「恭弥。その、あのな。………あ、明日ってなんか予定とか、あるのか?」
「明日?」
「おお。学校は………ほら、休みだよな。な?」
 一年三六五日、学び屋の門戸は開かれているべしと頑なに信じている我が恋人は、勿論年間のスケジュールなぞ頭に入っているらしいのだが、祝日だのなんだのの存在を指摘するだけでも機嫌が下方修正されないとも限らない。恐る恐るオレは指摘した。明日は、十二月二十五日は土曜日である。いやそれ以前に多分冬休みだ。
「………………………そう、だね」
 もし日本の政治家がこんな風に「遺憾であります」と云えたなら、それだけでアジア諸国は平和になるんじゃなかろうかとそんな風に考える程、打ちひしがれた声音だった。そこに含まれる哀惜の思いは、とてもとても同調できるものではなかったけれども。
「うん。そうだよな。でさ、なんか予定とか」
「別にないけど」
「あ、そか。そうか」
 年頃の男の子が、ここまで衒いなくその事実を口にするのはどうなのかと思わなくもないが、返答自体は喜ばしい。何といっても師走は忙しい時期で、風紀委員長も集金と浮かれた群れの殲滅にいつ奔走していないとも限らないのだ。いつもの並盛中の応接室。かわいい恋人は日誌を広げてはいるが、こうやって話に付き合ってくれるし、これはそう忙しいというわけではないのだろう。
 だが明日はクリスマスだ。日本ではイブは恋人同士の日で、二十五日はケーキの安売りの日であるらしい。ジャポーネの文化風俗に詳しい元家庭教師の言によるとそうである。
 ちなみに「そんなもの買わなくてもママンの焼いたショートケーキがあるからいいんだけどな」だそうだ。いつもながら話に聞くだけで心温まる家族団欒のエピソードである。
 そう、イタリアでもクリスマスは家族で過ごすのが一般的だ。親しい人たちと御馳走を食べて、それから深夜のミサ。だいぶ酒が入っているような人間も多いが、多分信仰の儀式として、それとも睡眠学習的な意味で無駄ではないのだろう。それから家に帰って、ホストは、気骨のあるホストは酔っ払いが思う存分汚した部屋を片付けて、寝る。そして朝起きればお待ちかねのプレゼントを開ける時間というわけだ。こちらも心温まる家族団欒のエピソードだ。うん、ああ本気でそう思っているとも。だがまあ幸か不幸かオレは長らくそれを経験せずにいるけれども。
「だから何」
「おお。そのな、その。………今日は泊っていかねぇ?」
 いった。いってしまった。これでオレも悪い大人の仲間入りである。いや随分前からとっくに入会していたような気がしなくもないが、とにかくこれが決定的な一打であることは間違いない。
 かわいい我が恋人との逢瀬は何物にも代えがたいほど素晴らしいものだ。だが彼はシンデレラよろしく、いやそれよりも随分早い時間に御帰宅あそばす。いや、別にそれに不満があるわけではない。彼の年齢から考えても、夜遅くまで家に帰らないことが好ましいこととは思わない。既に船を漕ぎだしてるかわいい人に、服を着せ靴を履かせ、短いドライブに連れ出す。それもまた十分に楽しい時間である。まあ夜は長いとはとてもいえないような状況下で、相手はあの雲雀恭弥で、特に何をするわけではなく送り出したことも度々あったわけではあるが、それも、それだって、楽しい時間だ。そうだ。少なくとも身支度のための時間がない分、存分にキスができる。
 だからオレは、今の状態に不満があるわけでは勿論ない。あるわけがない。だが明日はクリスマスだ。オレは信仰深いとはとてもいえやしないし、恭弥はそれ以前に殆ど知識もありやしないだろう。だがそれなのに、イタリアでも日本でも明日は大切な人と過ごす日らしい。
「オレは恭弥と過ごしたい」
「ふうん?」
 これ以上なくコケティッシュに小首を傾げて見せた我が恋人は、オレの返答を待たず一人でうんうんと頷いた。
「今日から冬休みだからね」
「いやそうじゃなくてだな」
「そうじゃないの?」
「いやだから………クリスマスだろ?」
「ああ」
 さすがにあの雲雀恭弥といえどもクリスマスぐらいはご存じだったらしい。なるほど、と一つ頷いて、それから質問を投げかけてきた。
「イタリアではクリスマスってどうやって過ごすの?」
「あ、ああそうだな」
 オレはあまりに驚いてしまって、変な声を出しそうになった。マフィアの話も我が母国の話もいっそ潔いほど無関心な人だ。だが先々のことを考えておけば知っておいて損はない。
「キリスト教の国だからな。やっぱ盛大に祝うぜ。イブくらいから家族で集まって、あと親戚とか呼んだりしてな。御馳走食べて、歌やダンスも。それからミサだな」
 何とかいい印象を持ってもらいたい。そんなわけでオレは一生懸命アットホームで幸せなクリスマスの情景を描き出して見せた。ああ頑張った。実際にはオレはそんな家庭的なクリスマスの記憶なぞほとんどない。別にクリスマス返上で働いているというわけではなく、なんといっても取引先がみな休んでいるわけでそれなりの時間はとれるのだが、ここ最近の記憶としてはほぼ部下との飲み会ってかんじだ。多少メンツは変わったり縮小されたりはしているが、基本普段とほとんど変わらない。
「当日の昼も御馳走でな。七面鳥。パネットーネ、パンドーロ。うちのシマでは二十五日に生誕劇をやる習わしでな。すっげー楽しいんだぜ」
 嘘である。子どもの頃ならともかく、筋のわかった古くさ………いや伝統的な生誕劇などそうそう面白いものではない。気づけば十年近く、あのとんでもなく長い髭を蓄えた三博士や近寄ってみるとどうみても処女と言い張っていい歳をしていないことが分かる聖母に御目にかかっていない。いやいまはもう役者も変わっているのかもしれない。オレは自分の出来得る限りシマのために尽力しているつもりだし、皆優しく接してくれる。だがつまりそれはこちらの家業は誰も先刻ご承知なわけで、少なくとも聖なる夜に顔を合わせたい相手ではないだろう。だから何となくクリスマス前後の数日だけはあまり出歩かないで過ごすようにしている。
 ボスを継いですぐの頃は、多分今思えば同情したのだろう、家でのクリスマスに招待してくれる部下もいた。誤解ないようにいっておくとオレは部下の家に伺ったりその家族の誰それに会うことが嫌いではない。むしろ好きである。こっちの方が奇跡なんじゃないかと突っ込みたくなる美人の嫁さん、いやそうじゃない場合もあるが皆様気立てはよろしくてオレに気を使ってくれて、それにかわいらしい娘さんや数年前なら思い切り苛められてしまいそうなやんちゃ極まりない男の子たち。大体どこの家も子沢山で賑やかで楽しげだ。彼が幸せならそれだけでオレも何となく嬉しい。そう思える相手がオレには何人もいる。それだけでなんと恵まれた話であろうか。
 だがクリスマスだけは駄目だ。その日だけは駄目なのだ。多分彼らが単なるビジネスマンでオレがその雇い主だというだけならば、きっと屈託なくその日の集まりを楽しめるんだと思う。だが現実はオレはマフィアのボスで彼らはその部下と家族だ。オレはどうしても申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまっていつもどおりに振る舞えない。何年か経つとオレは自然にクリスマスは自分の家で過ごすようになった。
「だめだよ」
「………え?」
 思考を引き戻されて、オレは我に返る。目の前にはひどく澄んだ瞳があった。
「だめ。今日は早く帰りなよ」
「なんで恭弥なんで」
 自分の口から紡ぎだされる平坦な声を聞いた時、オレは自分の必死さが分かった。多分生まれて初めて、オレにはこの日をどうしても共に過ごしたい人がいる。
「だめ。家族と過ごす日なんだろ。まだ間に合うよ」
 帰れってイタリアかよ。確かにこの時間なら午餐会には間に合う。多分今年は屋敷は出払ってるかもしれないが。
「いやそのな」
「そういう習わしを破ると風紀が乱れるものだよ」
 鹿爪らしい顔をして恭弥が教えてくれる。真面目な人なのだ。
「いや………オレ、家族いねぇ、し」
「え?」
 恭弥が目を丸くしてオレは即座に後悔する。だが嘘をつくのもおかしな話だ。ただ今までそんな話題にはならなくて、まあそれはあたりまえのことで普通いきなり現れた家庭教師兼のちに恋人の地位も獲得、に、ご趣味は、とかご家族は何人ですか、などと聞いたりはしない。オレの経験によるとそういう経緯で出会った相手は、確認するまでもなくお互いに趣味は格闘だという認識のもと、ご家族が悲しまれるなどという可能性には気づくこともなく、ひたすら武器を交わすため邁進する。いくら聞かれたって自分の家庭環境なぞ話はしない。好きな時に好きな環境で過ごす方だ。
「早くに亡くなってな。まあ色々あったんだけど」
「でも………だめだよ。家族と一緒に過ごしなよ」
 俯いた愛しい人はそう言い張って、オレは目を丸くした。一緒にって墓で? イタリアの冬は寒い………いやその程度の責め苦、甘んじて受けるべきなのはわかっている。だがそんな自己満足極まりない行為で許されるとは思っていないし、許されたいとも思っていなかった。オレの償いはただこの、親父から託されたファミリーを守り抜く、というだけだ。
「いやそのだからいねぇ………って」
「何いってるの。いるだろ、いつも。あの髭の人とか」
「え、それ?」
 それはファミリーであって家族じゃねぇから。いや日本語に訳せば同じなのだろうか、うん、そうだ。確かにここずっと、あの髭の人こと我が右腕とはクリスマスにも顔を合わせている気がする。暖かい家庭を築いた部下たちが出払ったあと居残った奴らと酒を飲む。交代制でクリスマスに働いている奴らもいるし、天涯孤独だったり、そうでなくともこんな家業である。家族と縁を切っている奴らは少なくないのだ。
「風紀が乱れる。家族が過ごすって決まってる日は家族で過ごすべきだよ」
「それは確かにそうだけどな。あれとそれとは違うっていうか………」
 確かに日本語に訳せば同じかもしれない。だがファミリーと家族とは別物だ。そこははっきりと主張したい。
「違う。てか細かいことはどうでもいいんだ。オレは恭弥と一緒にいたい」
「………………」
 まるで困ったように風紀委員長は微笑んだ。真面目な人だ。懇願されたからといって古くからの決まりを撤回するのは納得がいかないのかもしれない。それでもオレは思い切りがよくない。息をつめて答えを待つと、さすが我が弟子は常識にとらわれない。コペルニクス的転回。それともコロンブスの卵。示された提案は思いもよらないものだった。
「じゃあ家族になればいいじゃない」
「………………………………え?」
「僕は構わないよ」
「………………え?」
「あなた嫌な」
「いやいやいやいやんなわけねーだろ」
 日本語ではこういうとき何というんだったけか。鴨に葱。渡りに船。棚から牡丹餅。突然の幸運にオレは正気を失いそうで、だがそれでもわかっていることがある。どのような国でも、未成年にプロポーズをして合意を取り付けて、さあその日のうちに結婚しましょうってわけにはいかない。つまり今日は泊らせるわけにはいかない。だいたい近いうちに御両親に御挨拶に行こうというのに、朝帰りさせるというのもどうかという話だ。
 そんなわけでオレは当初の目的を放り投げ、穏やかな笑みを形作った。ああこの聖なる夜に、恋人からプロポーズされて、他にどんな対応がとれるだろう? 御望みとあらばいくらでも紳士的に振る舞おう。大体相手はまだまだ子どもなのだ。今あれこれ好きなように接してしまえば、いずれご家族と顔を合わせたとき相当気まずいに違いない。
「とりあえず飯食いに行こうぜ。どこも混んでるからな。部屋に届くように手配してある」
 冷めないようにきちんと分けて届けてくれと厳命したクリスマスディナーのフルコース。小さめなサイズの、サンタの載ったショートケーキも並盛で一番おいしいと評判の洋菓子店で予約しておいた。明日、朝起きたら枕元を見た恭弥をびっくりさせようと企んでいた巨大な黄色い鳥のぬいぐるみは、もう今日の内に渡してしまうしかないだろう。イタリア人のオレとしては、できれば大事な当日、クリスマスこそを一緒に過ごしたい。だがやることは山のようにある。クリスマス休暇なんぞを謳歌している他の同盟ファミリーたちに手をまわして、この婚姻を承認させて、それに指輪。ドレスも。オレのファミリーだって、そうそう手放しで認めてくれるとも限らない。ああ問題は山積みだっていうのに、なんでこんなに頬が緩むんだろう?今のオレはとてもとても恋人に見せていい顔をしていない筈だ。だがみると近いうちに我が家族となる予定の我が恋人は頬を赤らめて俯いていて、まだ幸せになる余地があるなんて。ああ聖なるかな聖なるかな聖なるかな。いと高きところにホサナ。オレは感謝の賛歌を今にも歌いださないでいられるのが自分でも不思議なくらいだった。ハレルヤ!!







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