貪婪な光に飲み込まれる。

 それ自体はいつものこと。いつものことだ。明かりを消していても、目蓋を閉じていても開けていても、瞬き、ちらつく。逃れようのないもの。だがこうやって同時に物理的な光にも晒されれば、いきおい羞恥を感じた。耐えられないだろうと思っていた。こんなことにでもなれば。たとえ武器がなかろうと彼を咬み殺したくてたまらなくなるだろうと。だが結局僕はただ躰を竦ませ、彼の眼に映る自分を見ていた。露わになったのは比べれば明らかに貧弱な体躯とそして……僕自身の貪婪さ。

「恭弥」

 名を呼ばれると躰が跳ねた。それを恥じる間すらなく力強い腕に引き寄せられる。その性急さに安堵している自分がいた。

 僕がいったい何をいったというのだろう。何もいえなかった。不安の只中にいる十年前のディーノに、かける言葉ひとつ見つけることができなかった。迂闊なことを言えば現在が変わるかもだとか、そんなこと思いつきもしなかった。僕はただ怖くて。敵地だとでも思っているならそのままにしておきたかった。だって十年後の世界に来たのだと知れれば、バスローブひとつで突っ立っている僕をなんと説明すればいいだろう。家庭教師と教え子? 通用するはずもない。爆発音を聞いたとき、馬鹿みたいに何度も何度も、抑えきれずに名を呼んでしまった。こちらの気持ちなんて自ずと知れる。

「何……笑ってんだよ? 恭弥?」

「笑ってないよ」

 
僕だって今気づいた。そうか、これがそうか。彼は前から気づいていたのだろう。聡い人だ。

 笑っていると責める人が笑っている。だがその奥に欲が隠されていることを知っている。もっと貪欲になってしまえばいいのだ。僕みたいに。唇の端にキスを落とした人の髪を掴んで、舌を差し入れた。我ながら拙いそれを面白がって受けている気配がして、だがすぐに主導権は入れ替わった。歯列をなぞられると背筋に震えが走る。

 怖かった。幼い彼に拒絶されたらと思うと怖かった。怖いなんて感じたのはいつぶりだろう。すぐに自分の感情が恐怖だと気づいたのは、初めてではないということなのだろうけれど、怪我を負っても、無数の敵に囲まれても臆したことは未だかつてない。

 
不必要なほどボディソープを泡立てるので笑ってしまった。僕の躰に塗りたくり、滑るというよりは擽ったく焦れったく、ディーノのことを考えずにはいられない。多分わかっててやっているのだ。

「なんかこう、美味そうに見えるよな。クリームみてえ、で」

「ケーキなら、まだ、残って、る」

 泡に顔を埋めようとしている人に教えてやる。聞かずにあちこち舐めて、苦い、などという。馬鹿みたいだ。顔についた泡が間抜けで、拭ってディーノの躰の上に落とした。もうすっかり泡はディーノにも移っていて、それだけくっついているということだ。くっついてて、擦れてて、触れ合ってる。刺激は柔らかいのに、焼ききれそうに熱かった。

 僕はいつだって僕自身のことしか考えていない。今までも、そして多分これからもそうだ。それは間違っていない。誰かのためになんてそんな欺瞞もない。それでも恐怖にとらわれて彼に、ディーノに優しい言葉をかけてやることすらできなかったことは悔しかった。情けない。幼い子どもは、へなちょこの癖に弱い癖に額に怪我を負っているのに、僕を守ろうと考えてくれた。とてもかなわない。それは僕が知っているディーノそのもので、だから僕は悔しくて嬉しくて、嘘をついた。空白の未来を彼にあげようと思った。

 それなのに、過去から戻った人はこんなふうに。

「……好きだよ、恭弥」

「……うん」

 いってくれる。

「ねえ。……僕は今でも、あなた、の」

「ん? 運命の人だよ、恭弥」

 ほしかった言葉をくれる。僕だけの言葉。

 耐え切れなくなってすでに硬くなっている彼自身に手を伸ばした。泡で視界が遮られる分、触れることに躊躇いはなかった。だがまだ早い、そういってキスで制されて、腹がたって噛み付いた。もう一秒だって待てない。それぐらいわかってくれたっていい。

「じゃあ、あなたが……触って」

 その手を導けば、あからさまにどうしようもなく欲深く飲み込もうとして、人ごとのように笑おうとして、失敗した。

 彼の眼に浮かんでいるのは、僕と同じ、貪婪な光だ。




 まだ開けられてもいなかったシャンパンを飲み、ケーキを二人でつついた。頼んでいた量の倍はある救急キットを、無意味に派手にラッピングして渡され苦笑する。明日にでも性能を試してみたいんだけど、と提案するとディーノは珍しく素直に了解した。これが誕生日効果ならまあ悪くもない。

 
ケーキを頬張りながら、疲れてねえけど、などといいだすので笑ってやる。いつまでひっぱるつもりなのか。大体バスルームの固い床の所為で僕の背中はまだ痛いし、多分彼だって似たようなものだ。意地っ張りだの痩せ我慢だの常々根拠のない非難を浴びせてくる本人のほうが、余程頑固者なのだ。ボスは食わねど何とやら、で平気そうな顔をしていないと仕事にならないのだろう。いってやると、なぜか虚を衝かれたような顔をした。

「おまえ……根拠がねぇって……? まじで?」

「あなたのほうが全然ひどいと思うよ。ことわざの意味わかってる?」

「オレはそういうのには詳しいんだって。バカヨージ、ってやつだろ?」

「高楊枝、ね」

「ん? そういってるだろ。まあオレは食ってるしな。足りねえけど」

 そういいながら最後の苺を彼は僕の口に押し込んで、確かに馬鹿楊枝もいいところだ。だけどお互い足りないのがケーキじゃないことは、わかっている気がした。

 そこで電子音がしたので、思い切り蹴飛ばしてやった。僕と違って、会うたびに変えているようにも思える彼の携帯の着信音は、いつも変える意味があるのか聞きたくなるほど、一つ覚えに軽快といえば聞こえはいいが騒がしくてうるさくて耳障りな曲ばかりだ。マナーモードにするくらいの知恵はあってもいい。

「でれば?」

「……おう。悪い」

 さっぱり悪いなんて思ってない顔をしてディーノは浴室に携帯を取りに行く。服を脱いだ時のまま放り出していたのだろう。そのままそこで話を終わらしてくればいいものを、携帯を耳に押し付けたまま戻ってきて僕の横にどっかり座る。そのくせ会話は伊語だ。仕事の話を僕に聞かれたくないということなのか、ただ単に部下相手では母国語のほうが話しやすいということなのか、仕事の込み入った話らしい時はディーノはいつもこんな調子で、どちらにしろ面白くはない。イタリア語は殆どわからない。時々ディーノは単語や挨拶の言葉を面白そうに教えてくるが、それだけだ。幼い彼がした、テキストの初級ページに載ってそうな質問なら流石に理解できても、今彼がしている会話はさっぱり。本当に時たま知っている単語があるくらいだし、大体内容に興味があるわけでもない。だがケーキは食べ終わり僕は暇で退屈だった。仕方がないので手の甲を抓ってやると、ボスの顔を貼り付けたままディーノはくすぐり返してくる。思わず身を捩ると手が止まって、不審に思って視線を上げた。わかりやすい人だ。

「なにかあったの?」

 電話を終えたので聞いてみると意外そうな顔をされた。

「ん? 恭弥がそういうこと聞いてくるなんて珍しいな」

「あなた妙に嬉しそうだったから。いいことでも?」

「仕事でな、イタリアの企業をひとつ買収しようとして動いてたんだがどうやら本決まりだ。こっちの条件を全部飲むと今連絡があったって、向こうにいる部下から電話。」

「それだけ?」

「それだけって。結構でかいことなんだぞ、こちらにすれば」

 不満そうに口だけは言いながらも、いまだに表情を変えない頬を揉んでやる。さっぱり変わらないのが癪でどうにもかわいかった。

「だっていつも仕事の話の時だけは真面目そうな顔しているから。嬉しそうだし全面抗争でも起こったのかと思うじゃない」

「思わねえよ。っていうか、オレはいつも真面目な顔じゃねえ?」

 自分のことを知らないというのは恐ろしいことだ。どうしたらそんな勘違いをしたまま生きていられるんだろう。いってやろうとして、やめた。あんまり天真爛漫に信じているようで、ちょっと忍びない。部下の人たちもそんな考えで彼の誤解を助長しているのかもしれない。

「いいなよ」

 耳をひっぱってやるとしばらく迷った顔をした上でようやく話し出した。往生際が悪い。

「前に顔合わせだとかでそこの本社に行ったときにな、十年ぶりに、ガキの頃の知り合いにあったんだよ。派手な赤毛で眼の色もひどく珍しいからすぐにわかった。向こうもわかってたみたいで、オレの下で働けるなら嬉しいっていってくれて。ひどい話だよなまだ全然決まったわけじゃなかったのにもう社内に漏れてんだぜあいつはそりゃ卒業しても働きたいとかいってたけどまだ大学通いながらバイトしてるだけの下っ端でところで恭弥さんそろそろ離してもらえませんかとれるとれるとれる」

 やけに早口で状況説明をしていたが、ついに音をあげた。少し耳が大きくなったほうが、金持ちらしくていいのではないだろうか。

「大学生って、あなたの子どもの頃の知り合いにしたら、若いんじゃない?」

「……大して違わねえよ。孤児院の出身でな、休学してた時期もあったのに奨学金で大学通っているんだぜ」

 すごいだろ、と我がことの様に胸を張る。多分彼の周りには常にこんな誇らしいことで溢れているのだろう。

「頭がいいんだね。イタリアってそういう制度が進んでるの?」

「ん? いや孤児院で八年位前から希望する成績上位者に進学の援助をするようになって、それ目指して頑張ったんだそうだ。よかったよな」

 爽やかな笑顔をお見せ戴いて力が抜ける。こんなに嘘が下手で、マフィアのボスにしたらどうなんだろう。

 
僕には隠しているだけで実際には後ろ暗い部分も存分にある人なことはわかっているつもりだが、耳に入ってくるのは善行ばかりだ。こちらも本人は隠しているつもりらしいのだが、周りにいる部下たちがディーノのいない隙を見ては勝手に報告してくる。大きなことから小さなことまで。今忙しいのは医療施設とホスピスの設立のためだとか、遅刻したのは迷子の子どもの世話をしていたからだとか、これまた我がことの様に胸を張って。腹がたつのは同じだし、ボス思いなのは結構だがアピールのつもりなら僕には逆効果だと何度いってやろうとしたか知れないが、結局僕はほだされている。

「八年前っていったら、キャバッローネの財政はかなり逼迫してたってロマーリオから聞いてるけど」

 だが誤魔化されてやるつもりはない。結構な量のブルートゥスをかかえているマフィアのボスに、僕が得ている内部情報を明かしてやった。












 ロマーリオ、お前もか。

 オレは思わず呟いた。うちの奴らがオレの努力譚だの人情噺だのを恭弥に時々吹き込んでいるのは知っている。というか、毎回親指立てて報告してくれる。いっておいてやったぜボス、となにやら得意げに。どいつもこいつも。知られてまずい仕事の話の判断もつかないような馬鹿はいないし、表立って文句をいったことはない。だがその知られてまずい話が伝わってないことがわかってるだけに、余計罪悪感がつのる。変に買被られたくないし、オレは所詮マフィアでそれを誤魔化す気などないのだ。ただ単に正直恥ずかしいというのもある。なんかこう、いたたまれない。だが性格的にロマーリオは言わないだろうな、と勝手に思っていたのだが違ったらしい。部下の中では一番頻繁に恭弥と会っているだけに、一気に危機感が募った。いや、別にただ事実として、昔は苦しかっただとかなんだとかいっただけの可能性もある。昔話がしたい年頃かもしれない。

「あしながおじさんは女子大生との文通を条件に援助したんだよね」

「恭弥、……何の話だ?」

 しらを切ってみようとはしたが、どうにも無駄そうだ。恭弥は上機嫌で、シャンペンを時々ちびちび舐めている。酒に弱いわけではないし、自制心があるのはわかっているので悪い大人としては放ってあるのだが、今日はそろそろ止めたほうがいいかもしれない。なんだか気を散らすためみたいな、あまり美味そうでもない呑み方だ。

「財政状況が悪かったんなら、その人だけに援助を申し出ればよかったんじゃないの」

「別に年に何人か大学に行かせることもできないほどやばかったわけじゃ……あー、あるころもあったけど。でもオレは別に何が何でもあいつに進学させたかったわけでもないんだよ。どんな人生が幸せかなんて本人にしかわからないだろ。ただはなからチャンスがないっていうのは嫌だっただけなんだよ。可能性はちゃんとあるってわかってほしいだけだった」

 職人でも商人でもヤクの売人でも。オレが手出しするべきことじゃない。マフィアから足を洗った彼に、オレが金を出しているなんて知られたくないというのもあった。でも結局は、彼には普通な、まともな人生を送ってほしいというエゴがあったのかもしれない。あなたのおかげで、と彼はいったのだ。あなたのおかげで十年後には殺し屋になるのだと絶望していたオレは変われた。彼らに騙されていたのか未来自体が変わったのか知るすべはないが、今の生き方に満足しています。あなたの下で働けたら嬉しい。

 そしてオレも嬉しかった。明るくてまっとうな彼の人生。だからオレは絶対にあの会社を手に入れてやろうと決めたのだ。

「……恭弥、おまえもそうだぜ?」

「何が?」

「オレはこんな仕事してるのは、そりゃ周りに押される部分もあったけど、でも結局は自分で決めたんだよ。自分でマフィアのボスになるって決めた。だから後悔はしねぇ。今更だし、巻き込んだのはオレなんだけど、でも恭弥にもちゃんと自分で納得して、進んでほしいと思ってる」

 きょとんとした顔で聞いている。本当に、こんなことをいわれるなんて思いつきもしなかったって顔だ。それがオレには嬉しくて、少しばかり寂しかった。

「僕はいつでも自分の生きたいように生きるよ」

 こともなげに彼はいって、笑った。オレも笑った。抱きしめて、ソファの上でもまっすぐに伸びた背中を撫でると次第に力が抜けていくのがわかる。

「ねぇ、あなたのいう運命って、つまりは時間の継続ってことなの」

 肩口に顔を埋めたまま、恭弥が途方もないことをたずねる。恭弥はまだ笑っていて、まるで甘えているかのようだ。乱暴に躰を押し付けてきて、滑らかなソファの革の上でずるずる滑った。

「まあそれだけじゃねぇけど。でもそれも重要だろ。気持ちが揺るがないっていうのはさ」

「……ふうん」

 
溜め息と笑いに混ぜられた相槌が耳を擽る。かわいくてしかたがなかった。

「でもそれって一方的だよね。僕はまだあなたにあって、一年と経っていない」

 う。痛いところを突かれる。時間だけでなく想いまで一方的だといわれたみたいで、眉をしかめた。そうではないことぐらい、わかってはいるけれど。かわいくないことをいう人の顔を見ようと肩を掴んだ。だが、恭弥はぎゅうぎゅうとしがみついてきて、苦笑する。

「だから」

「んー?」

「だから十年後も、僕があなたを好きだったら」

「……きょ、う」

「運命だって認めてもいいよ」

 ず、と耐え切れずに滑り落ちた。思い切り腹と背に衝撃が来る。気づくと二人して、ソファとテーブルの間の床に落っこちていた。

「……驚いた」

「のはオレだ」

 言葉通りびっくりした顔をして、恭弥は固まっている。上からどくつもりはないらしい。

「なんで? あなたは気づいているんだと思ってた」

「気づいてたけど! いってもらうのとはまた全然違うだろ……」

 そう、と不審気にしていた恭弥は頷いて、笑った。

「やっぱり気づいていたんだね。……意地悪なひとだ」

 どっちが。いってやろうとしてやめた。かわいいひとだ。オレのかわいいひと。

 狭苦しい中で抱きしめると、ソファが擦れて音をたてた。右腕はテーブルの足にがつがつぶつかる。それでもすぐに、そんな音は耳に入らなくなることくらい、オレにはわかっていた。












 煙が立ち込めて、それがひくと、へなちょこがしゃがみこんでいた。途方にくれた顔をしているので頭をこづいてやる。

「あれ……リボーン。……夢……だったのか?」

「ぼうっとしてるんじゃねーぞ、ディーノ。ヴェントゥーラは壊滅だ。さっさとたちあがれ」

「ええっ!」

 慌てた様子で時計台のほうを見やると驚きの声をあげる。その上でふんぞりかえっていた、ガキに向けてバズーカをぶっ放した男の指を落としたのは、ディーノが未来から持ち込んだベレッタM92。打ち抜いたのは指と右肩だけだったから死んではいないが、今頃床でのたうちまわっているだろう。まだまだオレには比べるべくもないが、それでもこの距離はなかなかの腕だといわざるをえない。

「すげえな……さすがリボーン。あれからまだ何分とたってねえよ」

 輝いた瞳をこちらに向ける。大人になったディーノにいわれるまでもなく、真相を明かすつもりはなかった。下手に自惚れさせるのは厳禁だ。とはいえ純粋な尊敬の混じった視線に正直居心地が悪かった。仕方なしに曖昧に頷いてみせる。興奮したように周囲を見渡したディーノは、しかしそこで眉を翳らせた。

「全員急所ははずしてある。死にはしねぇぞ」

「……そうか。……うん、わかった」

 ちっともわかってない顔でディーノは呟いた。五分しかないのだとこちらに来るなり打ち明けた癖に、それでも頑迷なほどに急所をはずして攻撃していた。弾が尽きたあとは鞭で叩き、そのまま気を失ったらしい者も瓦礫に突っ込んだ者もいる。なんと悠長な、年を喰ってもこの気性は変化なしかとオレもその時は考えたが、あれは子どもの頃の自分に、後の陰惨な場面を見せたくなかったのかもしれない。それと、あの赤毛のガキにも。

 ガキは、ディーノが入れ替わってすぐに気を失った。石壁にもたせ掛けて座らせてある。あの男が狙ったことを考えても、ヴェントゥーラにろくな未来は与えられていないのだろう。ちゃちな殺し屋にでも訓練済な将来しかないのかもしれない。とはいえ、あいつらの思惑のままにしてやる義理はないわけだ。

「移動するぞ。直に街の奴らも騒ぎ出すだろうしな。お前と別れている間にキャバッローネには連絡を入れておいた。とっくにこっちに向かってるだろう。街道を歩いていけばいずれ出くわす。始末はあいつらに任せるぞ」

「……うん。なあ、リボ」

「ガキはお前が背負ってくんだぞ」

「……わかった」

 命令で質問を封じ込める。ディーノはおとなしくガキに近寄った。呼吸を確かめ安心したように大きく息を吐くと、背中に負うためいったん抱きかかえようとしたがどうにも苦戦している。はなはなだしく痩せていてあいつの腕でも抱えられないはずはないのだが、ぐんにゃりと正体なく力が抜けているからやりにくいのだろう。ひきずるようにして自分の背に乗せると、額の汗を手の甲で拭った。

「……リボーン」

「なんだ」

「これ、……お前がやってくれたのか」

 
髪で隠れていた、赤く染まったカットバンを見せる。期待と、そして多分恐れで奴の目は揺れていた。

「さあな」

「おい、まてよ」

「オレじゃなかったら誰がやるんだ? ディーノ」

「……それは。そうか、そうだよな」

 小さく笑ったディーノは、どこか悲しげだった。余程いい未来だったのだろうか。大人のこいつは未来の自分と五分だけ入れ替わる、としか説明していかなかった。それと自分には黙っていてほしいと頼んで。オレはいわれるまでもなく、そのつもりはなかった。そこに倒れているガキを見るまでもなく、先のことを知っていることが幸福だとは思えない。生まれながらに揺るがしがたい未来を与えられている教え子に、それでもそれをはっきりと押し付けるのは忍びなかった。

「さっさとずらかるぞ。ガキは知っている孤児院を紹介してやるぞ。厳しいところだが、きちんと世話してくれるはずだ。薬もすぐに抜けるぞ」

「まじで! サンキューな、リボーン」

 
ディーノはガキをおぶった。ずるずると滑るらしいそいつを何とか運ぶ。

「……あんま、会いに行くんじゃねーぞ」

「わかってる。こいつはマフィアも薬もやめるんだからな。会いにいかねーよ。」

 どうにも嬉しそうに頷く。へなちょこが体を張って守ろうとするくらい気があっていたようなのに、会えないことを悲しむよりもこいつのために喜んでいる。人のいいことだ。

「今日はもう休みだが、明日から特訓を強化するぞ。そんなガキくらい簡単に負ぶえなきゃ話にならねーぞ」

「それはこいつが……いや、そうだな、がんばるよオレ」

 弟子はやけに素直にいうことをきいた。先にたって歩き出す。やはり明日は休みにしたほうがいいかも知れねーな、と思う。なんだかんだで、今日はあいつも大変だったのだ。へなちょこなわりによく戦った。休むことも重要だ。

 
浮かれている自分に気づく。甘くなってもいる。だがまあ、たまにはいいだろう。たまには。しかしそうなった原因が問題だ。今のあいつか未来のあいつか? 走りながら解けない命題に取り組もうとして、ふ、とオレは力を抜いた。いや、問題じゃない。どちらにしてもあいつはオレの弟子だ。かわいい弟子には違いがないのだ。









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