「あんた、ほんとにそんなことしていいと思ってんのか…」
 いつもより半オクターブほど低い声音で詰め寄られて、オレはもうちょっとで泣きそうになった。おまえこそほんとにオレがそんなことすると思ってんのか。
「いやほらあのな、誤解だって。別にやましいことしてたってわけじゃなくて」
「馬鹿野郎! 草壁はな、あいつは、自分のボスの私生活を貶めるような嘘を、殺されたってつく奴じゃねぇよ。くだらないこというんじゃねぇ」
 わあすげぇ信頼。いやオレだって彼とそこまで腹を割って話をしたことはないけれども、信用に足る人物であることはわかっている。だがロマーリオ、おまえその半分でも自分のボスのこと信じてくれないのか。
「別にな、オレはあんたらのつきあいをどうこういいたいわけじゃねぇ。そりゃ男だし、ボンゴレの次期守護者かもしれねぇが、あんたら二人が納得してるものを横槍入れるつもりもねぇよ。未成年相手だってんで法律はどうかしらねぇが、坊主は十分自分で判断できる年だ。もともと俺らはそんなもん破ってなんぼだしな」
「お、おお」
 くだらない倫理に二の足をふんでたオレより、彼の方がわかっていたのかもしれない。恭弥はいつだって好きな年齢で、綺麗ごとなんてすっ飛ばしてただ彼自身として向き合って欲しいと望んでいたのに。
「でもな、そうはいってもやっちゃいけないことはあるだろう」
 足を舐めるとか。苦い気持ちでオレは思い返した。まったくやっていないのに恋人に疑われた男の心の傷は深いのである。
「中学校でフェラチオたぁなんだボス。あほか。プレイか。しかもあんた、草壁が入ってきて恭弥が嫌がってもやめねぇで………それでも恭弥はけなげにも、あんたのことかばってたっていうじゃねぇか」
「え、や、ちょ」
「あんな子どもに。いや別にセックスすんなってんじゃねぇ。それ相応の対応ってもんがあるだろうっていってんだ」
「………」
 そういやまだ誤解は解けてなかったか。オレは苦い気持ちで記憶を掘り起こした。だいたい草壁、ちょっと執務机のなかに体を押し込んで、あれこれあってもそのまま隠れていたというだけで………まあ恭弥の反応が反応だったとはいえ、即フェラチオを連想するとはどうだ。中二か。そんなことするわけな………………とそこで、オレは数時間前自分が彼に何をしたのか思いだした。このホテルの部屋のベッドの上。恭弥は恥ずかしげに身を捩って、だけれどもオレはそのままじゃおまえが辛いだろと親切ぶって、指で、舌で、彼のそれを愛撫した。乱れ、その事実におののく姿はたいそうかわいかっ
「にやにやして人の話聞いてんのかボス」
「きいてる!! きいてるぜ!!!!」
 さてどうしよう。オレは長らく裏社会で生きてきた人間で、嘘をついたことだって数え切れない。だけれども、多少時間差があるだけの、ほんの数時間前の犯行をしらじらしく否認できるほど厚顔無恥ではない。というか長い付き合いのこの男を騙し切れる気がしない。
「この人は悪くないよ!!!」
 がががっ! とまるでマシンガンが撃ち込まれるような音がして、咄嗟に部下に覆いかぶさったところで我に返った。これは銃機器の発する音ではない。トンファーが厚い木製のドアのドアノブに間断なく打ち込まれる音だ。
「ちょ、きょうや………」
「この人は悪くない。僕の勘違いだったんだ」
「きょうや………」
 ドアの隙間から聞こえてくる声は真摯で、オレは信じられない思いで見守った。なんて優しい子だろう。オレを守ろうとしてくれているのだ………………でもあのドアはもう瀕死っていうかうんたぶん弁償すんのオレなんだろうなぁって、わかってるけど!
「坊主、正気か?」
 この状況でそのまま会話を続ける部下の正気こそオレは問いたい。
「本当だよ。この人は悪くない」
 ががががが。
「いやまてきょうや。すぐ開けるから、な」
「僕が勘違いしたんだ。ディーノはそういうつもりじゃなかった。僕が、その」
 恥じらったような声音に、胸が高鳴った。ああそんな
「びっくりしただけなんだ。ディーノがいってたよ。舐めたんじゃなくて、そのつまり、ちょっと触っただけなんだって」
「「………………」」
 アウトォおおおっ!とオレは心の中で叫んだ。いやいった。確かにいいました。でも改めて聞くとなんていうか、まるでいたずらする気満々の不審者の常套句みたいな
「おいボスあんたほんとに」
「あ、開い」
「ちょ、待て、きょうやぁああ!!!」
 た、という台詞の続きが発せられる前に、部下からの問いかけが耳に入る前に、それ開いたんじゃなくて壊したんだろと突っ込む前にオレは走り出し、ドアが全開になる前に辿りついて、恭弥の太腿に抱きついた。わかってる、オレが悪い。昨日恭弥が着てきた制服を、クリーニングしなけりゃとても着れない状態にしたのはオレだし、多分恭弥はオレらが言い争う声で目をさまして、取る物も取り敢えず駆けつけてくれたんだろう。彼は、オレが一昨日人形浄瑠璃を観にいく際に着て、寝室の椅子にひっかけてそのままにしていたシャツを着ている。なんといってもマフィアのボスの部屋なので、部下の立ち会いもなしに清掃人を部屋に入らせるわけにもいかず、結果的に何処の眠り姫がお泊りですかレベルに、ドア前の札が起こさないで下さいと主張するのが通例になっている。とはいえいつもなら部下たちが軽く掃除してくれるし、服だってすぐにクリーニングに出しているのだけれど、昨日はそんな指示出すような状況じゃなかった。そんなわけで彼は、前にオレが着たシャツを着ている。というかそれしか着ていない。いわゆる彼シャツ状態。少し大きめなシャツは腰の部分は十分に覆ってくれて、ちょっとした痴女が着用するワンピースならおかしくもないくらいの丈があるけれども、だからといって彼のしなやかで美しい脚を人目に晒していいわけがない。
「なにするの」
「おっ、おまえなんつー格好してるんだよ!」
「え? あ。だって………」
 恭弥は当惑したように脚をもじもじとさせて、オレは変な気分になった。ちょうど視線をやった先に、純白の平原を汚す、赤い痕があったというのもある。いったいどんな変態が………ってオレか。オレでした。
「だって………」
「坊主」
「あ。ち、違うよ! この人は人の足なんて舐めてないんだからね!!」
「「あし?」」
 そういえばこいつはそう誤解してたんだっけと復唱して、でもオレより余程呆然とした呟きを聞きとって我に返った。今オレは彼の太腿を見られないよう抱きついている最中で、それがどういう様に見えるか想像もできないほど愚かではない。言い訳のしようもない。だが、取り繕うために他の男にこの白磁の肌を見せることなど、出来よう筈もない。
「ボ、ボス………あんたほんとに坊主の脚を」
「え、や? ちょ、ロマ」
 部下の声はあまりに………そう先ほどよりもさらに悲嘆にくれていて、オレはもうちょっとで身を投げ出して許しを請いそうになった。だが駄目だ。たとえ部下からどんな変態だと思われようと、守らねばならないものはある。
「な、なあ恭弥。取り敢えず部屋に入ろうぜ。そんで服着てから」
 とはいえ、いつまでもこの状態ではいられないので、オレはそう提案したわけだがはっきりかっきり黙殺された。あれか、変態には発言権なしですか。
「坊主………おまえその」
「だから違うってば!! この人は舐めてない、舐めてないんだよ!!! ちょっとあなた離れて。今すぐこいつ咬み殺して説明するんだから」
「あのな………」
 誤解されるから、とかじゃないのかよ。相変わらず恭弥は嘘が下手………いや嘘じゃないんだけどそんな感じで、オレは頭痛を覚えた。さよならオレの部下の信頼。
「坊主………」
 だがそこで我が部下が膝をついて頭を下げ、オレは反論の言葉を飲み込んだ。なんで? まさか上司の不始末はオレの責任、みたいな?
「おまえさえよけりゃ………その、ボスのことはこれから頼む。抜けてるとこもあるが、優しい人だ」
「なんだよそれ? ロマ、おまえさっきまで、仕方がねぇから反対はしないくらいの対応だったじゃん!! それをなんで………」
「ボス、あんたちっと見た目がいいと思って自惚れんな!! 世の中そんな嗜好を受け入れてくれるお嬢さんばかりじゃないんだぞ!!」
「へ? ええ? そうか?!」
 そりゃこの子ども相手に舐めるだなんだいうから問題なのであって、その程度のプレイそう大仰に受け止めるものでもないんじゃないだろうか。いやまあオレは、恭弥以外の相手の脚を舐めたことなんてないけど………ていうか恭弥のもないけど。問題はここまでいやだいやだといわれると、そういった嗜好がなくても舐めてみたくなる点である。いややらないけど!!
「そうだ! だいたいあんたは昔から…」
 怒鳴られて首をすくめる。だがそこでハリケーンが、直撃レベルから隣のシマで巻き起こってるくらいまでトーンダウンしていることに気づいた。すくなくともさっきまでの、彼か全盛期のピエロ・カップッチッリくらいしか出せなそうな、朗々たる非難の叫びは影をひそめている。
「? ロマ?」
 その顔も、怒りの形相を形づくってはいるが、目は穏やかに笑っているように見える………のは調子のいいオレの想像だろうか? だが視線が合うと、ロマーリオは実にさりげなく、ちょいちょいと人差し指の先で上を見るように示してみせた。へ?
「しかたがないね」
 あわててみあげるとシャツ一枚で腕組みをしている恭弥が、うお絶景かな………ってそうじゃない。そこじゃない。つんと鼻を上向かせ、頬は真っ赤に染まって、そう、彼はとんでもなく照れているようにみえた。
「まあ、こんな変態、他に相手がいるわけないしね! そ、そこまでいうんなら、まあ、その、僕が一生面倒みてやってもかまわないよ」
「きょ、きょうや………」
 ロマーリオがどこの時点で誤解を解いてくれたものか、いや本当に解いてくれたのかもわからない。ただまあ、合意もなく無理矢理にどうこうという状況ではないのだと理解してくれたのだろう。
「そうか。じゃあ、宜しく頼むな」
「おう!! ロマサンキュな!!!」
「ちょっとなんであなたが返事してるの」
 いやだってオレが返事しなくてどうするよ。どうぞ一生宜しくお願いします!
「酔いもさめたことだし仕事にいくわ。ボス、あんたは今日一日休みだろ?」
「ああ。よろしくな! オレは一日恭弥といちゃいちゃしてるから!」
「なにあなた恥ずかしいこといってるの」
 髪を引っ張られて苦笑する。恥ずかしい経験なら、オレは昨日とさっきまででもう一生分してしまったのだ。この程度何が恥ずかしい?
 太腿を掬い上げて恭弥を抱きかかえると、オレはドアの残骸を蹴飛ばして愛の巣に飛び込んだ。さて朝食にルームサービスを運んでもらうとして、チップに何十万払えば、この損害は多めに見てもらえるだろうか。












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