「なあなあ恭弥。これはなんに使うんだと思う?」
 ふと目についた、手のひらに入るほどの小さなパッケージを翳して見せると、かわいい息子は途端に真剣な顔になる。
 中に入っているのはミニカーのように二つの車輪がついた、透明のプラスチックの球体。上部が開く構造になっているようで、中にはギザギザの刀が設置されているのが透けて見える。いや本当に、何に使うものだろう。さっぱり全く見当がつかない。だが雲雀は、さらに仔細に検分しようと、ディーノの手からそれを奪い取った。まったくどんな勝負であっても、そうそれが例え出題者すら正解を知らないぐだぐだなクイズだって、手を抜かない。根っから真面目な子どもなのだ。
「丸………ボール……これをぶつけて、あ、肉を柔らかくするとか?」
「………………どうだろうなー」
 まずボールだとして、即ぶつけるという発想がどうなのか。この肉食男子め。
 だが着眼点は間違っていないのかもしれない。ひょっとして。今いるのは都心の、食器や調理器具を扱う専門店である。正直その方面は心許なく、鍋釜を別として並んでいる商品の多くが用途すらわからない状態だ。
 だが、陽光を取り入れた明るい店内だとか、いちいちカラーバリエーション豊かな可愛らしい器具や食器だとか。母国の、時計やステーショナリーも扱っているためかディーノでもその名を知っているブランドの、何に使うのかわからないがうさぎとか魚とかピノキオとか、うん、本当に何に使うのかすらわからないが、そんな形を模した調理器具が並んでいる棚を一望すると、料理なんてそう難しいものではなく、むしろ気軽で楽しくてハッピーで、心弾むクリエイティブな作業だと思われるほどだ。いや、そうに違いない。
「じゃあ、他の何だっていうの」
「うーん、………あ、恭弥の好きなハンバーグ。あれって焼く前に投げて中の空気を抜くんだろ? その予行練習に使うんじゃねぇか?」
「………なるほど。詳しいね」
 当たり前だ。下調べは完璧である。
「まあな。まかせとけ」
「おい……ボス、多分それはな」
 これまで空気のように存在を殺して購入予定商品を抱えて立っていた部下が口を開く。と、まだまだ検分を続ける雲雀が件の品を無造作にひっくり返した。
「あ、裏に書いてあるよ。にんにく刻み器だって」
 じと、とこちらを見る我が子からは、ほんの数秒前までは確かにあった筈の尊敬の表情が綺麗さっぱり拭われていた。なんてことだ。
「ひっでえ! 恭弥、勝手にみるなよなー!!」
 思わず大きな声をあげると雲雀は明らかにむっとした顔をした。
「裏返したら書いてあったんだから仕方ないだろ。それにもう、答え終わってたんだからいいじゃない。二人ともはずれだね」
「あ、待てよ恭弥」
 さっさと棚に戻そうとする腕を掴んで、かの球体を部下にパスした。なんだかよくわからないがにんにく刻み器だ。たぶんこうきっと、重要なものに違いない。
「いやこんなものはいらねーだろ」
「何いってんだよ。備えあれば憂いなし、っていうじゃねーか」
「どんな備え? あなたもイタリア人なら、生のままにんにくは齧ってなよ」
「「いや、それはねぇよ」」
 ついつい二人して突っ込む。母国に滞在中は、せっかくだから土地の名物料理も食べさせようと、結構心を配ったつもりだったのだが不十分だったのだろうか。あまりにあんまりな食文化への理解である。
 明らかに教育が必要である。そしてその役目は自分のものであるはずだ。ディーノは使命感に駆られて一人頷いた。今ならば、そうしてやることも自分には可能なのだ。
 雲雀の夏休みが終わりに近づき、二人して日本に戻ってきた。ありがたいことにグローバルでネットワークなこの時代、マフィアのボスの本拠地を移すことはどうやら可能ならしいのだ。その分仕事が増えるであろう部下たちからも不満の声は一切なく、むしろ慣れぬ外国生活に身を置く自分に誰も彼も励ましの声をかけてきた。もちろん、それなりに頻繁に本国に足を運ぶことにはなるのだろうが。
 そんなわけで、養子縁組を提案する前に二三目星をつけておいたマンションの一つを購入した。超高層タワーだとか、敷地内にショッピングモールやジムが併設されているだとかいうことが売りの、非常にこぢんまりとして家庭的な我が家である。使うべき家具は、勿論イタリアで購入すれば話は早かったのだし、二人でインテリアを選びに店に行ったりも(そこで選んだものはイタリアの家の模様替えに使われることになったわけだが)した。だが、航空便の運賃も馬鹿にはならず、そうでなくともまず規格が合わない。そのため取り敢えずは並盛のいつの間にやら住み慣れたホテルに居を移し、その上で家具屋を回って、趣味も文化も嗜好も違う二人の人間の意見の摺りあわせを行ったわけだ。日本に来て一週間近く、そろそろ居住するだけの体裁は整いつつあり、今日からはホテルではなくはじめて、そうはじめて我が家で一夜を過ごすつもりだ。
 だが家具はともかく、食器や調理器具の類はまだ充分に揃ってはいないと認めねばなるまい。重要である。その点における理解は充分あるつもりだ。だが、男二人、大して自炊をするはずもないという認識が息子および周囲にはあるらしい。なし崩し的に後回しになってしまい現在に至る。
 しかしながらディーノには夢がある。いや、夢というのは大げさかもしれない。ちょっとした目標といった方が妥当だろうか。料理をする。今は海の向こうの我が家の厨房におわします頼もしき料理長にそれとなく相談をした時には、マフィアのボスとしたら信じられないことに、火と刃物の危険性について滔々と御高説述べられる憂き目に会ったわけだが、もちろんそんな危険性など百も承知であり、フライパンも包丁も、トンファーや銃に比べれば殺傷力は低いのである。まかせておけ、といいたいところだ。もちろん、イタリアにいるならば、屋敷にはプロの知識も技量も充分なスタッフがいる。自分などお呼びではない。だが日本のつつましい、なんとも魅力的なまるでホームドラマのような響きである「我が家」の住人はディーノと雲雀以外いないのだ。自分がやらずして誰がやるというのだろう。他の人間にはこの目標は打ち明けておらず、つまりは息子へのサプライズを狙っている。だが、もしかしたら大して驚いたりはしないかもしれない。父親たるもの、子どもの体調及び栄養管理をすることはごくごく当たり前の義務である。
 勿論まず最初のメニューも決まっている。昨日マンションに搬入された新品の大型冷蔵庫には、夜のうちにこっそりホテルを抜け出して、マンションの一階にあるスーパーで購入した戦利品が詰め込まれている。合挽肉、玉葱、卵、牛乳、食パン。おわかりだろう? それにしてもあのにんにく刻み器を購入できそうもないのは残念である。秘密特訓につきあってくれたシェフには、なんとかいう、息子とは違う名の鳥のケチャップをソースとしてかけるのが確実かつ安全だといわれてはいるが、今までの観察によるとどうやら息子はデミグラスソースに勝るとも劣らないほど、和風おろしニンニクソースなるものが好きらしいのだ。
「ねえ、何かあったの?」
「へ?……………いや、何もないぜ?」
 我に返ると眉を顰め、我が心を探ろうとしている子どもがいた。安心させるために、慌てて微笑んで見せる。
「そう?」
「面白そうなのがいっぱいあるなって思ってただけだ。あ、恭弥、これはなんだと思う?」
「なんでもいいよ。ねえ、おなかすいた」
「そうか? そうか。もう6時だもんな」
 口元が緩むのをとめられそうにない。だがせめて冷静を装いたいと思う。
「ハンバーグ食べたい」
「そうか。まかせと」
「並盛亭の。和風おろしニンニクハンバーグ」
「………………そうか。いやでもなその」
「修行とかいってあなたが来たときよく食べたよね? なつかしいな」
「ああ? ああ、そうだな」
 食べ盛りの子はふにゃんと表情を緩めて、故郷の店の誇るべきメニューについて語っている。あの思えば短かった修行の日々、まだ並盛にいた間はよくあの小ぢんまりとした洋食屋にいったものだ。学校から近かったからどこにその力が残っているのかというほど暴れる子どもを連れて行くのに都合がよかったし、窓が大きくとられていて裏口がなかったから部下を配置するのにも具合がよかった。思い返せばあの頃の雲雀が散々反抗しながらも食事にはつきあってくれたのは、手間をかけずに腹を満たせるならこんな楽なことはない、というそんな理由だったのだろう。並盛を修行の旅だといって連れ出す前で、つまりディーノは雲雀の置かれた状況をさっぱりわかってはいなかった。一緒に食事を取ることで少しは親しくなれたら、とかそんなことを考えていたのだ。そしてメニューを開くこともなく注文するハンバーグLLサイズ……まともな胃の持ち主なら咀嚼しきれそうもないシロモノだ………がちょっとした反抗からでも選ぶのが面倒だからでもなく、ただ単にひどく好物で、腹が減っているから選んでいるのだと知ったのはいつだったか。本当に、あの頃は本当にわかってなかった。だから、無神経に隙あらば距離を縮めようとした自分は、むしろ拒絶されて当然だったのだ。そしてあの頃の自分ですら、近づいただけで牙をむくこの子猫にここまで気を許される日が来るなどと想像したこともなかった。まして、あの頃の思い出を懐かしげに語られるなんて。
「ジューシーだしサラダはお代わり自由だしね。それにあのハンバーグは牛肉100パーセントなんだよ」
「あ………うん、そっか」
 ………いやわかっていた。わかっていたとも。
「あなた絶対ナポリタン頼んで文句いって」
「え? いやだってあれはねーだろ」
「あれはああいうものだよ。結構喜んで食べてたくせに」
「ま、あれはあれで? じゃあおすすめはなんだよ?」
「ハンバーグ並盛亭特製デミグラスソース」
「………Lサイズにしとくか」
 味見と称して食べられることを承知で、果敢にも頷いた。まあ、あれだ、ぱっくりと口をあけて待っている息子は小鳥のようでたいそうかわいらしい。
「そんなに? よく食べるね」
「おま………じゃあ恭弥は何サイズにすんだよ、ん?」
「M」
 何を当然なことを聞くのかな、っていうこの顔は、これはもうさっぱりわかってないのだ。そういえばここ最近、特にイタリアに来てからは食べる量は人並みというか、むしろ食べ盛りの少年だと考えれば小食なレベルだったかもしれない。故郷の味と違って口に合わないのかもしれないと少々心配していたのだが、そうではなかったのだろう。ディーノはこれ以上なく幸せな気分で、安心しきった子どもの頭を撫でた。
「そっか。あ、ケーキも取ろうな。今日はお祝いだから」
「なんの」
「初めての夜だろー」
「なにそれ。いまさら」
「えーだって………なんか興奮しねぇ?」
 ぶは、と後ろで部下が盛大に咳き込む声が聞こえた。やはり子どもよりも父親の方がはしゃいでるなんて、かっこつかないと思われたのだろう。だが、新しい我が家なのだ。それも、いかにも庶民的な小さなマンションである。これで浮かれないでいつ浮かれろというのだろう。
「しないよ」
「オレはするの。ほら会計、会計だぜロマ!」
 長たらしく咳き込んでいる部下の背を叩いてやる。ただ単に咽ただけなのかもしれない。かわいそうに。そしてついでに商品を確認する。重ね重ねもあれが獲得できなかったのは残念だが、それ以外の必要な品は全部そろっている。今夜は駄目だったが、またチャンスもあるはずだ。うきうきとディーノは荷物を抱えた。













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