ボスがざんぷを読んだなら


「おーいボス。そろそろ出る準備した方がいいんじゃねぇか?」
「へ? あーもうそんな時間か」
 ソファに寝転がったまま、熱心に読み耽っていた雑誌から視線をあげると、我がボスはあわてて体を起こした。
「いやまだ三時ってとこだけどよ、どうせ坊主は授業なんぞうけてねぇだろう」
「あー………そうだよなあ。まったく。ちょっとでも早く着くとまだ仕事があるとか僕はあなたと違って暇じゃないんだとかいうくせにさ、応接室につくと絶対もう準備万端で待ち構えてんだぜ。かわいいよなー」
「………そうか?」
 二日目あたりまでは一応、椅子に御着席されて御待ち頂いてはいたのに、ここ最近は我慢がきかなくなったのかドアの向こうに貼りつくようにして待ち構えている。開けた途端殴りかかってくるから、傍で見ていても物騒で仕方がない。
「そうだろ。なんつうかこう、餌の時間覚えてていい子で待ってる猫みたいじゃねぇか」
 ああいるよなそういう猫。つっても時計が読めるわけじゃねぇから、毎日少しずつ朝食の時間が早まっていくんだよな、と妙に納得しそうになったがあれは違う。もうちょっと獰猛な肉食獣の類に自分には見える。
「………………それでいくとボスはあれか、食われちまうのか」
「餌じゃねぇよ! どっちかっていうとあれだろ、飼い主だな、うん」
「………飼い主なあ」
「なんだよ、いうくらい自由じゃねぇか」
 今本人はいないんだし、と呟きながら敬愛する上司はクローゼットに向かっていった。
 まず取り出したのは丈が長めのカーキのジャケット。部下で脇を固めているとはいえ、慣れぬ土地、同盟ファミリーの暗殺集団の襲撃が予想される場面での警護は簡単なことではない。もしもの時に備えて、ボスであるディーノには防弾加工のしてあるそれを着用してもらっている。
 だが秋といえども日中はそれなりに日差しが強く、修行と称した日々白熱する戦いに於いてはかなり邪魔であるに違いない。坊主が苛立たない程度の距離に配置する人員を増やすべきか、とロマーリオは思案した。
「なあ、これとかってちょっと先生っぽくねえ?」
 振り向けば、上司は淡いグレーの縞のはいったシャツを胸に当て、得意そうな顔をしていた。軽く頭痛を覚える。
「何着てっても同じだろそんなもん」
「あ、駄目だぞーロマーリオ。そんな調子じゃもてねぇぞ」
 我がファミリー一の色男は軽くいなすと、今度は派手な橙のTシャツを取り出すと真剣な顔をした。
 ロマーリオだって、服装に無頓着な性格ではない。無頼漢だと勘違いされそうな職種にあるのだから、その分身なりに気を使うことが肝要である。今身につけているスーツだって、それなりに値の張る店で誂えたこだわりのものだ。
 だが行き先が中学校で、日が暮れる頃にはもうぼろぼろの、二度と着られるはずもない布切れに成り果てることがわかっているものに、何をこだわる必要があるのだろうと思うだけだ。
「やっぱ親しみやすい恰好でいったほうが………いやでもなー」
 ディーノはさらに何着か服を取り出して、これはしばらくかかりそうである。だがまあ多少の時間の余裕はある。ため息をついて、ロマーリオはソファの上に置かれた雑誌を取り上げた。
「なあボス、これ面白れーのか?」
「ああ! いやなんか話のきっかけになるかと思ってよ。前にツナに聞いたんだ。なんでも男子中学生はみんな月曜にはこれを読んでるらしいぜ!」
「なんだその統計………そうだとしても恭弥はこういうものは読まねぇんじゃねぇか?」
 本国でも流行りの雑誌だのドラマだの音楽だの、そういうものの情報を若者は先を競って手に入れている、らしい。らしいというのは最も身近な我がファミリーの若人は、ボスを頭としてちょっと特殊であるからだ。だがテレビだの何だので得る情報からするとそうであるし、自分が若いころもやはりそういうものであった。しかしながらいつの時代だって流行りに頓着しない、友人たちの話題作りなど関心もなく自分の趣味にのみ拘る人間は必ずいるもので、ロック全盛の頃にアステアが踊りそうなミュージカル音楽のレコードを収集したり、ハリウッド作品に見向きもせずフェリーニに耽溺したり。そんな輩も僅かながらに市民権を得ていたものだ。どう考えても我がボスの弟子もそのタイプで、どんなに周りにひかれようと、履歴書には「趣味:戦闘」と本気で記載しそうな人である。いやマフィアに於いてはそうそう珍しいことではないけれども。
「いやいや決めつけはよくねぇよ。なんと三〇〇〇〇〇〇部だぜ。いま調べたら、ネットにそう出てた。中学生の数とほぼ同じ数字だ。しかも男子中学生となったら倍近い。読んでねぇ筈がねぇ。毎号とはいわねぇがきっと読んでるさ」
 どうかなあその計算は、と思いながらもロマーリオはそれをめくってみた。最初から最後まで、明らかに漫画雑誌である。そも、読み方からして自信がない。右上から左下で、という他の日本語の文書に従った理解でいいのだろうか? だいたい日本語はそれなりに勉強し実践の経験も積んでいるものの、読解となるとまた話は別だ。一応読み仮名がふられていて、一瞬日本の出版業界に多大なる感謝をしたわけだが、あきらかに何かずれている。たとえばこの十なんとか、と書いてあるところの漢字に振り当てられている言葉は、読解にひどく自信のない「カタカナ」というやつであるものの多分、きっと、どう考えても響きからして我が母国の言語だ。この戦いの最中にいる血気盛んそうな男は、我が理解が正しければいかにも得意気に「闘牛士」の一人であると語っている。それとも「剣」? わあすごい、と流すべきなのか否か。
 だがぱらぱらと見てみた感想として、文字があまり読めない人間が絵柄で判断したところでは、どうやら戦ったり戦ったり戦ったり時々スポーツしたり、みたいな話が多いようだ。確かに少年向け雑誌であるというのだからこれで正しいのかもしれない。大方の男の子はアクション映画が好きなものだし、ほとんどは大人になってもそうだ。日本の子どもはみなこういったものをしょっちゅう読んでいるのであれば余計その傾向は強いことだろう。と、いうことは我がボスの弟子も、多少度を超している部分があるとはいえ、日本人の子どもとしたらよくあるタイプなのかもしれない。
「なあロマこれは………あ、その先に載ってる話、な。ちょっとみてみろ」
「おお………やっぱやるなボスは。この雑誌わかんのか」
「ん? いやなかなかおもしろくてつい夢中になっちまったけどよ。続きものがほとんどだからなー、わかってるのかっていわれると自信がねぇ」
「ほう」
 それだってなかなかのものである。
「ほらこの先、この先」
「ああ………………これか?」
 大人しくめくれば違う話であることはわかるのだがこれまた同じく異形のキャラクターたちが、多分古都………いやもしかしたら浅草かもしれないしそれとも金沢? 異国の人間にはさっぱり見分けもつかない、だが如何にも古式ゆかしい景観を誇る街並みを壊して壊して破壊しまくりながら、戦ったり戦ったり戦ったりしていらしゃった。やはり先ほどの自分の考察はまったく、間違っていなかったのだろう。
「えーと……………これがなんだ? ボス」
「ん? ほらこの子。恭弥に似てねぇ?」
 鞭を握り、逆境に於いても部下を救う、こんな汚れた仕事に手を染めながら稀有なる清廉さをいつまでも持ちえている我がボスは、その武器を持つ右手の人差し指で一人のキャラクターを示して、晴れ晴れとした顔で決定的な言葉を口にした。
「いやボス。そのな、ボス。何考えてるか知らんがこれはな」
「あ、ロマ。これとかいうなよなー。この子はなんつうかどこか恭弥に」
「どこが」
 突っ込まずにはいられない。日本語の読解はさほど得意ではない。描き込まれた絵とはいえど読み解ける事実は僅かだ。だがそれでもわかることがある。ボスが示した対象は明らかに、どう見ても、まぎれもなく主人公たちの敵の親玉で、しかも女性である。怪しげな黒髪………一色で塗られているが多分黒髪の、だがどうにも長い髪。いや最近はそれだけで判断するのは早計かもしれない。近々やりあうことになる予定のヴァリアーの剣士もそれはもう、長々と髪を伸ばしている。鬱陶しくはないのだろうか。だがこのキャラクターの明らかに見るからにわかりやすい衣装は、いつの間にやら通いなれた中学の生徒が着用しているものとは違うが、多分この日本で女子学生が着る物と認知されている筈のセーラー服である。
「んー………説明しにくいんだけど。なんつうかこう、屍の山の上で笑ってそうな感じが?」
「あー………」
「かわいいし! なんかこう、子猫ちゃんっぽいかんじが」
「………………きつね…」
「ああそう書いてあるよな! 恭弥狐の格好とかも似合いそうだよなあ………」
 一応弟子とはいえ、数度顔を合わせ戦いまくった人間に対してその評価は明らかに正当ではない。迂闊に口にするべきではないのだと説得せねば、とロマーリオは決意した。
「いいかボス、恭弥はどう見ても女じゃ」
「わかってるって。むしろびっくりするほど男前だしなあ。さばさばして迷いがなくて。見た目だって華奢とはいえどう見たって男だし。でもほらこう、さ。シンプルなセーラーなら問題ねぇんじゃねぇのっていう。似合うし」
「………………………似合う?」
 うっとりと、我がボスは目を細めた。何かを反芻するような、それとも夢見るような。脳内でどんな映像が展開されているのかは、如何に長らく仕えた部下といえども把握なぞしたくはない。
「かわいい。むしろデフォだな………ほんとに全然知らなかったぜ。弟子ってこんなにかわいいものなんだな…」
「なあボス、………そろそろ出たほうがよくねぇか?」
「あ! まずいこんな時間かよ。なあロマ、こっちとこっち、どっちが先生っぽいと思う?」
 真剣な顔をした質問に適当に相槌を打ちながら、ロマーリオはまずは今日の警護の計画について意識を向け始めた。いやこれは断じて逃避などではない。


 なんてことがあってな。
 通いなれた屋台の席。かぐわしいおでんの香りが漂い、頑固一徹な雰囲気を漂わせた親父は鍋の具をしきりに動かしている。だが草壁は知っているのだ。この並盛の地で、我が敬愛する委員長の動向に関心を持たない人間などいない。ましてや個人経営の店主なら尚更だ。同席者ののんびりとした語り口の、寧ろそれこそが恐ろしい話の内容に思わず身震いをすれば、数分後には熱燗が目の前に置かれていた。話を聞かれたわけではなくただ寒いだけ、と思われていればいいのだが。実際、まだ秋、アツアツのおでんを食して冷酒を飲み、むしろ暑いといっていいほどだった筈なのに今は寒気がしてたまらない。ほんの数分前まで美味なる甘露、命の水であると思えた酒ですらいまはもうちっともうまいとは感じられなかった。
「その後俺は悟ったんだ」
「………………何をですか」
「ん? ………そうさなあ、我がファミリーの行く末とか、今後とか。これから俺らファミリーがどう動くべきか、とかな」
「いやそんな勝手に悟りを開かないで頂けますか」
 思わず草壁は声を荒げた。怒鳴りつけなかったのが自分でも不思議なほどだ。だが相手は如何にも平然と、動揺する自分を寧ろ微笑ましいとでもいいたげに見やっており、その表情はもはや菩薩のようだ。
 なんということだろう。そりゃ敬愛する委員長の家庭教師だという男が、かなり激しく過保護な性質であることは察していた。たびたび来日しては修行と称して戦ったり、ちゃんと寝てるかだとか風邪ひいていないかだとか口煩いことをいっては怒られている。だが委員長のような、強く、しかし自分のことを省みない方には、及ばずながらできる限りフォローして差し上げたい。その気持ちはわからないでもないと思っていたのだ。明らかにあのマフィアのボスは排除すべき虫だ。だがその判断を自分がするのは僭越ではなかろうか? 委員長は戦える所為もあるのか、そうそう表に出されることはないがあの男が来るとどこか嬉しそうにしているし、排除するとしたらご自分の手でなさりたいと考える筈だ。しかし、お気づきでないのなら、何か自分から献言すべきではないだろうか。だがなんと。マフィアのボスが委員長はセーラー服が似合うといっていたそうです? とてもとても目の前にいらっしゃらなくても口にできる気すらしない。草壁は思い惑った。


 それから数週間後、いったんは帰国していたあのイタリア人の集団が再び来日するとの連絡がロマーリオからあり、結局何もいえなかった草壁は、委員長がまた修行で並盛を離れる可能性も考慮して委員の仕事を進めていた。だが夕刻の打ち合わせの折、並盛中学の旧女子制服の入手を指示をされ、彼もまた一つの悟りを得たのだという。喜ばしいことである。




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