クフフなカーニバル


「あ、次の角で左に行ってくれるか」
 先刻まで下らないことをいなないていた馬がそんなことをいった。いなないていた内容はさっぱり憶えていないけれども、少なくとも自分の首筋にその無駄に整った顔を埋めていたはずで、その間自分が失っていた貴重な平常心の在処を思えば尚更腹立たしかった。なんだかんだいってもこの国はこの男にとっては異国で、いくら自分の立場も勘違いしてドライブが趣味だとかいいだしていても、カーナビが最新の技術力の限界に挑んではいても、ぱっと顔を上げた瞬間に自分の現在地点を確認する能力を所有しているとは思えないのだ………というかもしそうなら奪い返してやる。
「ここ、どこ」
「ん? このまま行くとそろそろ浅草だろ」
 そう平然と馬はいい、確かに目をやれば、見間違いようもない、いくら並盛以外に興味がないとはいっていても日本人であるならその恥知らずな外観は知っている、限りなくあれに似た、ビールの泡を模したのだという建前の金の像が遠くのビルの屋上に設置されているのが見えた。
「ホテル、今日はこっちなの」
 基本的には並盛の、駅前にあるホテルに泊まっている我が家庭教師だが、時々移動する。仕事の関係もあるだろうが、それならば最初から都心部の大きなホテルに宿泊すればいいわけで、どちらかといえば警護とか、そんなことを気にしているらしかった。馬鹿みたいにスピードの出る車もあるし、ちょっと早起きすれば学校に通うのも苦ではない。高級ホテルのハンバーグを端から制覇しつつある身としては、不満はありはしなかった。
「いや? そうじゃねぇよ」
「浅草嫌なんだ?」
 そんなわけはない。ので、雲雀は笑いながら聞いた。神社だの寺だの、そういったものが外国人である彼らにはどうも興味深く映るらしかった。日本らしい、と感じるらしい。雲雀の性格はわかっているだろうに、如何にもな観光地を一緒に訪れてみたいという話を聞かされたのは、一度や二度ではない。
「………なんか今日は祭りがあるらしいからな。道が混むだろ」
「へえ……」
 ずいぶん大きな祭りらしい。いや、休日で、それも浅草で催される時点で混むのは当たり前かもしれない。だがよくこの外国人がそんな日程を知っていたものだ。雲雀も祭りは嫌いではないが、並盛近郊のものならともかく、それ以外はテレビ中継するようなものだってよくわかってはいない。まったく、行きたいならそういえばいいのに、と雲雀は思った。行きたくなかったらこちらもそう主張するだけのことで、変に気を使う必要はない。
「別に寄りたいならいいよ。いこうよ」
「へ?」
「祭り。見たいんだろ?」
「いや! 別に見たくないぜ! オレは恭弥一筋だからな!!」
「そう?」
「何だよ疑うのかよばかきょうや」
「………」
 別に疑うとかそういうわけではない。ただなんでそれが祭りを見る見ないに繋がるのだろうか。
「恭弥は………みたい、のか?」
「………………みたいよ」
 だから行きたいなら行きたいとそういえばいいのに。行きたくなかったら殴るだけのことで、変に気を使う必要はない。だがもうこの男の性格はそうそうのことで変わるはずがないのだ。雲雀は妥協した。我が人生でそうはないことだ。
「恭弥………! いやいいんだわかってる。うん。恭弥も男の子だもんな」
「なにそれ」
 訳知り顔で頷く家庭教師にたいそうムカつかされた。だから見たいのはあなたなんじゃないのっていう。だが黙った。ぎゅむぎゅむと抱きついてきていたかわいい人が衝撃的なことをいいだしたからだ。
「すっげえ大規模なサンバカーニバルなんだろ? 綺麗なお嬢さんたちが踊ってるとことかそりゃ見たいよな。衣装とかアレだし。いやオレは興味ねぇけどな、恭弥以外! でもそう思っても無理はねぇよ。うん。正直一緒にいるときはオレのこと考えててほしいとか思うけど………恭弥?」
「………サンバ?」
 ダンス音楽についての知識は自分にはほとんどない。風紀委長に必要とも思われない。それなりにメロディとして把握していると思われるのは盆踊りでかかるなんとかもしくはかんとか音頭、といったものや、オクラホマミキサーなどだ。どちらも悪いとはいわないが、その音をバックに群れを噛み殺したことがあって、リズム的に戦いやすいものとはいえない、と断言せざるを得ない。
 だから南米のダンス音楽であるという「サンバ」についてもそれ以上の知識はなかった。ただ、理由はわからないが、その記憶にもない音楽の話を聞くだけで、反社会的で、非常に、不快で、変態で、本当に変態な、ある男の存在が思い出された。咬み殺したい。
「おお?」
「あなた、そんなものに興味あるの?」
 別に音楽の趣味にまで口を出すつもりはない。風紀委員の仕事だって同じだ。規律を徹底的に強めることと過干渉は別の問題。ある程度の寛容さは必要だ。支配され押しつぶされた人間は結局は役に立たない。まあこの男がそんなざまになるはずもなかろうが。
「い、や。オレは別に、な。でも恭弥が興味あるんなら、いいんだぜ。行こう。なんだよ気にすんなって。興味あって当然だろ。かわいいお嬢さん方があんな衣装で」
「………」
 だがある程度の管理は必要ではないだろうか?そういえばあの不快で変態で本当に変態なあの男の手駒だという女子も、非常に風紀の乱れる服装をしていた。我が愛する学校の生徒であるならば、反省文二十枚ではすまないところだ。女子であるという事実と、顔をあわせるときは殆ど緊迫した状況下にあったというやむをえない事情から指導を施したことはない。だが好ましい事態ではない。
「咬み殺す」
「………へ?」
「そんな群れ咬み殺すよ。何やってるのはやく行くよ」
「いやいやいや! 恭弥落ち着け」
「………変態」
「ええ?!」
「信じられない」
 だまされた。まさかあの男と同じ穴の狢だとは、まったく、さっぱり、思いつきもしなかったのだ。だが青くなって言葉を失っている家庭教師をみれば、溜飲が下がった。そうだ、だがもう少し怒っている顔をしてやろう。この男も常々言っている通り、正しい教育は必要である。


 ロマーリオは固まっていた。時間にすれば一分にも満たない。だがこの混雑した道で、我にかえるまで何の問題も起きなかったとは、日本の交通ルールを順守する姿勢に感謝せざるを得ない。
 先にいっておくが、自分はもちろん、我が上司の殊更に自分の利益よりも部下のそれを尊重する姿勢に賛同するわけではない。責任を取るのがその役割であるというファミリーのトップの自負を否定するつもりは毛頭ないが、少なくとも自分やその他幹部にはそれなりの責任を与えてほしいと常々考えていたのだ。
 そして彼のいっていることは間違っていない。この祭りの存在を知って、懐かしいといったのは自分だ。カルナヴァル。リオだけではなく、様々な都市で行われていて、その日が近づくと年端のいかない子供から年寄りまで皆が皆落ち着かなかったものだ。だから上ずったような声で「これはロマーリオの趣味で」といった我がボスの言葉は間違ってはいない、さっぱり間違ってはいない。
 だがボスの側近として必然的に共に過ごす時間が長くなった子ども。生意気で戦闘マニアで大人のいうことなどきくはずもないわけだが、それでも少しずつ、人慣れしてきた印象がある。戦闘相手とは認識していないためか自分には気負うことなく話しかけてきて、ボスのいう慣れない黒猫をてなづけた感覚というのも満更わからなくはないのだ。それがバックミラーーごし、明らかに幻滅したという視線を投げかけている。自負心よりも恋心を取ったボスには拍手を送りたい。泥にまみれても恋人を手中に収める、それでこそ男だろう。だがそうはいっても、失われた信頼を少しでも回復したいところ。隙を見計らって弁解したいものだとロマーリオは意思を固めた。

















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