ひばり館へようこそ


 車窓を流れていく景色。単調なそれを眺めながら綱吉は大きく溜め息を吐いた。
 赤や黄に染まる樹々の葉は目に美しい。しかしこれまでの長い道のりで行きかった車は、収穫したらしい葡萄を思いきり積んだ、既にこの世で果たすべき責務は存分に果たしただろうと肩でも叩いてやりたい風情の、中古極まりないトラクターが数台といったところ。目に入る生物といえば放牧している家畜がせいぜいで、あとは梢の向こうを飛んでいる鳥が二三羽。なんともはや平和な風景である。そしてそれはつまりは、この場所は自分が住む町から遠く離れた土地であり、目的地までもまたかなりの距離があるということだ。
 常ならばこの小旅行のようなドライブはさぞや心が浮き立つものだったに違いない。まだまだ慣れぬ国のこと、何度となく訪れた土地であるが風景一つとってみても目新しい。南北に長い国なのでたいした走行距離ではなくとも、未だ口にせぬ名物料理などがあってそれも楽しみの一つだった。だが執務室に戻れば仕事は山積みで、それもこんなことをしている間にも着々と標高は上がっているのだと承知している時には、そうそう楽しめるものではなかった。
 誓っていうが綱吉は仕事から逃げてきたわけではない。むしろその逆だ。なんとかして効率よく仕事を終わらそうとしてのこのドライブである。マフィアのボスにとってデスクワークなぞ、そりゃ大変で大変で大変で大変であるけれども本質ではない。それだけですめばむしろ楽で簡単で、ああこのまるで別世界の農村の風景のように平和な話だ。だがそういうわけにもいかず、そしてそんな物騒な仕事を信頼して任せられる人間は今現在たった一人しかいない。他の守護者達は年少だったり水漬けになっているものをのぞいて、皆重要な任務にあたっている。何故彼一人だけがそのような仕事を割り振られていないかといえば、彼が雲であるという厳然たる事実により、外部監査的責務を負っているという事実にもより、そして携帯がまったくちっともこれっぽっちも繋がらないという事実にもよる。雲雀恭弥の所有する携帯に電話を掛けて繋がる、ということはまあない。そしてあちらから掛けなおしてくる、なんてことは天地がひっくり返ってもありえない。そんなわけで、あちらの携帯の履歴には、沢田綱吉の名前が――もしあちらが所属する団体のボスの番号を登録していれば、の話だが――さぞや癇に障る感じに群れているはずだ。
 だが綱吉のファミリーの上層部にはここ数年、それこそ自分がボスの座を継ぐ前からまことしやかに囁かれる噂があった。曰く、ファミリーの本部から南へ五十キロ程の歴史ある街、そこに存在するという「ひばり館」に行けば雲の守護者に必ず会うことができる、と。
「本当にいるのかな」
 呟くと綱吉は大きく体を伸ばした。まず「必ず」という言葉が雲雀恭弥とは相容れない。だが複数の人間から証言を得ているし、大体もしそこにいなければこのイタリアのどこにいるというのだ、という話なのだ。見当もつかない。
 がたん、と大きく車体が揺れて綱吉は飛び上がった。いつの間にやら転寝していたらしい。見覚えのある急な坂道に車は差し掛かっており、下方に目をやればいかにも異国然とした白壁の家々が立ち並んでいるのが木々の間からのぞいている。目的地は近い。いや、既に敷地内にははいっているのだ。戦国武将だってよくやった手だ。かの地は丘の天辺にある。そして道は急勾配で、木立に阻まれてなかなか全貌は見えない。迎え撃つにはうってつけ、またわからないように監視カメラが置かれて、あちらにはこっちの動向が見えているに違いないのだ。まあ当たり前の自衛であり、お互い様で文句をいうつもりもない。このとんでもない山道も、きっとショートカットで行く方法があるのだろうが、綱吉は未だに教えてもらっていない。だが歩いて登れといわれた訳じゃなし。
 そうこう考えているうちに見えてきたのは白亜の洋館。いや、城といった方が正しい表現かもしれない。建築には詳しくないが、いかにも童話の王子様とお姫様の暮らしそうなゴージャスでロマンティックな風情である。住んでいる人間が住んでいる人間でなければ立地の不便さにもめげず観光客が大挙して訪れるに違いない。
 ファザードに止められた車を降り、大きく息を吸って、吐く。花壇だの噴水だの木々だの、マイナスイオンは多分出ているだろう。こんな時にはありがたい話だ。
「お、ツナじゃねーか! どうしたんだよいきなり」
 重厚な玄関が開いて、厳つい黒服の男達が姿を現した。その中の中心をいく、艶やかな金髪の男がこちらを見るなり相好を崩した。
 こちらは意識を失っていたわけだが、それでも表門、つまり山の下の関所を通った時点で身分照会は行われた筈だ。今日は運転手を勤めている部下が起こさないように一人で話を通してくれたのだろう。だが館の主人まで話が通じるより、車の方が早かったらしい。見ればいつもはラフな格好で通している男が黒服に身を包んでいる。彼の部下達が着れば裏家業の者にしか見えず、自分が着れば葬式帰りにしか見えず、だが彼が着るだけでとんでもなく洗練されて美しく見える黒のスーツだ。自分の服だって、そうそう安い品物ではない筈だが。
「すみません、ご連絡もせずに伺って。お仕事に行かれるところでしたか?」
「ん? んー……いや大丈夫だぜ。ショバの見回りってだけだし。な、ロマーリオ」
「おう、あんたはもうちょっと、その辺のことは下に任せることを覚えるべきだな」
 重々しく答える彼の部下も、笑顔でそれをいなす彼自身も表情だけでは本音を窺い知ることはできない。好意に甘えるのも心苦しく、綱吉はすぐに本題に移った。
「あの、場所を教えて欲しいんです。……ひばり館はどこですか?」
 彼の持つ土地のどこかにあるという、ひばり館。この異国の地で、完璧に日本の書院造を再現した素晴らしい建物だという。すぐに見つかるかとも思ったが、この屋敷を見た途端、自分の考えが如何に甘く、根拠がないものかわかった。キャバッローネの持つ土地は広い。利益率や生産性ではなく土地そのものの広さのみを云々するなら、キャバッローネの土地の方がイタリアに限ってはボンゴレより広いかもしれない。彼は懐に入れたものは、決して切り捨てないからだ。
 日本文化を心から愛する雲雀のことだ。長期間イタリアに滞在するとなれば、色々と不都合もあるだろう。ディーノが弟子のために贅を尽くして建ててやったのだろう住まいで、やっと羽を休めることができるのかもしれない。自分だとてボンゴレの高価な家具だの絵画だの彫刻だのが所狭しと陳列されている部屋では、ちっともリラックスできないのだ。正直うらやましい。あと何年か真面目に働いたら、敷地内に自分専用の建売一戸建てとか建てさせてもらえないかなあ、と綱吉は思った。
 とりあえずそのためにも、面と向かって雲雀と話すことだ。ランクの高いリングだとかで釣れば、もしかすれば頷いてくれるかもしれない。とにかく重要なのは雲雀の居所を掴むことである。かのひばり館、を。
「あ、恭弥ならオレの部屋でまだ寝てるぜー」
 へらり、と照れたような笑顔を浮かべてディーノが笑った。部屋。ちらり、と彼がオレんち、と形容する城に綱吉は目をやる。同じようなとんでもない建築物に住まわされている自分には分かる。プライヴェートスペースまで入れてもらったことはないが、きっと部屋というよりは小ホールとかいったほうがしっくりくるようなだだっ広い空間の続き部屋に、だだっ広く感じさせないためのとんでも高価な家具がこれでもかと配置されているのだ、というか。
「ここまでの長ったらしい前ふり、全無視ですか―――!!!」
「へ? え、いや、悪い? 酷い話だよな? オレだってまだ眠いのにさ、仕事あるし」
「いやそうじゃなく!」
「え? ああうんごめんな? せっかく来てくれたのに。ゆうべちょっとはしゃぎ過ぎちまってさ、すぐ起きると思うぜ」
「……あー、そうですか……」
 綱吉は視線を逸らせた。この二人が長らく恋人というか内縁関係というか、そんな状態にあるのは薄々承知している。だがだからといって不躾な勘繰りをしていいという話ではないだろう。これはきっとあれだ、日付が変わるまでマリオカートしてたとかなんかそういう。
「あ! いやあれだぜ! その……ドラクエ! してたっていうか、うん、そんな。パーティ組むってだけで不機嫌になるくせにあいつ負けず嫌いでさ? 終わんなかったって、うん、いうか!」
「そうですかー……そっちかよー……」
 望みは絶たれた。一応騙されたふりで突っ込んではみたが、マフィアのボス二人が雁首そろえてここまで嘘が下手とか、どうなんだ。
「ま、もうちょいすりゃ起きると思うからよ。ゆっくりしてってくれ。ボノ、頼んでいいか?」
 ディーノが部下たちに合図を送り、黒服の集団のほぼ半数が車に乗り込んだ。予定を無理に変えさせるつもりはなかった、といっても無駄だろう。
「ごめんなさい! あ、オレ大丈夫ですよ、勝手に待ってますし!」
「そういうなって。あいつはあれだぞ。寝起きは機嫌悪いぞ、相当」
「いやその」
「あ、そうだ起きるまでみとくか? うちの離れ。ツナには懐かしいかもしんねーし」
「え? いやそれは、どうでしょう……」
 ここまでの流れを見ると「離れ」=「ひばり館」だろう。施工主はうんといっても持ち主はきっとおそらく明らかにうんとはいわない。大体懐かしいといっても、教科書で昔似たようなのを見た、とか、そんな感じだ。
「立派なお宅だとはきいてますけど。ヒバリさんはそこに住まわれてるんですよね?」
「へ? いやまあ……たまに。ほら、枕が替わると眠れないんだよとかいいだすし。そんな繊細なタマかよってんだよ、なあ」
「えー……あ、でもヒバリさん眠り浅いですよね? こう、木の葉の落ちる音でも起きる、みたいな。あ、でもそれなら枕を持って移動すればいいんじゃ……?」
 我がファミリーの情報収集能力にはじめて若干の疑いを抱きつつも綱吉は聞いた。ここは明らかにしておきたいところだ。通常時の雲雀恭弥の所在。
「いやでも警備の問題もあるし、早々気軽にオレも離れで寝るわけには、なあ。大体さっきだってちっとも起きなかったんだぜ? 枕も何も」
 ちらり、と枕が、今は仕立てのよい背広に包まれた、柄の入ってないほうの腕に視線をやった。ああなんで、自分は超直感なんてもの、身につけてしまったのだろうか。
「……そうですかー。じゃああんまり使われてないんですね。勿体ないなー」
「おう。あ、でも喧嘩するとあいつあっちで寝たりするけど。あ、たまにな、たまに!」
「……」
 頻度はともかくその激しさは知っている痴話喧嘩を思い起こして、綱吉は溜め息をついた。知ったことか。と、いうか、あの雲雀恭弥が喧嘩しても出て行かない? いや、ただ単に出て行ったら逃げたことになるとか、考えているというのもありえるが。
「風呂も使うしな! ツナも入ってったらどうだ? 露天も檜もあるんだぜ」
「いえいえ。でも羨ましいな。気持ちいいでしょうね」
 綱吉には豪勢な部屋が私室として与えられているにもかかわらず、そこに備え付けのバスルームは比較すれば非常に簡素だ。いやそうはいっても、実家のものに比べると倍以上の広さを誇る、素晴らしいものなのだが。ただ日本人の綱吉からすれば、ジャグジーだのなんだのいう機能云々より、とりあえず湯船に入っているとき便器が視界に入る、というだけでいただけない。大体一応ボスであるのだから、もっとなんていうかこう、どうにか。
「そうだなー。こう、開放感があるっていうか」
「……あー」
「風呂道具もって行く、ってのもなんか楽しいしな! まあ部屋ので済ませちまうことも多いけど」
 それはそうだろうと苦笑する。口にするような人ではないが、多分自分と同じく多忙極まりない身の上だ。部屋の風呂でも多分苦には感じないのだろうし。
「わざわざ行くってのがなんか、イベントっぽいっていうか。冬は二人で赤いマフラー巻いて行くもんなんだろ? こう、親密な感じがするよな!」 
「…………そうですね」
 何を教え込んでいるのだ。何を。とりあえず連想されるフォークソングからは、一番遠い位置にいるような人種だ。柄入ってるし。基本的に利用不可だろう。
「恭弥は面倒くさいとか、風呂好きなくせにあっちの使うのはどうこういうんだけどさ」
「…………はあ」
 どこがだ。ノリノリじゃないか。だが綱吉は内心を笑顔で覆い隠した。惚気話を聞くうちに笑顔が貼り付いてしまったともいう。だいたい如何に雲の守護者とはいえども、ここまで足を運んで、頭を下げて、さらにランクの高い指輪でも提供しようかという、ボスであるところの自分の心積もりは、どうなんだという話だ。一応部下ならば、働いて当然ではないか。


 家庭教師からの又聞きではあるが、どうやら雲雀恭弥にまつわる例の噂は、ここ一週間ほど真実になっているらしい。ボンゴレの人間に余計なことを話すな、と腹をたてているそうだ。依頼の仕事は完璧すぎるほど完璧にこなされたので文句はないが、とはいえ予想以上に雲雀恭弥の我が兄弟子に対する対応は甘い、と綱吉は考える次第だ。
 
inserted by FC2 system