのぐちゃっぐちゃにしてやりてぇの! 大体お……うぉお!!」
 あっぶねえ。もう少しで顎をトンファーが直撃するところだった。さすが十年前とはいえわが弟子。見事な動きだ。
 うつむいた恭弥は耳まで真っ赤だった。おお……初々しい。なんていうか今ではもうそう見られない反応というか。
「あ、あのー……恭弥さん?」
「突き当りを右に曲がって三つ目のドア。二間になってるから」
「……ああ、あんがとな」
「じゃ」
「あ、ちょっと待て恭弥」
「何?」
「お前さっきの部屋に戻んじゃねぇの? 方向逆だぞ」
 そのまま左に曲がろうとするのを引き止める。余計な世話だくらいのことはいわれそうだがなんといっても珍しく団体行動的なことをなさっていたのだ。
「別にいいよ」
「いやお前」
「知りたいことはもう判ったから。別にいい」
「……」
 赤く染まった目尻。すぐに踵を返して彼は歩き出す。ほんの僅かに、オレだからわかるくらい僅かに、だが明らかに浮かれた足取り。
「ボス」
「ん?……ああ行くか。左だってよ」
「腑抜けた顔して見惚れてんなよ。恭弥にいいつけるぞ」
「な!……てかロマーリオ! お前何さっきの信じてんだよ! アレはあれだ。コンタクトの話だ」
「どうでもいいがな、オレは」
「どうでもよくねぇ!」
 言い募るとにやり、と笑いを浮かべる。なんて部下だ。
「だいぶ力が抜けたみたいじゃねぇか。良かったな」
「ロマ」
「あんたは気を張りすぎだ。戦って勝っておれたちがあいつを元の世界に戻してやるしかねぇだろ? それで恭弥が戻ってきたら文句いってやったらいいじゃねぇか」
「……ああ、そうだな」
「そうだ、それでこそオレらのボスだぜ」
「ありがとな。そうだな、文句いってやんなきゃな。出来ればあんまり心配かけないでくださいって。……聞く玉じゃねぇけど」
「違いねぇ」
 なんて部下だ。
 ああでも本当に、嘆いたって仕方がない。勝って、恭弥がこの世界に戻ってこられるようにする。絶対に。
 ロマーリオだってまさか本気でいいつけたりはしないだろう。ああ見えて恭弥は結構……いやまあ、結局は同一人物だ。何がどうということもないとは思うのだが。
 でも愛しい人よ。ほんのちょっと、ほんのちょっとだけときめいてしまったのは許して欲しい。だってオレは今の今まで知らなかったのだ。あの頃のお前があんなふうに思ってくれていたなんて。十年先も恋人であることを望んでいてくれたなんて知らなかった。
 だけどオレもそうだ、恭弥。オレもそう。十年前も今も、そして十年後も二十年後もその先も、お前と共にある未来をオレはきっと願っている。
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