ふらつく足を叱咤して止まりなれたホテルに戻った。友人は途中からかなりピッチがあがっていたから、今頃はベアトリスに怒られているかもしれない。そう考えてちょっと笑った。あの二人は昔からそんな感じである。
 最上階まで直通のエレベーター。ドアが開くと見張ってたらしい同僚が片手をあげた。
「おかえり。なんだ、随分出来上がってんなあ。うまかったか?」
「ああ、今度皆で行こうぜ。酒の種類も多いし、つまみもうまいし、いい感じだ。こんな時間に御苦労だな」
「まぁでもそろそろイワンと交代だ。俺も一杯やってから寝るかな」
「じゃあ皆でつまんでくれ」
「うわ! 嬉しいな、まだ皆大体起きている筈だからな、喜ぶぜ」
 みやげの折り詰めを手渡すと目を輝かせる。食べてきたのだから味は保証するが、本音をいえば日本の映画などで何度か見かけた、ふらふらと揺れるお土産を持ちかえるって奴をやってみたいといきなりいいだした友人につきあったというだけなので、ちょっと罪悪感が湧く。
「ボスは? まだ起きてんのか?」
 日本滞在中の常として、夕方から某中学校に、弟子の手合わせにつきあってやるべく向かった筈だ。いつもならば俺が付き添うことになっているのだが、今日は目の前の同僚が代行してくれることになっていた。まだまだ傍で見ていても師弟の実力差はあるけれども、そうはいっても体力を使う。日本に来ていても仕事が減るわけじゃなし、疲れているだろうに、まだ起きているとしたら明日に差し支える………なぞと考えてしまうのは、友人に引きずられて我が上司を子ども扱いしすぎかもしれない。
「ああ多分起きてると思うぜ。でも酒はな………、飲むかな」
「なんだ、なんかあったのか?」
 ボスは酒に強く、つきあいもいい人だ。同僚の返答に驚いて俺は声をあげた。師弟同士の手合わせとはいえ、相手の坊主はいつだって本気で向かってくるのだ。酒が障るのではないかと危惧する程の怪我でも負ったのだろうか。思わず眉をひそめると同僚は大きく手を振った。
「いや別に大したことじゃ………あるの、かな。ボスにしたら」
「何だよ。説明しろ」
「うん。ああでも、俺の口からはな。こういうことはな」
 同僚はグローブみたいな手で顔半分を覆ってみせた。その仕草がまるで照れているみたいに見えて、正直わけがわからない。
「ボノ?」
「いや………ちょっとばかり落ち込んでいるみたいだからさ。部屋に戻る前にちょっと顔を見せてやってくれ」
「………ああ」
 落ち込んでいる? ボスが? それでは逆に弟子の方に、不必要な怪我でもさせたのだろうか。いやそんな筈はない。そんなことがあれば有休中であろうとなんだろうと取りあえず自分のところに連絡が入るに決まっている。日本に来ているファミリーの中で医学の心得があるのは俺だけだし、ボスは初めてできた弟子を殊のほかかわいがっているのだ。
「………………ボス?」
「………」
 急いで彼の部屋の前まで短い廊下を進んだものの、ドアが視界に入った時点で僅かに躊躇った。ノックを数回。返答はない。夜更かしをしがちな人ではあるけれども、そろそろ日も変わろうかという時間である。同僚が思わせぶりなことをいうから慌ててしまったが、もう寝ているのかもしれない。
「…ボス」
「………入れ」
 だが踵を返そうとした瞬間に応答があった。もしや起こしてしまったのだろうか。ドアを開けた瞬間に、そんな不安は杞憂であったことを知る。ソファに腰掛けたままこちらに視線をやった我が上司は、とても今眠りの世界から戻ってきたばかりのようには見えなかった。青白い顔をして、目だけが爛々と輝いている。
「………ロマーリオか」
「ああ、今戻ってきたんで………なんかあったのか、ボス」
「何もねぇよ」
「何もねぇって面してねぇだろ、ボス」
 すっと唇が弧を描く。その前に突っ込んだ。なんだかんだで、弱みを人に見せるのを嫌う人だ。それだとて、ひとたび抗争でも始まればこの優しい人がどれだけ悲しむか気づかずにいることは難しいけれど。
 だが今はそうきな臭い状況ではない。そして、だからこそこうして頻繁に日本を訪れることもできるのだ。勿論所有会社の販路拡大という重要な目的はあるにせよ、ボスが出てくる必要はないような場面でも、彼が嬉々として頭を突っ込む………というか渡日すべくスケジュールを調整させることは、周知の事実である。そしてわれわれ部下たちもまた、なるべくその意向に沿うべく尽力している。この若くして仕事中毒の様相を呈している人には息抜きの時間が大切である。彼は弟子や、弟弟子とその仲間たちをたいそうかわいがっているし、取引先を含めて、殆どの人間が彼の裏の顔を知らないという場所は、気楽に感じられるようだった。一応弟子にはマフィアのボスであるという事実は伝えているようなのだが、さっぱりまったく気にしていないらしい。全く信じがたいことで、日本人という人種はとんでもなく豪胆である。
「………いやだって」
「なんだよ、いっちまいな、ボス」
 楽になるぜと小一時間ほど前友人を励ましたばかりである。それを思い出して何とも不思議な気分になった。あの時は力になれる筈だと自信満々だったけれど、悩みの予想すらついていない今はどうにも心もとない。だがそれでも、人には人を励まさなければいけない時もある。
「………………………恭弥が」
「坊主が?」
 阿呆のように復唱しながら、俺は自分に何ができるのか探ろうとした。やはり怪我でもしたのだろうか、いやそうではないだろう。恭弥。雲雀恭弥。我が上司であるイタリアンマフィアのボスの弟子。まだ中学生の子どもである。そう考えて、だが頭に浮かんだのは何故かアナの姿で、俺はとんでもなく動揺した。さっきまで友人と話題にしていたから、些細なきっかけで思いだしてしまうということなのだろうか。同じ黒髪だし。っていうか生真面目で勝気でかわいかったアナと幼い戦闘狂ではそれくらいしか似ているところが思い浮かばないけれど。
「恭弥が………ああ、どうすればいい。どうしようもねぇよ」
 ぐす、と鼻を鳴らしてボスは両手で顔を覆った。もしや鞭でひっぱたきでもしたのだろうか。いやそれは手合わせをする時点で双方了解済みの危険要素ではなかろうか。
「どうしたボス。何だって諦めなきゃきっとどこかに逆転のチャンスはある。あんたいつもそういっているじゃねぇか」
 多分ファミリーの士気を高めるために口にしているだけの綺麗ごとだ。本質的な部分で彼はそれほど楽天的な性格ではない。それを知りながら俺は大仰にそう主張してみせた。他にどうすればいい。
「ああ………でも、でもだめだ。もう終わりなんだ」
 絶望と後悔。そう書かれたような顔が俺を見ていた。そして俺は何故か懐かしさを覚えていた。その顔をいつか見たことがある。昔誰か………いや、鏡の中に見出しただけだろうか。
「………ボス?」
「恭弥に嫌われた。もうどうしようもないんだ」
 アナに嫌われた。もうどうしようもねぇ。
 声変りも迎えていない甲高い少年の声が、重なるように脳内で叫んだ。一拍遅れて気づく。俺の、昔の俺の声だ
 
彼女の髪を何故引っ張ってしまったのか、その理由はもう思いだせない。ひょっとしたらあの頃の俺もよくわかっていなかったのかもしれない。つやつやして綺麗だった彼女の髪を触りたいだけだったのか、それとも、彼女の関心をこちらに向けたかったのか
 
そんな乱暴に、力一杯引っ張ったわけではないと思う。そう思いたい。そこまで馬鹿ではない筈だ。だが執拗にからかったりはしただろう。確か授業中で、真面目な彼女は相手にしなかった。そして俺は意地になった。気がついたとき彼女は泣いていて、クラス中の女子生徒が正義の味方みたいな顔をして俺の性格や境遇をあげつらっていて、彼女は別にいいの、っていったけどよくないってことぐらい、もうどうしようもないってことぐらい俺にだってわかっていた。ごめんっていうどこか不貞腐れた響きの台詞がすごく遠くで聞こえた。もう元に戻れないのだ。気位の高い彼女が泣かされたことを許すとは思えなかったし、彼女の友人たちが笑ってみせた、俺の穴のあいた靴とか飲んだくれの親父とか先のない将来なんていう、今思えばなんてことないただの真実が、その当時はとんでもなく不当な中傷のように思えてとても素直には謝れなかった。
「ボス、どうした。何があったんだ」
「恭弥を怒らせちまった。オレは馬鹿だ。怒ることなんてわかりきってたのに」
 俺も同じだ。泣かせることまでは想像していなかったにせよ、髪を引っ張れば嫌がることくらい予想がついていた。
「このじゃじゃ馬め、っていっちまった。オレは馬鹿だ」
「え? ………ああそれか」
「それか、ってなんだよ。オレはとんでもなくひどいことをしたんだ。恭弥が嫌がるのを知っていたのに」
「そりゃそうだろうけどよ。いや、どうしたボス」
 生意気盛りの少年を本気にさせるためなのだろう、我が上司が中学生の弟子を他愛もない言葉でからかっている場面はよく見かける。今さら何だというのだ。
「子ども扱いするとあいつはすげー怒るんだ。わかってたのに、ついいっちまった」
「いやそりゃだってあの坊主は実際ガキだろ」
 事実を指摘することは、教師として悪いことばかりではないのではないか。そう思って口にすると、悲嘆にくれた瞳が大きく見開かれた。
「そんなことねぇよ。あいつはオレよりしっかりしてるとこだってある。真面目で気が強くてかわいくて………そんで誰よりも優しい子だ。そんな子を俺は傷つけちまったんだ」
「ちょっと待てあんた、誰の話してるんだ」
 俺の中の少年が繰り返していた初恋の相手への賛辞の言葉を、少し鼻声のテノールが口にする。なんてことだ。俺の彼女に対する評価もこんな風に根拠のない、荒々しいもののふを天使と讃えるような、見当違いなものだったのだろうか? それとも血がつながってなくとも父子というものは………いやそうじゃない。そんなわけない。微笑ましい友人の話を聞いて、勘違いしているだけだ。ボスの悲嘆はまた別の話なのだ。
「あいつ怒るとぷうって頬膨らませて睨んできてかわいくて、気づいたら調子に乗って、俺は馬鹿なことばかりいって」
 だがあろうことか涙目の息子は今まさに馬鹿なことをいう。
「いやボス、恭弥だって本気で怒ったわけじゃねぇだろ」
「本気だ。あいつは決して嘘なんていわねぇ、真っ直ぐな子なんだ」
「………」
「あなたとはもう口をきかない、って」
「ボス」
「あなたとはもう口をきかないって、いったんだ。どうしようロマーリオ、オレはもうあいつに許してもらえないかもしれない」
「………ボス」
 ああその悲しみをオレはもう知っていた。あの夜、オレは後悔に苛まれていた。正直にいおう、狭い家、兄弟と分け合っていた寝室のベッドの中で、オレは声を殺してぼろぼろと泣いた。アナはきっと許してはくれない。その事実はまるで世界の終りそのもののように思われた。いや事実俺は、朝が来るまでにこの世界が終わればいいのにと思っていた。
 アナ。かわいいアナ。彼女と仲直りできるのなら俺は何を引き換えにしたって惜しみはしなかったことだろう。「我が王国をくれてやる」とでもかのリチャードならのたまったところだろうか。彼は逃げるためではなく戦うために、王国の代わりだとしても馬を欲したのだ。だが貧しく幼かった俺には、差し出すもの一つありやしなかった。たとえ彼女の微笑みが、あの頃の俺にはこの星ひとつ分以上の価値があったとしても。
 照れくさいけれど、今までの人生、恋も何度かした。長くつきあった人もいる。だが必ず訪れた彼女たちとの別れの時、あの日ほど、俺は絶望に叩き落されたりしただろうか。
 答えは否、だ。いいかげんに相対したわけではない。危険な職種についている俺の覚悟が決まらないことで、情けないことに怒らしてしまった相手もいるけれども、俺なりに真剣だった。まあ、大して好きでもない相手と気軽に遊べるだけの器用さも時間もなかった、というのも正直なところだけれど。だがそれでも、思い返してみれば、俺にとって彼女は特別だった。The first love is the fastest。彼女の存在は俺にとって最も鮮烈で色褪せなくて、それはきっとあの恋が初恋だったから。彼女が全ての原点であり、未だに俺を惹きつけ縛りつける人だからだ。彼女が聞けばきっと今さら迷惑だと笑うに違いないけれど。ああ、だからこれは。
「ボス、もしかして、その、なんだ」
「なんだよ」
「………………初恋、だったりするのか?」
 ああなんだろう。恥ずかしい。正直口にするだけですごく恥ずかしい。だが口にした瞬間、馬鹿なことをと半信半疑だった事柄が、すとん、と胸に落ちたりもするものだ。
「な、な、なぁっ!!! 何いってんだよ、ロマーリオ!!」
 するものなので、ボスの巧みな嘘にも誤魔化されはしなかった。
「あ、あいつはかわいい弟子だぜ? そりゃかわいいし真面目で喧嘩っ早くて放っておけないとこあるし優しい子だけど………っていや、弟子だし!」
「………ボス」
「っていうか…あ、男の子だし!! なんだよロマ、人のことからかうんじゃねーよ」
 キャッバローネの若き跳ね馬と慕われている男は、今日の午後観光で行ったアメ横で見かけたとても食用としては適さないような色をした蛸みたいにぶるぶるとおののいていた。この国では正月には欠かせない食材だというそれに、日本人はこんなもの食うのかよ、と大仰に驚いてみせた友人の姿が思い出される。俺のよく知っている日本人の少年は食う気があるんだか食われる気があるんだか、だがとにかくこの蛸に酷く懐いているように見える。強いて嘘をいうような子ではないという事実には俺も同意だが、多分その場の勢いでそんなことをいっただけで、明日になればけろりとしているんじゃないかという気もしないでもない。ああ、歳をとってみれば世界滅亡と同義のように思われたピンチが、何とも簡単なことのように見えてくるのだから不思議だ。いや、あの時の俺の失態は、やはり取り返せるものではなかっただろうけれど。
「ボス………認めちまえよ、好きなんだろ?」
「ああ………っていや、そりゃ好きだぜ、大事な弟子なんだからな!!」
 往生際の悪い蛸である。俺は小さく溜息をついた。
 だが納得である。先程顔を合わせた同僚は、ボスの様子を聞くと何とも歯切れの悪い返答をしてきた。俺はどうにもこういう事柄には鈍い方だが、同僚は如何にもラテン気質というか、恋愛事にはあけっぴろげで積極的な性格である。一日傍で見ていたのだから気づかない筈もなく、相当気恥かしかったに違いない。
 思えばボスはいつだって女性にもてて、そつなくその相手をしているように見えたけれども、積極的にアプローチをしている姿も誰かに執着している様子も一度として目にした記憶がない。黙っていたって寄ってくるのだからその必要もないのだろうと、部下ながら誇らしくその雄姿を見守っていたのだけれどもそういうことではなかったのかもしれない。恋愛という自省と自惚れと懊悩が渦巻く奔流に身を投げ出した経験が何度かあるなら、もう少しは理性的に振る舞える筈だ………とは過去の自分を思い返しての話だが。ああ全く何であの頃の俺は、もうちょっと器用に彼女と接することができなかったのか。
 しかし我がボスを擁護することが許されるのならば、彼の周りにいる女性は皆、積極的で自分という存在の魅力をよく理解している人たちばかりだった。というかそういうタイプでもなければ、自らマフィアのボスである男にアプローチしてきたりなぞしないものだ。イタリアの狡猾たる女狐、マフィア界の残酷な毒サソリ………子どもの頃の俺や友人たちならそう讃したところだろうか。いや、サソリの方は数年前までは頻繁にキャバッローネの持つ邸宅に滞在していたものの、他の男性に夢中でボスのことなど見向きもしなかった。男の魅力がわからない女だとその当時は部下一同考えていたものだけれど、今思えば妥当な判断であったと評価しないでもない。
「そう弟子だし! じゃじゃ馬だ………し、じゃ、じゃ…」
 失言に気づいたらしいマフィアのボスは、すぐさま骨ばった大きな手でその顔を覆った。
「ボス…」
「………………ロマ」
 零された声は慄いているようにかすれていて、思わず苦笑した。
「どうした」
「恭弥が………好きなんだ」
「そうか」
 やっと白状したか。
「そうか、って! そうかってなんだよロマーリオ!」
「あ? どうしたボス」
「ボス。そうだよオレはボスなんだ。キャバッローネのボスなんだ。あの子を好きになっちゃいけねーんだ…」
「そうか………ってああそうか、そうか」
「何を笑ってんだよ、ロマーリオ!!」
「………ああ…悪い、ボスのことじゃねぇよ」
 咳き込みながらなんとか笑いの波をやり過ごした。笑っているのは自分のことである。
 確かに彼は我がファミリーのボスである。そして俺は今彼の右腕という立場にあって、彼が己にふさわしくない相手に惹かれていることに気づいた時点で、仲を裂くなり他の相手を見繕うなりしなければならない、のだろう。実際人のいい彼が誰ぞに騙されやしないかとファミリー一同気を揉んだことは一度や二度ではない。だが現実の危機を前にして、俺は彼のかわいらしい恋を邪魔してやることなぞ、思いつきもしなかった。
 ふと視線をやる。涙目でこちらを睨んでいるボスは、まるで子どもの頃みたいに唇を尖らせていた。ああまったく、俺にはできそうにない。
「俺らのことは気にすんなよ、坊ちゃん」
「………ロマ。だって」
「あんたが好きになった相手なら、ファミリーの連中だってみんな好きになるさ。実際恭弥のことはみんな、大事に思ってる。気づいてねぇわけじゃないんだろ」
「ロマーリオ」
 だが今俺が彼の恋をどうしても応援してやりたく思っているのは、そんな理由ではないのだろう。もちろんあの気儘な戦闘狂が、実は真面目で優しいところがあることぐらい俺だってわかっている。だがそれだけではない。
 しかしそうだとすれば何が理由だ? あの子どもの存在がどこかアナに似ているから? 初恋の苦しさを鮮烈に思いだしてしまったから?
「………あんがとな。でも、嬉しいけど、恭弥はもう………」
 そうじゃない。それだけじゃない。
「坊ちゃん………」
「オレのこと許してくれないと思う」
 もっと単純な、どうしようもない理由だ。だが息子が恋に落ちたと聞いて、思いきり背中を押してやりたいと、そう願わない父親がいるだろうか? 幸福を望まない人間がいるだろうか?
「坊ちゃん落ち着けって。恭弥はそんな根に持つタイプじゃねぇだろ」
「いやだめだ。オレは取り返しのつかないことをいっちまったんだ。………………ああ、恭弥が許してくれるなら」
「「我がシマをくれてやる」ってとこか?」
「へ? ロマ、何いって」
 我が王のあまりに絶望的な様子につい笑いそうになる。俺の知る限り、この人程幸福を得るにふさわしい人などいないのだから。あの頃の俺と違って、差し出せるものを多く持っている人だけれど、彼には何も失わせるわけにはいかない。
「そんなもんはいらねーけどな、坊ちゃん。とりあえず気になるなら明日朝一で謝っちまえ」
「いやロマ」
「それからへこみゃいいだろ。プレゼント………は喜ぶような奴じゃないから、手合わせに遠出でもしたらどうだ。坊主の予定はあとで草壁に確認しとく」
「い、いいのか? だって商談………」
「あ? そんなんはボノにでもやらせときゃいいだろ。坊ちゃん、明日は正念場だぜ!」
「………ああ! そうだな、オレは諦めねぇ」
 諦められねぇ、の間違いだろとも思ったが口にはしなかった。こちらを向いた彼の顔が、あまりに強い意志を湛えていたからだ。
「ああそうだ。その意気だ、ボス」
「おお。頑張るぜ………………なあ、ロマーリオ」
「あ?」
「あんがとな」
「………」
 まったく父親としたらこんなことは当然で、礼をいわれるには及ばない。とはいえ何とも面映ゆい気分で俺は微笑んだ。
 そしてついでに古い友人のことを思い出す。昔から成績でも腕っ節でも、一つとして勝てる所のなかった自慢の友だが、どうやら彼のささやかな夢はいつも俺の方が先に叶えてしまうめぐりあわせにあるようだ。そのことにどこか優越感を抱く自分に呆れつつ、俺は息子にできるアドバイスを脳内でラインナップした。もうすぐ年の瀬。話のわかる父親としては、戦いつつイルミネーションも鑑賞できるスポットなぞ、調べておいてやろうか。











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