祝ニューヨーク州同性婚合法化



「オレ、もうアメリカ人になろうかなあ………」
 と、ぽつりと零したのはイタリアンマフィアのボスだ。ちょうど本の中では年取った金貸しが娘の恋人に殺された真相が明らかになっている最中で、僕は渋々頭をあげた。ほんの四半時間前、大きなテーブルの上で歪なトーテムポールの群れだか壁みたいなものを形成していた筈の大量の書類は、大方一つに纏められて新たな集落を形成していた。少なくとも先程まではほとんど壁の向こうにいた筈のワーカーホリックの表情が今は見えた。大きく息を吐いて、何やらぼんやりしている。まったくそんな暇があるならさっさと残りの仕事を片付けてしまえというのだ。
「アメリカ人?」
 だがお人よしな僕は、つい問い返してしまう。彼が僕に話しかけるときはほとんど日本語だし、文化や社会常識にも理解が深い。こちらの都合からすれば何人だろうと大差ないような気もするが、そうはいったって放置するわけにもいかない。下手に話を振れば半日だって地元のシマの話をしつづけそうなほど、生まれ暮らした街を愛する人なのだ。自分もそうだからよくわかる。そうでなくてどうして、身を張ってその街を護ろうなどという、滅私の発想が生まれるものだろうか。
 だがだからこそ、別の国の人間になろうなどという考えが異様に思えて、僕は眉を顰める。つけはなしになったテレビでは衛星放送の海外のニュースが流れていた。グローバルな時代、ファッションだってインテリアだって海外ブランドの物を手に入れることはもはや容易であり、我々が世界的に共有するものは、美意識はじめとして少なくないのだ………という幻想を頭から壊してくれるような、派手でぺらぺらとしたスーツと赤いネクタイという、他国では訴えかけるものがあるのかもしれないが、我が国では西の地域の一部の芸人以外許されないような格好をしたキャスターが何ごとかまくしたてている。吹き替えらしい声すら、映画のそれのように大仰だ。ああたしかこのニュースも彼がなりたいといった国の物の筈だ。
 だが彼が、英字の新聞を毎朝部屋に運ばせているのは知っているし、ネットでニュースをチェックしているだとかなんだとか聞いた覚えがある。だからこのたかだか三十分ほどのニュース番組を仕事をしながら視聴することに何かメリットがあるのかといえば疑問の残るところで、自意識過剰だといえばそれまでだけれど、多分彼は僕に見せたいんだと思う。中学生に何を、という話だけれども、世界は広いんだぜーなんて一説をぶったあとは、こんなふうにそれとなくニュースを見せようとしたり、ジョークにまかせてどこそこの国に行った時の失敗談だとかを聞かせてくれたり。思えば戦いに関してもそうで、彼はあまり無理強いをしようとはしない。そんなやり方が正直僕は嫌いではないけれども、パソコンなら応接室に僕専用の物があるし、何も彼とホテルの部屋にいるって時にそんなものを見ずとも情報を仕入れる手段はあるのだ。大体教えるなら、世界よりもイタリアの情報であるべきなのだろうに、彼らしいというかなんというか。
「いやスペインとかベルギーとかスウェーデンでもいいわけなんだけどな。スペインとか結構近いしさ。でもアメリカのが仕事の関係で用事が多いし、便利かなって」
「………ふうん」
 ふと画面に目をやれば、派手な格好をした群れがいかにも喜びに溢れた様子で、ニューヨークの街をパレードと称して練り歩いていた。遺憾ながら我が家庭教師が何を考えているかわかってしまって、僕は溜息をついた。
「なるっていってそんなすぐになれるものなの」
「いや他の国もそうだけど永住権とったあと五年は居住してることとか………この居住ってのがただ住居うつせばいいって話なのか調べて………だからごめんな、ちっと待たせちまうかもしんねーけど」
「………それから?」
 突っ込むのも面倒なので先を促した。
「あとは英語能力とか、これはオッケーだろ? 犯罪歴も調べられるらしいけどこれも大丈夫だしそれと歴史とか文化の知識と」
「大丈夫なの?」
「ん? けっこう知ってるつもりだし、いざとなりゃいろいろ暗記して」
「じゃなくて。犯罪歴」
「ああ! 捕まったことはねぇよ?」
 朗らかに返されて力が抜けた。
「ふうん」
「まあ調べれば裏道くらいありそうなもんだけどな。でも事が事だけにきちんと進めたいっていうか。とりあえず近いうちに会社起こして、それ理由に永住権とって」
 画面の向こうでは感極まった様子の男二人が、嬉しげにインタビューに答えている。人として、社会生活をおくる上でごく当然の権利を漸く認められたのだから、喜んで当たり前なのだろう………とどこか他人事のように考えてしまうのは、僕が今の今まで誰かに認めてほしいなんて考えたこともなかった、それだけの理由による。でも真っ先にファミリーの人間はどう思うだろうかだとか、そんなくだらないことを考えそうな人が、他の国籍を取ろうとまでいっているのだ。嬉しくないといえば嘘になる。
 だがしかし。
 そうはいってもこれはないのではないかと思うのだ。男同士だし、向こうは外国人で、何も多くを求めているわけではない。しゃちほこばった、くだらない儀式は僕だって嫌いだ。そりゃ雲雀家に入るとなれば、テーブルマナーくらいは覚えて欲しいとか、正座くらいはできるようになって欲しいとか思わないではないけれども、部下が近くにいれば大きな失敗はしない人なのだし。
「今イタリアで展開してる、ほらこの前恭弥にもあげた靴の店さ、アメリカにも進出してみようかって考えてたとこだったからさ。そこ足がかりにしてもいいし」
 ただ何ごとにも順序はあるのではないかと思うのだ。永住権とか帰化条件だとか考える前にいうことがあるのではないだろうか。結納がどうとか式がどうとかいうつもりはない。そんなもの僕だってごめんだ。ただ犬猫ではないのだから、けじめというものは必要である。そうでなければ風紀が乱れる。そうだ。乱れるとも。双方の合意という奴だ。別に特別な言葉が欲しいってわけじゃなくて、そんなこといわれなくてもわかってるし、ただ一言。
「つってもあのラインは値段設定かなり高くしてるし、いろいろ考えねーとな。それかうちが出資してるどっか条件がいいとこ選んで」
 そう一言。
「それなりの席用意してもらうって手もあるしな。どうせ本拠地は移すわけねーんだし………恭弥?」
「結婚してください」
「………………」
「………………」
「………よ、喜んで!?」
「え?」
 その居酒屋の店員のような裏返った声の返答はどうだ、と突っ込む前に我に返った。結婚してください。結婚してください? 頭の中で唱えた筈の響きが妙にはっきりと響いて、いやまさかまさか口に出していたなんてそんなこと
「ごめんな恭弥。先にいっとくべきだったよな。でもいつになるかわかんねーし、ちゃんと準備ができてからって思って………嬉しい、恭弥。絶対幸せにするから………いたいいたいいたい!!」
「咬み殺す」
「いやなんでその結論!? 落ち着けって。死んでもいいくらい嬉しいけど死んだら結婚できねぇ」
 ニュースよりも新聞よりも僕に世界の広さを教えてくれる人が、照れくさそうに笑う。そのままトンファーを取り上げられ、ぎゅうっと抱き締められて、身動きが取れなくなった。恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。こんな恥ずかしいことをごく当然のうように彼にやらせようと思っていたなんて、僕は間違っていたかもしれない。こんな恥ずかしくて、とんでもなく嬉しいこと。
「いいの?」
「んー? 何が」
「アメリカ人になるなんて。イタリアンマフィアのボスが」
 どこまでも素直になれない僕の返答はこんなものだった。今さらなれないなんていわれても、諦める気もない癖に。
「お前のためだったらオレは、アル・カポネにだってなるぜ」
 低い声で返された答えに、ときめかない人間がいるなら御目にかかりたい。だってそうだろう? イタリアンマフィアのボスの恋人はとても魅力的だけれども、イタリアンマフィアのボスで、かつ、アメリカンギャングのボスな夫。惚れない方がどうかしてる。四六時中マシンガンでもぶっぱなしてそうではないか。

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