為せば成る為さねば成らぬ何事も




「なぁ、恭弥。こっち向いて?」
 甘やかな声が耳元で零されて、雲雀は思わず体を縮めた。
「ん。かわいい。………気持ちいい?」
 固い、だけれども繊細な動きをする指が脇腹のあたりを擽った。あのへなちょこの指だと思えばいっそ感動する程の力加減だ。周りに勿論彼の部下はいない。その事実を喜べばいいのか悲しめばいいのか? 雲雀はただ身を捩った。ディーノはみせつけるみたいに腰を動かしてああ咬み殺してやりたい。大体こんなこと、聞かないくらいのデリカシーは所持していてもよさそうなものだ。男の象徴は先程から気恥かしい程の反応を示して、手でやわやわと揉まれた海綿のように、いや実際手でやわやわと揉まれた海綿体なのだけれども、だらだらと液体を浸みださせている。
「や、だ………」
「なぁんで。きょうやのここだって………」
 こんなに、という声にかぶさるように派手に水音が鳴って、雲雀は息を喘がせた。こんなこと、聞かなくてもわかりそうなものなのに。気持ちいい。そうでなくてどうして雲雀が、こんな、淫らで、弱点を晒しあっている行為に応じるだろう。恋人同士だという事実はこの際問題にならない。どんなに好きであっても、気持ち良くなければこんなことしない。いやどうだろう? 好きだから気持ちいいんだよと、何年か前まだ出会ったばかりの頃、イタリアンマフィアのボスであるという男がそんな、頭の弱そうなことをいいだしたのを覚えている。
「なぁ、恭弥、気持ちいい?」
「ん」
「んん? ここか?」
 思わず漏らした息にディーノは頬を緩めて、嗤ってやりたい、のにそれどころではない。幸せそうな、甘い声。そう認識した途端、自分の内部が大きく蠕動したのがわかった。ああそうか。これがそういうことか。ずっと馬鹿な話だと思っていたのに、今更になって本当だと気づくなんて。
「………………あ」
「ん。気持ちいいか?」
「…ちがっ」
 そうじゃない。ただつられて思い出しただけだ。ディーノは雲雀と出会うまでは男と性交渉したことはないと、そう聞いた。あの話を聞いたのと、確か同じ日だった筈である。まだつきあいだしたばかりで、ディーノを全部受け入れることすらできなかった頃だ。オレだってそういう経験はないしうまくやれねぇけどとか、でも恭弥が相手だからどうだとかそんな、確かそんなことをぐだぐだといっていた気がする。相手が男だろうと女だろうと聞いて愉快でない話なのは同じだったのでトンファーで思いきり殴ってやって、それで忘れていたのだ。
 だが、ということは、彼は知らないのだ。熱い塊が内部を辿る感覚。痛みと快感がごちゃ混ぜにやってきて、手負いの獣みたいにそこだけに意識を集中させていると、やがて、すっと霧が晴れるように意識がクリアになる瞬間があるのだ。ぎゅ、っとつむっていた瞼を開くとすぐそこに、眉を顰めた彼の顔が存在する。同じタイミングで荒い呼吸をして、同性同士だからこそ手に取るようにわかるその衝動を抱えて、堪えている彼の顔。「いいよ、動いて」。そう、許可なのか懇願なのか自分でもわからない台詞を憑かれるように口にすると、彼は………そう彼はとんでもなく嬉しそうな表情を浮かべる。咬みつきたいとか咬み殺したいとか咄嗟に考えてしまう程、嘘がないとそう考えてしまう程、あからさまで、子どもっぽい表情だ。その瞬間自分が感じるのは多分、歓喜だとかなんだとか、きっとそういったものなのだと思う。これもまた彼のいう、好きだから気持ちいいだとかそういう話なのだろうか? ずっと世迷いごとだと思っていたのに、今なら納得できそうだ。あの歓び。充足感。他の相手でも得られるものだとはとても思えないのは、自分が彼以外知らないせいだろうか。
「恭弥? なぁ」
「………………あぁ」
 だが、ということは彼はこの喜びを知らないのだ。それはよろしくない。
 別に、恋人同士であるからといって、何もかもを理解しあわねばならないとは雲雀は考えない。そんなことになったら、鬱陶しくて仕方がないだろう。だがディーノはまるでそうでないふうを装ってはいるが詮索好きというかなんというか、こちらのスケジュールを把握したがる傾向がある。それはもう、一二ヶ月かそこら連絡を絶ってロシアの敵対マフィアを端から咬み殺していたぐらいで、ボンゴレに内密でこちらの居場所を調査して押しかけてくるような人なのである。心配しただとかなんだとかいっていたが、戦力の差を考えても雲雀が負ける筈はないことなど把握していた筈で、まったく、これは相手が戦闘のノウハウなぞ理解しない普通の女子であったら、ストーカーであると御返品されても文句はいえない。常々考えていることだが、こんな男の面倒を見られるのは雲雀くらいのものなのである。
 だからつまり、雲雀はそうではないが、ディーノはそういった男であるからして、興味を持つであろうことは納得できる。それにまあちょっと恥ずかしいと思わなくもないが、何に関してでも知識は無いよりはあった方がいいに決まっている。広範な知識がよりフラットで柔軟で理性的な思考を展開する一助となるのだ。それに彼はイタリア男であるから、なのかあるのに、なのかは知らないが性行為に積極的に取り組む傾向がある。雲雀からすれば信じられない程、度々、いつもとは違う何か、をしたいと提案してくる。彼の屋敷で働いている女性家庭内労働者の制服を無理やり着せられ脱がされたことは記憶に新しい。つまりは何をしたいのかさっぱり判らないと、長い付き合いである筈の男に対する理解に不安を覚えたりもしたものだ。だから今度もまた、こんなことをいいだしたのだろう。いつもと違うといえばこれほどいつもと違うものもなかろうという話である。
「ディーノ」
「………っきょ」
 仕方のない人だ、そんな意味も込めて額に浮かんだ汗を指先で拭ってやると、彼は戦くように身を震わせた。そして蕩けるような笑み。次の瞬間雲雀はひどい歓喜と衝動の波に押されてディーノにしがみつくと、聞き飽きた質問を封じるべく唇を塞いだ。


「恭弥」
「………ん」
 低く呼ばれた名に、意識が覚醒する。薄く瞼を開くとそこにキスをしてくるイタリア人がいた。
「起きたのか?」
「起こしたんじゃないの」
「起こしたんじゃねぇんだ」
 そういえば確かに囁くような、起こすという意図を感じさせない呼び方だった、かもしれない。そんなことを考えて許してしまうなんて自分も甘くなったものだ。雲雀は思わず苦笑する。数年前なら何人たりとも咬み殺すといいきって、それは相手がこの男であろうとも例外はなかった筈だ。
「ごめんな、ちょっと無理させちまった、かも」
「僕はそんな柔じゃないよ」
 こういうときだけ忘れやすくなるらしい事実を指摘すると、ディーノは困ったような笑顔を浮かべる。こういう顔は嫌いだ。
「いやそういう問題じゃ………っが。ぅいってててて!」
「煩いよ」
 摘まみやすい鼻が余計目立っていけない。思いきり引っ張ってやって、少し濡れた琥珀に満足する。かわいい。いやそうじゃない。
 あ、と思いだした。先程気づいた事実にだ。確かに目の前の男はかわいいが実際問題としてそれは可能であろうか? いや当たり前の事実として可能でない筈などないし、そもそも自分に不可能なぞないのだが、まあつまりは上手くやれるであろうか?
「ん?」
「………いや」
 赤い鼻をしてこちらの顔を覗き込んでくる男。半身を起した彼の体はひどく逞しく、正直にいえば気は進まない。だが、彼が望むのであれば、努力してやりたいと思うくらいの気概はある。
 結局のところ雲雀は優しいのだ。ディーノが事あるごとにそういうぐらいなのだから、きっとその通りなのだろう。それに自分でもそう思うこともある。たとえばどこぞで群れきったマフィアの集団を目にした時、そこが並盛ではなくとも、また彼らがどれほど弱い草食動物の群れであろうとも、風紀を正すために丹念に咬み殺してやるほどである。大して面白い戦いにはならないであろうことは最初からわかっていて、しかも仕事の忙しい時ですら、見逃すことなどできないのが殆どで、自分でもこれはお人よしすぎるのではないかと思う程だ。今だって正直ここまで気を使ってやる必要はないんじゃないかと思いつつも、結局は協力してやるのだろうと思う。年上だからとか教師だからとかいって、変なところで気を使ったりいい恰好をしようとする人だ。こちらからいいださなければ、ディーノは自分の望みなぞ口に出さないかもしれない。それはよろしくない。
「してあげてもいいよ」
「………………………なにが?」
 ディーノは小首を傾げて、これは悟られてるなんてさっぱり気づいていなかったに違いない。かわいい………いやそうじゃない。いやそうじゃなくないけど、かわいいけど、どうしようやればできるような気がしてきた。いやこうして一旦男が口にしたからには撤回するつもりはないのだから万々歳なのかもしれないけれども。
「だから、あなたがそこまで気になるなら………したいなら仕方がないから」
「へ? いやなんだ、オレへんなこといったりした?」
「僕が抱いてあげてもいいよ、ていっている」
「………………………………………へ?」


 巨大ファミリー二つを巻き込んだ痴話喧嘩の幕が切って落とされたのはそれから数分後のことである。

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