ゲートをくぐるとすぐ、地面に煉瓦でかわいらしい柄が描かれている広場と噴水があって、その向こう、まさしく主役でありますといいたげにメリーゴーランドが鎮座しておられたので、さっそくディーノと雲雀はそれに向かった。シマにやってくる移動遊園地で見かけるたび、楽しそうだなあと思っていたのだ。実際乗れる日が来るなどとは思ってもいなかったから、正直わくわくする。何度か見たものに比べてだいぶ大きく、派手な電飾をつけた屋根の下、カラフルな鞍を乗せた馬が並んでいる。ディーノは適当に、目についた白馬に決めた。
「よーしこれにしよ」
「どう違うの?」
「うーん………どうも違わないんじゃねぇか?」
 一頭だけ別な動きをするとは考えにくい。ディーノがそう答えると雲雀は大人しく斜め前の黒馬にまたがった。派手な紫色の鞍を載せていてたいそうかわいらしい。
 数分程待つと、もうこれ以上待っても客が乗り込むことはあるまいと係員が判断したのか、ブザーが鳴り、軽快な草競馬のメロディに合わせて、ディーノと雲雀だけを乗せてメリーゴーランドは回り始めた。
「………回ってるな」
「………回ってるね」
 途中から、何やら新しい動きでも入るのかと思ったのだがそんなこともない。緩やかな一定の速度で、メリーゴーランドは回った。あ、馬もなんだか上下はしている。だからなんだといいたいのだが。
「馬も上下に動いてるな」
「………動いてるね」
 多分馬の動きを模したものなのだろう。多分。だが世の人は何でわざわざこれに乗りたがるんだろう? 確かに音楽は鳴らないが、実際に生きている馬に乗って庭でも逍遥した方が、遥かに楽しい筈である。景色が変わるといっても広場の風景はそう興趣に富んだものとはいいがたいし、軽く仰け反って前足を掲げた態勢を維持している白馬は、見た目に反して物凄く穏やかに動く。呆気にとられていると、唐突に馬の回転が止まって、またブーとブザーが鳴った。
「え、と、降りるか?」
「うん」
 雲雀はどうみても呆然とした態で、ディーノは慌てた。その驚きは自分も理解できるものではあるが、そのまま放っておくわけにもいかない。なんといっても、メリーゴーランドに乗ろうといいだしたのは自分であるし、雲雀は並盛の施設に対して、必要以上の責任を感じている節がある。
「いやー回った! 回ったなー!!」
 とはいえ褒め言葉が思いつくわけでもない。というか今の遊具に対して、どんな台詞が称賛であると見做されるのかよくわからない。
「………回ったけど。ねぇ、ディーノ」
「ん? なんだ?」
「今の、本当に面白いのかな」
「………………」
 率直で歯に衣着せない。我が子はあまりに純粋で、ディーノとしたら鼓動が止まるような心持がした。
「えーと………その、人によるんじゃねぇか?」
「ふうん」
「え、と! その! 正直オレはあんまりだったけど! いやでも、もうちょっとなんか盛り上がるものなのかなーって思ってたんだけどな」
 こんな子どもに嘘はつけない。だが口にした途端雲雀は目を丸くして、ディーノは今すぐにでも謝りたいような気持ちになった。
「え? あなたもしかして」
「あ! 次はあれ乗ってみねぇ? ほらあれ! ジェットコースター!!」
 あまりの後ろめたさに視線をそらすと、それはすぐ視界に飛び込んできた。縦横無尽に天に幾何学模様を描いているレール。かの有名な、ディーノだってお名前だけは存じあげている、ジェットコースターって奴である、多分。
「ジェットコースター?」
「おう! きっと面白いぜ!」


「気持ちわりい………」
 ディーノは思わず溜息を洩らして、ベンチに座ったまま首を仰け反らした。
「なに情けないこといってるの。楽しかったじゃない」
 反して、雲雀は楽しげだ。いやディーノだってはじめの内はなかなかに楽しんでいたのだ。列車がぐんぐんと上昇していくとどきどきしたし、ものすごいスピードで下降すれば必然的にスリルを感じる。ぐるぐるぐると螺旋状に回り始めたときは、なるほどこれは確かに人気が出る遊具に間違いないと思ったものだ。
 そんなわけですっかり満喫して、だがそれは雲雀も同じだったらしい。列車がスタート地点に滑り込むなり、ねぇもう一回乗ろうよと声をあげ、そしてこの遊園地は何でだか来場者が殆ど全くおらず、そして係員は、雲雀が雲雀であるからか、それとも迅速なサービスの提供を常々心がけているとでもいうつもりか、安全装置を指さし確認すると即座に再び発車させてくださった………という流れを五回ほど繰り返すと、いくら愉快なジェットコースターでも、単なる胃の中の内容物をシェイクするだけの装置に成り下がる。
「楽しかったけど………あれは揺れすぎだろ」
「………あなた、スピード狂の癖にね?」
「え? なんだそれ?」
「ロマーリオにきいたよ。あなたの車の運転は凄く荒いって」
「おまえらどういう話してんだよ………」
 なんだかんだで、我が子が部下たちと少しずつ親しんでいるらしいことは喜ばしく思ってはいたが、さてじゃあ何が彼らの共通の話題かという側面には全く意識が及んでいなかったのだ。あいつら余計なこと話してないだろうな。
「だいたいオレはいつも安全運転だろ? 恭弥を横に乗せてるのに、法定速度を超えるなんてありえねぇだろ」
「………そうだけど。あなた、手加減してると承知しないよ」
「いやこれ手加減じゃねぇだろ…」
「じゃあなにさ」
「………………優しさ?」
「………」
 余計ムカつきますという表情を我が子は浮かべてくださったので、ディーノは必死で他の言葉を探した。思いやり? 愛情? それとも彼を傷つけるどんなリスクも冒せないと決めている自分の臆病さだろうか。
「しょうがねぇだろだって」
「正直にいいなよ」
 正直に、おまえが大事なんだよと打ち明ける前に、我が子は唇を尖らして命令を下した。
「あなた、他の時も安全運転ってわけじゃないんだろ?」
「え? いやそうだぜ。超安全。っていうか、いったろ。オレはあのファミリーカーにおまえ以外を」
「でもイタリアにいるとき、全く乗ってないってわけないだろ? 聞いたよ、クレヨン箱みたいに車を並べてるって」
「いやその、それは………」
 あいつら。いや雲雀は一度イタリアに来ているし、その時に知られてたっておかしくなかった。確かにディーノは自動車が好きで何台も所有しているし、僅かな休日に、助手席に部下を乗せて環状道路をぶっとばすのは、ストレス解消としても一定の効果がある。思い返せばディーノは夏からこちらの数度の帰国の際、多くの部下の妨害にもかかわらず、数度車を運転する機会を持ったのは事実で、しかし誓っていうが一度たりとも、メーターが法定速度を超える………どころか十キロ以上近い値を示したことすらなかった筈だ。
「それは?」
 不審気に覗き込む我が子の、澄んだ瞳映る自分をみた瞬間、ディーノははたとその理由に気づいた。この子がいるから。助手席にではなくとも、この子がいるからなのだ。
 もちろんディーノにだとて、部下たちから慕われている自覚はある。だがそれはそれとして、純粋に仕事だけを考えるなら、自分がいなくとも部下たちで回すことは可能であろう。というか、可能であるように部下を教育するファミリー内の機構を作り上げることも、自分の重要な仕事である。だからもし自分に何かあれば、部下たちはきっと心から悲しんでくれるだろうけれども、ファミリーは支障なく存続するであろうし、このキャバッローネの印も誰か代わりの人間の体に現れるに違いない。だから、とまで考えていたかは自分でも定かではないが、休みの日にちょっと荒っぽいドライブで憂さを晴らすくらい、たいしたことではないと思っていたのだ。だがこの子には自分の代わりなぞいる筈がない。だってたった一人の家族なのだ。もし自分が怪我なぞしたらこの子は
「それは!」
「どうしたの、まだ気持ち悪い?」
「え? や! どうしてだ?!」
「顔が真っ赤だよ。飲みものでも買ってこようか?」
「いや大丈夫、大丈夫だから!!」
 相当恥ずかしい。そういう時はむしろ青くなるんじゃないかと思うが、つっこむこともかなわない。こんな想像をして嬉しくなるなんて、自分は最低の人間である。
「そう? まあそんな大声出せるんなら平気かな。ソフトクリーム食べる? クレープも売ってるみたいだよ」
「………クレープにするか。恭弥は何にする?」
 なんだかんだで甘いものが好きな子である。昼には時間があるが、そろそろ腹が減ったのだろうか。いや大丈夫、顔が赤かったくらいでそこまで心配されたかったわけじゃない。むしろされていたら罪悪感で一杯になったことだろう。
「僕はそんなにおなかすいてないよ」
「え? いやオレだってまだそこまでは………じゃあなんでそんな話になったんだ?」
「おなかに隙間があるから揺れると気持ち悪くなるんじゃないの? 一杯詰まってたらきっと平気になるよ」
「………」
「まだ赤いよ?」
 どこの横綱の理論だよ、といってやりたいのだがそれどころではない。我ながら親馬鹿な自覚はあるが、これはいけない。我が子は何かの手違いで地上に舞い降りた天使なのではなかろうか。
「オ、オレも昼飯食いたいし、一個じゃちょっときついかなー。恭弥も手伝ってくれるか?」
「しかたないね」
「あんがとな。あ、色々種類があるんだなー。何がいい?」
「りんごとはちみつの」
「お、カレーだな?」
「カレーじゃない」
 ちょっとした冗談ではないか。
「そっかー。あ、おっさん、この、アップルシナモンハニーカスタード生クリームとかいう奴ひとつ」
「かしこまりました」
 深々とお辞儀をした店員は、呆気にとられたディーノの目の前で薄切りにしてバターソテーしたリンゴをカルヴァドスでフランベし、鮮やかな手つきでクレープを焼き終えると、バニラビーンズたっぷりのカスタードと隠し味にこれまたカルヴァドスをきかせた生クリームを絞りだし、リンゴと一緒にクレープで包むと仕上げとばかりにてっぺんにコムハニーとナッツをがっそり。いやちょっと待て。
「お待たせいたしました。三百円でございます」
「え? や、その………」
「三百円なんでございます」
 これがデフレ? と呆気にとられながらも機械的に財布を開く。どう考えても英世を一二枚はチップで渡さなくてはならないメニューである。てかあなたどう考えてもどこぞのパティシェとかそういう。
「ワオ、おいしそうだね」
「ああ。ほらきょうや、あーん」
「あなたのだろ、先に食べなよ」
「ん? いいってほら」
 正直にいえば誰が………というか誰たちが気をきかせてくれたかはわかっていて、でも大きなお世話だぞというのが本音だった。日本に越してきた当初は散々料理で失敗したし、雲雀は食べ物に対する感謝の気持ちを忘れない子だ。つまり、もはやディーノは星のついたレストランでしか食事ができないような男ではない。あの頃食べた自作の炭に比べればどんなものでも御馳走であるし、大体、遊園地などといった場所に於いて、豪華絢爛なメニューを期待する人間の方が少ないだろう。だがそんな清貧を尊ぶ気持ちは、クレープを口にした瞬間目を丸くした子を見ればどこぞにいってしまった。
「な、にこれ。すごくおいしい」
「ん? そかそか。よかったなー」
「あなたもほら」
「おう。あ、これはうまいな」
 促されてかぶりついたそれは、予想以上のおいしさであった。うん、ロマどこから連れてきたんだこの人。
「おいしいよね、リンゴもだけど、蜂蜜。びっくりした、初めて食べたよこんなの」
 さようなら、と心の隅で黄色い熊に別れを告げる。いや、我が子は自分程薄情な性格はしていないから、クッションとか、ティッシュケースとかなんかそんなので我が家における地位は保証してやって、そのうえでコムハニーを購入すれば問題はないだろう。
「巣房ごと取り出してるからな、普通の蜂蜜よりプロポリスとかローヤルゼリーとかミネラルとかがたっぷりで身体にいいらしいぜ」
「ふうん。はい」
「え?」
 驚いているディーノの口元に、そっと摘ままれたコムハニーが運ばれてくる。
「あーん。ほら、くずれちゃうよ」
「や、いいって。気にいったんだろ、恭弥が食えよ」
「身体にいいんだろ? 具合が悪いんだから、あなたが食べなよ」
「いやもう、大丈夫だって!」
「ほんとに?」
「ほんとに。ちょっとさ、ジェットコースターって初めてだし、あそこまでぐるぐるひっくり返るもんだとは思ってなかったからびっくりしたっていうか………ん、どした?」
 目を丸くしている雲雀のついでにぽかんとあけているその口に、その手から奪ったコムハニーを差し入れてやる。蜂蜜で汚れたかわいい指も舐めとってやって、ディーノはその優しい甘さに目を細めた。確かにこれは、雲雀が驚くのも無理はない。
 だが、はたと視線を感じて振り向くと、どこぞのパティシェ………もといクレープ屋の店員が明らかに不自然な様子でよそを向いてみせて、ディーノは慌てた。あまりにおいしそうなクレープに、店頭でそのまま食べだしてしまっていたのだ。いくら他に客は見当たらないとはいえ、これはいけない。立ち食いなぞマナーに反する。それに、とディーノは思った。もしかしたら、この如何にも実直そうな男、雲雀と同じくらいの歳の子どもが数人いてもおかしくない年齢の男に、いくらなんでも息子に対して過保護すぎると、そう思われているのかも。確かにディーノだって、中学生の子どもに対する態度としたら、ちょっと世話を焼き過ぎかなと思わないでもない。普通の子が相手ならば、もっと放任に、自主性を重んじる教育方針を打ち立てたかもしれない。だが雲雀は自主性ならもともと人の百倍は備えている人だし、それに普通の家族生活というものを殆ど知らない。だからこうやって触れ合って、お互いの信頼を育てていくことが何よりも大切な筈だ。それに雲雀は歳の割にしっかりしていて、ディーノとしたらもっともっと甘えてくれてかまわないと思うのに、大体のことは自分でできてしまうのだ。
「どした? あ、ほらベンチ行こっか、きょうや。な?」
「………ディーノ」
「うん、どした? ほらほっぺにクリームついてんぞ」
 ディーノはそのクリームを指で拭った。カルヴァドスの効いた生クリームはやはりたいそうおいしい。そこであっときづいて、自分でもやばいと思ったのだが何でだかトンファーはでてこなかったよかった。まあこんなことはしょっちゅうやっているのだが、雲雀は子ども扱いするなと………実際雲雀はディーノの子どもなわけなのだが、まあ要するに「幼い」子どものように扱うなと文句をいうのが常で、特に、レストランとか、人の目が多いところでは自重してくれといわれている。ディーノとしたら正直子ども扱いだとかそんなつもりはないのだが、世の中にはこんな他愛のない親子のふれあいの度に、やたらと不躾な視線を送ってくる頭のおかしな人間もいるので、閉口する気持ちはわからないでもない。幸いにも客応対とは何かを知っているらしいパティシェは最早、別の方向に視線をやって、平静を装っていてくださる。ありがたいことである。
「ディーノ。あなた、さっきから変だなと思ってたんだけど」
「どうした、怒ってんのか? ごめんなつい…でも別にオレはおまえを子ども扱いしてるわけじゃ」
「遊園地で遊んだこと………ないの?」
「へ?」
 思わずまじまじと息子を見返す。話していなかっただろうか? 設営準備中の移動遊園地を訪れたことが数度あるだけで、ディーノは生まれてから今日まで、遊園地で遊んだことは一度もない。でも、それはそこまで驚くようなことだろうか。雲雀だって初めてだとそういっていたではないか。
「あなたはてっきり、毎週のように遊園地とかに遊びに行ってたのかと思ってた」
「え、毎週?」
「あ、今じゃないよ。子どもの頃とか」
 子どもの頃はいったこともなかった。まったくなんでそんな話を思いついたものやら。
「なーんだよ。恭弥ってばガキの頃のオレがどんなだと思ってるんだよ。一応勉強もしたし宿題もあって、厳しい家庭教師もいたし、そうそう遊び歩いていたわけじゃ」
「でもだって、草壁が」
「草壁?」
「親子で出かけるんなら遊園地だって。あ、週末にね。夏休みとかなら旅行とかなんだろうけど。渋滞でよくニュースになってるし」
「………」
「だからてっきり、あなたはよく遊園地とかで遊んでたのかなって。イタリアだと違うの? あなたは父親と何処に遊びに行ったりした?」
「親父と………?」
 きらきらした瞳に浮かんでいたのは純粋な好奇心だった。雲雀は過去に興味を持つタイプではなく、例えばボンゴレの初代守護者の話とかその頃のキャバッローネの話とか説明しても見るからに興味なさげな様子をみせていたのに、「親子」に関する話だというだけで、ディーノの子どもの頃の退屈なエピソードを熱心に聞きたがるのだから不思議なものだ。父親とどこに出かけたとかそんな
「親父と………」
 思い出はない。いや、違う、多分ディーノが覚えていないだけで、例えば母が存命だった頃は、食事をしに出かけたとか、きっとそんなことがあった筈だ。ないわけがない。
「うん、どうしたの」
「いや………………いや」
 もう少しで恨み言が口から出そうになって、ディーノは必死でそれを呑み下した。違う。そうじゃない。そんなことで父に文句をいえる立場に自分はない。父は自分を愛してくれていた。不甲斐ない自分にファミリーを託そうと考えてくれていた。それに感謝こそすれ。
 あの当時の父は病状も悪化していて、ファミリーの経営状態は最悪。常に仕事に追われていて、寄宿舎に入れられる前から顔を合わすことすら稀だった。きっととんでもなく身体を酷使していて、それでもシマを守ろうとしていたのだ。それがどれだけ大変なことか、後を引き継いだディーノにはわかる。柄杓でタイタニックの沈没を塞き止めようとするような、無謀極まりない仕事だ。全てが問題だらけであちこちから水が溢れだし、しかも氷山は一つではなく、港は遥か遠い。今はもう十二の子どもではないのだ。不満を持つこと自体、愚かしいことだとよくわかっている。
「ディーノ?」
「………親父とは遊びに行ったことはないんだ。あの頃は物騒だったしな、親父は仕事も忙しくて」
「そんなの、あなただって忙しいじゃないか」
「いや、オレは忙しくねぇよ? 暇だよ、超暇」
「ふふ」
 咄嗟に、反射のようにディーノはいい返して、だが息子は、あろうことか如何にも愉快気に笑った。何がおかしい? ディーノは暇な、例えば息子が困ったときには、いやそうじゃなくてもすぐに駆けつけられる、どうしようもないマフィアのボスなのだ。
「それ、あなたの持ちネタ?」
「いや………てか笑うなよ恭弥」
「笑うよ。だったら、晩御飯のあと、仕事になんて行かなきゃいいのに」
 一緒に暮らしているのに見栄を張ってみせてもしかたがない。確かに、せめて一緒に食事だけは取ってやりたいと急いで帰ったものの、早々に呼び出される、なんてことはそう珍しいことじゃない。
「う………ごめんな、寂しい思いさせて」
「別に。平気だよ」
「そうだな」
 思わず苦笑する。本当は、寂しいのはディーノの方だ。一緒に食事をしたいのも、毎日顔が見たいのも、雲雀のためなんかじゃない。いや、はじめは、引き取ったばかりの頃はそうだったのかもしれない。でも今は、ただ自分がそうしたいのだ。この子どもが、群れることを厭って生きてきた人が帰りを待っていてくれる。おはようとかおやすみとかいってらっしゃいとかお帰りとかいって、見慣れてきた自分だからわかる程度に笑みを漏らして、ディーノの文化にあわせて未だにどこかたどたどしい仕草で頬にキスをしてくれる。それだけで、自分の全てが報われたような気がして、これからも頑張ろうとそう素直に思えるのだ。
あの頃の父はどうだったのだろう?
「………ディーノ?」
「あ…いや、なんでもねぇ。なぁ、きょうや」
「うん」
「家族ってのはな、たぶん、何が正解ってもんじゃねぇんだ」
「………」
「世界中にある家族の数だけ、休みの過ごし方だってある筈だ。わかるか?」
 尖がった口唇はわかってない印だ。でも、と雲雀はのたまう。
「この前読んだ本で、幸福な家庭は互いに似通ってるって書いてあった」
「うーん………オレにいわせりゃトルストイさんは大馬鹿だ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるさ。普通のご家庭じゃさ、親子で手合わせなんてしないんだぜ? 知ってるか?」
「………………知ってる」
 よかった。それすら御存知なかったらどうしようかと思った。
「だろ? でもオレと恭弥は手合わせするだろ。そこはご家庭それぞれで」
「でもそれって………」
「うん?」
 難しい顔をしていい淀んだ我が子に先を促してやる。雲雀は困ったように視線をうろつかせながら、やっと口を開いた。
「でもそれって………それって、つまんなくないのかな」
「………………きょうや」
 ちくしょうかわいい。
 戦闘狂を地でいく我が子ほどではないにしろ、手合わせの時間を大切に思っているのはディーノも一緒だ。この子がこれからの人生生き抜く力を、強さを育て伸ばしてやる。そして自分がその役目を負える、その能力があることは何よりも喜ばしく誇らしいことだ。まったく、世の中の子どもの教育を塾や学校に………そこで得る学力もまた人生のために必要な力であろう………任せきっている親はつまらなくないのだろうか?
「たぶんつまんなくないんだろ。その人たちはな」
「ふうん」
「オレはすっげぇつまんないけどなー………恭弥ともう手合わせできないってなったら」
「………………ふうん」
 耳まで真っ赤にして俯いてしまった人の頭を撫でてやる。こうみえて結構照れ屋なのだ。
「だからうちでは休みの日は手合わせもありってことで。あと遊園地もな! また来たいなー」
「遊園地も?」
「ん? なんだよ、恭弥いやか?」
「そうじゃないけど。あなたはいやなのかと思ってた。気持ち悪いんでしょ」
「なんだよ、だからちょっと揺れるのにびっくりしただけだって。すっげー楽しい。また恭弥と来たいな」
「そう」
「おう。次はなに乗る? な、あのでっけぇ船。おもしろそうじゃねぇ?」
 十メートル程先に、大きな大きな海賊船らしきものが宙づりにされている。遠目からでも造作は凝っていて、かっこいい、と認めざるを得ない。それに、船であるからしてゆらゆらと波間を漂うように動く筈で、きっと先程よりはずっと優雅に、落ち着いて楽しめる遊具の筈である。
「うん、行こうか」
 せっかちな我が子はさっそく立ち上がって、はい、仏頂面でと手を差し伸べてくる。りりしい。どんなお姫様でも一目ぼれしてしまうであろうりりしさである。ディーノは思わず目を細めて、そのかわいらしい手を握った。ああまったく、こんなひとけのない遊園地で、はぐれる心配なぞ皆無だというのに。そんな仕草一つで父がどれほど喜びを感じているか、この子どもはわかっているのだろうか?












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