「あなた、僕との手合わせと仕事とどっちが大事なの」
 究極の選択。痴話喧嘩ktkr、と、ソファの上で綱吉は思わず首をすくめた。いや、判断を迫られているのは自分ではない。兄貴分であるイタリアンマフィアのボスで、叱責しているのはその弟子である並盛中学校の風紀委員長。いやそも痴話喧嘩ではないのだ。熱心な生徒がカリキュラムの変更について教師に不満を表明しているだけのこと………考えて思わず遠い目をした。百年たったって自分はそこまで熱心になれる気はしない。なりたくもない。
「いやいや、恭弥落ち着けって、しょうがねーだろ、仕事が入っちまったんだからさ」
 その返答はダメだってことぐらい俺でもわかるけどなと、綱吉は考えて、それからああ、と納得した。だからこれは痴話喧嘩ではないのだった。なんか紛らわしいけども! つまりもし女の子に不義理を責められているのなら………自分には経験なぞないけどもドラマだとかでおなじみのシーンだ………君の方が大事だよと答えたところでそれが嘘であると証明することはできない。真実であると証明することもできないのと同じで。つまり人間と仕事は天秤にかけられる事柄ではないのである。だけれども、ことが手合わせとなると難しい問題である。下手に手合わせの方が大事だよとか答えたら、じゃあ、仕事よりも手合わせにスケジュールの比重を置くべきであると、そう主張してくるに違いない。だが、だからといって仕事の方が大事などと答えて許される筈がない。
 何故綱吉がこのような修羅場に居合わせたかといえば、それは自業自得というものだ。うっかり盛大に寝坊して、起床したときにはもう、家を出なければならない時刻だった。学校まで走ったけれども結局は遅刻で、担任にはこってり絞られ、そして、全校生徒対象のアンケートだか何だかとその集計の書類一式を、風紀委員長に届ける役目を仰せつかったのだどちくしょう。そんなわけで放課後、職員室に行って受け取った大量の紙の束を応接室に運ぶ綱吉の足取りはドナドナと売られる子牛のそれだったが、案に相違して、その職務はスムーズにすすんだ。なんでだか応接室でくつろいでいた兄貴分が、よくきたなツナといって歓待してくれたことも大きかったけれども、どうやら風紀委員長も機嫌が良いようだった。クラス委員や教師ではなく自分が運んできた理由を問いただすこともなく書類を受け取り、担任に覚えさせられた集計結果の概要を報告している間も、ふんふんと頷きながら話を聞いてくれた。だがその幸せも、携帯の着信音が鳴り響いた時脆くも崩れ去ったのである。
 大なく小なく並がいい。馴染みのあるメロディーである。ああ雲雀さんに電話だなともちろん考えたわけだが、プロント?と声をあげたのはマフィアのボスの方で、いやそれはいい、つっこまない、きっと自分には理解できないだけで、実はプッチーニやヴェルディを生んだ国の人を魅了するほどの名曲だったのだろう。そんなわけで兄弟子はイタリア語で通話をはじめ、ならば話が終ったところで挨拶して退散するかと考えたのだったが、そこで、目の前で書類を確認していた風紀委員長のご機嫌がどんどん低下していっていることに綱吉は気づいた。
 イタリア語を多少なりとも理解できるのか、それともただ単に彼にも超直感があるとかそういうあれなのか知るべくもなかったが、とにかく彼は兄弟子とこのあと手合わせをすべく遠出をする約束をしており、だが兄弟子に仕事の予定が舞い込んできた、とそういうわけらしかった。そして、予定が反故にされるのは今回が初めてではないらしい。とにかく通話が終わった時点で怒りにまかせて雲雀はトンファーを放り投げ、それはいとも簡単にドアノブを破壊。すなわち、今自分に残された選択肢は二つである。
 一つ、翌日筋肉痛に悩まされ家庭教師に叱られることを承知の上で、仁王立ちしている風紀委員長の脇を死ぬ気ですり抜け、窓からクラスメイト達を含め多くの生徒が部活に励んでいる校庭に飛び降りる。
 二つ、大人しく、そして最大限に我が存在感を消しつつ嵐が通り抜けるのを待って、そして穏便にドアを直してから退出する。
 できれば二つ目を選びたいところである。そんなわけで綱吉は首をすくめながら、状況を見守っていたわけなのだが、兄弟子の弁解はあまり功を奏していないようであった。委員長の叱責はかなりヒートアップしている。
「嘘つき」
「いやだってさ、仕方ねえんだって」
「あなたどうせ、僕との手合わせより仕事のが大事なんだろ…」
「え? や、おっまえなぁ………」
 兄弟子は呻き声をあげて、まあその気持ちはわからないでもない。そりゃそうだろ、ってかなんですかその、まるで傷ついたみたいな顔。
「そういう問題じゃないだろ。仕事が終わったらみっちり戦ってやるから」
「そしたら暗くなっちゃうじゃない。それに、どこにも行けない」
「………」
「今日は海に行くって。いっぱい手合わせするって、約束したじゃないあなた約束したじゃない」
「だからそれは悪かったって」
 あ、やっぱイタリア人は突っ込まないんだ、と綱吉は顔を強張らせた。何今の懐メロ。
 ことが修行に関してじゃなかったら本当に痴話喧嘩みたいだよなぁ、と思わず溜息をつく。もちろんわかってはいるのだが、それにしたって大層紛らわしくみえるのは、本人たちに責任があるのではなかろうか。いやいやいけない、と綱吉は自分を叱った。いくら、この二人がとても親密であるように見えるとか、そも忙しいマフィアのボスがここまで頻繁に来日するとかどうなのとか、だいたい雲雀さんが即武器を構えるんじゃなくて口論してる時点で譲歩だよねとか、いろいろ指摘したい事柄があるにせよ、痴話喧嘩だとかなんだとか、そんな下世話な想像を親しい人間に対してするなんて、人として正しくないでも本当に違うのかな。
「もうあなたなんかしらない」
「きょうや」
「あなたがそうやって僕を放っておくなら、僕は草食動物と手合わせしちゃうからね!」
 ああそういう台詞もよく聞くよな、放っておいたら浮気しちゃうわよみたいなはは………と内心笑ってたところで我に返った。雲雀さん近い! いつの間に!? 執務机の前で仁王立ちしていた筈の風紀委員長は今、綱吉の隣に座って片方残ったトンファーを首に押しあてている。うわぁいい匂いがする………って草食動物って俺?! いやもう流石に呼ばれ慣れてるけど!!
「いやちょっと待って下さい雲雀さん、…って!」
「恭弥、おまえ本気か?」
 さすがに不満を伝えようとした相手がびくりと体を強張らせて目を見開いたので、綱吉はおそるおそる振り向いた。怖い。兄弟子であるマフィアのボスは、今まで見たことがないほど冷たい表情を浮かべている。いやだって、手合わせの話ですよね?!
「………ディーノさん?」
「おまえ、本気でそんなこと言ってんのか?」
「あ………ったりまえだろっ」
 ひくにひけない、といったふうに雲雀がいいかえす。いやだから手合わせの話ですよね? それだって承諾してないですけども!
「ディーノさん、ディーノさん!! 俺、そんな気ないですからね!」
「ん? なんだよツナ、恭弥は強いぜ。なんてったってオレが教えてんだ。なんか不満でもあんのか?」
「ひ」
「別にセンセイだとか認めてない…」
 拗ねた顔をした委員長はぐいぐいとトンファーを押し当ててきて、つまりは先ほどよりもさらに距離が近い。そんなことどうでもいいから空気読んで!と綱吉は心の中で絶叫した。
「どうした、恭弥。かわいくねーな。撤回したら許してやってもいいんだぜ」
「なにそれ、なんであなたの勝手きかなくちゃならないの」
「じゃあマジでツナとやる気か?」
 やるってしつこいですけど手合わせですよね?! っていうかどっちししたって
「やるよ」
「やりませんよ!!………っていってぇ!!」
 ほとんど勢いがないとはいえ、ギミックの鎖がいきなり絡みついてきて綱吉は悲鳴を上げた。地味にいたい。
「ツナ。いやまあおまえはそういうだろうけどさ」
「ディーノ、さん?」
「実際、恭弥が迫ってきて、ほんとに拒みきれるとは限らねぇだろ?」
「え、や! 迫るって?!」
「恭弥の実力はわかってんだろ。本気でこられて無抵抗でいられんのか?」
「あ、そういう意味ですよねー………いや、はい、それはその」
 争いごとが嫌いなだけでMでもなんでもないので。というかあんな戦闘狂にいどまれて無抵抗なんて、よほど根性がすわったガンジーでも無理ではないだろうか。
「だよなぁ………」
「え、その? ディーノ………さん?」
 ぎゅうぎゅうと首が締まっててそろそろやばいんですけど雲雀さんを止めていただけないでしょうか。兄弟子は先ほどから鞭の柄をくるくると回しながら、こちらを眺めているだけだ。
「指の二三本も折れば戦えなくもなるだろうけどな…」
「え。あの、冗談、ですよね?」
「ん? なんだよツナ。はは、冗談に決まってんだろ?」
 マフィアのボスは響きだけは朗らかな笑声をあげた。目が笑ってない。
「ただおまえが本当に戦う気がないってんなら、そういう手もあるぞって話だ。恭弥は戦闘不能になった人間と戦うような奴じゃないからな。オレらと違って晴れの匣も使えねぇし。ほら、仕事が終わったらすぐ治してやるから」
「や、ちょ、冗談っていったじゃないですか!」
「切るわけじゃなし冗談みたいなもんだって! あ、誤解すんなよ? 痛くないようにするから! すぐロマにいって麻s」
「ディーノ」
「は、ぐ、………はぁあ」
 いきなり鎖が解かれて、綱吉は思わず咳こんだ。助かった。これはあれか、よくディーノさんがいってて、ご冗談でしょうと誰も本気にはしなかった、雲雀さんが誰よりも味方に優しいだとかなんだとか。ごめんなさい、雲雀さんは確かに優しい人です!
「ごめん、ディーノ…」
「きょうや…」
「ありがとうございますっ!ってえええ?」
 とはいえあの雲雀さんが人に謝るとか思いもよらない。だがそこで振り向いた綱吉は、もっと驚くべきものを目撃した。
「僕が間違ってたよ。あなたほど戦って楽しい人なんて他にいない」
「わかってくれたのか?」
「いやなんですかその僕惚れ直しちゃったよみたいな顔………」
 あれですよね、そんな要素今までなかったですよね! むしろどんびきすべき展開のみでしたよね!! だが雲雀はどうみても、頬を赤らめ乙女のごとくに恥じらっている。古式ゆかしき漫画だったら目がハートになっていたことだろう。
「オレこそ悪かったよ。おまえにひでーこといっちまった…」
 そんな熱い視線をおくられているマフィアのボスは、苦々しげな声で謝罪の言葉を口にした。なんかいってましたっけ俺はさんざんひどいこといわれたと思いますけど。
 とにかくドアだ。ドアを直そう。綱吉は忍び足でソファから離れた。まあ、すっかり二人の世界だし、気づかれる心配はあまりないような気もするが。
「なにを?」
 そして雲雀にとっても彼の謝罪は不可解であったらしい。小首を傾げた弟子の両手を取り、そこにディーノは額をすり寄せた。
 綱吉は視線をそらし、ドアノブがとれたあとに指を突っ込んだ。さて、これからどうすれば開くのだろう? 正直こういうのは苦手である。いや死ぬ気だ。こういう時こそだ。ここまで壊れてればドアを丸ごと壊して出て行った方が話は早いのではないだろうか? いやだめだ。怒られる。
「ごめんな、かわいくねーなんて嘘だ………おまえはオレの何よりも大事なかわいい弟子だよ」
「ディーノ…」
「ほんとは手合わせの時間も大事に思ってる。でも、おまえに怒られてわかったよ。オレはこの役目を他の誰にも譲りたくない………はは、すげー心狭いな」
 むしろ譲られたい人なんて他にいないと思いますけど。てかひどいことってそれかよ。
 内心で突っ込みつつ、綱吉は作業を続行した。ああくそ、集中が必要とされる場面だっていうのに、気が散って仕方がない。でももうちょっと、ほらそこの奥に見えるあの釘みたいなのが動けば多分。
「そんなことない。僕だって」
「うん、あんがとな。でもごめん。オレはやっぱ仕事も大事なんだ。ファミリーの皆が頑張ってんのに、オレだけが好きなことしたいって放りだすわけにはいかねぇ」
 もうちょっと、もうちょっと。
「わかってる。………無理をいったね」
「いや、おまえは怒って当然だって。ごめんな、即行帰ってくるから」
 あとちょっと。
「待ってる。ねぇ、早く帰ってきてね」
「あたりまえだろ。オレが帰るのは恭弥のとこだけだ。気が済むまでつきあってやるからな」
「あ、開いたぁあああああ!!!!………あ、すみませんすみません!!」
 思わずガッツポーズしたところで我に返る。振り返ると、互いとの手合わせがいかに大事な時間か語り合おうとしていた師弟が胡乱な視線を向けてきていた。いや、なんですかその、「あ、いたの」みたいな。
「なんだツナ。帰んのか?」
「ええそりゃもう」
「もうすぐロマーリオが迎えに来るはずだからさ、なんだったらおくってくぞ」
「いえ!! 教室に用事があるので!! すみません!!」
「そっか? 気をつけてなー」
「そろそろ下校時間だよ」
「はい! すぐ帰ります!!」
 ここで、家庭教師の仕事が終わるまでずっと待っているだとか約束していた筈の秩序様に、頭を下げる。その後の台詞は、並盛中学の生徒なら聞かなくてもわかる。「居残ってたら咬み殺すよ」だ。正直、咬み殺されるのと手合わせとどう違うのかさっぱりわからないが、いわれてあわてて下校した経験のない生徒などほとんどいないに違いない。そして、今日こういう状況だからといって、容赦してもらえる予感はさっぱりしない。
「さようなら! お先に失礼します!!」
 大声で挨拶をして、廊下を全速力で走った。もちろん校則違反だが、追いつかれなければいいのだ、追いつかれなければ。そして辿りついた、人気のない教室。ドアを閉めるなり綱吉はずるずるとしゃがみこんだ。
「あー………もう、勘弁してよ…」
 あの痴話喧嘩。
 いやそうじゃない、痴話喧嘩じゃないんだった、そうだ。だがいったいなにが違うのかと聞かれても、答えられる気が全くしない。
 もうあの二人、さっさとくっついてしまえばいいのに、と思う。その方がまだ楽だ。だって今日のことだって、友人にちょっと愚痴ることだって許されない。これが痴話喧嘩ならまだいい。まあちょっと、嫉妬乙とかそんなふうに思われるかもだけど、いやそれもものすごく不本意だけど、それでも吐き出せれば少しはすっとするに違いない。
 だが巻き込まれたのは修行熱心な生徒が、休講に不満を訴えている図。あれこれいおうものならば、あの地獄耳の家庭教師が、「ちょっとはおまえも見習え」とよりハードな修行を課してくるに決まっている。今までの経験からして間違いのないところ。
「あいつも、しばらく仕事ーとかいってさ…」
 修行だのなんだのが休みにならないだろうか。かすかな願いを口にしたところで、綱吉は大きく首を振った。だめだ、だってあいつの仕事って。いやでもたまには。正義感と自分可愛さの狭間で揺れつつ、綱吉はとぼとぼと帰宅の途についた。















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