「予想通り前歴の裏はとれねぇな、ボス」
 外注した報告書を片手にロマーリオは溜め息をついた。かいつまんで報告する部下の声に耳を傾けながら、ディーノは他の仕事の書類をめくっている。斜め前のテーブルではわさわさと部下が資料を広げていて、執務室というよりは資料室のような様相を呈していた。山のような書類とともにひとりで放置されるかと思えば、こんなふうにいれかわりたちかわり部下が出入りすることも少なくない。集中しにくいといえばそうだがディーノはこういう騒がしい雰囲気が嫌いではない。だがどうしてこうなっているのかといえばわかりやすく忙しいからで、それは御遠慮申し上げたかった。
 簡単な調査の仕事すら外部に頼まなければならない状況で、全くやっていられない。おかげで、とディーノは恨めしい気分で卓上のカレンダーに視線を投げる。赤い花丸で囲まれた日付が嘲笑っているかのようだ。いや一応プレゼントだけは渡せたし、当の本人が気にしていないのは、あからさま過ぎてむしろ淋しいといっても程なのだ。何より忙しいのは自分だけではなく、部下のことを考えるとそうそう愚痴をばかりいってはいられない。
「まあ日雇いじゃそうだろうな。自己申告を信じる他なさそうだ。アークイラは?」
「ええと……大人しいもんみたいだな。住民もさっぱり夜出歩いてはいないらしい。ロッソもだ。あそこは賭場だの劇場だの映画館だの、盛り場の深夜営業を大方見合させている」
「そうか」
 ついでに調べさせた近隣のシマの状況を尋ねると、なんともあっけない答えがあった。まあ確かにそれが一番確実な手段かもしれない。まず人手もかからない。飲み屋など深夜に近づけば殆ど開店休業状態なのだ。だが横暴だと感じる向きもあるだろう。だいたいそれで食っている人間も少なくないわけで、キャバッローネとしてはなかなかそこまで思い切ることは出来なかった。
「……ボス、マウリツィオを疑ってるのか?」
「ん?」
「あいつは口下手だが悪いやつじゃねぇぜ」
「ああ、そうだなー。犯行現場が点在しすぎてる、って話があったろ? 広い地域に土地勘があって、だから逆に特に関わりのある場所でことを起こすのを避けてるんじゃねぇかと思ってさ。あいつは日雇いで一箇所に落ち着いてなかったみたいだし、ボンゴレともロッソともうちとも、犯行が起きてないシマとの関わりは周知だ。だからアークイラに住んでた過去でもあるか、一応調べてもらおうかとな」
 そんな人間は調べればいくらでもいるだろうし、本気で疑っているわけではないと否定して見せたが、真面目な部下は黙りこくっている。大体、冷静沈着なこの男が犯罪を犯しそうな男ではないなどと甘いことをいいだしたのは意外だった。とりあえずはいくら近しい人間も疑わねばならないような世界で、見た目で判断などしていては足を掬われる。まだまだ甘いところのある自分を常に嗜めてくれるのがこのロマーリオなのだ。
「じゃあ恭弥も?」
「……ああ、それはねぇよ」
 読み進めていた書類を脇に置いて否定する。だがそういうことか、と納得した。雲雀の目を盗んであの男が動ける筈はないからともに疑っているのではないかと考えたのだろう。だがそれはない。どんな仕事も、例えばボンゴレが絡んでいるにしろなんにしろ気軽に犯罪を犯してくれるような性格なら、むしろ手を焼かないのだ。そんな人間ではない。
 だがそれなら何をしているのだろう。何度も、それこそこんなことが起こる前から繰り返している問いを頭に浮かべて、苦笑する。彼の仕事には口を出さないと自分で決めて、それでも平静でいられたためしはない。器が小さいにも程がある。
「まあそうか。ありゃあ恭弥の好みじゃねぇな。気が強そうなのばかりだ」
 冗談めかしてロマーリオが片眉を上げる。チェチリア、アンジェリーナ、アーシア、シモーナ、クラウディア、タチアナ、パオラ……。まあ確かにその通り。そしてそれ以前に性犯罪など死んでも犯さないだろうし、まかり間違って何かを知っているとしたら、目的はそれではない。右腕がわかっていない筈はないから、ディーノは無理に笑顔を見せる。
「そうだな。あいつはわかりやすく金髪フェチだし。被害者は赤毛ばっかりだろ?」
「おお」
「あいつが好きなのはさ、やっぱ金髪で気立てが良くてちょっと天然入った」
「何だボス、昼間っから惚気かあ?」
 視線を上げると、大量の資料を抱えたボノが立ち上がったところだった。途中から耳に挟みでもしたのか、なんともピントの外れたことをいう。昔、まだ性的に幼い雲雀をディーノは自分のものにした。雲雀が女性と付き合ったこともないことは知っているし、それ以前にそうした事柄に興味を見せること自体少ない。だがそれでも長らく付き合っていればどんなタイプに好感を持つか位は、なんとなく察してしまうものだ。想像したくもないことをこの場を治めようと断腸の思いで口にしたというのになぜわからない。紙で構成された山に頭を埋めて呻き声を上げる。
「どこがだよ」
「いやどっからきいてもそうだろ、ボス」
「ロマ、お前までそういうこというかよ」
「ちょっと休憩したほうがよさそうだな。あんま寝てねぇんだしコーヒーでも飲んで」
 先程茶の時間の休憩を取ったばかりだ。ディーノは断ろうとして、だが素直に頷いた。確かに集中などできそうもない。ロマーリオはすぐに受話器を取り上げ内線番号を押し、だが予想された会話はなかなか始まらない。
「つながんねぇのか?」
「ああ」
「夕食前だし手が離せないんじゃねぇか? オレが取ってくるぜ。こいつを届けるついでだ」
 抱えた資料を顎で示して、ボノが心強く請け負った。少し躊躇った後でディーノは声をかける。
「ついでにクラッカーかなんかもらってきてくれねぇ? はらへった」
「ボス。あんたさっき食ったばかりだろ。夕飯が入んなくなるぞ」
「食い盛りなんだよ。仕方ねぇだろ」
 忠言を始めた男に構わずボノは頷いてドアの向こうに消える。自分がかなり食が太い所為か、上司の間食には寛大な態度をとるつもりらしい。
 ふう、と息を吐く。確かに湯気を立てた美味そうなタルトがはん一時間ほど前に運ばれてきたのだ。だがロマーリオが席をはずしている隙に、腹をへらした雲雀が部屋に入ってきた。それでは仕方がない。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子猫に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。盛られたアイスクリームが溶けないうちに手ずから食わしてやるべきだと、確か神の子もかつて山上で説いている。
 恭弥がどうってだけじゃなく、マウリツィオはそんなことをやらかすやつじゃねぇと思うぜ。
 うだうだ考えているとやたら響きのいい名前が耳に入った。顔を上げると、いつの間にやら食生活に関する説教は終わっていたらしい。勿論だ。人柄を見抜く目はある部下に指摘されるまでもなく、ディーノにも本当はわかっている。
「一応っていったろ」
「そうだけどよ。……あんたらしくねぇだろ。ちょっとあいつに冷たすぎねぇか?」
「そういう問題じゃねぇだろ」
「まあな。だがありゃあただの部下だぜ?」
「……」
「あんただって別に草壁には妬いたりしねぇだろ?」
 むうっと、唇を尖らせて不満を表明すると、ロマーリオは苦笑して再び報告書に目を通し始める。まったくこういう報告書という奴は、どうして競うみたいに冗長にしかつめらしく書いてあるのだろう。さっぱりわかりませんでした、と結果を一言書いてくれば事足りはしないだろうか。
 コーヒーが届くにはまだ時間がかかるだろうが、それまで仕事をするという気にも残念ながらなれなかった。デスクの引き出しを探るとテレビのリモコンを取り出す。壁に埋め込まれているそれは、オブジェとまではいわないがほとんど利用されることはなかったからすぐに見つかったのはちょっとした幸運だ。
 それにしても、と書類を脇に纏めながらディーノは右腕の様子を窺う。冷静で、人を見る目はあると思っていたのだがどうやらそうではないらしい。少なくとも上司を買い被り過ぎてはいる。まったく、どうみたって察してくれてもよさそうなものだ。そりゃわかってはいる。だが気にしていないわけないじゃないか。なんといっても自分と出会う前から傍に付き従っていた男なのだ。
 賑やかなジャンクフードのコマーシャルが終わって、ニュース番組らしいスタジオに場面が切り替わる。確かこの時間帯はどのチャンネルもゆるいバラエティか何かやっていなかったかと、どうにも覚束ない記憶をディーノが辿っていると、緊急ニュースだとテロップが入った。
 長いブルネットをゆるく纏めた女性アナウンサーが、神妙な面持ちで座っている。つまりはターゲットからは辛くも外れているタイプで、だがまるでもしかしたら他人事だと思ってはいないのではないかと誤解させるような声色で、これまでの事件のあらましを語る。
 チェチリア、アンジェリーナ、アーシア、シモーナ、クラウディア、タチアナ、パオラ……。
 行方知れずの娘たち。そしていなくなっていることすら気づかれない、孤独な女もいるだろう。今回被害にあったのはそっちだった。
「ロマーリオ」
「おう」
「急いで車を回してくれ。ボンゴレに行く」
 慌てて部下が駆け出していく。ディーノは立ち上がり、ソファに投げ出してあったジャケットを羽織る。テレビを消そうと振り返って、ついまた見入ってしまった。
 
画面には新たに判明した被害者の、今はもう空虚にしか見えない笑顔を大写しにしている。エレナ。エレナ・リッピ。何度となく顔を合わせているのに、名前すら知らなかった。












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